間歇日記

世界Aの始末書


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2004年9月上旬

【9月9日(木)】
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『ネフィリム 超吸血幻想譚』
小林泰三、角川書店)
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 腰巻にいわく、「血を吸うことを自らに禁じた吸血鬼」とな……。それは「ハリガミ貼るな」と書いて塀に貼ってあるハリガミのようなものではないのか。小林泰三もまたケッタイな設定を考えたものだが、この自家撞着的存在には、どうやら小林泰三のストレートな挑戦の意図が込められているようだ。bk1 の「著者コメント」には、邪悪でひねこびた義憤に燃える冷血の正義漢としてつとに知られる小林泰三には珍しく、「直球勝負でのヒーロー像を描くこと」への思いが素直に語られている。小林泰三は大胆に見える緻密なことはしょっちゅうするが、無謀なことはあまりしない作家なので、「無謀にも挑戦している」などと本人が書いているのは意外である。小林泰三が無謀だがやると言っているからには、なにかあるにちがいない。というか、作家としていまこれをやっておかずにおられぬ心情はなんとなくわかるような気がする。なんでも世代論で片づけるつもりはないが、やはりおれたちの世代には、“正義の味方に関するおとしまえ”をつけたいという気持ちが、かなり強くあるのではなかろうか。先日も、堺三保さんがブログに書いてらした「今、ヒーローについて考える」読んで、「ああ、やっぱり“おとしまえ”がつけたいんだな」と思ったところだ。おれ自身も2004年2月29日の日記で同じようなことを書いている。
 というわけで、小林泰三の現時点での“おとしまえ”のつけかたを読ませてもらうことにしよう。それにしても、「吸血鬼を食べ、己の肉体に吸血鬼の臓器を収め、さらに強力なものへ変身する、追跡者・J――」(腰巻)って……。“J”――? 主人公の吸血鬼の名前はヨブだと書いてあるな。――おい、まさか、“J”って、あっちの“J”か!? 小林泰三ならやりかねんが……。うーむ、こりゃ、読んでのお楽しみだな。

【9月7日(火)】
どうしてこんな読みにくい日記にしているかというと、これがほんとの“はでなダイアリー”って言ってみたかっただけ。

《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『はじまりのうたをさがす旅 ――赤い風のソングライン――』
(川端裕人、文藝春秋)
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 「著者初の本格冒険小説」と腰巻に大書してある。そういえば、数か月前にも『本邦初の「本格ペンギン小説」』が出たばかりだ。川端裕人の書くものは一作品一ジャンルみたいなところがあって、マーケティング的な分類がしにくい。だもんで、その都度、なにかの“初”だと言えば言えないこともないだろうから、川端作品に「著者初の……」といったコピーがついていてもあんまり衝撃がないのは、はたしてよいことなのか悪いことなのか。川端裕人なら、どんなジャンルの小説を書いても不思議ではない、というか、それこそが川端裕人らしさだという気がしませんか。
 腰巻の惹句には、『東京で暮らす平凡なサラリーマンが巻き込まれたオーストラリアへの旅――。アボリジニ文化の創造にまつわる「歌の道」をトレースしながら、国籍の違う仲間たちとともに、民族の垣根を超越する音楽の本質を訪ねる。』とある。おお、オーストラリア。おお、アボリジニ。そう聞くだけで、「アボリジニ、嘘つかない。白人嘘つく。白人悪い。ハウ」みたいなあーんな話やらこーんな話やら、ともかく陳腐な二項対立がテーマのステロタイプを連想してしまうのだが、たとえば『竜とわれらの時代』を書いた川端裕人が、いまさらそんな手垢のついたものを書くはずがない。この舞台設定自体からして、なんらかの企みを秘めたものなのだろう。“企み”というとなんとなく人聞きが悪いが、川端作品からはいつも“素朴な企み”としか言いようのないものを感じてしまうのは事実であって、それがまた楽しみなんだよな。

