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トーフー・ボーフー(Tohu Bohu)

 へブライ語で「原初の混沌」の意。 1つの宇宙が崩壊し、再び宇宙が創成されるまでの間の四大の混沌状態。この概念は、生成滅亡は女神(カーリー)が周期的にもたらす、とアジアで広く信じられていたことに由来する。女神自身、「無限の混沌大なべ」または海であり、すべての潜在的な形態をいつでも造形可能な流動状態で保持していた[1]。女神は、聖書(『創世記』 1: 2)によれば、天地創造以前の深淵Abyssであった。

 聖書における神話に関するカルデアの資料には、混沌から秩序をもたらした創造霊は女神であると記されていた。しかし父権制社会の著述家たちは、女神を「神の霊」に変えてしまった[2]。「トーフー・ボーフー」は女神の半流動体の物質、すなわち凝固過程にある経血であった。実際の海を指すと同時に、また神話では女神の経血の海ともみなされていた。オルペウス教徒によれば、それは、「そこから万物が生まれる、永遠の、果てしのない、創造以前の混沌で、闇でも光でもなく、湿っても乾燥しでもおらず、熱くも冷たくもなくて、万物が混在し、永久に無限定なものである」[3]。学者のなかには、 tohuを、始原の海である女神ティアマート(へブライ語ではテホーム)と、 bohuを、「性交による天地創造」を行う大地神ベヘモトと同一視する者もいる[4]


[1]Avalon, 229, 233.
[2]Augstein, 209.
[3]Lindsay, O. A., 116.
[4]Ochs, 94.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)


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 創世記第1章2節をいかに訳すかは、もちろん、「創造」をいかに理解するかと連動している。特に問題なるのがヘブライ語「地は《形なく、むなしく》、闇が《淵》のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた」の部分である。
 ヘブライ語→七十人訳→欽定訳→日本語訳(関根正雄訳)を比較すると、上図のようになる。

語源〕 〈tohu wa bohu〉は、無秩序と無を意味する。天地創造前の原初のカオスにかかわる。この言葉は、天地創造の秩序に先立つ原初の風景に関連して用いられるが〔創世記1:2〕、それ以外に、トーフー〈tohu〉と、ボーフー〈bohu〉という言い回しは、『エレミヤ』と『イザヤ』にもある。最初の天地破壊が問題にされている。
旧約〕 「わたしは見た。見よ、大地混沌とし、空には光がなかった」(『エレミヤ』4:23)。
 旧約中、トーフーは20例、ボーフーは3例見出されるが、両語が繋がって出てくるのは、ここと創世記1:2の2箇所のみである。次行の「天にも光がない」は、創世記1:3の光の創造の逆行。天地の創造以前へと逆戻りする、世界の没落の描写である(岩波版、エレミア書4:23訳註6)。
 イザヤ〔34:11〕も破壊と荒廃に言及している。それは、形の定かでないカオスヘの急変である。
 〈混沌〉は、もともと、形が整う以前の、絶対的にアナーキーな状況、要するにあらゆる形の崩壊を象徴する。それは、個体形成の過程における退行、つまり錯乱状態の言葉である。(『世界シンボル大事典』)

 これに対し、「トーフー・ワ・ボーフー」を「混沌」と訳した関根正雄を津村俊夫は厳しく批判し、旧約聖書におけるこの語の用例を調べ、「植物も生えていなければ、動物もいない、そして(当然のこととして)人もいない」地のことであるとし、「著者または語り手の意図は、……「地」が「まだ」我々が知っているような地ではないこと、すなわち「何もない状態の地」であったことを経験的な普通の言葉を用いて読者または聴き手に予備知識として提供しているだけなのである」(津村俊夫「創世記第一章2節の所謂『混沌』について」)と、大山鳴動して鼠一匹。