間歇日記

世界Aの始末書


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2000年8月中旬

【8月20日(日)】
▼風邪が悪化して、一日寝る。夕方ころ起き出して、溜まっていたメールの返事を書く。晩飯を食いながら、日本テレビ系恒例の24時間テレビを観ていると、奈良の募金会場からどっかで聞いたような“おもちゃ声”が聞こえてきて、おれの声フェチ・モニタの針が振り切れる。かっ、片山淳子だっ。なんか、こんな仕事ばっかりしてないか、片山淳子――といっても、関西方面以外にお住いの方は、あまりご存じないかもしれない。松竹芸能所属のタレントさんで、関西のラジオやCMなどによく出てくる。たまに関西に来る人なら、〈づぼらや〉のCMのバスガイドといえば、「あ〜、あの」と思うかもな。関西で“おもちゃ声”といえば、まずこの人の名が挙がろう。おれは大ファンである。絶対、全国区向きだと思うんだがなあ。ハイテンションの可愛らしい声はそこいらのアニメ声優が真似しようたってできるもんではない天性のものだし、ルックスも十二分によい。いや、声とルックスのギャップこそがたまらん。たまに映画に出たりもするみたいだし、全国ネットの番組にも出るには出るが、活動はいまだに関西ローカルが主である。ご本人にそういう欲がないのであろうか? 羽野晶紀の妹コンテスト(そんなもん、いつあったんや?)とやらで出てきた人なのだそうで、なるほど、雰囲気はああいうぽわぁ〜んとした感じではあるが、羽野晶紀よりもアイドル系の顔してるぞ。羽野晶紀は全国区になっとるんやから、ぜひ関西おもちゃ声パワーで全国の度胆を抜いてほしいものである。がんばれ、片山淳子。世界にはばたけ、片山淳子。片山淳子版 Windows サウンドファイルとか、どこか関西のパソコン雑誌(あるんか、そんなもん)の付録にしてくれないか?

【8月19日(土)】
▼どこまでも風邪がしつこい。せっかくの夏休みなのに、フルに活動できん。もっとも、夏休みだからといって、外へ出たりはしないのであるが……。会社の仕事も家に持ち帰っている。原稿も書かにゃならん。結局、寝ているか、仕事をしているか、ザウルスをいじっているかという、つまらん夏休みになりそうである。「迷子から二番目の真実」の新作を待っていると何通かメールをいただいているので、夏休みにこそは書こうと思ってたんだけどなあ。鋭意、努力いたします。
▼調子が悪いので、テレビネタでお茶を濁す。
 プラウディアとかいうブランドの化粧品のCM、葉月里緒菜がめちゃめちゃ美しいですなあ。あまりに雰囲気がちがうので別人かと思ったのだが、よくよく見るとやっぱり葉月里緒菜である。化粧というのは怖ろしいものだ。
 最近、FLIP FLAP がけっこう気に入っている。ザ・ピーナッツリンリン・ランランの格好をしているだけという気がせんでもないが、まあ、可愛いじゃないか。双子なのにかなり顔がちがう。ややこしいから、これもわざと化粧を変えているのであろう。おれは、Puffyの場合と同じく、向かって左側が好きである。初めて見たときから誰かに似ているなあと思っていたのだが、ようやくわかった。むちゃくちゃにむかしの水沢アキに似ている。あるいは、ちょっとむかしのマルシアに似ている。そう思っている人は、おれだけではあるまい。
 ディスコグラフィーを見ると、なにかが足りない。そうだ、「モスラのうた」がないのだ。これはあなた、日本の双子歌手は絶対に歌わなくてはならないスタンダードじゃぞ。コンサートとかでは唄ってるのかな? フリフラの「モスラのうた」はぜひ聴きたい。いっそのこと、次にモスラが映画に出るときには出演するがよろしい。このままゆけば、その可能性は非常に高いぞ。

【8月18日(金)】
▼ひたすら風邪がしつこい。もういいですかそうですか。
ケダちゃんからケータイのストラップが送られてくる。最近、ほんとにものをもらってばっかりだ。ぬりかべ一反木綿「開運ストラップ」である。どこがどう開運なのかというと、「ぬり壁・努力結実 しっかり地に足を付けた行動こそ成功の秘けつ。ぬり壁のようにドーンと構えて、立ち向かおう。妖怪パワーで努力の成果も倍増。成功保証付!」なのだそうだ。そうか、地に足をつけねばいかんのだな。でも、一反木綿の立場は??
