ギリシアの太陽神で、アポッローンと双子の兄妹で、月女神であるアルテミス Artemisの持つさまざまな力を受け継いだ。本来はアポッローンはアルテミスの子であった。エジプトなどでは、太陽は月女神から生まれるとされたからである。アポッローンはまたアルテミスのトーテム獣として、いろいろな獣になった。オオカミのアポッローンApollo Lycaeus、ハツカネズミのアポッローンApollo Smintheus、黄金のたてがみのライオンのアポッローンApolIo Chrysocomesである。
完全に神人同形となったアポッローンは予言、詩、音楽、呪術、医術という女神の持つ力を自分のものとした。アポッローンに仕える聖職者たちはミューズの神々、美の三女神、また大地-子宮から神託を与える「大いなるヘビ」もアポッローンであるとした。そしてさらに、アポッローンが退治した「黒い太陽」として知られている大蛇ピュートーンも、実は、アポッローンが夜になると冥界に滞留するその姿だともした。エジプト人はアポッローンのことをアペプApep、またはアポーフィスと呼んだ。闇の中のヘビを表すものである。聖書ではアポッローンは「底知れぬ穴の天使」アポッルオーンになっている(『ヨハネの黙示録』9:11)。
デルポイの神託所(ギリシア最古の予言の神殿)の巫女たちは、アポッローンがヘビの姿をとるということに、いたく心を刺激された。この神殿は、初めは、女神のものであった。デルポイのdelphiは子宮を意味することからもわかる。女神が大地、天界、深淵の母親として三相一体の姿をとって、その神託所を持っていたということは、アポッローンに仕える聖職者たちも認めたことであった。この女神は神々に先がけて予言をし、大地の母親でもあったし、また、海とすべての神託所の母親であるテミスでもあった。月女神で、ポイベーの名のあるアルテミスArtemisもこの女神であったという。ホイべーという名前はアポッローンもこれをとって自分の添え名にした。そのためアポッローンはポイボス・アポッローンともなった[1]。
アポッローンに仕える聖職者たちがなんとかして神託所を占有したいとしたのは当然であった。「神がある地域を征服して治めるときに、神託を授ける神殿を占有するが、その理由は明らかである。世論や大衆の行動を左右するためには神託を告げることが主要な手段であった。そのために。政治的な神にとっては神託所を自分のものとする必要があった。それは今日の政治家が言論界や教育界を抑えることを必要とするのと同じである」[2]。
ゲッケイジュがアポッローンに捧げられる木になったのは、この木によって心がいたく刺激されて、詩的な高ぶりを覚えるからであった。英国の国家的詩人が今なお桂冠詩人と呼ばれる理由はここにある。デルポイ神殿の巫女たちはセイヨウバクチノキcherry laurelをかんで悦惚状態になり、詩心や予言の力を得た。セイヨウバクチノキには微量のシアン化物が含まれているために、それをかむと譫妄状態に陥るのである。そして口から泡を吹いたりして。神にとりつかれたような徴候を示す。
アポッローンに仕える聖職者たちは母権制社会の提をくつがえして、新たに父権制社会の掟をつくるために神託を利用した。アポッローンの裁きとして最も有名なのは、オレステースが自分の母親を殺したのに無罪としたことであった。アポッローンがそれを無罪だとした理由は、母親というものは本当の親ではなく、子供に生命を与えるのは父親だけである、ということであった。こうしたアポッローン的考え方というものは、のちに、キリスト教の神学者たちもとることになった[3]。しかしこうした父権的な考えというものも、アポッローン自身の姓がレトイデスLetoides(レートーの息子)であるということから考えると、否定されるものであった[4]。アポッローンは母親の名前だけを継いだ。それは母権制をとったリュキア人の習慣に従ったことであった。リュキア人は厳格に母系を守った。しかもアポッローン崇拝が初めて起こったのはリュキア人の国であった。
