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ルシフェル(Lucifer)

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 「光をもたらす者」の意のラテン語で、太陽の日々の誕生を告知した「明けの明星」の神の称号。カナアン人は、この神をシャヘルと呼んだ。現在でもユダヤ人の「朝の礼拝」Shaharitでは、シャヘルに祝福が捧げられている[1]。シャヘルと双子の兄弟である「宵の明星」のシャレムは、太陽の日々のを告知し、太陽に向かって「平安の言葉」(ヘブライ語でshalom、アラビア語でsalaam)を唱えた[2]。シャレムは、兄弟神シャヘルとともに、エルサレム(「シャレムの家」)において崇拝された。シャヘルとシャレムは、ギリシアのディオスクロイ、すなわち、レーダー「世界卵」から生まれた「天界の双子」カストールとポリュデウケースと同じだった。明けの明星と宵の明星は、ペルシアの太陽崇拝でも、「松明を持つ双子」として有名であり、一人は松明を上に向けて持ち、もうひとりは松明を下に向けて持っていた[3]

 シャヘルとシャレムの両者は、太母アシュラの「世界-子宮」の相にあたるヘレル(「深い穴」)から生まれた[4]。シャヘルは、カナアン人の神話によると、自分より高位の太陽神の栄光が欲しくてたまらず、その玉座を侵奪しようとした。しかし彼は敗北し、一筋の稲妻のように天界から投げ落とされた。紀元前7世紀の異教の聖典には、下界に落ちた「明けの明星」に対する次のような挽歌が載せられていた。

 「ヘレルの息子シャヘルよ、御身はなにゆえに天界から落ちたまいしや。そは御身が、心の内にて、『余は天界に昇り、天極のまわりを巡る星たちよりも高位に坐し、北天の奥なる神々の集会のの上に住まん。余は雲の上に昇り、エリオンのごとくならん』と申されしゆえなり」[5]

 そののち何世紀かが経過すると、ユダヤ人聖書記者の一人が、このカナアン人の聖典の一節を聖書の中に借用し、イザヤによって書かれたことにした。

 「黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。……あなたはさきに心の内に言った。『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果てなる集会のに坐し、雲のいただきにのぼり、いと高きもののようになろう』」(『イザヤ書』第14章 12-14節)。

 この聖書記者は、ルシフェルに向かって更に次のように言った。「あなたは陰府に落とされ、穴の奥底に入れられる」(『イザヤ書』第14章 15節)。この「穴の奥底」は、ルシフェルの「母親-花嫁」に相当するヘレル、すなわち、太母アシュラのことだった。ルシフェルが「稲妻-」になって天から落ち、女神の「穴の奥底」に入ったということは、天からの男性の火によって深淵が受胎したことを表していた。要するに、「光をもたらす者」は最高位の太陽神に挑戦して、「母親」との交合を求めたのである。神々の争いを以上のように解釈するならば、いわゆるルシフェルの罪ヒュブリス hubrisの意味も明らかになる。キリスト教会の教父たちはhubrisを「傲慢」と訳したが、しかしhubrisの真の意味は、「性的欲求」だったのである[6]

 事実、聖王たちはみな、ルシフェルやシャヘルと同じように、栄誉ある地位を希求した。すなわち、女神の配偶者となり、(雲に乗って四方へ旅する)天界の中心に立ち、最高位の神と同格の存在になることを求めたのだった。エジプトのファラオたちもほぼ同様の形で栄光を求めていたのであり、このことはペピが「北天にラーと並んで立ち、神々の王と同じく宇宙の王となる」と記されていた[7]。ルシフェルはまた、不死ので稲妻の父にあたるサタの姿になって天下り、地下の冥界に入っていった。したがって、「わたしはサタンが電光のように天から落ちるのを見た」(『ルカによる福音書』第10章 18節)というイエスの言葉の中には、サタのヘブライ名サタンとルシフェルのイメージとがひとつに融合していたのである。

 ルシフェルはキリスト教の時代になっても、稲妻と肉欲の双方に関連づけられていた。すなわち、彼は「空中の権を持つ君」(『エペソ人への手紙』第2章 2節)として、教会の塔に稲妻を投げつけた。ルシフェルはまた三叉の鉾を所持していたが、この三叉の鉾は、東方の象徴体系では、三相一体の女神を受胎させることになっている3裂の稲妻-男根だった[8]