▼ザウルス分析を続ける。なるほど、アイディア・プロセッサとしてはたいへん便利そうだ。ソフトが練れている。ザウルス独特の概念を理解するまでに少々面食らったが、どんどん思いつきを放り込んでおいて、あとから関連付けや加工をするといった基本コンセプトだな。ザウルスの「情報ファイル」という概念は、HP200LXでは逆立ちしても実現できん。おれは同じデータをアプリケーション毎にコピー&ペーストで添付するという手を使っていたが、これだとデータのリヴィジョン管理が徐々に不可能になってくるのである。「情報ファイル」は、データそのものを管理するのではなく、データを扱う“観点”を管理する発想だから、元データは常にひとつなのだ。たとえば、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアについて、作家自身のプロフィールなどをまとめたメモファイル(A)と、『故郷から10000光年』という本の書誌情報(B)を、「ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア」と名づけた「情報ファイル」にぶちこんでおくとする。あとから「女性SF作家」という切り口の「情報ファイル」を作り(A)をぶちこむことができる。ここには、ほかにナンシー・クレスとかリンダ・ナガタとかが入ってくるだろう。さらに、「自殺した作家」という「情報ファイル」を作り(A)をぶちこむ。ここには、ほかに芥川とか太宰とかが入ってくるかもしれない。また、「短篇集」という「情報ファイル」を作り(B)をぶちこむ――といったことが自在にできる。この場合、ティプトリーに関する元データは、あくまで(A)と(B)だけなのである。それを眺める“観点”のほうを「情報ファイル」としていくらでも増やしてゆけるわけで、これはじつに強力なアイディア・プロセシング機能と言える。データマイニングとまでは言わぬまでも、データを多角的に眺めやすい。
 それにしても、パソコンとの連繋の悪さには、かなり苛々する。パソコンならできてあたりまえのことができん。そりゃそうだ。パソコンじゃないのだから。HP200LXはパソコンである。そうそう簡単には頭の切り替えができん。
 さて、問題はHP200LXからザウルスへのデータ移行だ。基本的にHP200LXのデータでテキストファイルに落とせないものはないから、時間をかければ移せることは明白である。が、やはり、できるだけ手間と金はかけたくない。また、よくよく考えたら、HP200LX側に持っているデータベースだって、やたら肥っているだけで、そもそも古びてしまっているデータが山ほどある。名刺や電話帳のデータなんぞ、その最たるものだ。人が異動していたり、事業所が移転していたり、そもそも会社自体が潰れてしまっていたり合併していたり吸収されていたり名称が変わっていたり、見れば見るほど役に立たんデータだらけだ。頻繁に用いるものは、全体の1%もないのではなかろうか。一度入れてしまうと、消すほうが面倒くさいので、どんどん古いデータが溜まってゆくのである。ちょっとこれを機に整理することにしよう。古いデータをたまに眺めていると、「ああ、この会社のこの人のところへ行ったときには、夏の盛りで、帰りにどこそこへ寄って……」みたいな回想の引鉄になることはあるのだが、じゃあ、いまこのデータが役に立つか、持って歩く意味があるかというと、全然そんなことはないのである。どのみちしばらくは、HP200LXは鞄の中に入れて持って歩くから、使用頻度がとくに高いデータのみザウルスに移して、あとはちびちび整理しながらデータ移行することにしよう。
