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Horse(ウマ)〔Gr.i{ppoV

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 15世紀に、教皇カッリストーゥス三世は、今後「ウマの絵のある洞穴」で宗教的儀式を行ってはならないと布告した[1]。だが、それよりもわずか3世紀前の、まだアイルランドの王たちが「白い雌ウマ」から象徴的な形で再生をとげていた頃には、古来からの異教のウマ崇拝は相変らず盛んで、しかも公認されており、キリスト教と共存していた[2]。この白い雌ウマはエポナで、クレータ島のレウキッぺ(「白い雌ウマ」)のケルト版だった。当時のヨーロッパには、アマゾーン女人族のウマ崇拝の名残りが数多く見られ、エポナもその1つだった。

 聖なるウマのエポナは、今でも、(イングランドはパークシャーの)アフィングトンの丘の中腹に立っている。このウマは、体長が370フィートで、キリスト教伝来以前にエポナの信者たちの手でその丘の石灰岩に彫られたものだが、今では観光名所の1つになっている[3]

 イングランドのケント州に侵入したジュート族にとって、ウマは聖なる動物だった。彼らの王と王妃は、へンギストとホーサ(「種ウマと雌ウマ」)という称号を持っており、その娘はヴォルティゲルンの妻になった。キリスト教は王妃(女王)に対して偏見を抱いていたから、尊者ビードは、この「種ウマと雌ウマ」が実は兄弟で、 2人は共同して国を治めたと主張した。しかし、(男性である)兄と弟がどのようにして父母になりえたかについては、彼は何の説明も与えてくれなかった[4]

 双頭の両性具有のウマの像はウマの姿で顕現した神々のシンボルであり、ジュート族の故郷であるユトランド半島では、この双頭のウマの像は、古い家々の屋根からV字形に突き出た2本の垂木の装飾に使われている。この像は、「へンギストとホーサ」と呼ばれ、「幸運」を祈願して取りつけられたものである[5]

 このほかにも、キリスト教以前のウマ崇拝の名残りとしては、モリス・ダンスの踊り手が昔から使っていたあの棒の先にウマの頭のついている「棒馬」、あるいは、ゴダイヴァ夫人Godivaの姿をとって騎乗の儀式を行う女神を見物しようと、『マザー・グース』の中で、パンペリー・クロス(パンペリーの十字路)へまたがっていった例の木馬がある。中央アジアのシャーマンたちも、同種の俸馬にまたがった。「シャーマンは、この『ウマ』のおかげで、空を飛んだり、天界に達することができる。ウマにまつわる神話で顕著なことは、ウマが冥界ではなく葬儀に関連づけられていることである。すなわち、ウマは、神話におけるのイメージであり、したがって、エクスタシーに関するさまざまな思想や技法の中に組み入れられている」[6]の象徴は黒いウマにまたがるという夢で表され、この夢は、「喪失と悲嘆」の前兆と解釈された[7]

 北ヨーロッパの人々は、偉大な戦士の葬儀にはウマが不可欠であると考えていた。異教徒の場合でもキリスト教徒の場合でも、身分の高い軍人の葬儀の列には、誰も乗っていないウマが1頭引かれていったが、これは、軍人の亡霊は、天国へ行くのにもウマに乗る必要があるという原始時代の考え方から来ていた。ウマの鐙にはしばしば故人の長靴がうしろ向きに結びつけられていたが、それは、亡霊の足はうしろ向きについていると考えられていたからだった。古代においては、通常、葬儀のときにウマが生贄にされ、死んだ英雄と一緒に埋葬された。このことは、死後の世界の川を渡してもらえるように、エジプトのミイラと一緒に小舟が埋葬されたのと同類だった[8]

 父神オーディンの8本足の灰色のウマ、スレイプニルは、を表しており、オーディンの聖なる森の中で人間の生贄を吊した絞首台のシンボルだった。北欧の詩人スカルドたちは、この絞首台のことを「首吊りなわを垂らした、背の高いスレイプニル」と呼んだ。絞首台は、人間がの国へルヤルへ行くときにまたがっていくウマだった。オーディン自身によると再生の劇、すなわち、あの当初の9日間の驚異を物語るにあたって、『古エッダ』は、「わたしは、ノルンの座に9日間座り、それからウマに乗せられた。そこでは女巨人の太陽が、雨のしたたり落ちる天界の雲越しに、無気味な光を放っていた。内外ともにくまなしわたしは冥界の7つの世界をすべて通り過ぎたようだった」と述べていた[9]

 古期スカンジナヴィア語のdrasilには、「ウマ」と「絞首台」の両方の意味があった[10]。したがって、オーディンがぶら下がって血を流した「世界樹」イグドラシルは、地球の中心を貫通している「世界軸」であると同時に、「イグルのウマ」であり「イグルの絞首台」でもあった。イグルはオーディンの別名で、オーディンが「の王」とみなされたときの名称、だった。キリスト教徒の手によって悪魔の側に組み入れられると、イグルは、悪魔の大騎手にされ、雲の色をしたウマに乗って空駆ける死者たちの大軍を率いた。イグルYggrという語から、英語のogre(人食い鬼)が生まれた[11]

 オーディンの配下だったアシールたちのウマ崇拝は、もとをただせば、ヴェーダ時代のインドに発していた。ヒンズー教で供犠を遂げた神々は、しばしばウマの姿になったのである。ヒンズー教徒の女王たちは。供犠の儀式の最後に、殺されたウマの男根を自分たちの両脚の間に挿入し、国土と住民のために「精液を生み出して」くださるよう、この「精力旺盛な男神」に祈り、自分らは「雌ウマ-母」に相当する女神サラニューを演じた[12]

 この古代インドの儀式を念頭におけば、オーディンの謎めいた称号の1つであるヴェルシが、なぜ「神の息子」、「ウマの男根」という2つの意味を持っていたのか明らかである[13]。ウマの男根は、「ヴォルスングたち」(ヴェルシの子孫)を自称した「鉄の時代」の騎馬部族から、「息子」と呼ばれて崇められていた。ウマ崇拝は、スカンジナヴィアだけに限られていなかった。ウエールズ人も、同じようなウマ-祖神ウェールシあるいはウェールスを持っていた。スラヴ人も、ウマ-神をヴォロスと呼んで崇めていた。ヴォロスは生贄にされたウマで、そのウマのはらわたと血が「生命の水」を生むと考えられていた。ロシアの民間伝説によると、ヴォロスは、自分の身体を用いて再生の魔術を行うよう英雄に命じたという。すなわち、ヴォロスは「我が身を切り開き、我がはらわたを取り出し、我が血を死者に塗りつけよ」と言った[14]。こうすれば、死者は甦ると考えられていたのだった。

 18世紀になっても、毎年春に去勢儀礼を施されて殺される種ウマが、ヴォロスの化身とみなされていた[15]。人々がどうしてもヴォロス信仰をやめようとしなかったため、ヴォロスはキリスト教の聖人に変えられ、聖ヴラスViasになった。聖ヴラスは、異教のウマ-神という形でしか実在していなかったのである。