 古代においてルシフェル伝説の起源となったもうひとつのものに、アッシリア、バビロニアの稲妻神で、ゼウスの前身に相当する「嵐の鳥」ズーがいた。ズーは「空を飛ぶ火の」と言われることもあったが、このは稲妻を動物に見立てたものだった。太母ティアマートは、彼女の長男である「神々の父」に、魔力に満ちた「天命の書板」を与えたが、ズーはこの書板を欲しがり、そのために罰せられた。ズーは心の中で、「わたしは天命の書板を手に入れてやろう。そうすれば、神々の神託はわたしの思い通りになる。わたしは玉座について命令を発し、天界の精霊たちすべてを支配してやろう」と思ったのだった[9]

 エジプトでは、明けの明星の神はベヌーと呼ばれていた。ベヌーは、「ラーの霊魂」として知られていたと再生のフェニックスであり、このは、再び甦るため、すなわち、再び「世界に輝きわたる」ために、「世界樹」の上で死んだ。ベヌーの霊は男根を象徴するオベリスクの中に宿っており、このオベリスクは、ベヌーあるいは「ベンベン石」と呼ばれ、地の神である男神と天界の女神との性的結合を表していた。更にまた、ベヌーの男根を表すものに大いなるのアミ・ヘンフ(「炎の中に宿る者」)がいて、この大蛇は、「日の出の」の上に住み、明けの明星と同一視されていた[10]。以上の例からもわかるように、光をもたらすルシフェルの神話については、それが断片的な形でユダヤ・キリスト教の文書に取り入れられるはるか以前に、すでにいくつもの異形がエジプトやメソポタミアに存在していたのだった。

 プラトーンは、明けの明星の神をアステル(「星」)の名で知っており、また、同じ星が夕方には別の位置に現れて宵の明星になることも心得ていた(事実、この両者はともに金星だった)。したがって、プラトーンはアステルをと再生の神そのものとみなしていた。「アステルよ、汝は以前、明けの明星として生きとし生ける者に光を投げ、今はまた、宵の明星としてに臨み、死者たちの間で光り輝いている」[11]

 グノーシス派のキリスト教徒たちは、ルシフェルのもたらす「光」こそが真の意味での啓蒙であり、ちょうどプロメーテウスが人類に文明をもたらすためにゼウスの意に逆らって天上の火を盗んだのと同じように、ルシフェルも神の意に逆らって人間の蒙を啓いてくれたと主張した。聖書の物語も、このグノーシス派の考え方を裏付けるものだった。すなわち、神はアダムとイヴを無知のままにしておくことを希望し、二人に知恵の木の実を食べさせなかった。しかし、ルシフェルがに姿を借りて現れ、アダムとイヴに知恵の「光」を与えた。

 ペルシア人も、自分たちの「大いなる」アーリマンAhrimanが、人間の男女にヘデンの園で知識を与えてくれたと言った。アーリマンも太陽神と双子の兄弟だったが、傲慢のかどで天界から追放された。しかしマギ(魔術師)は、この「大いなる」を自分たちのオカルト的知恵の源泉とみなして崇拝した[12]。多くの場合、痴情の事柄に関しては、アーリマンの方が、彼を天上から投げ落とした「父親」よりも、力があると考えられていた。

 グノーシス派のキリスト教徒は、このようなペルシアの先例の影響を受けたために、エホヴァを悪者とみなし、ルシフェルこそが英雄であり救世主であり人間の味方であって、「天なる父」が油断なく隠している聖なる秘義を人間に明かしてくれる者と考えていた。中性になっても、いくつかの秘密の宗派がこのグノーシス派のルシフェル崇拝を引き継ぎ、ときにはルシフェルを啓示の神ヘルメースと同一視した。このようなグノーシス派の教理は、キリスト教時代の前半においては勿論のこと、後半になってもかなりの間存続していた[13]。ホーホハイムのマイスター・エックハルト〔14世紀初頭におけるドイツの高名な神秘主義的説教家で、ザクセンのドミニコ会牧師。1326年に異端のかどで告発され、その後間もなく死亡した。1329年に公布された教皇大勅書では、神学関係の彼の著作から取り出された28の命題が非難された〕は、「天使ルシフェルは、今でこそ地獄にいるが、完全に純粋な知性の持ち主だったのであり、今もなお豊かな知識を備えている」と述べた[14]

