アイルランドにおけるドルイド教聖職者の名称で、女神ケレ、カレ、あるいはカーリーに仕えていたキリスト教以前の聖娼の名に由来していた。アイルランドの文書によると、聖娼マグダラのマリアもケレの1人だった[1]。ケレ・デという中世の語には謎めいたところがあると考えられ、女性の場合には「神の花嫁」、男性の場合には「神の召使い」と訳されていた[2]。しかし、この訳は正確でなく、ケレ・デの文字通りの意味は、「女神ケレの霊」だった。女神ケレは、大昔の印欧系ケルト人が崇拝していた女神カーリーと明らかに同ーの女神だったのである。
女神ケレの信者たちは、ヨーガ流の瞑想を通じて、内面的完成に達することを重視していた[3]。ケレとともにいた男神たちは、東洋のヨーガの行者らと同じように、蓮華座を組んで座していた。女神ケレを崇拝していた原初の聖杯英雄ぺレドゥールは、「世界で最も美しい女性」という姿でこの女神を認識した。その女性は「聖なるプラクリティ」Prakritiの3色で表されていたが、これらの色は現在もグナ Gunasの名で知られており、女神の持つ創造・維持・破壊の力を表している[4]。
架空の聖人「聖キルダ」も女神ケレの異形だったと思われる。この聖人は、かつて西方の死者の楽園と同一視されていたはるか彼方の小島に住んでいた。「聖キルダの島」は現存しているが、その名の起源は忘れられてしまっている。アイルランド全域に分布している kill (「巣穴」、あるいは「洞穴」)という語は、以前は「ケレの礼拝堂」を意味しており、そこに仕えていた聖職者は、自分たちのことをクルデー、コリデー、ケレ・デ、ケレディオなどと呼んでいた。彼らの中には、明らかに妻帯者だったにもかかわらず、キリスト教の歴史書で「修道士たち」と記述された者もいた[5]。
キルデアは、女神キルダ・ケレ(すなわち、ブリジット)の主要な礼拝堂だった。ちなみにこの女神は、キリスト教の修道士たちがこの場所を占拠して自分らのものにしてからは、聖母マリアと同一視された。キルデアの聖火を守護する役は、昔からずっと巫女たちの特権だったのであり、したがって、礼拝堂は男子禁制の場所だった[6]。キルダ・ケレ-ブリジットをマリアと混同したことは、無理なこじつけではなかった。なぜなら、インドでは彼女たち全員が、何千年にもわたって、同一の女神の別々の側面を表していたからである。この女神は、人間を粘土から造った「壷の女神」で、カーリー・マリまたはケル・マリと呼ばれていた[7]。 Kali Ma.
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
バーバラ・ウォーカーの記述が正しいかどうかを判断する材料を持たぬ。
ドルイドはアイルランドの神話伝承に頻繁に現れている。そこには、古典の著述中に見られると同様に3つの階級 ドルイド、バード、フィリ(見者)が姿を見せている。ドルイドの大部分はキリスト教の影響下のアイルランドから姿を消したが、彼らの機能の多くはフィリによって受け継がれた。(『ケルト神話・伝説事典』)
フィリ
フィリ(単数形 fili、複数形 filidh)はアイルランドの知識階級の一員である。彼らは世俗的な役割と宗教的な役割の両方をもっており、紀元1世紀初期の頃から残っているアイルランドの神話伝説のなかでは、非常に尊敬された存在であった。フィリが語る物語のなかにはとくに超自然の世界にまつわるものが含まれていた。フィリは、ケルトの社会に関して述べた古典の著述で触れられているウァテスに相当する。彼らは熟練した物語の語り手であり、詩のつくり手でもあったが、同時に「見者」であり、訓練された予言者でもあった。フィリはまた風刺という手段で相手の名声に傷をつけたり、死に至らしめたりする超自然的な力をもつとされた。
アイルランドでは、フィリの修練士は特別な学校で7年から12年にわたる年月、訓練を受ける。そこでフィリの卵はさまざまな、そして精密な詩の韻律をつくることを学ぶ。彼は系図や英雄物語を習得し、記憶する。彼は予言と統治者を賞賛する技術を学ぶ。
フィリは、キリスト教がアイルランドに伝わって以来、その重要性を失いつつあったドルイドのもつさまざまな力と役割を引き継いだ。詩を学ぶことに関していえば、彼らはバードの権限をも奪い、バードはケルト社会でより小さな役割に追いやられた。フィリはいちじるしく息の長い階級であった。アイルランドではフイリは見者、詩人、教師、王に対する助言者、契約の立会人という役割を17世紀に至るまでもちつづけた。ブリードはフィリたちが崇めた女神である。ブリードは学問や詩、予言や神託をつかさどっていた。(『ケルト神話・伝説事典』)
ブリード(Brigit)
ブリードという名前のアイルランドの女神はもともとは「高貴な者」の別称であった。ブリードがとくに興味深いのは彼女がケルトの女神からキリスト教の聖人へと大きな支障もなく移り変わっていったからである。
ブリードは、1人の女神であると同時に3人の女神であった。彼女はまた時折り、名祖であった2人の姉妹と結びつけられていた。ブリードは治癒、工芸、そして詩の女神であった。彼女はまた占いや予言の名人でもあり、また出産する女性たちから崇拝された。女神ブリードはアイルランド全土で崇拝されていたが、とくにレンスター地方の女神であった。そしてブリードは、ダグザの娘であった。ブリード信仰には生殖に関する面が非常に強い。この女神の祭りは2月1日のインボルクの祭りで、雌羊の乳しぼりに関係しているケルトの4大祭りの1つである。このアイルランドの女神はブリテン北部の偉大なる女神ブリガンティアと関係している可能性がある。
キリスト教の聖女ブリジットとなったブリードは、ケルトの女神の特徴をいくつも引き継いだ。彼女の誕生と生育は魔法の影響を多く受けていた。ブリードは、ドルイドの家で生まれ異界の牛の魔法のミルクで育てられた。ブリード自身は処女にもかかわらず、キルデアの聖人として豊穣の象徴の面は強調された。ブリードは、食糧庫を空にすることなくいくらでも食べ物を与えることができたし、1日3回乳搾りをする彼女の牛から湖を満たすほどミルクを提供できた。またブリードは、イースターでエール(ビール)醸造を統括していたが、1袋のモルトと麦芽で17の教会に行き渡るほどのエールがつくれたという。しかし、もっとも重要なのは、2月1日に行われる聖女ブリジットの祭りであり、この日は、女神ブリードを祝うインボルクの祭りでもある。(『ケルト神話・伝説事典』)
[画像出典]
Thomas Jones(1742-1803)
Bard(バード)(1774)
バード(bard)は、ドルイド教聖職者の3階級のひとつ。とくに歌や詩による称讃にたずさわる者たち。彼らの役割はしだいにフィリによって包括されていった。
エドワード1世(1272-1307在位)の征服軍が近づくなか、ウェールズのバードは山の山頂から下の荒れ狂う奔流に身を投げる前に、襲撃するイングランド軍に呪文をかける。トマス・グレイによって1758年に書かれた詩の場面を描いた。
ドルイドは、1人の人間の命が別のものと交換された場合にのみ、神の力を無力化あるいは支配することができると信じていた。上の図のバードは、自分の呪いを確かなものにするため、自分で自分を生贄としたのだろう。