 このウマ-神は、古代ローマでは、「10月のウマ」または「切断されたウマ」curtus equusとして知られていた。ウマの身体は、「3人の女王」と呼ばれた聖女たちの手で、複雑な儀式に従って3分割された。ウマが屠殺されるとその尾が切り取られ、尾はその血が祭糧にしたたり落ちるようにと、急いでウェスタの神殿(ローマ人から大地の女陰と考えられていた)に運ばれた[16]。更に古代にさかのぼると、女神にその血を捧げたのは、サラニューやヴェルシの儀式の場合と同じように、ウマの男根だったようである。ウマの姿で顕現した女神には、つねに去勢された種ウマが捧げられた。タウリア人は、「男恨を切除されたウマ」を、生贄としてアルテミスに捧げた[17]

 「大地母神」と「ウマの男根」との血の結婚から、ウマ-神の種族が生まれた。彼らは、エーゲ文明ではケンタウロス、インドではアシュヴインあるいはガンダルヴァの名で知られていた[18]。インドのウマ-神たちは、優れた魔術師であると同時に、音楽と舞踊に秀で、病気を治す専門家であり、女性たちの好色な愛人だった。彼らは、花婿から花嫁を頻繁に盗み取ったということだが、この伝説からは、花婿によらずに聖職者すなわち神の男根によって、花嫁がその処女性を奪われたという東方古代の風習が思い出される[19]
 point.gifFirstborn.

 西洋のケンタウロスも似たような存在であって、彼らは、ミケーネの雌ウマの頭を持ったデーメーテール、または、クレータ島の白い雌ウマのレウキッペーから生まれた[20]。この女神に仕えた聖職者たちは、去勢され女装していた[21]。聖職者たちは、マグネテス(「偉大なる者」)と呼ばれることもあった。ケンタウロスの首領の中には、魔法のウマのアリオンがいた。アリオンは、雌ウマに姿を変えたデーメーテールと種ウマに姿を変えた海の神との交わりから生まれた[22]。キオスにあるトリポタマラ(「3つの小川」)という名の聖なる森には、ケンタウロス-魔術師の幽霊が、今もなお頻繁に出現すると言われている[23]

 ギリシア人たちは、コリントのウマ-巫女たちを「人食いの雌ウマ」と呼んだが、彼女らはまた、聖なる泉ぺイレネ(ペーガソスの住みか)の守護役でウマの仮面をつけていたペガイの名でも知られていた。ペーガソスは、英雄たちを天界へ運んでくれたウマ、すなわちアリオンの別名だった。ペガイの巫女たちは、ベレロボーンとその父親の両方を殺した。ちなみに、この父と子は、再生した神にまつわるあの父親-息子という組み合わせの典型的な1例だった。ディオドロスは、ペガイの巫女たちの狂宴を、エジプトの雄ウシ-神アーピス狂宴になぞらえた。アーピスに仕える巫女たちは、アーピスの身体を八つ裂きにし、女神すなわち大地に代わって自分らがみごもるようにと、アーピスの身体からほとばしり出る血を自分らの性器で受けた[24]

 クレータ島のウマ崇拝の風習から、父親のテーセウスに呪いをかけられ、戦車をつけた自分のウマに引きずられて死んだあのヒッポリュトス(「ウマたちに引き裂かれる男」)の神話が生まれた。ヒッポリュトスは最終的にはキリスト教の聖人にまで列せられた人物だが、彼のにまつわる上記の神話の背後には、原始時代の供犠の風習が隠されていたのである[25]。キリスト教に組み込まれたヒッポリュトスにしても、 8月の女神の聖日にウマに引きずられて死んだのだった[26]。一説によると、クレータ島におけるデーメーテールの愛人イーアシオーンも、ヒッポリュトスと同様に、ウマによって八つ裂きにされたという[27]

 スウェーデンの古代の王たちは、ウマ-ヴアルキューレ、あるいは、女神フレイアに仕えるウマの仮面をかぶったヴォルヴァという名の巫女たちの手で、その身体を八つ裂きにされた[28]。ヴォルヴァは、中世の民間伝説になると、雌ウマに変身できる魔女に変えられた。いずれにしても、ヴォルヴァは、翼を持った黒ウマのヴァルラヴェン(「ヴァルキューレを乗せたワタリガラス」) に騎乗していた北欧の死の女神の、その霊の具現者だった[29]。スラヴ人は、戦闘に出かける前に、(ディアーナ、アテーナー、ベローナなどと同じ)戦いを司る処女神であるの女神に祈願したものである。すなわち、「処女神よ、御身の父の聖なる剣を抜きはなち、御身の祖先らの胸当てや御身の勇敢なる兜を手に取り、御身の黒いウマを引き出させたまえ」と祈った[30]

 ミダース王と王のロバの耳の神話は、ケルトの衣装を着せられ、ラヴラ王( 3世紀頃)を主人公としたアイルランドのウマ崇拝の話に改変された。すなわち、ラヴラ王はウマの耳を持っていたが、そのことを知っているのは床屋だけだった。床屋は、ついに、その秘密をヤナギの木にささやいた。ヤナギは切り倒され、そのヤナギからハープが作られた。ハープは王の耳について本当のことを歌ったという[31]

 ウマを生贄にする儀式は、新たにキリスト教に改宗した王たちが禁止しようと努めたにもかかわらず、ノルウェーでは10世紀になっても行われた。ハーコン王の臣下たちは、王の言うことを聞かずに異教的な馬肉の宴を続けたばかりでなく、無理やりに王自身をもその宴に参加させ、昔からの神々に対して乾杯をあげさせた[32]

 ウマを生贄にする風習は、イングランドでも16世紀まで残っていた。当時、クリスマスの翌日の聖ステパノの日には。「幸運」を祈願してすべてのウマに血を流させるのがしきたりになっていた[33]。「オールド・ホップ」 Old Hobという名の白い馬形が新年の供犠に使われたが、これはドイツのシンメルと同じ「棒馬」で、白い布で身を隠した若い男が操作して、ウマの頭を動かした。ポメラニアでは、新年の棒馬使いシンメルライターが、昔ながらの供犠の踊りをパントマイムで演じた[34]。キリスト教が異教のウマの供犠に反対した結果、馬肉を食用にすることに強い嫌悪感が抱かれるようになったものと思われる[35]


[1]Jung, M. H. S., 234.
[2]Graves, W. G., 425 ; Gelling & Davidson, 92.
.
[3]Larousse, 225.
[4]Encyc. Brit., "Hngist & Horse."
[5]Gelling & Davidson, 127. ; Johnson, 329.