 14世紀には、「ルシフェル信徒」Luciferians と呼ばれたグノーシス派の分派があり、彼らは「ルシフェルを崇拝し、ルシフェルは神と兄弟だったが、不当にも天界から追放されたと信じて」いた[15]。ルシフェル信徒という名が最初に聞かれたのは、オーストリアにおいてだった。この宗派はたちまちブランデンブルク、ボヘミア、スイス、サヴォイに広まった。1336年に異端審問所は、ルシフェルに関して異端的な見解をいだいているという理由から、14人の男女をマグデブルクで火刑に処した。1384年、プレンツラウの1司祭は、自分の教会の信徒全員を、ルシフェルが神であるとか、または神の兄弟であると信じていると言って、非難した[16]

 中世におけるスコラ学者たちの「大問題」のひとつは、何人の天使がルシフェルとともに天界から落ち、何人の天使が天界に留まってミカエルの指揮に従ったかということだった。その道の権威者の中には、「ほとんど」の天使が落ちたと言う者もあり、また、「ほとんど」が留まったと言う者もいた。中には、天使軍の10分の1、9分の1、いやそうではなく、「ドラゴンはその尾によって星たちの3分の1を自分とともに引きずり落とした」とあるから、3分の1が落ちたと言う者もいた。また、神々とルシフェルとの戦いの場所ならびに期間という「大問題」に関して、トマス主義者、スコートゥス学派、聖アウグスティヌス信奉者たちの間で激論が交わされた。戦闘は天と地の間の空中で行われたとか、星たちのいる天空で行われたとか、いや楽園で行われたなどと言われた。戦闘期間は、1瞬、2瞬、または4瞬などと言われたが、学者たちの多数意見では、3瞬ということになった[17]。このように神学者たちは、神がルシフェルを鎮圧するのに長くはかからなかったと考えていたのである。しかし、そもそも、なぜルシフェルの軍が、このうえなく恵み深く、またこのうえなく魅力的な神に対して反乱を起こしたのかという問題に関しては、神学者たちは沈黙を守っていた。おそらく彼らは、心の奥底では、ルシフェルが本当は何を表していたのかを充分に承知していたものと思われる。


[画像出典]
GNOSIS
 ウィリアム・ブレイク「光を掲げる者ルシファー」



[1]Patai, 147.
[2]Hays, 85.
[3]Cumont, M. M., 68, 128.
[4]Hooke, M. E. M., 93.
[5]Albright, 232.
[6]Potter & Sargent, 176.
[7]Book of the Dead, 86.
[8]O'Flaherty, 130.
[9]Assyr. & Bab. Lit., 304.
[10]Budge, G. E., 2, 96-97 ; 1, 24.
[11]Lindsay, O. A., 94.
[12]Legge 2, 239.
[13]Waite, O. S., 195.
[14]Campbell, Oc. M., 513.
[15]Wedeck, 142.
[16]J. B. Russell, 177, 180.
[17]Scot, 422-23.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



 「レトリックを解しないバーバラおばさんの読解力の欠如を示すものか、はたまた牽強付会を補強する意図的な誤読なのか — ともあれ、ウガリット神話のシャヘルがルシファーの原型だというそれなりに魅力的な話は、根も葉もない後付のでっちあげであることが完膚なきまでに明らかになったわけだ」(墨東ブログ)と言うほど事は簡単ではないが、バーバラ・ウォーカーの出典処理の仕方は、いくら非難されても致し方あるまい。彼女は2つの大きな間違いをおかしている。
(1) 彼女が典拠としているAlbrightは、例えばイザヤ書には異教徒(今の場合はカナアン人たち)の神話の痕跡(vestiges)が読み取れる、と言っているのであって、イザヤ書とは別に"pagan scriptures"が伝存している、と言っているのではないのだ。
(2) しかのみならず、彼女は、Albrightが" Helel, son of Shahar (Drawn)!" と訳している箇所を、(自分の所説に都合がよいように)"Helel's son Shaher!" と書き替えて引用した。つまり、Albrightの原典では、「ヘレルはシャヘルの息子」と訳しているのに、彼女は、ヘレルの息子をシャヘルに書き替えたのだ。これは、いかにシロウトといっても、決してやってはならないことであろう。
 Albrightの原文(の訳)は以下のとおりである。

