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随想 : 平成10年9月 10月 11月 12月 平成11年1月 2月 3月  4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月


秋の訪れ


残暑厳しい毎日が続いているが,暦の上ではもう秋である。

否応無しに毎日が訪れ,過ぎ去って行く。

今年も何回かの台風が訪れ,毎年のように被害をもたらし去っていっていった。

ホームページを開設して,もう一年が経とうとしている。過ぎ去れば光陰矢のごとく

時の経つのは早いものである。読書の秋とは言うもののまだまだ毎日は暑い。

気がついてみると,夏激しく鳴いていた蝉の声も聞かれなくなってしまった。

変わりに鈴虫の声がかすかに聞こえそうな気配である。

自然は何も変わったことは無い。しかしながら身辺には思いもかけない訳の判らないことが次ぎから次ぎへと

起こっている。何故そうなったのか見当がつきさそうでいて確かな見当はつかない。

世の中良い人ばかりではない。見当がつかないように巧みにしている。

しかし多分,そのようなことをするような人は自ずから判ってしまう。お酒を飲み交し話すだけが情報世界の全てではない。

確かな事が判明すれば話として面白いので発表するつもりだ。その点インターネットはは有り難い存在である。

地球上で僕の存在を知っている人は99.999%以上が知らないで,ほんのほんのわずかの人が知っているだけである。

それら全てを包み込んで,今日も自然は何も変わらずに静かに過ぎ去って行く。



彼岸

暑さ寒さも彼岸までというが,今年は彼岸になっても尚暑い。

一時の夏の日の頃に比べるとしのぎ易くなってきており,夜中,暑さで目を覚ますことは無くなった。

次第にゴルフの練習にも気合が入ってくる。

人間は全ての事に秀でることは適わない。オールマイテイの人間はいない。

何かに熱中すると他の事が疎かになる。世の中何かで威張りたい人がいるとすれば,

威張れる土俵の中だけの事であって,他の面では劣っている部分が沢山有ると考える。

全ての面で優れている人がいるとすれば,それはお化けか,そのように思わせる技術に長けている,それだけ

のことである。誰にでも他の人より優れている所は必ず有るものである。

各人,誰にも真似できない所がある。絵で例えるならば梅原龍三郎の絵が一番とすればそれを越すことは

他の人には誰も出来ない。安井曽太郎が一番ならは誰にもそれを越すことは出来ない。

個人によって評価が異なってくるので,梅原が良いか安井が優れているかは個人の判断によって変わって来る。

評価は必ず時代の流によっても変化し,絶対といったことは有り得ない。

やはり土俵の上では力士が一番強くて,ゴルフ場ではプロゴルファーが強い。人間ってそういったものではなかろうか。

でも神仏が彼岸から眺めるならば,人間,すべて皆平等であると見られるのだろう。


永遠と無常

人間は
近視眼的な生き方しか出来ない性質をもっている存在のようだ。

永遠に消えないもの(松下幸之助の言葉より引用)
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 高野山にはたくさんの墓があります。その中で一段と目立つ立派な墓は、おおむね大名の墓だそうですが、