[6]Eliade, S., 467.
[7]Hazlitt, 191.
[8]de Lys, 261.
[9]BaringGould, C. M. M. A., 247.
[10]Turville-Petre, 48.
[11]B. Butler, 153.
[12]Briffault 3, 188.
[13]Turville-Petre, 201.
[14]Maspero, xxi.
[15]Larousse, 228.
[16]Dumézil, 223-25.
[17]Neumann, G. M., 276.
[18]O'Flaherty, 60.
[19]Jobes, 145.
[20]Graves, W. G., 425.
[21]Gaster, 316.
[22]Graves, G. M. 1, 61.
[23]Lawson, 217.
[24]Graves, G. M. 1, 255-56.
[25]BaringGould, C. M. M. A., 271.
[26]Frazer, G. B., 6.
[27]Graves, G. M. 1, 89.
[28]Lederer, 195. ; Turville-Petre, 48.
[29]Guerber, L. M. A., 255.
[30]Larousse, 294.
[31]Pepper & Wilcock, 256.
[32]Oxenstierna, 67-69.
[33]Hazlitt, 57.
[34]Miles, 200.
[35]H. R. E. Davidson, G. M. V. A., 122.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



一般〕 すべての民族の記憶の奥に刻まれているように思える1つの信仰によって、元来ウマは冥界の闇に結ばれている。ウマは血管の中を流れる血のように駆け、大地のはらわたから、あるいは海の深淵から、飛び出してくる。夜と神秘の息子であるこの原型のウマは、破壊者であり勝利者である火と、はぐくみ育てるとともに窒息死ももたらすに結ばれた、と生の使者なのである。ウマの象徴的意味の多様性は主要な「的」形象の持つ複雑なあの意味作用から生じている。そこでは想像力が類推作用により、《》の役の大地とこれを照らすを、と性を、夢と占いを、植物と周期的な再生とを連合させているのである。

 それゆえ、精神分析学者たちはウマを「無意識的心理現象」または「非人間的プシューケー」(JUNA、312)のシンボル、すなわち、「母、世界の記憶」、あるいは「自然の大時計」と結ばれているので、時間(DURS、72)、さらにまた「欲望の激しさ」(DIES、305)などに隣接した元型とした。しかし夜は昼をもたらす。このプロセスで、ウマが元の暗い世界を離れ天に、光のただなかへ昇ることもある。威風堂々白い衣をまとい、そのとき、ウマは的、冥界的であることをやめ、良き神々と英雄たちの国にあり、天界的あるいは太陽的となる。これによりウマの象徴的意味の範囲はさらに広がる。この白い天のウマは制御され、支配され、昇華された本能を表し、それは新しい倫理学によれば、「人間のなす最も高貴な征服」である。しかし、永遠の征服はない。そこでこの明澄なイメージにもかかわらず、我々の内奥では闇のウマが相変わらずその地獄の疾駆を続けているのである。このウマはときに幸運を、ときに不運をもたらす。なぜならウマは他の動物のような、只の動物ではない。ウマは人を乗せ、物を運び、戦争に加わり、その運命は、したがって人間の運命と固く結ばれている。ウマと人の2者の間には特殊な弁証法、すなわち心と精神の弁証法が介入し、平和か争いが生じる。真昼には、勢いのままにウマは盲滅法突進する。そこでしっかりとを開いた騎手がウマの恐慌を見越し、自分の定めた目標へウマを導いていく。しかし夜、騎手が今度は盲目になると、ウマがの見えるものとなり、案内役を務めることができる。ウマのみが理性には近づけない神秘の扉を無事にくぐることができるので、そのとき、命令を下すのはウマである。2者の間に争いがあれば、走行の企ては狂気やをもたらす可能性があり、協調があれば、勝利に満ちたものとなろう。ウマの登場する伝説、儀式、神話、コント、詩などのすべてはこの微妙な賭けの数限り無い可能性を表現しているのである。

《闇と魔力の動物》

中央アジア〕 騎手とシャーマンの国、中央アジアのステップはその伝承や文学の中に冥界的なウマのイメージを保持している。このウマの神秘的な力は、人間の力が止まる所、すなわちの入り口でその人間の力の補いとなる。透視力を持ち、闇に慣れたウマは案内、仲介者、一言でいうと霊魂導師の役目を果たす。〈エル・テシチュク〉についてのキルギスの叙事詩はこの点で意味深い(BORA)。魔術師が奪った自分のを見つけるためには、〈テシチュク〉はいかに英雄でも、いわば自分を捨て、魔法のウマ〈チャル・クイルク〉の「超常」的能力に頼らねばならない。このウマによって初めて、彼は「地下世界」に到達し、その罠をかわすことができるであろうからである。このアジアの「バイヤール(フランスの武勲詩に出てくるウマの名)」、チャル・クイルクは人間のように聞いたり話したりする。この幻想的騎行が始まるとすぐ、ウマは主人に力関係の逆転が起こることを告げて、いう。

 「お前の胸は広い。しかしお前の精神は狭い。お前は何も深く考えない。お前は私の見るものを見ず、私の知ることを知らない。……お前には勇気があるが、知性はない」(BORA、136、106)。そして最後に自分の能力を見事に要約する言葉を付け加える。「私は深い水の中を歩くことができる」。

 しかし、2つの世界に属してはいるが、チャル・クイルタはこのうえもなく残酷な犠牲を払って初めてその間を通ることができるのである。どうしても必要な状況になる度に、彼の力が実際効き目を持つようにするため鞭でたたいて「ヒツジの大きさ」の肉塊をいくつも剥ぎ取ってくれるように自分から騎手に頼む。このイメージは意味深い。それは、毎回、1通りの通過礼儀が行われる、ということである。

 この叙事詩を読むだけで、いくつかのシャーマニズムの伝承の持つ深い意味を究めることができる。たとえば、大部分のアルタイ族では死者の鞍とウマは死者が最後の旅をできるようにと死体のかたわらに埋められる(HARA)。ブリヤート族では病人、一時的にを失ったとみなされた人のウマはの帰還を知らせるよう、主人の寝床のそばにつながれる。が帰ってくるとそれをウマは「震えはじめることで示す」からである(ELIC、199)。シャーマンが死んだ場合には、その鞍下の上に寝かせ、鞍そのものは枕に使われる。そして手に手綱と弓矢を持たせる(HARA、212)。

 ベルティール族では死者のウマは生贄にされる。それはそのウマのが人のを案内するためであるが、それからその肉が上と下の2つの超越世界に慣れ親しんだ、同じく霊魂導師であるイヌ鳥たちに分け与えられることは重要である。この死んだ主人へウマを生贄として捧げることは非常に一般的であり、アジアの原始文明に認められる基本的要素の1つとみなされたほどである(DELC、241)。この生贄は多くのインド・ヨーロッパ語族で、地中海の古代人の間にまであったことは確実である。たとえば『イーリアス』でアキレウスはパトロクロス、彼の「非のうちどころなき友」の火葬の薪で4頭の雌ウマを生贄にする。そしてこれらのウマが死者をハーデースの王国へ導いていくだろう。ウマは透視力と別世界の知識を持つことから、シャーマニズムの儀式において非常に大きな役割も演じる。アルタイのシャーマンの占いの旅の供をする恵みの精霊は、「旅の30日先まで見とおせるウマの」を持っていて、「人間の生を監視し、至高の神にその報告をする」(HARA、112)。シャーマンの神がかりの精神状態を作り出す小道具の大部分はウマと関係がある。たとえば律動的な打音が興奮状態を引き起こし、持続させる儀式の太鼓はウマの皮か、シカの皮が張られていることが一番多い。ヤクート族などはそれをことさらに〈シャーマンのウマ〉と名づけている(HARA、351)。最後に、「他界へ行く」ためにシャーマンたちはしばしば「ウマ杖」といわれるウマの頭の形に曲がった杖を使う。彼らはこの杖を「生きたウマに乗るように」用いるが(同書、333頁)、これは魔女のほうきの柄を思い出させずには置かない。

