新選組

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新選組登場




 文久三年(一八六三)二月、出羽の郷士の清河八郎が関東の浪士を集めて浪士組を結成した。幕府から「浪士募集」の布告があり、二三四人もの浪士が集まったと言われている。
 さて、その浪士組が京都へと向かったのは、天皇に供奉して攘夷祈願を図ろうとまもなく上洛することになった将軍家茂を護衛するためだった。が、京都に辿り着いた翌晩、清河は浪士組一同を壬生の新徳寺に集めて彼らが驚くべく発言を行った。
「浪士組の本来の目的は尊皇攘夷である。ただちに江戸に戻り、攘夷運動の魁になる」
 そこで大半の組員は江戸へ戻ったが、近藤勇や芹沢鴨、土方歳三、沖田総司ら十三人は浪士組を脱退し、京都に残ることになった。しかし、脱退したがゆえ所属するところがない。そこで京都守護職の大任を引き受け、やはり千名もの兵を京都に駐屯させ市中の治安維持を担っていた会津藩松平容保に交渉し、彼らは会津藩のお預かりとなることとなった。壬生浪士組はそこで本領発揮、活躍が認められ、ついには朝廷から「新選組」なる隊名を授かったのが新選組の誕生である。
 任務は将軍警備と市中の治安維持であった。彼らに共通しているのは剣客、松平容保からも「士気勇敢、水や火に飛び込むことさえいとわない」と称賛された存在であった。新選組の登場で、勤皇派および攘夷派と、開国を主張する佐幕派の争いは激化し、暗殺事件は絶えることがなかった。やがて新選組は最大二百人の隊士を超える組織となり、慶応三年六月、実績を買われて幕臣に取り立てられたのだった。


 新選組の武名を最も轟かせたと言えるのが池田屋事件であろう。新選組が古高俊太郎と名乗る不審な商人を召し捕り、壬生屯所へ連行した。そこで土方歳三が拷問にかけたところ、古高は御所に火を放ち、天皇を奪取して長州へ連れ出し、さらに松平容保を暗殺する計画があることを自白した。いわば長州藩のクーデター計画だ。決行予定日、およそ三百人もの長州藩の志士たちが四条通りの町家や三条通りの旅宿に潜伏しているという。土方は一隊を率いて市中を散策、祇園の茶屋をくまなく探したがひとりも見つからない。そこで今度は三条方面へと向かった。一方、近藤勇は四名を率いて木屋町高瀬川沿いを北に向かっていた。その際、三条小橋側に池田屋という長州藩の定宿があり、長州藩志士たちが密会しているとの情報を得た。さっそく近藤は池田屋へ乗り込んだ。
「今宵旅宿改めであるぞ。手向かいいたすにおいては容赦なく斬り捨てるぞ」
 長州の志士は二十名ほどいたという。そこへまもなく土方の一隊が加わり、新選組は長州藩襲撃に成功した。この事件で新選組は朝廷および幕府かた褒章金を授かっている。近藤には金三十両の他、刀と酒一樽、土方には金二十三両、新選組総計六百両は現在の額で一八〇〇万円に相当する。