【9月6日(月)】
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『象られた力』
飛浩隆、ハヤカワ文庫JA)
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 一昨年、『グラン・ヴァカンス 廃園の天使I』(ハヤカワSFシリーズ Jコレクション/[bk1][amazon])で十年の沈黙を破って還ってきた〈伝説の作家〉飛浩隆の初期中篇(改稿版)四篇を収めた作品集である。かつて福田章二は庄司薫になって還ってきたが、飛浩隆は飛浩隆のまま還ってきた。
 さすがに『グラン・ヴァカンス』は記憶に新しいが、正直なところ、むかしの作品はおれもぼんやりとしか覚えていない。なにかこう、陽の光で輝くプールの底に沈んでいる美しい石を見るような感じで、切れ味の鋭い硬質な言葉がきらきらと舞っているうちに世界が形づくられていったような記憶だけがあるばかりである。たいへん感覚的なもの言いで恐縮だが、たとえば、蠱惑的で妖しく静かな美しさを放つ凶悪な蝶のような文体ではSF界で飛浩隆と双璧を成すであろう山尾悠子(この人も〈伝説〉からの現役復帰組だ)の文章がだとすれば、飛浩隆の文章は硝子のような感触がする。“ガラス”じゃ軽いな、漢字の“硝子”だ。過冷液体としての硝子。なぜ山尾悠子が氷で飛浩隆が硝子なのだと問われても困る。おれはそう感じるというだけであって、まだその理由を言語化しようと試みたことがないのだ。ともかく、そう直感しませんか?
 だものだから、このたび過去の作品がまとめて読めるのが、とても楽しみである。忘れ去られるのが怖くて二、三年の徴兵を不正に逃れた芸能人や野球選手が韓国で話題になっているが、山尾悠子にせよ飛浩隆にせよ、真の藝術家にとっては、十年やそこらの沈黙くらいはなにほどのものでもないのである。「あの人が歌うまでいつまでも待ちます」と言ってくれる読者を持っているからだ。

【9月5日(日)】
▼晩飯を食ってのんびりしていると、グラッときた。おっと、こいつはかなりでかい地震だ。ケータイをひっ掴み、ダイニングキッチンのテーブル(こいつがわが家でいちばんしっかりした避難場所である)にもぐり込もうとすっ飛んでゆくと、母がテーブルの下にもぐり込めずにもたもたしている。関節リウマチで膝がうまく曲がらないのだ。椅子を引っぱり出してスペースを作り母をなんとか押し込むが、母は膝も手も不自由になっているからうまく身体を縮こめることができない。おれのもぐり込むところがないので、とりあえず頭だけはテーブルで遮蔽し、なんとか半身をにじり込ませた。まだ揺れている。これほどのでかい地震は阪神淡路大震災以来だ。いや、しかし、この揺れには、あのときほどの強烈な加速度を感じないぞ。ゆらーりゆらーりと、やたら振幅の大きな揺れである。少なくとも、近畿圏の内陸で活断層が急激にずれたといったようなものではなさそうだ、とおれはテーブルを押さえながら頭の隅で判断した。とすると、東海か、東南海か――。どのくらい沖だろう……。妙に長い時間揺れているのが不気味で、次の瞬間どかーんとくるか、次の瞬間どかーんとくるかと、気が気でない。まことに神経に障る地震だ。
 母はといえば、やっぱりあのときとまったく同じように、なにやら「ひやあああ」と弱々しく泣きながら念仏を唱えている。こういうときに人間が念仏を唱えている姿をおれは母以外に見たことがなく、なんとなく“羨ましい”とやっぱり頭の隅で思った。少なくとも、唱えるものがあるというのは、仏教も神道も宗派もなにもめちゃくちゃながらも原始宗教的な超自然的なものに対する信仰を持っている母のような人格にとっては、こういうときの精神の安定に多少なりとも寄与するにちがいない。だが、そもそもこういうときに念仏が出てくるという精神の動きは、おれには頭では理解できても、自分で実感できることは、まず一生ないだろう。母とは、人種が異なるとしか言いようがない。壁が崩れ、天井が落ち、この建物ががらがらと崩れ落ちても、おれの口からは悲鳴は出ても念仏だけは絶対に出てこないことだろう。まあ、縁なき衆生というやつだ。
 ようやく揺れがおさまったので、さっそくテレビとインターネットで情報収集を開始する。これだけの地震だ。一発で打ち止めであるとは思われん。ここ京都府南部では、震度4を記録していた。震源地は紀伊半島沖。やっぱり、あそこいらへんか。かなり沖のほうだが、来たるべき東南海地震となんらかの関係があるのだろうか。驚いたことに、ふだんでさえ不安定に積み上げてある本の山は、雑誌の山が一部倒壊しただけで、ほとんど影響を受けていなかった。やはり加速度は小さい揺れだったのだな。
 どうも地震のすぐあとに風呂に入るのは、無防備になるゆえ気が進まなかったのだが、いま入っておかないと入れなくなる可能性もあるので、腹をくくってとっとと入る。もう二十数年くらいむかしだが、風呂の天井のコンクリートが一部剥落してかなりでかい塊が落ちたことがあり、その部分を新しいコンクリートで塗り固めてあるのだ。脆弱なところがあるだけに、風呂に入っていても気が気でない。幸い入浴中に地震は来なかった。
 それからパソコンに向かっていると、日付けが変わる直前に、また振幅の大きな小さな揺れが来た――。ちょうど煙草に火を点けたばかりのところだったが、揺れを感じたのであわてて消し、蓋付きの灰皿に放り込み、再びケータイを掴んで、ダイニングキッチンのテーブルにもぐり込んだ――ところで、揺れがいきなり強くなった。テーブルの下から隙を見て手を伸ばし、母の部屋の襖を開けると、すでに眠っていた母は自室から這い出してくるのが間に合わず、介護用の背の高いキャスター付きテーブルの下にまろび込んで、やっぱり念仏を唱えている。せっかくけっこうしっかりした介護用テーブルが増えたのだから、母一人が入るのなら、不自由な脚でダイニングキッチンまでやってくるよりは介護用テーブルの下にもぐったほうがいいだろうと、先ほどの一発めのあとで打ち合わせておいたのだ。一発めと同じくかなり長い時間揺れが続く。まあ、今度のは、さっきの震源地がわかっているから、一発めほどの危機感はない。それでも、時間が長いと非常に神経に障る。おい、だけど、余震にしてはでかいな。さっきのと同じくらいの揺れだぞ。
 揺れが止んでから、またもや情報収集すると、なんと、震源地がかなりちがう。別の地震だったのか。一発めとまったく関係ないということはないだろうが、相当東にずれている。気色悪いなあ。これはどういう連続地震なんだろうな。専門家の分析を待つしかない。
 いやまあ、それにしても、例年にないでかい台風がそれも早いうちから立て続けにやってくるわ、浅間山は噴火するわ、奇妙な地震はあるわ、まったく日本という国は、誰かが悪意でここに置いたとしか思えないような場所にあるもんだ。台風がジェット気流に沿ってぐぐっと曲がるところを狙って、できるだけ地面の上を通るように企んで置いたかのようだ。プレートが四枚もひしめきあっている境界の真上に、いかに効果的に地震を起こすかを考えて置いたかのようである。まったくもって、板子一枚下は地獄(ってのも用法がヘンだが)の国だ。こんな国が世界に名だたる危機管理音痴だというのも、これまたじつに興味深いことではありますなあ。やっぱり、“タイフーン・メンタリティー”(台風は毎年必ずやってくるものなのだからふだんから憂えても詮ないことで、頭抱えて縮こまっていさえすれば、危機のほうがそのうち必ず過ぎ去っていってくれる――という態度をすべての危機に当てはめてしまう性向)ってライシャワー元駐日大使の分析は、かなり正しいんじゃないかと思うよなあ。政府はもちろん、企業の多くだってそうだしね。