《ウマに変身した人間、悪魔憑きと秘儀通暁者》

 シャーマンの恍惚の儀式においてウマが占める優越的な位置は、我々をディオニューソスの儀式、より一般的には憑依の儀式と通過儀礼でこの動物が演じる役割の考察へと導く。そして、直ちに、1つのことが確認される。すなわち、小アジアの古い〈密儀〉と同様、ハイチとアフリカの〈ヴードゥー教〉とアビシニアの〈ザール教〉でもウマとこれに乗る騎手の間の役割の「逆転」は最も極限的な結果に到達するまで進むのである。これらすべての伝承の中で、人間、すなわち憑かれたものは自分自身がウマとなり、霊に〈乗られる〉のである。ヴードゥー教の物憑きたちはハイチでも、ブラジルでもアフリカでも、彼らの〈ロア(神)〉の〈ウマ〉とはっきり呼ばれる。アビシニアでも同様であり、「〈ワダジャ〉(物憑きたちの集団舞踊)の際、物憑きは自分の霊〈ザール〉と同一化し、もはやその〈ウマ〉でしかなく、死体のように、霊の気紛れな命令に従う」(LEIA、337)。ジャンメールによれば今世紀初頭のエジプトでは同じ用語を使う同じ祭式がまだ実際に行われていた(JEAD)。

 小アジアのディオニューソスの儀式もこの点、一種の規則と見えるものに対し例外をなすものではない。すなわち、秘儀の信仰者のことを神々に〈ウマ乗りにされた者〉といっていた。馬形の図像がディオニューソス、恍惚の宗儀の開祖の周辺には多い。たとえばディオニューソスの巫女のマイナスたちの友であるシーレーノスやサテュロスなどは、ディオニューソスの酒に酔ってヘーラクレースと戦ったケンタロウロスたちとまったく同じ半人半馬である(JEAD、GRID)。バッコス神の酒宴に関係する伝説のヒロインたちの名前には「注目すべき頻度で〈ヒッペー〉、つまり「雌ウマ」という概念にあたる構成要素や……やはりウマ的資質を思い起こさせる形容辞が含まれている」とジャンメールは明言している(JEAD、285)。多分ここから何故、中国の古い伝承では入門者が秘儀を授かるとき、「若駒」と呼ばれたか理解できるだろう。秘儀を授ける者や新しい教儀の伝播者は「ウマの商人」と呼ばれた。多少とも秘密の入門式を行うことは、「ウマを放つ」と表現された。ウマが人間の動物的構成要素を象徴するというとき、それはとくにウマの本能のよいところを考えてのことで、この場合ウマは透視能力をそなえるものとして現れる。ウマと乗り手は緊密に結ばれている。ウマが人に教える、すなわち直観が理性を照らす。ウマは秘密を教え、正しい道を選んで行く。乗り手の手が誤った道にウマを導かなければ、幽霊や亡霊を発見することはないのである。しかし、ウマは悪魔の仲間になる恐れもある。

 中世西欧の騎士の叙任式には、精神的探究の特権的乗り物としてのウマの象徴体系と相通じるところがある。精神的探求の原型はいわば、ベーガソスに乗るベッレロポーンと怪物キメラとの戦いだからである。

 かくして、霊魂導師や透視者とみなされたのちに、ウマは《憑かれたもの》、神聖な秘儀の信奉者、上位の《霊》が自らを通して発現できるように自分自身の人格を放棄するものとなる。これは「乗せるもの」であり「乗られるもの」というウマが持つ二重の意味の中に示されている受動的な役割である。そこで注目すべきことは、取り憑いた者に馬乗りになりにくるヴードゥー教の万神殿の住民〈ロア〉たちは、全員が地獄の霊ではないことである。最重要な〈ロア〉の多くは、〈白いロア〉、天の、ウラノス的霊である。冥界のシンボルのウマが従って、ここでは肯定的価値化の極限にまでも達する。すなわち「上界」、「下界」の2つの次元がウマを通して区別なく発現する、すなわちウマの意味作用は宇宙的になる。これはヴューダのウマの供犠の象徴的意義と一致するものである。それはアシュヴァメーダ(馬祀祭)という、エリアーデが次に強調するように本質的に宇宙的な性格の祭祀である。「(このとき)ウマは《宇宙》と同一化され、ウマの生贄は創造の行為を象徴、再現する」(ELIT)。

ギリシア〕 ギリシア神話のいくつかの象徴、ベーガソスの象徴もその1つだが、それらは上界と下界の2次元の融合ではなく、一方から一方への移行、昇華を表す。たとえばベーガソスゼウスに雷を運ぶ天界のウマであるが、しかし、元は、ポセイドーンゴルゴーンの愛から生まれたにせよ、ゴルゴーンの血が滴った《大地》から生まれにせよ、冥界的なのである。したがって、ウマは本能の昇華、そして、魔術師あるいは憑かれたものではもはやなく、《秘儀を授かった賢者》を表すといえる。

《死のウマ》

ケルト〕 冥界のシンボルの否定的価値の方は、ウマを、ヨーロッパの民話の「死神」に似た、地獄の先触れ、の現れとする。アイルランドでは英雄のコナール・ケルナッハは「露の赤」というイヌの頭をしたウマを持ち、これは敵の腹を食い破る。ターフリンのウマたち、マッハの葦毛(「アイルランドのウマの王」である)と黒ひづめは人間の知性を持つ。葦毛は最後の戦闘に出る用意を整える英雄の戦車につながれるのを拒み、血の涙を流す。しばらく後に、このウマは主人の死体へと彼の仇を討つコナール・ケルナッハを導いていく。黒ひづめの方は絶望のあまり入水自殺する。

ギリシア〕 のウマ、あるいはの前触れはギリシアの古代から中世までいくらでもあり、ヨーロッパの民間伝承のすべてに広がっている。「古代ギリシア人においてすでに、アルテミドロスの手になる古い夢占いの本にあるように、ウマの夢を見ることは病人にはの兆しである」(JEAD、280)。しばしばウマの頭で描かれるアルカディアのデーメーテールは、地獄の裁判の恐るべき執行者、エリーニュスたちの1人と同一視される。彼女は、またポセイドーンとの間に、ヘーラクレースの乗り物となるもう1頭のウマ、アレイオンを生む。ハルピュイアたち、「嵐と破壊との霊」(JEAD)は頭部が女で胴体がであり、そして雌ウマでもあるという正体不明の姿で現れる。その1人は アキッレウスのウマたちの母で、別の1人はヘルメースディオスクーロイたちに贈る軍馬の母である。ゾロアスター教の悪魔、アーリマンは彼の犠牲者を殺したり、さらったりするため、しばしばウマの姿をとって現れる。