 ひとつ困るのは、HP200LXの内蔵アプリケーションのうち、金銭管理に使っていた「Pocket Quicken」を懐から手放さねばならんことである。これは使わない人はまったく使わないらしいのだが、使う人はたいへんよく使ういいソフトだ。複数の銀行口座やカードや財布の中身を統合的に管理できる。元々パソコン用のソフトなのだが、持って歩くとなお便利なのである。現在、過去、未来のある時点での経済状態が簡単に把握できる。「あ、この時点でカードの引き落としがあると、この口座残高が一時的に足らん」といったことが一目瞭然でわかるのだ(もうちょっと余裕のある現金運用をせんか)。まあ、領収証を整理したりするのは自宅で行うので、領収証の出ない金銭の出納はザウルスでメモして、HP200LXを金銭管理専用マシンとして使っても、さほど不便はないわな。持ち歩いていると、「今年になってから、こんなに缶ジュースを買ったのか」などと、ときどきバカな計算をして遊んだりすることができるけど、だからどうだというのだ。

【8月17日(木)】
▼まだまだ風邪がしつこい。ほとんど『パイプのけむり』のようである。夏休みだというのに、寝たり起きたりしている。エアコンを入れると寒気がし、エアコンを切ると汗だくになる。そのうちそれが逆になったり、もとに戻ったりしてわけがわからなくなってしまう。自律神経、著しく失調中。
▼ザウルスの設定に入る。さっそくPHSで通信してみようといろいろ説明を読むと、まずザウルスに「-H"」対応の64K PIAFS用 PHSドライバをインストールせねばならないようだ。そのドライバをパソコンでダウンロードして、赤外線通信でザウルスに送ろうとしたが、うまく行かない。そういえば、このパソコン、買ってから一度も赤外線通信などしたことがない。そもそもパソコン側の設定は正しいのか……と調べてみると、赤外線通信ドライバがマイクロソフト標準のものでない。これが原因だろう。久々に Windows95(うちはまだ95なんだよ)のCD−ROMを取り出し、赤外線通信ドライバをインストール。赤外線通信モニタを立ち上げて監視させながら試してみると、あっさりザウルスの赤外線を認識した。といっても、HP200LX同士の通信のように、相手側の記憶装置が自分のドライブとして認識され、あとはやりたい放題というわけではない。パソコン側でザウルス専用のダウンローダを起動して、そいつがザウルス内の所定の場所にソフトを転送してくれるのに頼らねばならないのである。不自由だ。まあ、ザウルスはDOSで走っているわけではないから、当然と言えば当然かもしれん。余談だが、ロボコップならPC−DOSで走っているらしい(彼の視界に現われる立ち上げシーケンスは、どう見てもPC−DOSなのである)から、彼の頭の中身は外部のパソコンからドライブとして認識できるはずである。いったいどんなシステムになっているのだろう。command.com とか見えたら怖いよな。
 PHSで通信が可能になったので、まず所定のユーザ登録をオンラインで行う。ユーザ登録は専用のアクセスポイントに自動的に繋がるようにソフトが内蔵されている。有償のMOREソフトをいろいろ購入するには、「Sharp Space Town for Zaurus」なるものに入会しなくてはならないのだ。ここではプロバイダもやっているが、接続サービスには入会しない。これ以上、プロバイダに払う金が増えてはかなわん。
 次に、おれがふだん使っている三つのプロバイダ、京都iNET@niftyASAHIネットの64K PIAFS対応アクセスポイントを確認、それぞれ試してみる。厄介なことに、ザウルスに内蔵されているダイアラーは、複数プロバイダの管理ができないようだ。いちいち設定しなくちゃならない。まあ、モバイル端末でプロバイダをころころ変えることはないだろうから、ザウルスで使うプロバイダを決めておけばよいだけだ。
