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エウローペー(Eujrwvph)

 「満月」のことても、大陸全土にわたる母としての太女神。太女神はヘ(ウ)ト=ヘル〔ハトホル〕、ヘーラーイーオーカーリーとして、同じ白い-雌ウシの姿を借りた。エウローペーが、白いウシに扮したゼウスに乗ったように、カーリーは白いウシ、ナンディの姿を借りたシヴァに乗った[1]。古代ギリシアの伝説では、ゼウスがエウローぺーをさらって、犯したとあるが、これは「-巫女が、生贄の太陽-雄ウシに勝ち誇って乗っている古代ギリシア以前の像に由来している」[2] のである。花輪を冠にした白い雄ウシは、大変古い昔から、クレータ島やミケーネで、雌ウシ-女神に生贄とされた。パウサニアース( 2世紀のギリシアの旅行家で、地理学者。衰退しつつある文明の中に暮らし、子孫のために古代の聖地を描いておきたいという気持を刺激された)によれば、エウローペーは古代ミケーネの女神、デーメーテールの添え名であった[3]


[1]Campbell, Or. M., 63.
[2]Graves, G. M. 1, 197.
[3]Guthrie, 225.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



 エウローぺー〔Europaはラテン語の表記〕というのは、満月の同意語である「ひろい顔」の意味で、の女神であるレバディアのデーメーテール、およびシドーンのアスタルテーの異名なのである。しかし、この言葉がeur-opeではなくて、eu-rope(euboeaの類推による)を指すものならば、「柳のためによい」 — つまり「よくうるおった」という意味にもなるであろう。柳は、神聖な暦年の五番目の月にゆかりのある木であり、魔術とか、ヨーロッパ全土にわたって行われる — とくにこの五番目の月にめぐってくる五月の宵祭の — 豊穣多産を祈る祭式に関係が深いものである。リビュエー、テーレバッサ、アルギオペー、それにアルぺシポイアは、みなの女神の称号にほかならない。

 ゼウスがエウローぺーを凌辱した神話は、初期のヘレ一ネスによるクレータ島の占拠を記録するものであるが、もともとこの話はの巫女が彼女の生贄である太陽の雄牛に意気揚々とうちまたがった姿を示すプレ・ヘレーネスの残したいくつかの絵画から想をえたものである。その絵の情景は、ミュケーナイの都市ミデアから出土した八枚組みあわせの青ガラスの飾り板のなかにいまでも見ることができる。これは、豊饅多産を祈る祭式 — この祭式のなかにエウローペーの五月の花輪が長い行列によってはこばれてゆくところがある(アテーナイオス・六七八ページ・a−b) — の一部をなしていたものらしい。ゼウスワシに姿をかえてエウローぺーを誘拐した話は、(ヘーシュキオスによると)ヘーラーが「エウローピア」の別名をもっていた事実から推して、ゼウスが郭公に姿をかえてヘーラーを誘惑した話にかかわりがあるように思われる。クレータやコリントスにおけるエウローぺーの名前はヘローティスであって、これはヘリケー(「柳」)の縁語である。ヘレーもへレネーも、ともに神話上の同一人物とみられる。カリマコスは『ヘレネーのための祝婚歌』のなかで、すずかけもまたヘレネ一にゆかりの木だと述べている。それが神聖視されたのは、五叉にわかれた葉の形が女神の手を表徴しているためと、毎年、この木がその皮を脱ぎかえてゆくためである。しかし、エシュムンの神がタニットの(ネイトの)ひらいた手の象徴を借りて自分のものとしたように、アポッローンがそれを自分の神木にしてまったのである。

 エウローぺーの話は、ヘレーネスがクレータ島を根拠地としてそこからフェニキアへ侵入していった事件を記念する叙述だと考えられないこともない。ヨアンネス・マララスは、「クレータ王のタウロス(「雄牛」)は、アゲーノール王とその息子たちが不在のあいだに海戦を交えてからテュロスを攻略した。彼らはその夜のうちに同市を占領して多くの捕虜をつれさったが、そのなかにエウローぺーもいた。この事件はいまでもテュロスで毎年催される『不幸な晩』の儀式のなかに名残りをとどめている」(ディンドルフ編集による『年代記』第二書・三〇ページ)と書いているが、このテュロスにおける「不幸な晩」の儀式というのは、マララスがでっちあげたものではおそらくないであろう。ヘーロドトスの記述(第一書・二)もマララスのそれと一致している。(グレイヴズ、p.283-284)