黒いウマ〕 のウマの大部分は、現代ギリシアのの僕(烏も)、カロスのように、黒い。あらゆるキリスト教国におけるようにフランスでも、道に迷った旅人の後を長いあいだ付けて来る地獄の騎馬団ののウマたちもほとんどの場合、黒である。

「ある夜、真夜中近く……
……
ただ1人口ワール川を越え、大十字架に通ずる脇道を通るとき、
ある十字路で、聞こえるように思えた、
くびすを接し、後に追い来る狩りのイヌどもの吠え声が。
傍らに我は見た、黒き大ウマにまたがる、骸骨を。
その者が手を伸ばし、我がウマの尻に乗ろうとするのを見て、
……
恐怖の震えが骨を揺るがせ貫いた」
  (ロンサール『悪魔への賛歌』)

白いウマ〕 しかし、青白い、「蒼白の」ウマもいて、しばしばウラノス的白ウマと混同されるが、その意味はちょうど反対である。これらの青ざめたウマが時折白ウマといわれることがあるにしても、その場合は夜の色を、冷たいの虚無による、色の欠如による白さを読み取らねばならない。一方、昼の、太陽の、熱い白さは、あらゆる色の集合からでき、満ち満ちているのである。青ざめたウマは経惟子か亡霊のように白い。その白さは黒の最も一般的な意味に隣接する。それは「白い夜(眠れぬ夜)」とか「死体の」白さというとき、普通考えられているような、喪の白さである。それは『黙示録』の青白いウマ、ドイツやイギリスの迷信にあるの前兆の「白」ウマである。嵐の間に堤を破壊するドイツの〈白馬の騎士Schimmel Reiter〉、フランスのパ・ド・カレ県の〈白い雌ウマ Blanque Jument〉とセル・シュール・プレンヌの〈白ウマ Bian Cheval〉から、旅人を捕まえてはドゥー川で溺死させる美しい白ウマの〈ドゥラック〉まで、独仏の民間伝承に現れるのは皆、渦巻く水の共犯者、不吉なウマである(DOND、DONM)。中世、棺台は「聖ミカエルのウマ」と呼ばれた。ウマは「の木」を象徴したからである。上のいくつかの例は四大の水と結びついた、のウマの否定的価値づけの例証である。その肯定的価値づけについては後に考察する。最後にアルブレヒト・デューラーの想像力にとりつく、じっと動かぬまなざしの重々しく不安なウマを挙げよう。

言語〕 意味論的に、黒であれ白であれ、まさしくこの不吉なウマがフランス語の〈cauchemar 悪夢〉や英語の〈nightmare〉などの語の源にあるとクラップは考える。またドイツ語の〈mähhre〉(雌ウマ)は語の示すように、冥界の悪魔である(次の語を比較せよ。古代教会スラブ語の〈mora〉「魔女」、ロシア語〈mora〉「幽霊」、ポーランド語〈mora〉、チェコ語〈mura〉「悪夢」、ラテン語〈mors、mortis〉(死神)、古アイルランド語〈marah〉「、流行病」、リトアニア語〈maras〉「、ペスト」、ラトビア語〈meris〉「ペスト」、そしてアイルランド語の不吉な〈Mor(r)igain〉(戦争の女神、モリガン))、(KRAM、229)。

ケルト〕 のウマ、あるいは悪夢のウマがケルトの民間伝承につきまとう。たとえばマルフ・マレン(マレン=ラテン語《malignus》「悪意のある」)は「ブリテン島の3つの災厄」の1つである。またスコットランドの〈ケルピー〉はウマの姿をした水魔であり、ブルターニュの民間伝承は旅人を迷わせたり、水溜まりや沼地に落としたりする悪魔のウマに関する逸話や小話でいっぱいである。この民間伝承では、黒いウマはほとんど魔王か、悪魔か、地獄に落ちた者か、三途の川のほとりをさまようである。あるいは先に引用されたロンサールのあの「呪われた狩りの一団」の主人公の乗り物である。そのような人物で一番有名なのは多分、近づくことのできない獲物を追い掛け永遠に走り続けねばならない運命を負ったアーサー王である。ついでに次のことに注目するのも有意義である。一番古い方の異本では「アーサー王の狩りの一行」は〈白いイヌ〉の群れを率い、典型的なの 動物、ノウサギを追う(DOND)。

 ドンタンヴィルは、このアーサー王はケルトで、ゲルマン人の神ウォータンに対応するものと考える。類似の伝説、《白衣の婦人》の伝説は検討に値する。なぜなら、それは性的な意味を与えることによりウマのシンボルの意味のかたよりを是正し、同時にこの新しい幻想騎行のウマは「輝く白色に」変わっていくからである。「ジュラやペリゴールでは白衣の婦人がざわめく森の上を通り過ぎ、そのとき彼女のウマたちやグレーハウンド犬や猟犬係のたてる音や調子のよいラッパの音色が聞こえてくる。初めは戦闘的で、ついで穏やかになるこの音楽は官能の熱く燃える扉を開かずにはおかぬものである」(DOND、35)。輝く白のウマ、初め戦闘的でそれから官能的な音楽、ここにウマのシンボルの冥界から天界への上昇の始まりがある。

《ウマの生け賛》

 《大地》-《母》、《》-《水》、《性》-《豊餞》、《植物》-《再生》という象徴的連結から、このウマのシンボルの他の側面の発見が可能となる。多くの著述家が、冥界の神々が農耕文明においては農地神となっていく過程を説明している。象徴的変身の中で、ウマもこの規則の例外ではまったくなく、フレイザーがその多くの例をあげている。ローマで騎兵用のウマはマルス神に奉納された(2月27日から3月14日までのエクィリアの祭り、競馬が行われる)。それが軍事遠征の開始のときである。半年の遠征が終わる頃、年に1度、収穫直後になる10月15日にマルス神に捧げられた1頭のウマが生贄となる。その頭は納屋に納められた収穫物への感謝を表すため穀物で飾られた。なぜならマルス神は共同体を敵からと同様に、作物を襲う災厄から守ってくれるからである。ウマの尾は「きわめて迅速に王の家へと運ばれた。それはその血が王の家の炉の上に流れ落ちるようにするためである。……さらにそのウマの血を集め、4月21日まで保存し、その日巫女たちが6日前に生贄にした生まれる前の小羊の血と混ぜたらしい。この混合物はヒツジ飼いたちに配られたが、彼らはそれに他の物をさらに混ぜて焼き、ヒツジの群れを消毒するのに使った」(FRAG、8、40以下)。デュメジルの表現に従えば、このウマの生贄は「王の勝利の一種の資本還元」を構成していた。フレイザーの指摘では「ウマの尻尾を切り取る習慣は、雄ウシの尾を切り豊作を得るための供物として捧げるアフリカ(ギニア、大バッサム)の習慣に似ている。アフリカと同じくローマの習慣でも動物は明らかにムギの霊を表し、その生殖能力はとくに尾に宿ると思われているのである」(同書)。前に見たように、ウマの速力はウマを時間に結びつけるが、そこからウマは時間の持続性にも連関し、また他方の国、寒さの国、すなわち冬を無事に通り抜けるので、ウマは秋から春へ「ムギの霊」を運ぶものとして冬の空を埋め、不可欠な再生を確保するものとなる。「ムギの霊」、あるいはまったく別の穀類の精、というこの同じ役割が、数多くの他の伝承でも、ウマに与えられていることが確認されている。たとえばフランスやドイツで収穫期に村で一番若いウマが祝われて、特別大事にされるのが習慣だったが、それはそのウマを通して、新しい発芽が確保されねばならなかったからである。次の播種までそのウマがムギの霊を体内に持っているといわれたので ある(FRAG、7、292)。