 @nifty から入って、「Sharp Space Town for Zaurus」でさしあたり必要になるであろうソフトを購入する。一時期、ザウルスはハードもソフトもどんどん膨れ上がっていって、「これではパソコンを買ったほうが早いではないか」と思わされたものだが、最近のザウルスは本体プリインストールのソフトを減らし、ユーザが自分のスタイルに合わせてソフトを追加してゆく基本構想になっているようだ。インターネットとの併用が前提になっているわけである。正しい方向であろう。「Sharp Space Town for Zaurus」にパソコンでアクセスしてソフトをダウンロードし、赤外線通信でザウルスに転送してもよいわけだが、テストを兼ねて直接ザウルスでソフトを買ってみる。光文社電子書店ザウルス専用サイトを覗いてみたが、まだまだラインナップが貧弱だ。『あいつらの悲歌(エレジー)』(光瀬龍)が八百円とはちと高いが、まずは経験とばかりにザウルスから買ってみた。この機種にはプリインストールされている「ブンコビューア」は十分使える。さすがに、テキストリーダとしては、HP200LXをはるかに凌ぐな。おれもそろそろ歳だから、見やすいに越したことはない。PC−98で、新潮の電子ブックを初めて読んでみたころを思い出すな。携帯端末もここまで来たかと、しみじみ思う。新潮の電子ブックは、機種依存の専用リーダソフトでしか読めず、テキスト出力などもちろんできなかったものだが、この“ザウルス文庫”は、拡張子が「zbk」になっているだけで、なんのことはない、ただのテキストファイルである。勝手に複製したら犯罪だけれども、パソコンに転送して読めるのはありがたい。
 ついでなので、テストを兼ねてウェブを見てみる。手前のウェブサイトがモノクロで表示されるのは、なにやら奇妙な感じだ。gifアニメはだめだが、カウンタはちゃんと出るな。まあ、ふだんこんなことをしていたら通信料がバカにならないから、パソコン環境がないときにたまに使う程度だろう。あらかじめ注目のページをダウンロードしておいて、「こんなページ」と人に見せるときには便利かもしれん。こういうときには、カラーのほうがいいだろうな。

【8月16日(水)】
▼まだ風邪がしつこい。中途半端な熱が出て、中途半端に胸が苦しく、激烈に喉の調子が悪い。あいかわらず、「のどぬ〜るスプレー」の味を楽しんでいる。
HP200LXのアポイントメント・データが壊れはじめる。「壊れはじめる」というのは妙な表現だと思うでしょうが、このファイルの調子がおかしくなるときには、往々にして徐々にデータがおかしくなりはじめて、ある日、ファイルが開けなくなるのである。そうしょっちゅう起こることではないが、起こると復旧に手間がかかるので、いらいらする。
 先日から Palm OS のマシンとザウルスとを比較研究していたが、とうとうザウルスを買おうと決心する。9月になるとうようよ新型機が出るので、また迷って買えなくなるのである。ザウルスはパソコンとのデータ連繋がまだまだ悪いのだが、ここ一、二年ばかりのあいだに、かなりましにはなっている。メーカやユーザが開発した追加ソフト(ザウルス界では“MOREソフト”と称する)がひととおり揃いはじめ、安定もしてきたらしいからだ。テキストヴューアもあれば、エディタもある。ログやテキストが読めて、ベタのテキスト文書が作成できれば、一応は合格である。Palm OS機もいろいろ実機を見たものの、日本語が見にくい/醜いことおびただしい。入力方式も気にくわない。そりゃあどんな方式でも慣れりゃ苦にならんのだろうが、あれはなにやらややこしくてかなわん。依然、総合的にはHP200LXを凌ぐ柔軟性を持つPDAはそうそうない(あたりまえだ、パソコンなのだから)と思うが、なにしろもう製造中止になっているから、ぶっこわれる前に徐々にほかのマシンに慣れておかなくてはならない。Morphy One というものすごい選択もあるにはあるのだが、あれは柔軟性が高すぎてPDAとして使うにはしんどそうだ。環境を全部自分で張らなくちゃならない。技術屋さんにはむちゃくちゃそそるマシンではあるだろうけどねえ。
