北野天満宮

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北野天満宮ーー道真の怨霊伝説


 天神さんの名前で親しまれている北野天満宮。足を運んでみると、境内にて合格祈願の絵馬が無数に掛けられている光景を目にすることができる。
 そう、北野天満宮では学問の神様として菅原道真が祀られている。だが、菅原道真は天神さんとして崇められ、神格化された一方、道真には怨霊としての祟りも伝承されている。怨霊の話に入る前に、道真の華麗なる出世話に触れておこう。

 承和一二年(八四五)に誕生した道真は、学者一家の菅原家の中でも特に優秀な頭脳の持ち主だった。十八歳で文章生、続いて二十六歳で二百三十年の間でわずか六十五名しか合格者を出していない難関な官吏任官試験を突破している。
 仁和二年(八八六)、道真が四十二歳のとき、讃岐の国司に任ぜられ、一度は挫折を経験しているものの、寛平二年(八九〇)には再び京の地を踏み、再び出世街道を歩み始めた。そして昌泰二年(八九九)一月、道真はついに右大臣右大将へ昇り詰め、さらに従二位の地位を得た。異例とも言える出世スピードだ。しかし、道真の出世の裏側で、道真を失脚させる陰謀が企てられていた。

「道真は醍醐天皇を降ろし、道真の娘が嫁いでいる斉世親王を天皇の座につけようと企んでいる」
 醍醐天皇と手を組んだ左大臣藤原時平の讒言だ。その結果、道真は大宰府への左遷が決まり、平安京を去ることを余儀なくされた。結局、道真は大宰府で無念の死を遂げるのだが、その死が道真を怨霊化させたのだった。


 道真の死後、奇妙な出来事が次々と起きた。道真が最初に怨霊となって現れたのは、延暦寺第十三世座主の法性房尊意の持仏堂であった。霊となった道真は復讐を遂げたいと意を述べた。反対した尊意は喉が渇いていたであろう道真の霊に石榴をすすめたが、道真は怒り狂い、石榴を口に含んで妻戸に向かって吐いた。すると石榴は炎となり、妻戸が燃え上がったという。

 その後、密告者であった藤原時平が不慮の死を遂げ、道真の左遷に関与した貴族も続けざまに不可解な死を迎えた。また、京の地にも水害や疫病などが蔓延し、朝廷はようやく道真の霊を鎮めようと、道真を元の地位だった右大臣に戻したうえ、正二位に昇進させたのだった。
 しかし、道真の霊はけっして静まることなく、今度はついに清涼殿炎上をもたらす。延長八年(九三〇)六月二六日、激しい落雷が清涼殿を直撃したのだ。醍醐天皇も炎上事件より三か月後、崩御された。

 さて、天慶五年(九四二)になって、道真の霊は多治比文子という女性の前に現れ、自分がかって遊んだ思い出の地、右近馬場に祠を造るよう告げた。文子はとりあえず瑞垣を造って道真の霊を慰めた。これが北野天満宮の発祥につながったと言われている。そして正暦四年(九九三)、道真に正一位・太政大臣の地位が贈られた。道真の没後九十年目のことであった。