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ことづて


明日、晴れるとイイナ。

世界はひとつではない。「進行」する全ての世界。誰に止められることもなく。
その中のひとつの小さな世界の片隅。それでも僕らはみんな生きている。
叫べと思う。わけわからずとも。
理不尽なことが多すぎる。邪魔されたくないのに、なぜだか邪魔される。くだらないこと、言うなよ。
叫べと思うのは、抵抗か、それとも主張か。
ただ、理屈なんかどうでもいい。理屈で話なんかしたくない。
何であろうと叫べ。この叫びが理解されることを願いつつ。

なかなかやまない雨

なかなかやまないこの雨。やむまで待てる人は待てばいい。
だが、雨の中、動かざるを得ない人、あるいは今こそ動くべき人。そんな彼らに同調する。
僕はかつて勝負したことがある。今、僕のことを評価してくれる人がいるとしたなら、その一点をもってのみのことかもしれない。
勝負には負けちまったけどね。(2020.7.8 雨

高揚

先日、1980年代、おそらくは雑誌作りが最も高揚していた時期を描いた小説を読んだ。
あの頃、僕もその業界の片隅にいた(僕は銀座ではなく、主に河田町界隈の出版社に出入りしていた)。
90年代になって、失速感のようなものが漂い始めたのも、バブル崩壊に伴う必然的な時代の流れだったと思う。
東京の街もなんとなく萎んでいった。僕は、沈滞するのが嫌で、東京を離れ、京都で高揚を続けた。
結果的にはそれは自爆を迎えることになるのだが、それでも京都に移り住んでからの5年間は、
紛れもなく僕の人生の高揚の最盛期ともなった。
今なお、高揚していたいと思う。だが、高揚できないでいるのは、
たとえ高揚しづらい時代であるとしても、あくまでも僕自身の問題だ。
力がないだけのこと。昔、高揚できたのは、力があると思い込むことができたがゆえのこと。
今は無力さを十分すぎるほど自覚してしまっている。けど、でもさ、そこは打破しちゃいたいな。
挑め、そして学べ、まだまだ。
(2019.9.26 晴)

すっきり。

仕事で関わったあるふたりの40歳代後半の女性。彼女たちは今、自らを重たくさせていたものを捨て去り、「すっきり」と生きている。
ある意味、清算したとも言える。その際、ふたりに共通しているのは、お金に執着しなかったこと。
彼女たちが魅力的にみえるひとつの大きな要素だと思う。
人間関係の中で、聞きたくなかったと思うような話が出るのは、えてしてお金が絡んでいることが多い。
50歳を超えている僕、僕もまた「すっきり」としていたい。
(29.9.11 晴)

僕はどうやら楽しんでいるらしい。

先日、京都で昔の知り合いと会っていた。僕が東京での仕事ぶりなどの話をしたところ、
「東京でも楽しそうにやっているみたいやね」と言われた。話し足りないほど話し込んだせいだろう。
実際、話したいことはいくらでもある。なるほど、どうやら僕は楽しんでいるらしい。
 翌日、下の息子と会い、帰り際にグータッチ。好きなように生きろよとの思いを込めて。
息子は息子なりに、僕が同じ歳だった頃以上に色々と考えているようなので安心した。
成人式を迎えた上の娘には手紙を書こうと思っていたが、書かないままでいる。
手紙は一方的なもの。僕の一方的な思いなど、娘に必要はないだろうと思えてきたがゆえのこと。
 東京へ帰ってきて、改めて思った。弾けていようよと。
(29.2.14 晴)

それでも僕は。

積み上げてきたもの、あるいは自らのバックボーンで勝負すべきだ。それができないのは、悲しいこと。
所詮負けちまった僕の言葉に説得力などないとしてもだ。かくいう僕自身、往生際が悪い。ゆえに、今なお、ちょこちょこやり続けている。
たいしたものは積み上っていないところに僕の限界があるのだが、それでも僕は…。そう、それでも僕は。
(28.6.13 雨)

あの日、どうして僕らは野球をしていたんだろう。

あの日、どうして僕らは野球をしていたんだろう。
こんなことを考えてしまうのは、おそらく試合終盤に起きたあの「事件」のせいだろう。
悲しく、恥ずかしい出来事。
例えば、直近のニュース。トルコの海岸で遺体となって発見されたシリア難民の男の子の話を知らない者は誰もいなかったに違いない。
そんな出来事があったにも関わらず、僕らは野球に興じていた。
それは、約1年かけてその日のための練習を重ね、また多くの人が集まり、その日一日の「価値」を共有したいがため。
その日集まった人の想いが詰まった価値。
トルコの出来事を知っていて、にもかかわらず、なぜあんな悲しく、恥ずかしいことができるのか。
むろん、強引に結びつけているとわかっている。
勝とうが負けようが、楽しく終わっていれば、こんなことは考えなかったに違いない。
昔、小さな大会だが、ソフトボール大会で優勝したとき、
「僕らはみんなすべり込んだ」
といったタイトルを付けた原稿を書いたことがある。
今回は、その対極だ。あの日、どうして僕らは野球をしていたんだろう。
僕はそれを何度も何度も問うている。
(27.9.7)

いちいち説明なんかするなよ。

理屈なんてどうでもいい。いちいち説明しなければならないとしたら、それは動いていないことへの自己弁護、あるいは言い訳。
いちいち説明しないといけないのなら、所詮はそれがそいつの限界。俺も含めて。
(27.7.3 雨)

僕らはもっと動きべきだ。

あの頃、既に20年ほど前のことだが、全体的なムーブメントだったのか、あるいは僕の周囲がたまたまそうであったのかはわからないが、
「東京を離れてみようか」という動きが広まっていた。
バブルが弾け、21世紀を迎えるまでまだあと数年あるという当時、東京になんとなく沈滞的な雰囲気が漂っていたように思う。
常に「動く」ことを欲していた僕ら、彼らにとって、東京を離れることは必然だった。
「Bye Bye」、この言葉になんとなくかっこよさを感じていた。ある知人はニューヨークへ。僕は京都を選んだ。
再び東京へ戻ってくるとは思っていなかったが、転機なんてものは突然訪れるもの。いや、予感はあった。
感は悪いほうだが、どうしようもないほどの鈍感というわけでもなかった。
さて、東京。1年が過ぎた。野心とまでは言わないが、小さなイメージは抱いている。
昔、こんな歌を作ったことがあるのを思い出した。僕らはもっと動くべきだ。
(27.5.21)

俺はまた勝負する。

若くはないにもかかわらず。事実、老眼だ。けど、この年になってもう一度勝負することができる、
それは大きな犠牲を伴うことになるとはいえ、幸せなことだとも思う。
自らのきっかけではないところが相変わらず格好悪いところではあるが、勝負そのものは楽しくないはずがない。
今のまま、安泰していても、特におもしろいわけではない。
ゆえによけいなところに深く突っ込んで、結局のところ、自分が傷ついたりする。
20年前と似てらぁ。試してみたい気持ちが勝って、東京を飛び出した。そして今も同じ。
勝負するだけの材料も多少は持ち得ている。あてにはならない勝算でも、ないよりはましだろう。
なぜこんな生き方なのか。単なる性分か、それとも後天的なものなのか。
俺、負けないだろう。
いや、またしても負けちゃうかな。
(25.6.11)