 そこで、明日から夏休みなので乗り換えにはいましかないとばかりに日本橋に行き、あっさりザウルスを買う。このあいだ出たばかりの最新型 MI-P10 を買ったのだろうと思うでしょうが、さにあらず。先日、店頭でいじってみて気づいたが、あれはどうもよくない。せっかく縦持ち用の表示を採用したにもかかわらず、実機をいじってみるとアプリケーションがろくろく縦持ち用に対応していない中途半端さがある。縦持ち用表示にしたときのスクロールボタンも操作しにくい。外見上だけあわてて Palm OS 機対抗にしたような事情が透けて見えてしまう。あれなら、従来型の横持ちザウルスで十分である。横持ちのなにがかっこ悪いものか、HP200LXなど堂々と横持ちである(あたりまえだ、パソコンなのだから)。
 一年前に出たアイゲッティのビジネスモデル MI-P2 の実売価格が、最新型が出たおかげでガタっと下がっている。三万円を切っているのである(もっとも、MI-P10 ですら、すでに一部の店舗で三万円を切っているという情報がある。あんまり人気がないようだ)。狙いどきだ。なにしろ、おれは電子手帳時代からの携帯デジタル情報管理機器愛用者である。なにかの事故で電源が落ちてもメモリが消えない外部媒体を併用するのが習い性になっている。そうでなくては、怖くて使えるものか。よって、大容量のコンパクトフラッシュメモリカードを併せて買うのも予定に入っているから、本体が安いに越したことはないのである。総合的に、モノクロモデルでは、いまもっともコストパフォーマンスのよい“使える”機種だと判断した。そりゃあカラーもいいんだが、カラーになると俄然高くなる。電池の保ちも悪かろう。べつにおれの使いかたなら、PDAはモノクロでもさほど困らないのである。おれは基本的にマルチメディアな人ではない活字人間だ。
 おいしいことに、手軽に「-H"」とも繋がるという。これでどこにいてもウェブが使える。もち、PHS接続用のケーブルも買う。48MBコンパクトフラッシュと、さしあたり必要であろう小物を併せて買っても五万円を切った。まあ、こんなもんだろう。
 日本橋へ出たついでに、母に持たせているPHSをNTTドコモのものに買い替える。いま使っているアステル関西の〈きめトーク〉は悪くはないのだが、番号変更がやたら面倒なので、少々基本料が高くなるけれども、ふつうのPHSにすることにしたのだ。どのみち母は自分からは滅多にかけないため、基本料が最低で通話料が高い料金コースにする。ドコモにも〈ここだけプラン98〉という発信先制限を設けた〈安心だフォン〉(DDIポケット)や〈きめトーク〉と同じようなサービスがあるにはある。ところが、奇妙なことに〈ここだけプラン98〉では、外部から位置情報が取れる〈いまどこサービス〉が使えないのである。〈ここだけプラン98〉は、基本的に老人や子供向けのプランであるはずなのに、じつに不思議だ。いざというときに家族が位置情報を取りたいのは、老人や子供ではないか。ドコモはなにを考えているのだろう? 「-H"」が老人向けのコースを作り、位置情報がインターネットから取れるサービスをはじめてくれればすぐ乗り換えるのだがな。
▼しばらくお盆休みでシステム調整していた「bk1」が営業を再開。ホラーSF傑作集『影が行く』(リチャード・マシスン、ディーン・R・クーンツ、シオドア・L・トーマス、フリッツ・ライバー、キース・ロバーツ、ジョン・W・キャンベル・ジュニア、フィリップ・K・ディック、デーモン・ナイト、ロジャー・ゼラズニイ、クラーク・アシュトン・スミス、ジャック・ヴァンス、アルフレッド・ベスター、ブライアン・W・オールディス/中村融編/東京創元社)の評を書いたので、ご用とお急ぎでない方はどうぞ。すごい面子でしょ。粗削りないかがわしさみたいなものが横溢していて、SFファンは懐かしい感じがするだろうし、SF初心者には新鮮な衝撃があるだろうと思う。じつに中村融さんらしいセレクションで、わかりやすく、それでいて渋い作品揃いだ。

【8月15日(火)】
▼風邪がしつこい。いま流行ってる風邪は症状がじつにわかりやすい。みんな喉が痛い耳が痛いと言っている。それに、誰もが「しつこいしつこい」と言うのも同じだ。よほどしつこいのだろう。