アポッローンが最初に現れたときには、女神より下位の神で、イヌの顔、あるいはオオカミの顔をした戸口の守護神であった。つまり、アヌービスAnubisやケルベロスの別名で、アポッルオーンと同じように「底知れぬ穴の天使」であった。アナトリアで発見されたヒッタイト人の4つの祭壇はアプルナスApulunasという名前の神に捧げられたものであった。アプルナスは戸口の守護神であり、オオカミのアポッローンの先駆者であった[5]。昔アポッローンはアヌピスと同じように女神の後について歩いた。しかしこのことは伏せられて、すっかり忘れ去られてしまった。
初期のキリスト教徒にとっては、アポッローンは下位の神であった。また、アポッローンは人間の乙女たちと交わって、キリスト教会が尊敬している、たとえばプラトーンのような異教の哲人たちの父親となった、とも言われた[6]。アポッローンには奇跡的に病気を治すカがあるとされた[7]。キリスト教徒たちは、ある病気の場合には、アポッローンのカを借りたいと思った。乙女が裸になって、「裸の乙女が病気の熱を下げようとすると、アポッローンがその熱を上がらないようにしてくれます」と言いながら、患部に触れると、病気は治る、と言われた[8]。
ベネディクトゥス(=話上手な人)という添え名の下に、アポッローンは聖人の列に加えられて、聖ベネディク卜ゥスになった[9]。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
アポローンの出自ならびにアポローン崇拝の起源に関する近代の学者たちの説は、文字どおり諸説紛々であるが、大別すると三つの系統に分けられる。そのひとつは、ヴィラモーヴィツによって強力に提唱され、ニルスンに継承された説であり、アポローンを小アジアのリューディア、リュキア地方に起源する神で、「レート−=アポローン=アルテミス」という三位一体をなすアジア的神格としてとらえる考え方である。この説によれば、小アジアの大女神ラーダー(レートー)を母とするアポローンはリュキア辺に起源を持ち、イオーニア海に浮かぶ諸島を伝わって、その崇拝がギリシア本土に及んだ外地からの渡来の神だということになる。その理由としてしばしば、アポローンにとっての聖地やゆかりの地が小アジアことにもイオーニア地方に多く見出され、クラーロスやディーデュマをはじめとするイオーニア諸都市でアポローン崇拝が盛んだったことが挙げられる。また『イーリアス』において、アポローンが一貫してトロイア側に立ち、ギリシア人に対しては敵対的であるのも、この神が元来は小アジア一帯において崇められていた強大な神格であったことを示唆している、というのである。
これに対立する有力な学説は、H・J・ローズによって代表される、アポローン北方渡来説である。アポローンがその誕生の直後に赴いて一年を過ごじたと言われ、また毎年夏になるとそこへでかけるとも伝えられていたヒュベルボレオイ人との関係を重視し、極北ないし北方地帯にあったと想像されるこの国こそがアポローンの故地であって、北方の牧人たちによって崇められていた牧畜の守護神こそがこの神の本来の姿だと主張する説である。(この説を唱える学者は、「リュキオス(Lykios)、「リュケイオス」(Lykeios)というアポローンの称呼を、「リュコス」(lykos 狼)という語かち出ているものと解し、アポローンは本来「狼神」Wolf-godであり、それゆえに牧畜の守護神であったと見なしている)。
アポローンの出自に関する第三の説は、O・ケルン、R・アリなどの学者によって唱えられているものである。すなわち、アポローンは渡来神ではなく本来のギリシア民族の神であって、最後にギリシアの地に侵入したドーリス族によってことにも祭められていた牧畜の守護神がその本性である、と主張する説である。この説によれば、エーゲ海諸島やアナトリア、小アジアの沿岸にアポローン崇拝が盛んに行われたのは、アポローンがこれらの地で、先住の神である「マンドロス」(これも牧畜の守護神であったらしいが)を押し退け、この神にとって代わったためである、ということになるようである。
