妖精崇拝と関連を持つドルイド教の魔術師。のちにアーサー王の宮廷に住む魔術師となって、いくらかキリスト教化された。古いウェールズの伝承では、マーリンは「森の野人」と呼ばれ、予言の力やシャーマン的な能力を持っていた。彼はまたライロケンともミルディンとも呼ばれた。モンマスのジェフリ(1108-54。英国の年代記作家)は、マーリンの最初の名はアンブロシウスであったと言っている。この名は、女性のシンボルであり、「妖精の女王」によって彼女の気に入りの吟唱詩人や魔術師に与えられるアンブロシアー(神々の食物)とマーリンと結びつけるものである[1]。中世の鷹狩りではmerlinは女性だけが飛ばせることのできるタカの一種を指した[2]。
マーリンは、モーガン・ル・フェイ、ヴィヴィアン(生命の女神)、あるいは「湖の女神」の姿を装った「女神」から、すべての魔法を学んだ。マーリンが生命を終えるとき、女神は彼を魔法の洞穴に連れ戻し、彼の「再来」のときがくるまで、死の訪れない眠りにつかせた。そこでは女神はニムュー、すなわち「運命」と呼ばれていた。この名は「月女神」ダイアナ・ネモレンシス、あるいはギリシアのネメシスと同じ名である。異教時代のプリトン人(ブリテン島南部に住んでいたケルト民族の一派)は、マーリンが魔法の眠りからやがて覚め、平和と豊穣の新時代の到来を告げることを信じていた。
しかし、キリスト教の著作者は、マーリンを地獄の生んだ子としている。ロベール・ド・ボロンによれば、マーリンはキリストの対立者になるようにと、周到なもくろみによって、母の胎内に宿らされた。すなわち処女と交わった悪魔を父としたという。マーリンは母の善性を受け継いだため慈愛心に富み、善性が悪魔的性格より優っていた。
ヴォルティガーン王の神殿がソールズベリーの野に建てられたとき、建物は崩壊をくり返し(占星術師の言によると)建物の基盤に、人間の父を持たない子供の血が必要だとされた。若いマーリンがこの条件にかない、生贄に供されるために連れて来られた。しかし、マーリンの魔術の透視力によって、崩壊の真の原因が明らかになった。神殿の土台下の神秘的な水たまりで、赤と白の竜が戦っていたのである。これを見てマーリンは、ウェールズの赤い竜ヴォルティガーンが、ブリトンの白い竜ユーサー・ぺンドラゴン(アーサー王の父)に殺されるだろう、と予言した。そして予言通り事が起こった。のちにマーリンは、魔法の歌でアイルランドから巨大な石を呼び寄せて、一夜にして1人でストーンへンジを作り上げた[3]。
マーリンはまた、職人であり鍛冶屋でもあった。彼はアーサー王の魔法の甲冑と、聖杯と思われる不思議な杯を鍛えた。キャメロットに宮殿を建て[4]、異教徒の太陰暦のシンボルである「円卓」を作った。愚初の騎士団は太陰暦の1か月と同じく28人から成っていた[5]。
円卓はウェスタ女神の聖なる祭台(mensa、暦表)に由来するものと思われる。ぺトロニウスは、それは中心に女神の像のある円卓であると言っている。アナクシメネースは、大地を「形はテーブルのようだ」と述べており、「円卓」は大地を表した。プラトーンの『饗宴』Symposiumでは、テーブルは「大地母神」を表すと言っている。なぜなら「我々に食事を供するうえに、形は丸く、固定していて、へスティア(ウェスタ、「炉」の意)の名で呼ぶに全くふさわしい」からであった[6]。
マーリンの秘密の洞穴は、ブルターニュにあるブロセリヤンドの妖精の森の中や、アンブロシウス山のドルイド教神殿の中にあった。一説によると、これはチズルハーストであるという。そこには白亜の断崖にハチの巣のように洞穴が無数にあり、ドルイド教女司祭の集団が長い間住んでいた[7]。マーリンは、モーガン、ヴィヴィアン、ニムュー、妖精の女王、湖の女神(ケルトの水の女神ムイルガン、しばしば「善き女司祭」 boine clergesseと呼ばれた)など多くの名を持つドルイド教の女神と関連があった。マーリンは明らかに女神信仰と結びついており、マーリンを扱った数多くの文学作品は、数世紀にわたって教会批判の手段となった。そのため16世紀にいたって、『マーリンの予言の書』は、トレント公会議において禁書目録†に加えられた[8]。
禁書目録
キリスト教時代の最も初期の頃より、教会筋は種々の書物を検閲し、有害と宣告し、破棄して来たが、最初の公式禁書目録が出されたのは1559年であった。カトリック教徒は目録にあるいかなる本も読むことを禁じられ、目録は定期的に更新された。禁書の遵守は、教皇パウルス六世が禁番目録を廃止した1966年にいたるまで、義務とされていた。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)