 アイルランドでは、やはりフレイザーの報告する目撃者の話によると(同書、10、293)、聖ヨハネの火の祭りの途中、すべての農民が襖の上を飛び越した後、約8フィートの長さで、一方の端にウマの頭をつけた大きな木の造り物が現れた。それは中に入った人間を隠すため大きな白い布で覆われていた。人々は《白ウマだ!白ウマだ!》と、歓声を上げてこれを迎えた。これを被った者は火を飛び越し、見物人たちを追いかけ始めた。この目撃者がウマはなにを表しているのか尋ねると、〈すべての家畜〉という答えが返ってきた。したがってムギの霊からウマはあらゆる豊餞のシンボルになったのであり、これはウマの精力、衝動的であふれる力を考えれば納得できることである。たとえば、インドのアッサムのガロ族では、収穫の終わりを祝うため、アイルランドの聖ヨハネのウマに非常によく似た白いウマの人形が、ダンスの間、を投げつけられた後、川へ投げ込まれる。水の霊がの周期運動に従い、植物の発芽、成長を支配することは知られている。ウマ-の組み合わせはウマ=米の霊の力を強化するものである。人形の頭は翌年まで保存されるが、同様にローマでも生贄にしたウマの頭は城塞の門の上に釘付けにして保存された、とフレイザーは書いている。

 ウマと流水の親近性はオカ川(ヴォルガ川の支流)の漁師たちに伝わる次の古い伝承によってはっきりと示されている。オカ川は春の初めの4月15日、最後に残った氷がとける日、漁師たちが1頭のウマを盗んで、その日目覚める水の《おじいさん》に(そのウマを溺死させて)贈ることを要求するのであった。「ほら、おじいさん、この贈り物を受け取って、私たちの家族(すなわち私たちの部族)を守ってくれ、と漁師たちはいうのであった」(DALP、878)。他のインド・ヨーロッパ語族もこのように川の水に沈めてウマを生贄にしていたようで、パトロクロスの殺害者たちへのアキレウスのこの呪詛を信じれば、その筆頭はギリシア人である(『イーリアス』21、130以下)。「白銀の渦を巻く美しい川も、お前たちを守ってはくれぬだろう。多くの雄ウシを捧げ、生きながらその渦巻に単蹄のウマたちを投げ入れようと、たしにはならないだろう。ともかくお前たちはおぞましく死んでいくのだ」。

《水の神》

 豊穣の水の「秘密」を共有するウマは地下の水脈を知っている。それゆえにヨーロッパから極東にいたるまでウマは蹄でたたいて泉を吹き出させる能力を与えられているとされるのである。フランスではバイヤールの泉や湧き水が、有名な魔法のウマに乗せられてマシッフ・サントラルの中を行くエモン4兄弟の長い旅の道筋に次々と現れる。ミューズたちの神聖な森にほど遠くないところに〈ヒッポクネの泉〉(ウマの泉)を作り出しこの伝承の端緒となったのはペーガソスにほかならない。ミューズたちはそこに集まり、歌い踊った。「泉の水は詩的霊感を高めるといわれた」(GRID、211)。ここで、ウマは先に再生のときに自然を「目覚ませた」ように、《想像界》を「目覚ませ、発現させる」のである。

アフリカ〕 ウマが雨の神々の化身あるいは補佐ともみなされることが、したがって理解されるだろう。アフリカの〈エウェ〉族では、雨の神は流れ星に乗って空を走り回る。この流れ星が神のウマなのである。マリのバンパラ族では、秘密結社〈クオレ〉の結社員は雨乞いの儀式に翼のあるウマの形をした木馬に跨がる。彼らが呼び出す精霊たちがこのウマに乗って豊穣の雨が降ることを妨げようとするものたちと天空で戦うのである(DIEB)。より一般的にいえば、 バンパラ族におけるウマのシンボルは、ザーアン(ZAHV)によると、速度、想像力、不死性の観念を包含する。それはしたがってベーガソスと非常に近い。類推から、バンパラ族のこのウマは子供と言葉とにつながっている。「演説のエネルギーや言葉の豊かさを連想させる」1つの植物(コロ)が「虚弱な子供を強くするためと、子のできない雌ウマを受胎可能とするために、区別なく使われる」のはそれゆえである(同書、161-162頁)。

 この例はここまでに挙げられたイメージに〈子供〉のイメージを付け加える。この子供は泉のように、衝動的で想像的な力の目覚めを明示する。

《欲望の激しさ》

 しかし、人が思春期の敷居を越えるや、そのときウマは完全に、ポール・ディエルの言葉によると、「欲望の強烈な推進力」の、熱情、豊餞、おしみなさ、それらすべてを含む人間のく若さ〉のシンボルとなる。『リグ・ヴューダ』のアグニ賛歌でこの若さは次のように歌われている。

「気持ち良い豊かさのような、
豊かな住まいのような、
力強い山のような、
救いの波のような、
一気に道を駆け抜けるウマのような
波立つ川のような、そんなお前を誰が止
められようか!」
 (『リグ・ヴューダ』1、65)

 この詩の中で流れる水と火(アグニ)の観念が組み合わされていることは重要である。力、創造力、若さのシンボルで、精神的また性的な価値づけをもされたウマは以後冥界と天界の2つの次元に象徴的に属することになる。太陽的な光輝く意味での白ウマがここで思い出される。この機会に、黒いウマにも2つの象徴的意味があることに注目しておこう。ここまではもっばらのウマとみなしていたものが、ロシアの民衆の詩では若さと勝ち誇る生命力のシンボルになるのである。

 「黒いウマが走る、大地が震える、鼻の穴から炎が出る、耳からは煙が出る、蹄の下では花火が飛ぶ」(AFAN、1、203)。

 妖精物語で婚礼の馬車を引くのはこの黒いウマである。すなわち、それらはまさしく解放された欲望のウマである。つい最近の大衆歌謡が郷愁を込めて思い出しているのもこのウマである。

「おおい、わが若き青春の日々よ、
おおい、わが黒きウマたちよ」

 そして、同じイメージが1964年、旧ソ連の映画監督アレクサンドル・ドヴジェンコの『魅せられたデスナ川』の中でまた取り上げられている。

 「私は年をとった、人生の日は傾き、もう私は飛ぶように駆けることはない。昔が懐かしい、ああ、私の黒いウマに鞍を置きたい。……お前たちはどこにいる、お前たちはどこにいる!」。

