クレータ島にあるディクテー山Mount Dicteの立法女神である母神レアーの添え名である。ディクテー山でレアーの律法と布告e-dictsの銘板が古代クレータ島人の王たちに与えられた[1]。Dictate(指令する)という英語はレアーがディクテー山から発する指令に由来する英語である。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
クレータ島の月女神の名前。
月の女神は、クレータの東部ではブリトマルティスと呼ばれていた。そこでギリシア人は彼女を、アルテミス(シシリアのディオド一口ス・第五書・七六、エウリービデース『ヒッポリュトス』一四五および『タウリスのイーピゲネイア』一二七、ヘーシュキオスの辞典のブリトマルティスの項)やへカテー(エウリービデース 『ヒッポリユトス』一四一とその評注)と同一視したのである。クレータの西部では、ウェルギリウスが知っていたように 「ひとは月を君の名になぞらえてディクテュンナとよぶ」(ウェルギリウス 『キーリス』三〇五)、彼女はディクテュンナであった。
ディクテュンナはこの神話では、狩猟用もしくは漁業用の網という意味のディクテュオーンと関係づけられている。またディクテーはあきらかにディクテュンナイオン 「ディクテュンナの館」 の崩れた語形である。家父長制度が導入されてからは、女神が網をふりかざして聖王を殺そうと迫る追跡は、逆に聖王が女神のあとを追いかける愛の追跡にかわってしまった。この二種類の追跡はいずれも、ヨーロッパの民間伝承にしばしばみられる。ブリトマルティスのあとを追うミーノースの追跡は、ビリスティア〔ペリシテ〕ではデルケトーを追うモクソスあるいはモプソスの追跡にあたるものだが、時期的にみて樫の木がこんもりと葉を茂ら したとき おそらくは土用のころ、つまりこれはナイル河三角州地帯の水辺の低地でセトがイーシスと幼児ヘル〔ホルス〕を追いかけた時期でもある にはじまり、それから九カ月をへて「五月の宵祭」におわる。ゼウスがエウローぺーをさらっていったのも「五月の宵祭」の事件であった。(グレイヴズ、p.433-434)