蛤御門の変

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蛤御門の変・猿ケ辻の惨劇


 京都御苑にはいくつ門があるか。答えは九つである。そのひとつの蛤御門は烏丸通りに面した御苑の西側にあり、俗に言われる「蛤御門の変」または「禁門の変」として名を馳せている。元治元年(一八六四)に生じた歴史的大事件を指しているのだ。
 前年の文久三年(一八六三)の政変において、京都の政界を追われた長州藩尊攘派は勢力の挽回を図ろうと二千人の藩兵を率いて上京、そこで御所を護衛する会津・薩摩両藩との激突を迎えた。その激戦地となったのが、蛤御門の周辺だった。戦いはわずか一日にして終わり、長州藩はまたしても敗退を余儀なくされた。その際、長州藩の宿泊所だった嵯峨の天龍寺は、会津・薩摩両藩の追撃を受け、焼失を免れることができなかった。
 蛤御門は今でも戦いの弾痕の跡を残している。門が焼けることはなかったが、蛤御門の変がもたらした戦火は京都の町を襲い、三日間に渡って延々と燃え続けた。この大火は鉄砲や大砲による撃ち合いで発生した火事ゆえに「鉄砲焼け」「どんど焼け」とも呼ばれている。また、この蛤御門の変をきっかけに、それまで敵同士だった薩摩と長州の連合藩が誕生し、ひいては幕府の威信低下を招くこととなった。
 ところで「焼けて口開く蛤御門」との言葉を聞いたことがないだろうか。実はこの蛤御門、正しくは新在家御門と言い、元治元年の蛤御門の変では焼けることはなかったが、天明八年(一七八八)のいわゆる天明の大火においては初めて門が開けられたのだった。そこで焼けると口をあける蛤に例えて「焼けて口開く蛤御門」と言われるようになった。以来、通称蛤御門と呼ばれている。


 御苑北側、今出川通に面した今出川御門から中へ入り、南へまっすぐ下がると、御所の築地塀に突き当たる。その塀に沿ってやや東へ進むと、東北の角で築地塀が内側に折れ曲がっている。ここでその屋根裏を見上げてみてほしい。烏帽子を被り、御幣をかついだ木彫りの猿が祀られていることに気づくはずだ。このあたりが猿ケ辻と呼ばれる所以であり、ここでも幕末には大きなテロ事件が生じている。世に言う「猿ケ辻の変」、文久三年(一八六三)五月二十日深夜、青年貴族の姉小路公知が朝廷の会議の帰り、猿ケ辻にて刺客に襲われ壮絶な最期を遂げたのだ。公知は過激な尊攘派であったが、勝海舟らに賛同して開国派に転向しつつあったため、刺客を放たれたと言われている。
 この猿ケ辻、何故に猿なのであろうか。東北の角であることから鬼門を守るため、あるいは「鬼が去る」に通じるとの説もある。実はこの猿には金網が張ってある。御所の鬼門を守らせようと比叡山延暦寺の日吉大社から使わされた猿であるが、夜毎、逃げ出しては通行人に悪さをしていたという。そこで金網を張って閉じこめることにしたとの話が伝わっている。