▼昨日、OCHIKA/LUNAさんから送られてきたカエル柄の扇子をさっそく利用する。扇子は持っていたけれども、以前暑くてたまらない日に行きずりの店で適当に買った爺いっぽい柄のものなのである。どんな爺いっぽい柄かというと、寿老人(あの頭の長い人ね)柄なのであった。爺いっぽいもなにも、爺いそのものだ。これからは、このカエル柄の扇子を愛用させていただこう。OCHIKA/LUNAさん、ありがとう。

【8月14日(月)】
▼昨日、母が小物を整理していたら、おれが高校生のころ癌で亡くなった伯母の形見が出てきたという。そんなものがいまさら“出てくる”のも妙だが、伯母の生前に母がもらっていて忘れていたのだろう。いまやおれは妹一家以外とは親戚づきあいというものをまるでしないが、母方の祖母と伯母にはずいぶんと可愛がってもらった。伯母はいまで言うところの“バツイチ”であって、結局、一生祖母と二人暮らしであった。この伯母は、わが一族には珍しく“本を読む”という奇ッ怪な習慣を持っていた。おれを可愛がってくれたのも道理である。思えば、おれの精神生活の原風景には、必ず伯母と祖母がいる。父母は出てこない。子供時代のおれにとって、父母は精神的なゆとりといったものとは無縁の人々として認識されていたのだろう。伯母や祖母に比べると、はるかに“幼稚”であると子供心にも感じていた。
 その伯母がおれには特別な存在であると母も知っているがゆえ、ひょっこり出てきたその“形見”を母はすんなりとおれに託した。たしかに、これはおれが持っているべきだ。なぜなら、それは本だったからである。いや、本というには、あまりにもちっぽけな、雑誌の付録の小冊子なのだ。「《主婦と生活》文化手帖」――四センチ×六センチくらいの豆本で、「昭和三十一年略暦」なるものが載っているから、おそらくその年の新年号かなにかに付いていたものだと思われる。満年齢の早見表やら度量衡換算表やらシミ抜きの秘訣やら中毒の応急手当やら化粧品の知識やら、いかにもその当時の《主婦と生活》の付録らしい編集だ。表紙には、活発そうな若奥さんがテニスラケットをバックハンドに構えて微笑んでいるさまが、まるでむかしのメンコ映画館の看板のようなタッチで描かれている。すごい形見だな、これは。
 ちょっと面白いところをご紹介しよう。「中毒の応急手当」のところには、いの一番に「炭火の中毒」というのが出てくる。そりゃあ、このころはまだまだ一般家庭でもふつうに使っておったでしょう。「薬物中毒」の応急手当――「シロウトの手には負えませんから、すぐ医師の手当を受けます」 ご、ごもっとも。
 「昭和31年略暦」「【行事】」の欄には、「としよりの日 九月十五日」というのがある。このころはまだ国民の祝日になっていないのは不思議でもないが、と、としよりの日とは――。ネットで調べてみると、「もち吉」という菓子メーカのサイトの「知恵袋」というコーナーで、『「敬老の日」のはじまり』が解説されていた。これによると、一九五一年から六二年までは、ほんとうに「としよりの日」と言っていたらしい。いまとなってはものすごいこの呼称について、件の解説ページでは、『着る物や食料が不足して、生きていくことで精一杯のこの時代に、「老人を敬い長寿を祝う」そんな余裕はなかったのかもしれませんね』と推理しているけど、おれが思うに、このころは「としより」という言葉に現代ほど蔑むようなニュアンスはなかったんじゃなかろうか? 年配の人は、よく「うちの年寄りが申しますには……」などと、べつに老人をバカにしているふうでもなく自然に言う。「お宅の年寄りは……」とは言わないから、身内を下げる奥ゆかしい表現ではあるだろうが、ことさら蔑視している感じはしない(年寄りであることでアンタッチャッブル扱いしているきらいはあるにしても)。同時代の雑誌や小説などを調べて検証するのも面白かろうが、おれはそこまではやらない。中高生諸君、夏休みの自由研究かなにかにどうです?