 極端になると、雄ウマ、雌ウマ、若い雄ウマ、若い雌ウマという語は〈ウマ乗りになる〉という語と同じあいまいさを帯びたエロチックな意味作用を持つ。1人ならず詩人がこれに想を得て詩を書いた。たとえば、有名な『不実な女へのロマンス』のF・G・ロルカ。

「あの夜、私は走った、
私の一番美しい道を、
真珠色の若い雌ウマに乗り、
手綱もなく、鐙(空ぶ)もなく」
(F・ガッテーニヨ訳『ジプシーの歌』所収、シヤルロ社、アルジェ、1942)

 この現代詩人の暗喩はインド・ヨーロッパのシンボリズムの泉から汲み取られたものである。

大地・母としてのウマ〕 雄ウマが生殖力や本能を、そして昇華作用を通し、精神 の力を表すのと同様、雌ウマが、農耕民族 の信仰を司る《大地-天》の根源的な聖婚の中で《大地-母》の役を演じることが起こ る。豊穣の女神、ウマの頭をしたデーメーテールにはすでに言及した。彼女は耕されたばかりの畑の畝で、死すべき人間の美男のイアソンと交わったといわれる。このディオニューソス的ドラマは単に神話の世界のものとは限らない。シュレーダーの報告するところでは、12世紀、アイルランド王の即位式で、王となる者は荘厳な儀式の中で、白い 雌ウマと交わらねばならなかった。ウマは それから生贄にされ、煮られた肉は、祭りの宴で食べられたが、この宴に王だけは決して加わらなかった。しかし、その後、 王はウマのスープの入った大なべに身を浸さねばならなかった。この儀式の分析から次のことがはっきりとわかる。すなわち、 交接によって人間と雌ウマは天界-冥界結婚を再現するように思える。未来の王は天の神に代わり、獣が表す《大地》を受胎さ せるのである。しかし、このならわしの最後の試練、スープに浸かることによって王は正真正銘の〈子宮回帰〉を行う。大なべは 《大地-母》の腹を、スープは羊水を表すからである。典型的に通過儀礼的性格を持つこの沐浴から、未来の王は、彼が雌ウマの形で目覚めさせた《大地-母》の最も精妙で最も秘められた力を、あたかも第2の胎児期間を経たかのように受け伝えられた後に再び生まれ出るのである。王となる者はこ の二重の操作によって、人間の条件を離れ、 王の条件から切り離しえない、聖なるもの のレベルへと自らを引き上げるのである。

太陽の駿馬〕 元は冥界的なウマが徐々に太陽的、天界的になる。上の例のすぐ後なので驚きを抱かせるのであるが、ウラ ル・アルタイ語族は《大地-天》の聖婚を《白いウマ-灰色のウシ》の組み合わせで表す (ROUF、343-344)。ウマ(もちろん雄である)はここでは天の顕現なのである。

 ウマは太陽の戦車を引き、太陽に捧げられる。ウマは太陽の戦車の御者としてのアポッローンの象徴である。民間伝承ではウマはものを見聞きできる存在であることを忘れ ないでおこう。ランツベルクのヘルラート の『地上の楽園』の細密画では、太陽の戦車は2頑ないし4頭のウマに引かれ、の車はウシに引かれている。これは古いテー マの繰り返しである。先史時代からすでに、 移動を表すため、車の上に太陽は描かれる。 この車がアポッローンの戦車となるのである。 太陽の戦車に乗って天へ帰るミトラ神のよ うに、エリヤはウマの引く炎の戦車に乗って空へ登っていく。聖書(『列王妃下』23、 11)に太陽の戦車への言及がある。サン・ サヴァン修道院のフレスコ画に、紅海に飲み込まれるファラオ(古代エジプト王の称号・太陽の意)の戦車も見られる。

 インドのウマ、〈アシュヴァ〉も同じであ り、アシュヴァは字義通りだと〈入り込むも の〉を意味する。その浸透は〈光〉の浸透であ る。馬頭で、昼と夜の毎日の周期と関係する〈アシュヴィン双神〉は、どちらも太陽のシンボルである雌雄のウマから生まれた息子たちで、〈ダルマ(法)〉と《知識》の化身である。

 アシュヴィン双神とディオスクーロイたちの形態の一致は、M・エリアーデの強調したところである(ELIT)。〈観世音菩薩〉のタントラ教のエンブレムであるウマは四方に広がるその加護の力を象徴する。『パル ド・トドゥル(死者の書)』の中で、南のプ ッダで太陽のシンボルであるラトナサンバ ヴァ(宝生仏)はウマでできた玉座に座っている。これが慧眼と形式美のシンボルであることは確かである。ポール・ヴァレリーは軽やかなダンサーとしてウマを描く。

  「リアリズムと様式、エレガンスと厳密さ が種族的獣性を華麗にも拭い去った存在の 中で調和する。ウマは爪先だって進む。4 つの蹄がウマを支える。騎手の手で苗に吊 られているように、太陽の光をいっぱいに 浴びて細かなステップで進む完全に均整のとれたサラブレッドほど、舞踊団の花形ダンサーに似た動物はない」。

 インドやさらにプラトーン主義のギリシアの書物と同様、仏教関係のテキストでもウ マはとくに精神の車を引く感覚のシンボルであるが、この感覚は「車の主」である〈自 我〉の操縦を受けないと車をあちこちあら ぬ方へと引っ張って行ってしまう。同様に、 『パルド(中有)』の教えは「手綱によるウマ の口の制御」に似るといわれる。

 これらすべてはベーガソスの象徴的意味を思い出させずにはおかない。ここで現れてくるのは翼を持つすべてのウマだけでな く、常に天界-太陽的文脈と関連する神話、 伝承に例が見られる無数のウマ-の組み合わせである。たとえば『リグ・ヴューダ』 で太陽は種馬あるいはである(ELIT、 133)。この類推の鎖をさらに伸ばして、ウ マは敏捷であるところからしばしば天界的意味で、風の顕現とされたりする。アラブの小話では4頭のウマは4つの風を表す。 中国ではウマは〈ヴァーユ〉、風の神の乗り物である。ギリシア神話でこれに対応する ボレアスはエリクトニオスの雌ウマを誘惑 するためウマになり、そうして「12頭の子ウマ」を生ませるが、これらのウマは、「非 常に軽く、麦畑の上を走っても、重さで穂がなびくことはなく、海上を走っても、波 が立つことはなかった」(GRID、66?67)。 しかし、同じボレアスはエリーニュス、次いでハルピュイアからもウマを生ませ、この場合はウマはしたがって冥界-天界の婚姻から、暴力をもたらすものとして生まれてくる。この例に見られるように、この上昇のメカニズムの中でもウマは起源と切り離 されはせず、徐々に戦争のシンボルに、典 型的な戦争用の動物とまでなるのである。

