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2004年9月中旬 |
【9月14日(火)】
▼宅間守の死刑が執行された。本人が希望していたとはいえ、異例の早さである。死にたがっているいるやつを死刑にするのは泥棒に追い銭という気もしないではないが、宅間はおれにとって非常に気色悪いやつなので、やつのスイッチが切られたということは、それなりにけっこうなことだとは思う。以前にも書いたが、おれに自由意志があるとするのなら、やつには“悪人”であってもらわないと困るのである。最期まで悪人らしかったところだけは褒めてやろう。
▼《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。
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一九九八年にぶんか社から刊行されたハードカバーの文庫化である。いまでこそ牧野修は、押しも押されぬホラー作家であるとホラー読者からも認識されているが、当時は、あの『MOUSE』(ハヤカワ文庫JA)の牧野修がホラーを書き下ろしたのかあ、多才な人やなー、どんなんやろなーという感じだったのだ。この作品が長篇ホラー第一作なのである。光陰矢のごとし。
すでに忘れている人もいるかもしれないエピソードを改めて蒸し返しておくと、田中哲弥さんの仕事場に遊びにきた女の子が、そこにあった『屍の王』を見つけて「ヘノオウ」と読んだという話があって(「田中哲弥の、仕事に明け暮れる日々について」1998年12月29日参照)、マンガカルテットのファンのあいだでは、「ヘノオウのコ」はすでに伝説になっている。ちなみに、この「ヘノオウのコ」は、その後も「屁の王の女の子ふたたび」(「田中哲弥の、仕事に明け暮れる日々について」1999年12月28日)で大ボケをかましてくれている。どうやら一年おきにボケをかますらしい。
それはともかく、文庫化に時間がかかったものだから、最近牧野ファンになった読者は、しびれを切らしていたことだろう。解説は東雅夫が寄せている。日本神話の“穢れた”部分ってのは、ほんとうにコワいよねえ。コワいくせに、なにやら懐かしいような未生の記憶に訴えてくるものがある。諸星大二郎ファンは必読でしょう。
【9月13日(月)】
▼忙しいときはテレビネタが頻出するのがこの日記の以前からの特徴であるが、というか、忙しくなくてもテレビネタが多いのであるが、最近のさとう珠緒は、すでに以前のさとう珠緒ではない。賢明なるテレビっ子の方々はお気づきのこととは思うけれども、長井秀和にいじられまくったせいか、いまのさとう珠緒は常に{(さとう珠緒)を演じているさとう珠緒}になってしまっている。それはあたかも「おまえはよくそんなふうにうまく歩けるなあ、おまえはよくそんなふうにうまく歩けるなあ……」と耳元でささやかれ続けているうちにやたらこれ見よがしな歩きかたになってしまったムカデのようである。あるいは端的に、自分の真似をしているぼんちおさむの真似をしはじめた橋幸夫のようでもある。いずれにせよ、さとう珠緒というタレントの芸風を変えてしまったのだから、長井秀和というのも怖ろしい男である。まちがいないっ。
【9月12日(日)】
▼なんとなく不謹慎なので誰も言わないのかもしれないのだが、というか、誰かがきっと言っているだろうとは思うのだが、ジェンキンスさんがテレビに出てくるたびに、「あ、死神博士」と思っている人はとても多いにちがいない。そこのあなた、正直に言いなさい。
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