 いやまあしかし、こんな“本”、国会図書館にもないだろうな。ちゃんとした本でないからこそ、なにやら時代の空気みたいなものが生々しく感じられて、自分が生まれていないころなのに、しばし“懐かしい”思いをした。数十年後には、おれの姪たちが、おれの遺品の中からとんでもなくくだらない雑誌の付録の小冊子かなにかを見つけて、同じように楽しんでくれるといいよな。

【8月13日(日)】
▼朝方やたら咳が出て、自分の咳で目が覚める。オバQじゃないんだからね、まったく(って、旧いオバQのテーマソングを知る人にしか通じない話ではある)。眠らなくてはと横になると、咳がひどくなって眠るどころではない。しかたなく市販の咳止めシロップを飲む。痰が絡む咳なので、リン酸ジヒドロコデインなどで神経をだまくらかして無理に止めたりしないほうがほんとうはいいのだろうが、眠れずに咳きこんでばかりいては体力を消耗する。このあたりの駆け引きが難しい。
 咳止めが効きはじめるまでしばらく寝床に座っていると退屈になってきたため、ソファーベッドの横にたまたま積んであった『R.O.D』(倉田英之、集英社スーパーダッシュ文庫)を読みはじめる。腰巻には「史上初(?)の文系女スパイアクション発進!!」というわけのわからない惹句がついている。読んでみると、なるほどわけのわからない話であった。褒めているのだ。大英図書館特殊工作部のエージェントにして、紙を自在に操る特殊能力の持ち主“紙使い(ペーパーマスター)”である読子(よみこ)・リードマンの波瀾万丈の活躍を描く――といったところだが、これでわかります? わかりませんわなあ。要するに、読書狂眼鏡っ娘(二十代だが)スパイという、特定の人種(手前だと正直に言わんか)だけが“萌える”であろうキャラクターと小ネタで読ませるコミカル・アクションである。シリーズ化の予定らしいので、初巻は顔見世と設定説明程度に終わっており、話自体はまったく面白くない。おれは大笑いしながら読んだが、あくまで小ネタと設定が面白いのであって、この巻はそれだけなのである。本書では匂わせられるだけの読子・リードマンの過去に、大人の鑑賞に堪える大きなテーマが隠されているらしいのはわかる。小説としては、今後に期待といったところ。でも、キャラには萌えるな、これは。紙で銃弾をはたき落とし、文庫本のページを手裏剣にして闘い、ビブリオマニアのブラック・ジャックのように白いロングコートの中に何十冊も書物を持ち歩いている(ドラえもんか、おまえは?)大英図書館の女スパイ(そもそも、いったいなんだそれは?)ってだけで愉快だ。本好きには洒落にならない生々しい小ネタが笑えるのだが、そこに生々しさが感じられない読者には全然面白くないかもしれない。コミックス版やOVA版も出てくるそうである。これ、たぶんおれは、マンガのつもりで読み続けちゃうような気がするな。あまりにも人を食った異様な設定が気に入った。
 咳も止まったので、また寝る。
カルビーのポテトチップスからトカゲの死骸が出たと、また騒いでいる。テレビのニュースで知ったのだが、なーるほど、これは誰がどう見てもトカゲ(カナヘビだそうだ)にちがいない。まるまる姿干しになっている。これは豪快だ。いつぞやの“カエル牛めし事件”に匹敵するインパクトである。こんなものがぽてちの袋から出てきたら驚くわなあ。
 さっそくカルビーのサイトに行ってみると、『このたび弊社製品「味ポテト・ガーリックバター」の一部製品に異物混入が発生致しました』ってあなた、潔くないな、あれだけ報道されてみんな知っとるんだから、きちんと「トカゲが入っていました」と書いてはどうか。雪印乳業のウェブサイトでは、製品に入っていた異物は「黄色ブドウ球菌毒素」と、ちゃんとあきらかにしてあったぞ。