 バール叙事詩中の興味深い挿話 — その中で、アシュタルは、バールが下界にいる間に、その王位を転覆させようと試みる — は、カナアンにおけるハダド・バールシャポンの信従者たちと、アシュタルの崇拝者たちとの間に、初期の間(第2千年紀の中頃より以前に)、厳しい反目があったことを示唆している。アシュタルの敗北は、前7世紀ないし6世紀に引用されたカナアン神話の悲歌(Is. 14:12 ff.)の中に活き活きと述べられている。
  いかにして御身は天より墜ちたるや、
  シャヘル(暁)の息子、ヘレルよ!
  御身は心中に言えり、
  「我は天の昇ろう、
  周極(kôkäbê 'El)の上
  我は王座を建て、
  集会の山に住まわん、
  北の背(säphôn)にあるところの。
  我は雲の背に乗り、
  エリュオン(=バール)のようになろう」と。

 イザヤ書14章12節の "Helel" は、暁の神のカナアンにおける名前であり、ウガリットでは礼拝式のテキストがこれに捧げられている(Albright, p.187)。そして、"Helel" がアシュタルの称号であることは、その脚註において明言しているのみならず、”the LXX would not be likely to be ignorant of its meaning when they translated eJwsfovroV. Its etymology is obscure.”と註している。
 とすると、「暁に上昇する〔星〕」と、「夜明けをもたらすもの(=明けの明星)」との関係について、当のAlbright本人が混乱しているのではないか。B・ウォーカーは、件の箇所をAlbrightの誤訳と判断したらしいのだが……。

 彼女がAlbrightの「シャヘル(暁)の息子、ヘレルよ!」という訳を採らなかったのは、「シャヘルとシャレムの両者は、太母アシュラの「世界-子宮」の相にあたるヘレル(「深い穴」)から生まれた」という前提があるからだが、これの典拠として彼女はHookeの ”Middle Eastern Mythology” を挙げているのだが、Hooke は当該箇所で "Helel" のことは一言も述べていない!  "Helel" は原義不明なのであって、これを「世界-子宮」と解するのは、彼女の完全な思いこみにすぎないのである。

 この箇所は、七十人訳では"oJ eJwsfovroV oJ prwi; ajnatevllwn"〔暁に上昇する「夜明けをもたらすもの(=明けの明星)」〕。
 この"fwsfovroV"〔「光をもたらすもの」を、文字通りにラテン語訳すると、lux+fero=Lucifer。そこでウルガダはこの箇所を”Lucifer, qui mane oriebaris”と訳す。この Lucifer が固有名詞と解され、後に、「堕天使」のことを述べた『第2エノク書』『アダムの黙示録』14章16節、『ルカ伝』10章18節の根拠となってゆくことは周知のとおりである。

 いずれにしても、われわれは、太陽崇拝の残滓を、旧約聖書に窺うことができるのである(シャヘルとヘレルの関係については、もっとややこしい問題を解決しなければならないが)。

 イスラエル定住以前のエルサレムにおけるパンテオンの神々をヤハウェが習合同一化した過程については、今もって正確には分かっていない。豊富な図像学的資料を渉猟したO・ケールに拠れば、太陽神の思想的中核はすでに中期青銅時代から後期青銅時代のエルサレムに根付いていたと考えられる。そもそもイスラエルシャーライームという名称は「シャリム/シャレムによる建設」を意味していた。このシャリム・シャレムがエルサレムの元来の都市神であって、この神名には具象的な要素が含まれている。確かにウガリッド神話(KTU1, 23参照)では、朝焼けの光を表す「シャカル」、それに夕焼けの光を意味する「シャリム」という一対の神が登場する。この一対の神は太陽神を表象している。より正確な消息は不明であるが、ケールはシャリム・シャレム神はこの一対の神、つまり太陽神と関連しているに違いないと推定する。(吉田泰「ヤハウェの太陽神的機能」、『太陽神の研究』所収、p.103)