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パエトーン(Faevqwn)


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 太陽の息子であるルシフェルの古代ギリシア版。パエトーンは傲慢の罪を犯して嫉妬深い父神の怒りを買い、稲妻のように天界から投げ落とされた。

 パエトーンは父のへーリオス-アポッローンをだまし、偉大な神の役割を演じて、太陽の戦車に乗り天空を駆ける許しを得た。しかし彼は父のアポッローンのようにうまくウマを操れず、制御を誤って、無謀な手綱さばきから世界をあやうく焼き払いそうになった。燃える太陽の戦車によって大地に火がつくのを防ぐため、父神は間一髪パエトーンを海に投げ入れた[1]

 パエトーンの神話はギリシアが起源ではなかった。「太陽の島」ロドス島から伝わった古い話で、ロドス島では、女神ダナエー信仰に取って代わって信仰されていたヒッタイト人の太陽神テシュプをなだめるために、毎年白いウマと燃える戦車が海に投げ込まれた[2]。原初の時代には、馭者がいて、パエトーンの役を演じ、死後神となるために命を捧げたということも十分考えられる。


[1]Reinach, 90.
[2]Graves, G. M. 1, 157.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



 太陽神の息子。
 成人して父の名を知り、極東の地に父を訪ねた。父が何事でもかなえてやると言ったので、太陽神の戦車を御することを乞い、神はその危険を知りつつ、約束のためやむなくこれを許した。しかしパエトーンには荒馬を制する力なく、天の道をはずれて狂いまわる太陽の火は地を焼き払いそうになったので、ゼウスは雷霆でパエトーンをエーリダノス河に撃ち落した。戦車に馬をつけた彼の姉妹たち(ヘーリアデスあるいはパエトンティアデスPbaetontiades)は、彼の死骸を葬り、嘆くうちにポプラの木と化し、その涙は凝って琥珀となった。(『ギリシア・ローマ神話辞典』)

 パエトーンの話のなかで — パエトーンというのはへーリオス自身の別名にすぎないが(ホメーロス『イーリアス』第十一書・735および『オデュッセイア』第五書・479) — 戦車の寓話には、教訓が織りこまれている。つまり、父親たちは女たちの忠告をききいれて息子をあまやかしてはならないというのである。しかし、この寓話は見かけほどそう単純なものとは思われない。というのは、この寓話は、毎年王子がある日 — 恒星年ではなくて地球年に属すると考えられているある日、つまりいちばん短い日のつぎの日に — 生贄にされることにふれている点に神話としての意義があるからである。日没になると聖王が死を装う。すると、少年の中間王(interrex)がただちに先王のあらゆる称号と権威と神器を譲り渡され、女王と結婚し、それから二十四時間後には殺されるのである。トラーキアでは、馬に扮した女たちに八つ裂きにされるが、コリントスやそのほかの土地では、暴れ馬にひかせた太陽の戦車のうしろにくくりつけられてひきずりまわされ、ついに圧死する。すると、そのときまで墓のなかにかくれていた先王がふたたび姿をあらわして、少年の位を継ぐのである。グラウコスやぺロプスやヒュポリュトスの神話はみな、この慣習について述べている。これは、ヒッタイト人たちがパビロニアへ伝えた慣習かと思われる。(グレイヴズ、p.229)


[画像出典]
HEINTZ, Joseph the Elder The Fall of Phaeton
1596 Oil on wood, 122,5 x 66,5 cm Museum der Bildenden Künste, Leipzig