アポローンの出自をめぐる諸説は、これに尽きるわけではない。1936年にハンガリーの学者B・フロズニーがアナトリア地方で発見して刊行したヒッタイトの碑文に、「アプルナス」(Apuluna)という神名かあらわれていることが明らかとなり、一部の学者たちは、このオリエントの戸口の守護神こそがギリシアの神アポローンの言わば「遠祖」だと考え、アポローンが東方起源の神であることは疑う余地がない、と主強した。またアムベールのように、以上のいずれの説にも与せず、アポローンがアカイア人(ギリシア人)のものであるオリュムポスの神々とは全く異質な体質をもっていることは認めながらも、この神のアジアからの渡来を否定する立場をとっている学者もいる。すなわちアムベールによれば、アポローンはギリシアー族の神でもなければアジアから渡来した神でもなく、ギリシア人がその地に入る以前から、後のギリシアならびにアナトリア地方全体を覆っていた「エーゲ世界」で崇められていた神絡である。ギリシア人やリューディア人が後に彼らの国となる地に侵入した時点で、そこですでに崇められていたこの神を見出し、これにアポローンの名を与えた、というのである。
ざっと以上のようなところが、アポローンの出自ないしは起源をめぐる諸説のあらましであるが、先に述べたとおり、そのいずれもいまだ決定的な説得力のある説とは認められていない。
しかしながらここに、いずれの立場をとるにしても否定のしようのない明白な事実が二つある。そのひとつは、その起源はどうであれ、ギリシア人の神となって多くの職能・属性を身につけ、他の多くの土俗神・地方神を習合したアポローンが、古典ギリシアの精神を体現する最もギリシア的な神となった、ということである。もうひとつは、ほかならぬギリシア人自身が、アポローンを新来の神、侵入者としてはっきりと意識していた、という事実である。少なくとも、この「アポローン讃歌」ことにも後半部の「ピュートーのアポローンに」の部分は、ギリシア本土におげるアポローン崇拝の中心地において、この神が新来の神、侵入者として意識されていたことを如実に示しており、またこの神が、真にギリシア的な神へと変貌してゆく過程をも反映している、と言えるのである。(沓掛良彦『ホメーロスの諸神讃歌』p.195-197)
アポッローンの神格を形づくる要素のなかには、偉大な女神の神殿で神託を聞くのに使われたあの鼠があったようである。彼の最も古い称号のなかに、アポッローン・スミンテウス =Apovllwn SminqeuvV(「鼠のアポッローン」)というのがある。アポッローンが、なぜ太陽の光がけっしてあたらない場所、つまり地下で生れたかということは、おそらくここから説明がつくであろう。鼠というものは、病気とその治療がともに連想される動物であるから、古代のへレーネスはアポッローンを医術と予言の神としてあがめたのであり、またあとになってからは、アポッローンが山の北がわに茂るオリーヴの木とナツメ椰子の木の下で生れたのだと言いつたえるようになったのである。ヘレーネスはアポッローンを出産の女神であるアルテミスの双生の兄弟だと言い、その母のレートー これはティーターン族のポイベー(「月」)とコイオス(「知性」)の娘で、エジプトやパレスティナではラトという名であらわれるが をナツメ椰子とオリーヴの豊穣の女神だとみなしていた。彼女が南風に運ばれてギリシアへ移ってきたというのは、そのためである。イタリアでは、レートーはラトーナ(「女王ラト」)という名前になる。レートーとヘーラーが争ったというのは、パレスティナから海を渡ってきた初期の移民たちと別の大地母神を信仰する原住民との間に紛争が生じたことを示しているのであろう。レートーがギリシアにもたらしたと思われる鼠に関する信仰は、パレスティナでは深く根をおろしていた(『サムエル前書』第六章・四および『イザヤ書』第六六章・一七)。ピュートーンがアポッローンを追いもとめたという話は、ギリシアやローマの家庭で鼠を駆除するために蛇を飼いならしていたという慣習を思いださせる。しかしアポッローンはまた、リンゴを食べた聖王の精霊でもあった。アポッローンということばは、ふつうにはapollunai「破壊する」ということばから出ているとされているが、むしろabol「リンゴ」という語根から出ているのであろう。(グレイヴズ、p.86)