 ローマでは毎年生贄のウマがマルスに捧げられたことは見た。《戦士》は確かに天界と冥界の2つの次元の性質を合わせ持つ。すなわち戦士は戦いでは地獄から来たもののようにを撒き散らすものであり、 勝利あるいはそのによっては天の高みにまで昇るものである。このウマ-戦士はケ ルトの叙事詩に遍在する。ウマ-戦士は、 炎の色、栗毛をしばしば特徴とする。ヌヴ イー・アンーシュリア(フランスのロワレ 県)でケルトの宝物の中に〈ルディオバス〉 (赤)への言葉を刻んだ奉納のウマが見つか った。これは戦争と流血を予告する『黙示 録』の赤毛のウマである。

 ヴェーダの伝承では生贄にされたウマ は《宇宙》を象徴する。『リグ・ヴェーダ』の 太陽の車は1頭または7頭のウマに引かれ る。ウマは太陽の二重の象徴的意味と、そ の二重の誘意性(人を引きつけたり、反発させたりする特性)を持つ。すなわち、輝くときは豊餞の力、夜の闇に隠れるときは危険な力である。ウマはまた葬式の車も引く。

威厳に満ちたウマ〕 太陽の車を引く白いウマは、感覚に対する精神(車の主)の支配の生み出す完成された美のイメージとなる。

 白い、まばゆいばかりの白いウマは威厳のシンボルである。このウマの一番の乗り手は「誠実」および「真実」(『黙示録』19、11)と名づけられた人、すなわちキリストである。『黙示録』のテキストによれば、キリストに従う天の軍勢は白いウマに跨がっている。細密画で天使たちがウマに乗っているのはそれゆえである。フランスのオーセールのカテドラルでは、ギリシア十字で分けられたフレスコ画の中央に白いウマに乗ったキリストが描かれている。右手には王笏を表す黒い杖を持っている。この杖は諸国民に対する権力を意味している。4隅では翼を広げ、ウマに跨がった天使たちが彼を護衛する。白いウマはモンモリヨンのノートル・ダム寺院の地下祭壇では、十字形の後光を背負い、小羊の代わりをする。

 この上昇の極みに、英雄、聖人、精神的征服者の乗り物たる白いおごそかなウマの象徴的形姿が君臨する。すべての救世主的大人物はこのようなウマに乗る。たとえば、インドでは、ヴイシュヌ神のウマの頭をした第10の化身、未来の救済者〈カルキ〉は白いウマに乗って再来するだろう。マホメットも白いウマに乗って新たに到来するとされている。《出家》のためのプッダの乗り物の白いウマは結局、乗り手はなく、プッダ自身の表現である。

 結局のところ、《ウマ》は人類がその記憶に刻み込んだ基本的元型の1つを構成しているようである。その象徴的意味は《宇宙》の2つの極 上方と下方の2極に広がり、したがって真に普遍的である。確かに「下」の世界、《冥界》では、ウマは火、大地、水の3構成要素とこの世界を照らすの化身、あるいは「友」として現れた。しかし、「上」の世界、《天界》ではウマは空気、火そして水(後者2つはここでは天上的意味で使われている)という3構成要素と、この世界を照らす太陽に結ばれてもいたのである。パンテオンのペディメントでは幾頭かのウマは太陽の車を、幾頭かのウマはの車を引く。ウマは常に楽々と造作なく夜から昼へ、から生へ、情熱から行動へと移動する。したがって1つの切れ目のない発現の中で対立物を結びつける。ウマはまず第1に〈発現である〉。それは人間の生との断絶の彼方にあるく生〉と〈連続性〉である。ウマの力は理解を越える。したがってそれは《驚異》であり、先史から歴史時代に渡って人間があれほど頻繁にウマを神聖視したことは驚くべきことではない。あらゆる民族の象徴的動物の中で賢さでウマにまさるのは1つしかない。それはすべての大陸により均等に分布し、ウマと同様に、時間に似て、絶えず、下から上へ、上から下へ、地獄と天の間を「流れる」へどである。この絶え間のない行き来でウマとヘビが使う秘密の道は〈水〉の道である。どちらも泉や川によく姿を現すのはそれゆえなのである。そこで多くの不思議な物語の主人公としてウマとヘビが交換可能ということがしばしばある。または、2つが交わり、ウマとヘビの混じった怪奇な怪物を生み出すこともある。〈大南〉に〈河図〉(河の道筋を書いた図、〈馬図〉とも呼ばれる)をもたらすのはウマードラゴン、〈竜馬〉である。これはキリスト教の《御言葉》の象徴的意味と明らかに関係があり、さらに〈カルーダ〉との比較に導く。ウマは屈原の『離騒』から『西遊記』にいたるまで数限りない中国の伝説で竜の代わりをする。これら2つの場合のどちらでもウマは《知》あるいは《不死》の追求の助けをする。多分、秘密結社の始祖たち、道教の知恵の流布者、阿弥陀の教えの日本への普及者が「ウマの商人(馬喰)」の姿を取ったのもまた偶然ではない。また中国における〈禅〉の普及者、馬祖道一が、名前の語呂あわせから、「突進し、世界のすべての民の上の駆け巡る若駒」であるといわれるのも偶然ではないのである。

神々の乗り物〕 力、速さ、これが『易経』がウマに付与する特性である。ウマは時折、くヴァーユ〉、風の神、四大の気の乗り物である。穆王の8頭のウマは、グラネが示すように8つの風に通じるのであろうか。あり得なくはない。ウマはとにかく中国では典型的に〈陽〉の動物である。昔は星座『馬祖』に生贄を捧げたが、これは畜産業者の伝統を想起させるものである。日本の神社には(生きたウマ、絵のウマなど)多くのウマが見られるが、満足できる説明はやはりほとんどない。ウマは〈カミ〉の乗り物らしい。日本ではウマは長寿の概念とも結ばれている(中国のウマ-ドラゴンの場合もそうである)。

 フランスのタヴァンの教会(12世紀)の柱頭にいるのも竜馬に似た怪物で、裸の騎手が跨がり、4つ足ではって逃げる、やはり裸の魔女を追い掛けている。(DONM、155)

 否定的価値づけでは、ウマは「ガルリの殿」、すなわち呪われた狩人の地獄の乗り物で、その武勲詩はアーサー王のそれと比較すべきものである。

「サラバンドが聞こえるか、
おお、それはガルリの殿の狩りの群れ
ここ、長々と、隊をなして通って行く。
そしてガラッシュオオカミとアルビコウモリが。
ガルリが先頭に行く、
獣の首を持ち
(それはヘビの尾)
そしてヒキガエルの皮膚
を持ったウマに乗って」
  (DOND、32-33)

 ただ1つの神話的形象の中に凝集せず、ウマ-ドラゴンという2項式が2つの項に分裂することもある。そのときそれらは反対の価値を帯び、敵味方に分かれ、生をかけた戦いを開始する。そしてその戦いは善と悪の戦いとなる。もちろん、そこで肯定的な価値を与えられるのはウマである。なぜなら、ウマはシンボルの〈人間化された〉面を表し、ドラゴンの方は、殺す、すなわち捨てなければならない「内なる獣」を表現するからである。聖ゲオルギウスの神話はその例である。
 (『世界シンボル大事典』)


[画像出典]
馬頭観音
 金沢文庫蔵。