【9月2日(木)】
浅間山の爆発から一日、テレビでは現地からのレポートを盛んに生放送している。「おお、これがほんとの浅間で生テレビ……」などと、レポーターやらキャスターやらはもちろん、テレビ局の関係者はみんな思っているにちがいないのだが、さすがに誰も口にしない。良識ある大人である。でも、言いたくてたまらないだろうなあ、腹ふくるるだろうなあ、家に帰ったら家族に言うのかなあ、などとテレビ関係者の苦しい心中を察し、独りでもどかしがっているおれってやっぱり思い込みが激しいでしょうか。いやいや、誰だって、ああいう映像観ると、反射的に思いつくでしょう、浅間で生テレビ。五人に四人くらい思いつくはずだ。え? あなた、思いつきませんでしたか? そりゃきっと、あなたがたまたま残りの一人なのであって、ほかの四人は思いついているのです。

【9月1日(水)】
▼面白いのでときおり見にゆく眞鍋かをりのブログだが、「コオロギ オブ ジョイトイ」には驚倒した。よくアイドルがこんな発想するなあと驚いたのではない。このコオロギの死骸写真が目に飛び込んできたときに、おれが反射的に感じたことと、このお嬢さんがまったく同じことを感じたということに驚いたのである。しかし、このタイトルはちょっとやそっとでは思いつかない。才能である。というか、ほとんど“異能”と呼ぶべき類のセンスである。なんだかわからんが、「負けた」と思ったね。タダ者ではない。『爆笑問題のススメ』などを観るかぎりでは、思考回路が若い娘らしくない奇妙なコだとはかねてから思っていたが、今日という今日ばかりは、なんかめちゃめちゃ親近感を抱いてしまった。ううーむ、このコに好き勝手書かせておくと、もっともっと面白くなるにちがいない。ときどき超弩級の爆弾が出るから、油断も隙もないな。眞鍋ブログは、「京ぽん」のブックマークに入れておかずばなるまい。


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