ホーム 医療 高齢者福祉 芸術,哲学 京都伏見・宇治
随想 シュワィツァ−・緒方洪庵 ギャラリ 検索リンク集

随想 : 平成10年9月 10月 11月 12月 平成11年1月 2月 3月  4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

平成12年1月

 


夏は暑い

 夏は暑いに決っていると言われれば,それまでのことで仕方ない事だが,こんなに暑いと身体にこたえる。

特に
高齢者の人にとっては暑さは尚更iこたえるらしく,毎年,「今年生まれて始めての暑さに出会った]との表現

される方も
ある。

冷暖房器具が比較的廉価で手に入り易くなり,容易に涼しい中で過ごす事ができるようになってきた。

有り難い世の中になって来たが,しかし一歩戸外に出ると外は相当暑い。

冷暖房が発達する事によって,人間自体暑さ寒さに対し弱くなって来た面が有る。

一方,冷暖房の発達が快適な環境で四季を過ごせる時間が増えてき,それで人間の寿命が延びてきたとも

考えられる。勿論医学・医療の進歩も見逃せないが,寿命の伸びは生活環境の改善・進歩がかなり大きな要因と

考えます。



京都恒例の夏の行事

京都の夏の大きな行事として,祇園祭りの山鉾巡行 大文字の送り火が有る。

京都に住みながら 祇園祭りには子供の頃から今までに何回参加しただろうか。

京都に住んでいる人は何時でも観る事が出きるとの思いで,案外に観に行く人が少ないのではなかろうか。

京都は観光地として世界から訪れる外国人が多勢いるにも拘わらず「いつでも」「いつでも行ける」との考えが

心の中の何処かに有って,京都にいながらにして行かない。それに比べると他から訪れた人達の方が

遥かに京都の事を良く知っていたりする事が有る。

身近な観光地はあまりにも近い故に訪れること少なく,はるばる遠く外国まで旅行したりする。

それも其の国の人達があまり訪れていないような所に行ったりする。

一見変なような事だが,そのようなことを我々案外しているのではないかと思ったりします。



検索エンジン

沢山な検索エンジンがあって,利用している。良く判らないままに,例に漏れず大体の検索エンジンに登録申請したが,何故か

yahooは登録してくれない,審査が厳しいらしく登録に値しないホームページはyahooでは登録しないとの意味の記事が

記されている。

多分登録に値しないホームページだったと思われたのだから仕方がない。

あくまでもyahoo側の審査基準に合格していないのだから,こちらとしても,もっと立派なホームページを作りなさいとの

励ましの意味に取る以外に仕方ない。

でも gooという検索エンジンを通じてyahooに始めの頃載っていたのが,gooにも載らなくなって僕のホームページは

yahoo 及びgoo両方に載せてもらえなくなった。 AltaVistaも始め載っていたのか゛これも載らなくなった。

この辺の事をメールでgooに問い合わせた所,早々に親切な返事・事情を説明して頂き感謝している。

そしてyahooに問合されればとの助言も頂いたが,以前,yahooにメールを送り問い合わせたが

何ら返事がもらえなかったので気が進まず,改めてyahooの登録する所を見直すと,立派なホームページばかりである。

これでは僕のホームページを何処に登録したらよいのかわからなくなって来た。

そして以前yahooの何処に登録したのかも思い出せない。

yahooで ちなみにめかたホームぺジの 「めかた」と入れると変わった検索結果が出てくる。

多分yahooのロボットを併用されているから正確な検索結果が出ないのだと思う。

でも,他の検索エンジンでは僕のホームぺ−ジは大体に出てくる。

検索エンジンの仕組みはどのようになっているのだろう,ロボットにも色々あるのだろうか。

ロボットと言っても人の手が加わっているのではなかろうかと考えたりする。

yahooは厳選されているのは,始めの項目別から入って行く所が立派だが,

今回gooもAltavistaも再登録したので載せて貰えると思う。そうでなければおかしい。

Yahooは自由に検索する場合はgooの助けがなければ変な検索結果が出るのではないだろうか。

ここで考えるのは,やはり純粋なロボットの方が人間より遥かに光平且つ親切だと感ずるのは一種のヒガミなのか。

ロボットと言っても一部人間が操作しているのではないだかろうか。世の中良い人ばかりではない

意地悪な人もいる。この事はどんな時・場合でもいえるのではないでしょうか。


医学教育の不思議


現在の診療は全部と言って良いほどに,保険診療が行われている。

しかし大学での医学の勉強では全く保険については教えていない。実際の医療は保険の規則に則って診療が

行われている。修練時代も保険について全くにふれずに,医学教育が行われているのではないかと思う。

理想の医学医療が教育されているものだと考える。

実際の医療現場では保険制度が幅をきかしている。だからと言って系統だった保険制度の教育は

何処においてもうけていないし,行われてもいない。