「アポッローン・スミンテウス」というのは、クレータを暗示している。スミントスはクレータ語で「鼠」という意味だが、鼠はクノーソスだけでなく、ペリシデでも(『サムエル記』上・第6章・4)、ポーキスでも(パウサニアース・第10章・12 ・5)神聖な動物とされていたからである。……アポッローンの神殿に飼われていた白鼠は、疫病や鼠どもが突然侵入してくるのを防ぐ力を持っていた(アイリアーノス『動物誌』第12書・5)。(グレイブズ、p.864)
アポッローンの経歴は、じつにややこしい。ギリシア人たちは彼をレートー 両パレスティナではラトの名で知られる女神の息子だとしているけれども、彼はまた ヒュペルボレイオス人たち(「北風のかなたに住む人々」)の崇拝する神でもあった。このヒュペルボレイオス人というのは、ヘカタイオス(シシリアのディオド一口ス・第二書・四七)ははっきりとブリテン人だと言っているが、ビンダロス(『ビューティアの競技勝利歌』第一〇書・五〇−五五)はリビア人だと考えている。デーロス島がこのヒュペルボレイオス信仰の中心だが、この信仰の行われた範囲は、東南はナバタイアやパレスティナまで、北西はブリテン島にまでおよび、そのなかにはアテーナイをもふくんでいた。この信仰に結ばれていた諸国家のあいだでは、相互にたえず人の往来があった(シシリアのディオドーロス・前掲書)。
ヒュペルボレイオス人たちのあいだでうやまわれていたアポッローンには、ろば百頭の生贄をささげることになっていた(ビングロス・前掲書)というが、これでみるとアボッローンは、「幼児のヘル〔ホルス〕」 彼が仇敵セトを滅ぼしたことを祝って、エジプト人たちが年々野生のろばを崖から追いおとしては生贄にするというあのエジプトの神(プルータルコス『イーシスとオシーリスについて』30) と同じものらしい。ヘル〔ホルス〕は自分の父であるオシーリスがセトに殺された仇を討ったのであるが、そのオシーリスというのは三面相の月の女神イーシス、またはラトに愛された聖王のことで、彼の後継者は夏至と冬至のころになると、この聖王を生贄にする儀式を行ったものだ。また、ヘル〔ホルス〕自身は、この聖王の生れかわりだということになっている。レートーがピュートーンに追いかけられたという神話は、イーシスがセトに2年のうちでいちばん暑さのきびしい七十二日のあいだ)追いかけられたという神話に対応する。そればかりか、ピュートーンは、アポロド一口スの『ホメ一口スのアポッローン讃歌』のなかでも、またロドスのアポローニオスの注解者によっても、いわばギリシアのセトともいうべきテューポーンと同一視されている。だとすれば、ヒュペルボレイオス系のアポッローンは、まさにギリシアのヘル〔ホルス〕なのだ。
しかし、この神話には政治的な修飾が加えられてきている。ピュートーンは、母ヘーラーがゼウスを苦しめるために男性と交わることなくひとりで生みおとした大蛇(『ホメーロスのアポッローン讃歌』305)だが、ここでヘーラーがレートーとたたかわせるためにつかわしたことになっている。アポッローンは、ピュートーン(と、おそらくはその連れ合いのデルビュネーも)を殺したあと、デルポイにある大地母神の神託所を占領した。というわけは、ヘーラーは大地母神だし、ヘーラーが巫女としての姿をあらわしたのがデルビュネーだからである。北部のあるへレーネスが、トラーキアのリビア人たちの加勢をえてギリシアの中央部とペロポネーソス半島に侵入したとき、大地母神を崇拝するプレ・ヘレーネスの抵抗にぶつかったが、結局、母神の主な神託所をいくつか占領したものらしい。デルポイでは、彼らは神聖な神託の蛇を殺し それとおなじような蛇がアテーナイのエレクティオン神殿にも飼われていた 彼らの神アポッローン・スミンテウスの名において神託を奪いさった。スミンテウス (「鼠の多い」)は、カナアンの治療の神エシュムンとおなじく、力ある鼠を象徴としていた。侵入者たちはスミンテウスを、自分たちに加勢してくれた種族の崇拝するアポッローン、つまりヒュペルボレイオスのヘル〔ホルス〕と同一視してもいいという気持にすでになっていた。ただ、デルポイ付近の人心をなだめるために、死せる英雄ピュートーンを記念する葬礼競技を定期的に催し、ピュートーンの巫女たちはひきつづきその地位にとどめたのである。(グレイヴズ、p.120-121)