その大名の墓も、今日では無縁仏になっているものもあるということです。

昔は相当の一家眷族を養い、しかも明治になってさらに華族として、

財産も保護されるという状態が長く続いたにもかかわらず、

そういう変化があったということを考えてみますと、人間のはかなさというものを身にしみて感じます。
 
やはり世の中というものは形ではない。

いくら地位があり財産があっても、それはいつまでも続くものではない。

結局、永遠に消えないものはその人の心であり、思想であり、この世で果たした業績である、そう思うのです


確かに至言であり一理有ると思う。目先の事に苦しみ悩みするのが,吾ら凡人である。

永遠に続くものは何一つ無い,それが有るかの様に錯覚、信じ,暮らしているのが我等人間ではなかろうか。

松下幸之助の考え方はあれだけの仕事をなし遂げたた人だけに有って,立派である。



パソコン

10年以上使っていたPC9801をやっと手放すことにした。変わりに一台,DOS-V機を買うことにしたが約一年前に早々に

富士通のWindow98を買ったのだが,4ギガでHDが直ぐに一杯になっているので,HDの量を多いものをと探していたら

ソニ−のバイオが画像が扱え且つHDの量も多いので買うことにした。

ソニーにした理由は以前DVDが出始めの頃,DVDを買った所画像が飛んだり止まったりするので,本社?に連絡した所

直ぐに近くの支社から社員が駆けつけ,新しいものと交換してもらった。それでも画像の飛び調子が悪いので連絡すると直ぐに

又新しい商品と交換してくれた。それに加えて大変御迷惑かけたと言ってソフトまでも送ってきてくれた。

今回のバイオも画像の調子悪く,何回もサポートセンターと連絡するが,大体サポートセンターという所は電話はかかり難いのだか゛,

いつも今の所直ぐに連絡がついて大変有りがたく思っている。

画像もインターネットからソニーのホームページからファイルをダウンロードし入れたらたら今の所順調である。

良い会社はサポートが十分になされている会社ではないかと考える。僕の今サポートの良いと考える会社は

ソニー,ナショナル,エプソンがサポートを十分してくれるのではないかと感じています。

マイクロソフトは何処に連絡したら良いのかわからず、日本IBMは一定の期限が来ると有料と言われた。


書くこと

書くことが楽しい時と負担に感ずるときがある。負担に感ずるときは書かないことにしている。

自己を表現する手段として,話すことと書く事があるが,若い頃より話すことより書くことの方が

負担を感ずることが少なかった。大勢の人の前で話していて,上がってしまい,何を話したのか頭の中が

真っ白になったことが有る。年齢とともに話すことも楽しくなってきたが,改めて大勢の人前で話すとなるとまだ

楽しいと思うころまでにいたっていない。

本は読まず,新聞も碌すっぽ読まずして人の心を掴むに非常に長けた話上手の人がいる。

教養は勿論全く無く,人間の機敏をうまくとらえて,人の心を掴むことの話上手を見かける。

書いたものは一度も見たことが無い。多分一度も書かないか,書けないかである。

世の中そう言った人もいて良いのではないかと思う。職業にしている人もみかける。

この世の中いろんな得意の人がいて良いのではなかろうか。

人には誰にも迷惑かけず,少しでも人の役にたてばのことであるが。


お役人


世の中お役人がのさばっている。それに先生と称される議員さんこれが昔も今も

非常な力を持って世の中にのさばり活躍している。

殆どの人たちが善良な公務員であり,議員さん達であるが。ほんのわずかに見かけるだけである。

新聞沙汰にはならないがそれに近いような事をする人達がほんのわずかであるがいる。

江戸時代以前より続いているお役人の悪事がそう簡単に無くなってしまうとは思えない。

お前,お役人とか議員先生と親しくなればと言われても,そのような器用な事は僕には出来ない。

そのような人間にもなりたくない。役人とか議員先生と親しくない人が一人でも多くいてくれればと願う,

そうすれば健全な社会に次第に移り変わって行くと思うのだが。

お役人とか議員先生とは親しくなれない落ちこぼれ?,だが人生それでも良いのではないだろうかと考えている。


インターネット上よりの情報


この「随想」中での情報,書いた内容は自分が書き編集して発行するものだから,自分の考え書きたいこと並びに思いが

率直に書ける。だが,人から原稿を頼まれたり,投稿したりする場合は編集者によって,これは稀な事だが歪曲され

発表されることが有ったように思う。人に誤解を与えるような編集をされたことが今までに何度か体験している。

それに対して抗議したことも有る。人に誤解を与えるような形で編集をされたことも有る。

このような編集者は編集する人間としては全くの失格である。

そのような人が案外長く編集に携わる傾向にあるようにと思うのは自分の思いすごしだろうか。

確かにご苦労さんと言いたい部分が沢山有る。しかし人の文章を勝手に変えたり,表題をつけたりするのは全くもってのほかである。

今までは泣き寝入りだったのが,有り難い事に自分のインターネット上よりそれに対して抗議できるようになった。

大変に有り難いことだ。実名挙げてまでとは言わないが,全ての不当なことに対してはインターネット上で

充分に抗議することにしていきたいものです。

中には編集者によってはこのように書かれたらどうですかと聞いてきて,成るほどこちらの表現方法が良いと考え,

自分が決定し,文章を変えさせてもらったことも有った。そのような親切な編集者もいるということである。編集者も色々である。

頼まれたからには書かないと悪いと思い書いたのが,それが一度の校正もなく勝手に編集者の考えで文章を付け加えられたり,変えたり

されるのではたまったものではない。中には高等な編集者がいて,書いた文章内容を駄目にしたり,滑稽なものに思わせる原稿を前後に

持ってくるといった高等な技量?の持ち主の編集者がいたり,又誤字を巧みに使い文章を駄目にする編集者もいた。

こういった巧みな技?は色んな場合に駆使されているのを見かける。こういったことは是非止めてもらいたいものです。

親切な良い編集者は気配りが人一倍に有って,必ず一度以上は校正のためのゲラ刷り原稿を書いた人に読んでもらいOKを取ってから

発行するのを常識としておられる。そんな邪魔くさい事は出来ぬと言う人は編集者として失格で,直ちに辞めた方がよいように思う。

インターネット上では自分が執筆者であり,編集者でもあるから書いた内容については一人自分に責任がある。心して自重すべきである。






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