「守られるべき法令」を意味し、ディケー、あるいはテュケー(「運命」)とも呼ばれる「時の女神」[1]。おそらく、「カルマ(業)と時の車輪の母親」であるカラネミに由来する女神であろう[2]。ネメア、ディアーナ・ネメトナ、ケルトのネムハイン、マーリンに魔法をかけたニミュー、古代のネメド(「月の人々」)の母神など、月の聖なる木立ちに関する物語には多くの異版があるが、すべて同根である。
オウィディウス〔紀元前43-後17? ローマの詩人〕はネメシスを、「自慢話をひどく嫌った女神」と呼んだ。王や英雄がいかに傲慢になろうとも、最後には彼らはみな、女神によって破滅させられたからである[3]。ストア学派は、時がくればすべてをその構成要素に還元してしまう自然の世界支配原則として、女神を崇拝した。ゼウスさえ彼女を恐れた。彼女はかつてはゼウスの破壊者であり、ゼウスを貧り食った者であって、すべての神に生命と死を与える女神であった[4]。女神はときにはアドラステイア(「逃れられない者」)と添え名された[5]。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
人間の思い上った無礼な行為〔ヒュブリス〕に対する神の憤りと罰を擬人化した女神。本来はおそらく《配給者》の意であろう。へ−シオドスはネメシスをニュクス《夜》の娘としている。ゼウスは彼女と交わらんとして迫ったが、彼女はさまざまに姿を変えて遁れ、ついにガチョウ(鵞鳥)になったところ、神はハクチョウとなって彼女と交わり、女神は卵を生んだ。これを羊飼が見つけてレーダーに与えた。これからへレネーとディオスクーロイが生れた〔これは『キュプリア』に従った系譜である〕。
ネメシスのもっとも有名な神殿はアッテイカ北辺のラムヌース Rhamnus にあり、ペイディアースがその像を刻んだ。ここでは彼女はアルテミス形の女神であったらしい。ボイオーティアではアドラストスが創始したといわれるネメシス・アドラスティア Adrasteia の崇拝があったが、アドラスティアは《遁るべからざる》、すなわち必然のネメシスを意味している。(『ギリシア・ローマ神話辞典』)
またパウサニアースの記述によれば、ラムヌース神殿に奉置されていたベイデイアース作のネメシス神像は、その冠に鹿の模様が描かれ、左手にリンゴの枝、右手にエチオピア人の姿を写した盃をもっていたという。鹿はアルテミスの、リンゴの枝はアプロディーテーの特有の附属品であるところから、この二女神との親近性を指摘した学者もあった。これらはもちろん臆測の域を出ない議論である。けれどもラムヌースにおけるネメシス崇拝が前六世紀ないしはそれ以上にも古く遡りうる可能性、があるところよりすれば、その本体が原始的な性格 例えば地母神または豊穣の女神のごとき をもったものであった事は当然考慮されてよいのではあるまいか。かりにネメシスがアプロディーテーに通ずる性格をもっていたとするならば、へレネーとの結びつきは、最もよく説明されよう。へレネー自体がおそらく、同じ性格の古い女神であったのであり、レーダーとの関連もまた同じように説明できるからである。(松平千秋『ホメロスとヘロドトス』p.27-28)