 それにしても、このところ次から次へと異物混入事件があるねえ。いままでも変わらぬ頻度で発生していたのだがマスコミが最近は頻繁に報道するので件数が増えているように見えているのか、食品を扱う会社がここへきていっせいに自堕落になったのか……まあ、前者なんでしょうね、ってよく考えたら前者のほうがタチが悪いぞ。
 牛乳のときはまだ安心していたが、このところ、トマトジュースといいポテトチップスといい、異物混入事件がひたひたとおれの食生活に近づいてきているのが不気味だ。くれぐれも清潔にお願いしますぜ、納豆メーカの方々。

【8月12日(土)】
▼こないだ買ってきた「のどぬ〜るスプレー」(小林製薬)というやつにハマっている。以前使ったことのある「フィニッシュコーワ」(コーワ)とほとんど同じ味である。まあ、こんなもん、ヨウ素と香料が入っているだけのものなので、中身で競争のしようがないのであろう。俄然、容器で差別化することになる。最近、この手のやつは、みな水鉄砲のように薬液を噴射して、患部を“狙う”仕掛けになっている。そこにゲーム性があるわけである。風邪を引いてもタダでは起きず、なんらかの楽しみを見つけてしまうところがわれながら貪欲だ。人生、楽しんだもん勝ちである。
 のどぬ〜るスプレーは、ノズルが長くて喉の奥が狙いやすいうえに、ノズルのキャップに工夫があって液漏れしにくい。フィニッシュコーワを使ったときには、どうもノズルのキャップ付近から少し余滴が漏れるような感じで、次第に容器がべたべたしてきた経験がある。フィニッシュコーワも最近は改良されているのだろうか?
 厄介なことに、のどぬ〜るスプレーにしてもフィニッシュコーワにしても、この薬液がやたらうまいのである。手に飛び散ったりすると、思わず嘗め取ってしまうほどうまい。ウォッカかなにかに垂らしてレモンでも浮かべたら、いい飲みものになりそうだ。そういえば、なんとなく風味がモスコミュールに似ている。
 調子に乗って、ついついぴゅっぴゅぴゅっぴゅとやってしまうのだが、あまりヨウ素を多量に摂取しては、やはり身体によくないだろう。いま原発事故でも起こったら好都合かもしれないが、副作用があってはかなわんのでほどほどにしよう。が、それにしてもうまい。
 子供のころ、風邪を引いて医者に行くと、このヨウ素液を含ませた脱脂綿を喉の奥に金属棒で押し込まれ、えずいて吐きそうになったものであった。おれはあれが大嫌いだったのだが、こうして水鉄砲で喉に噴射すると、なかなかに味わいのあるものであったのだなあ。もっとも、病院で使う薬液は売薬のように香料で味つけをしてないだろうから、やっぱり病院のはいまでもまずいのかもしれない。

【8月11日(金)】
▼一週間ほど前から引いていた夏風邪が悪化してダウン。今年の風邪は喉に来るようで、咳がやたら出て体力を消耗し、ちゅ〜〜っとハンパな熱がだらだらと続いて、身体の節々がずきずきと痛む。いちばん厭らしいタイプの風邪である。このあいだまでまったく同じタイプの風邪を母が引いていて、入れ替わりでおれのところに来たらしい。なにもできず一日寝る。
菅浩江さんからカエル小物を頂戴する。なんでも日本SF大会「Zero-CON」に参加なさったあと、吉祥寺へいらっしゃったついでに、7月5日の日記でご紹介したカエルグッズ専門店「cave」を訪れられたとのこと。王冠をかぶったカエル王子と可愛い金色のカエルや絵葉書を送ってきてくださった。「かえる新聞」「かえる掲示板」水玉螢之丞さんからの追加情報によると、洋モノの洗練されたカエルグッズを得意とする店らしく、菅さんがくださったカエル王子などはまさに洗練の極みである。ヨーロッパの童話の挿し絵をそのまま立体にしたような感じだ。菅さん、どうもありがとうございました。いやあ、最近、人にカエルグッズを立て続けにもらっているなあ。


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冬樹 蛉にメールを出す