たとえ理想の医学・医療を学んでも,実際の診療現場では保険診療によって制限されれば,

絵に描いた餅にすぎない場合も有るのではないだろうか。

それから看護婦などCO-MEDICALの人達は医学について医師ほどでないが簡単な教育を受けている。

しかし医師の教育に簡単でもよいから看護等CO-MEDICALの人達の教育が有るだろうか。

チーム医療が叫ばれてきているのに,これでは何か片手落ちの様に思われて来て仕方がない。

解剖学でラテン語の勉強する時間があるならば,こちらの方にも時間を割いて良いように思うが。




「扶氏医戒之略」と「倒産しない為の医業経営努力


医業経営努力が叫ばれているが,昔の赤ひげ先生達の時代と医業経営努力する先生の時代とで

どちらが患者にとって幸せだろうか,時代の進歩で経済的効率のみを優先する事が本当の人々の幸せに

繋がるのか,非常に疑問に思います。経済効率とサービスの質とはどうしても反比例する性質

のもののように思えてなりません。


せめて国公立及び大学病院・それに準ずる医療機関位は経済的効率を考えず,確かな公的援助によって,

理想の医療が出きる医療環境を考えるべきだと思いますが。



戦争

戦争は何故起こるのだろう。? 有史以来世界で戦争は絶えた事はない。

日本だけ考えても弥生時代から明治維新に至る間,ずーと戦いが続いていた。

その
状況を見るならば,端的に言うならば権力者即ち為政者が交代する為だけの戦いだったように思う。

其の度に民は疲弊し
被害を被むっている。

明治維新後は国全体が日本国以外の国々との戦いに明け暮れ,国民は宿命のようにそれに随いその被害を被って生きてきた

大ニ次大戦に敗れて以後
,日本は戦争の馬鹿らしさに気ずいたのかどうか戦争放棄を憲法で宣言し戦争はしなくなった

でも日本以外では今でも戦争は絶えず起きている。

さすが核兵器が開発されてからは大きな戦争はなくなった。米ソの対立でゴルバチョフとレーガンが対立し

ゴルバチョフさんが譲った形で現在の世界はアメリカによる一国支配が続いている。

ゴルバチョフが偉かったと考える。だからゴルバチョフさんがノーベル平和賞を貰い,レーガンさんはもらっていない。

地球を救った恩人ともいえる人だ。その代わりかソ連の経済状況が非常に悪くなってソ連では極めてゴルバチョフの人気が悪い。

今世界はアメリカ一国支配となりアメリカは好況に沸いていると聞いている。

:現在もあちこちの第三世界,低開発国では戦争は絶え間なく続いている。

有史以来続いてきた所の戦争に費やした莫大な費用・エネルギーを有効利用して来たならばどれだけか

世界の人々が助かった事か。所詮は社会の中のボス争い結果ではなかろうか。

動物の中で一番高等だと自認している人間もこの点では他の動物とたいして

違わない事が良く理解できるのではないかと思える。



奨学資金

ずーと昔の話しになるのだが。

大学
入学早々に奨学資金を給付するとの告示を知り,受けるように申し込んだ。

同時に入学した他の3名位の友達と一緒に多分当時学生部長だった教授と膝を突き合わせる格好で

面接を受けた。奨学資金の額面は今ではすっかり忘れてしまったが,在学中家庭から通学していたので

自由に使える小遣いとしてはかなり助かった額だったとの記憶がある。

それに京都百万編近くに有った学生相談所,ここには夏季休暇の時には良く通い,アルバイトの斡旋をしてもらいに行った。

今となるとアルバイトした事も懐かしい思い出となっている。

父が小学校低学年の時に亡くなり,その後は母が苦労しながら働き、大学をだし,

医者になるまで応援してもらった事を深く感謝している。

母が亡くなった後,奨学資金の事を思いだし,奨学資金育英会に借りたお金はどのようになっているか問い合わせた所,

母が全額,少しずつ返してくれていて,終わってしまっていた事を知り,涙が出る程の思いで母の愛情を知ったものでした。




介護保険(1)

この10月から介護認定作業が始まり,来年4月からの介護保険実施の為の準備作業でもある。

その介護保険の一番の要(カナメ)ともなるケアマネジャー(介護支援専門員)養成の
為の試験が

昨年
の秋と今年の夏にあった。

ケアマネージャの仕事は中立性・光平性・公正性それに守秘義務が義務付けられている。

違反した場合公務に従事する職員と同じ処罰が科せられる

要介護者,その家族,市町村,
事業者 ,施設の間の連絡・調整役となり,

いつも
要介護者等の主体性・自己決定を尊重,要介護者等を擁護し支援する立場にあって,

介護保険の成否は介護認定審査会の質と共に良好なケアマネージャーの活動
にかかっているとも言える。

しかし試験そのものは中立性・光平性・公正性に行われているかどうか疑問に感ずる所が

多々有るように思う。自己採点が出来ない仕組みになっており,さらには

合格ラインも公表しないことだ。振るい落し試験でなく

養成(研修)の前提になる知識を持っているか否かの試験ならば,合格ライン位は公表しても良い様に

思うのですが。



Homeへ                         7月分    8月分   9月