晴明神社と平安時代の陰陽師・安倍晴明
一条堀川の晴明神社といえば、京の人々にとっては生まれてきた子供の名前をつけてもらうことで有名な神社であった。が、最近では、平安時代の宮廷陰陽師、安倍晴明ゆかりの神社として名をはせている。
陰陽師とは、中国伝来の陰陽五行説によって天体観測を行なったり暦を作成する宗教者の一種で、同時に精霊である式神を自在に操る呪術師でもある。その陰陽師と最も有名なのが安倍晴明であり、藤原道長の政権確立時代と活躍が重なるため、道長の危機を救った数々の伝説が残されている。
法成寺の門から道長が入ろうとしたときのことだ。可愛がっていた犬が異常に吠え、裾をくわえて通らせまいとする。そこで道長は晴明を呼んで占わせてみた。すると、地面に呪いが込められた物が道長を呪詛している者の手により埋められており、愛犬はその邪気を察知して吠えたいう。さらに晴明は術を使い、呪詛している者が晴明の弟子であった道魔法師であることを突き止めた。道魔法師は、道長の政敵である藤原顕光に依頼され、呪詛したことを白状した。
また、花山天皇からも信任を受けていた。頭痛に悩まされていた花山天皇が晴明を召し、病気平癒を頼んだところ、晴明は帝の前世は大峰山で入滅した行者であり、その髑髏が岩に挟まっているという。さらに晴明はその髑髏を取り出し、広いところに安置すれば頭痛は治ると告げた。卜占通りにすると、花山天皇の病は見事に治まったと伝えられている。
「今昔物語集」では、晴明に関してこのような話が残されている。
修業時代、晴明は賀茂忠行とその息子の保憲に師事し、陰陽道の術を学んでいた。ある日、忠行のお伴に出かけた際、晴明は恐ろしげな鬼どもが前方から向かってくることに気がついた。そこで晴明は牛車の中で眠っていた忠行を起こし、術を使って隠れ、命を取り留めることができた。それをきっかけに、忠行は晴明の陰陽師としての資質を認め、その後、陰陽道の奥義の全てを伝授したという。
さて、晴明は一条戻橋近くに邸宅を構え、一条戻橋の下に式神を石櫃に入れて隠していた。現在の晴明神社の敷地が邸の一部であり、境内を本殿へ進むと、御神燈の五芒星が目につくことだろう。これは晴明桔梗と呼ばれる陰陽道の祈祷呪符のひとつで、万物の除災清浄を意味しており、魔除の印でもある。
晴明神社に伝わる『安倍晴明宮御社伝書』によると、安倍晴明が死去を惜しんだ上皇が生誕の地に晴明を祀らせることを晴明の子孫に命じ、死後二年後の一〇〇七(寛弘四)年に晴明神社が建立されたと記されている。晴明神社は今でも魔除けや厄除けの神社として信仰を集めており、本殿の北寄りにある晴明の念持力で湧出したという霊水「晴明水」は、飲用すると悪病や難病が治癒するともいわれている。また、2005(平成17)年には、安倍晴明没後一千年祭が行われる予定だ。