ギリシア語で「炉」の意。へスティアーは最も古くから存在していた母権制の女神の一員で、ラテン語ではウェスタと言われた。へスティアーは、家庭、すなわち、各人の「世界の中心」を表していた。母権制の時代には、「住まいの中心に炉があり、その家の住人すべてにとって、炉はいわば『大地のへそ』に相当した。……ドイツ語のerde(大 地)とherde (炉)の場合と同様に、英語のhearth(炉)もearth(大地)の異形の1つにほかならなかった」。ピュタゴラスは、へスティアーの火は大地の中心であると言った[1]。
ローマ人も、神秘的な「ウェスタの処女たち」 Vestal Virginsに守られて永遠の火が燃えているウェスタの祭壇に対して、ギリシア人と同じような考えを抱いていた。キケローは、ウェスタの力はすべての祭壇や炉に及んでおり、しかも、「この女神は最も内なるものの守護者であるがゆえに」、すべての祈祷や供犠は彼女に始まって彼女に終わると述べた[2]。
へスティアーは1度も夫を持たなかったが、それは、彼女が司る純粋に母権的な領域、すなわち、各都市の公の炉が設けられていたプリュタネイオンにあっては、男神の分担すべき役割が皆無だったからである。へスティアーについては「天界の住まいの中心に座して、生贄の最上等の部分を受け取り、しかも、神々の中で人間界の男たちから最も敬われている女神」と言われていた[3]。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
炉の女神。語源的にローマのウェスタVestaと同じで、両者は同一視されている。
古代における家の炉は、わが国の《かまど》にひとしく、家の中心であるために、この女神は家庭生活の女神として崇められ、炉は犠牲を捧げる所であるから、あらゆる犠牲の分け前がまず彼女に捧げられた。炉あるいは祭壇の女神として彼女は祈願をうけ、古代の都市は、家、氏族の集合と考えられていたため、市庁プリュタネイオンprytaneionにも市の炉があり、女神はその保護者として祭られ、市が植民都市を建てる場合にも、市の炉の火が移植民によって新市にもたらされた。
神話ではヘスティアーはクロノスとレアーの長女で、アポッローンとポセイドーンに求婚されたが、永遠の処女を守る許しをゼウスより得、ゼウスは彼女にすべての人間の家、神々の神殿において祭られる特権を与えた。彼女は、他の神々が天上の住居を出て、世界を歩き回るのに、つねに炉を離れず、したがってこの女神には神話がない。
彼女はオリュムボスの12神に属してはいるが、その名が《炉》そのものを示すように、ひとつの抽象的な観念の擬人化にすぎない。(『ギリシア・ローマ神話辞典』)
これまで見てきたように、ヘスティアーは純潔を守り、性的関係を退けるが、家の中では、性的関係こそが妻あるいは妾の領分である。そして時間のなかで永遠に続くという役割をまっとうするためには、処女神は同時に母として現れなければならない。この点に関して、エウリーピデースがガイアとへスティアーを同一視して、まさしく「大地の母(Gai:a-Mhvthr)」という表現を使っていることが知られている〔エウリーピデース断片928N2〕。つまりへスティアーは処女神として父方に属する女性であると同時に、命の源である生殖のパワーを持つ女性なのである。ポルピュリオス〔(234-305)。新プラトーン派の哲学者。プローティーノスに師事〕は、へステイアーには顔が一つならず二つあると指摘して、この両極性を強調している。まずヘスティアーは処女の姿(parqenikovn)をとる。しかしもう一方ではへスティアーは豊穣(govnimoV)の力を持つものとして、豊かな胸(gunaiko;V promavstou)を突き出した婦人の姿をとることもある。普通の習慣ではこの二つの姿は別々に分かれているが、それが両立する制度がひとつだけある。女性相続人制度である。この制度は、一見するとギリシアの家族のシステムのなかで異常に見える。たしかにそれは例外的で貴重な事例である。なぜなら、一時的に通常のバランスをひっくり返すことによって、家族システムの傾向が純粋な形で見えてくるからである。それこそ炉の女神の姿そのものなのである。(ジャン=ピエール・ヴェルナン『ギリシア人の神話と思想』p.248-250)