人類の最古の文明時代より、月の朔望と明らかに一致して生じ、ときには子宮に滞留して「凝結」し、嬰児となる女性の血の中には、創造の神秘的な魔力があると考えられてきた。男性は聖なる恐れをいだいて、男性の経験とはまったく関係のない、不可解にも苦痛を伴わずに流されるこの血を、生命の精髄とみなした。
月経を表す語の多くはまた、不可解、超自然的、神聖、精気、神性というようなものを意味した。ラテン語のsacerのごとく、古代アラビア語の「清純」、「不純」を表す語は、ともに経血に対して、また経血に対する場合にのみ用いられた。ニュージーランドのマオリ族は、人間の霊魂は経血からつくられ、血が子宮に留められたときに人間の形をとり、成長して人になるのだと断言した[1]。アフリカ人は経血が「固まって人間をつくる」と言った[2]。アリストテレースも同様に、人間の生命は経血の「凝固」からつくられると述べている。プリニウスは経血を、「発生のもとになる物質」と呼んだ。それは凝固物となることが可能で、時の経過にしたがって胎動を始めて、成長し、嬰児となるものであった。ヨーロッパの医学校では、18世紀になるまで、誕生前に経血が果たす機能についての、この原初的な概念を教えていた[3]。
経血についての基本的な考え方はヒンズー教の教理から来ている。太女神が創造を行うとき、彼女の本質(経血)は濃くなり、凝固物、あるいは凝塊を形成する。すなわち固い物質が「外皮」としてつくられるというものである[4]。こうして太女神は宇宙を生んだが、女性は同様の方法を、より小さな規模で用いている。ダウステニオスによれば、「子宮の内部の果実は母親の血によってのみ育つ。……しかるべき時に果実が日の目を見えるまで、溶液は不足することなく果実を育てる」と言う[5]。
南アメリカのインディアンは、すべての人類は、原初に「月の血」からつくられたと言っている[6]。同様の考え方が、古代メソポタミアにおいても優勢であった。メソポタミアでは太女神ニンフルサグは粘土から人類をつくり、自らの「生命の血」をしみこませた。太女神はマメトゥンあるいは陶器師アールールという別名のもとに、受胎のまじないとして粘土で人形を作り、それに経血を塗ることを女たちに教えた。これはアダムの名で行われた一種の魔術で、アダムの女性形はアダマAdamahであり、学者は微妙にもこの語を「赤土」と訳しているが、その意味するところは「血の粘土」である[7]。
聖書のアダムの物語は、粘土と月の血から男性を作ったと語る、より古い時代の女性主導の創造神話からとったものである。コーランの創造物語も同様で、アラーが「流れる血から人間をつくった」と言っている。しかしイスラム教以前のアラビアでは、アラーは女性であり、創造女神アラートと呼ばれていた[8]。ローマ人もまた、本来の創造神話の痕跡をとどめていた。プルータルコスは、人間は土からつくられるが、人間の身体を成長させるのは、月であり、月によって月経が起こると言っている[9]。
神々自身の生命が経血の不可思議な力に依存していた。ギリシアでは、経血を婉曲な言い回しで「超自然的な赤い葡萄酒」と呼び、太女神ヘーラーがその処女の相であるヘーベーとなって神々に与えたものであると言う[10]。
ヒンズー教の原型となっている神話は、この「葡萄酒」がどういうものであるかを明らかにしている。あるとき太女神は自らが創造の精気(カーリー・マーヤー)であることを示し、すべての神々が太女神の至高性を認めた。彼女は「神々を招き、彼女の子宮の血の流れに身を浸しその血を飲むようにと言った。神々は経血を拝領して、生命の源泉を飲み(ここにわたしの血がある!hic est sanguis mues!)その中に身を浸し、祝福を受けて、天に昇った」[11]。
今日に至るまで太女神の経血の浸みたと伝えられる布は、治癒の呪力を持つものとして尊重されている[12]。W. R. スミスは、「アカシアの樹液が護符として重んじられるのは、それが経血の凝固である、つまり樹が女性であるという考え方と関連がある」と報告している。宗教的儀式のさい、オーストラリアの原住民は、赤黄土を本物の女性の経血であるとして、聖なる石チュリンガ(木または石の彫り物で神性とされる)や自分たちの身体に塗りつけた[13]。
神々の秘教の秘密は、長命、権能、創造という神々の持つ神秘的な力が、この経血という女性の精髄から生じたというところにあった。たとえば北欧の神トールは、「女巨人たち」の経血で満ちた川に身を浸して、啓示と永遠なる生命の魔術的世界に到達した。この「女巨人たち」はすなわち原初の母権制社会を意味し、オーディンが東方より「アジア人」(アサ神族)を連れてくる以前に、長老の神々を支配していた「権力者たち」である[14]。オーディンは「母なる大地」の子宮にある3連の大なべから「知恵の血」を盗んで飲み、それによって至高性を獲得した。この「母なる大地」は、東南アジアにおいてカーリー・マーヤーとして知られる三相一体の女神と同じ神である。
オーディンが経血の魔力を盗んだことは、同じ方法で不死の食物を盗んだインドラと対比される。インド神話は神聖な液体をソーマと呼んだ。東方での語源が身体の神秘的本質と関連があるため、この語はギリシア語では「身体」を意味する。ソーマはきわめて大きな聖なる恐怖の対象であり、さまざまな意味に解釈された。
ソーマは原初の海(女神カーリーの「血の大海」、あるいは「乳の海」と呼ばれることもある)を攪拌してつくられた。あるいは「月の雄牛」によってひそかにつくられたともいう。また女魔法使いモーヒニーの「白い壺」(腹)に入れて運ばれたとも、ソーマの根源は月であるとも言われた。ソーマからすべての神々が生まれた。またソーマは太母神の神秘の名前であって、「世界の霊魂」の活動的な部分であった[15]。
生贄を捧げる儀式のさい、聖職者はソーマを飲んだ。治癒のまじないとして用いるときは乳をまぜた。これによってもソーマは乳ではなかったことがわかる。またソーマは月曜日、月の日somvaraにはとくに尊ばれた。ソーマ・ヴァティと呼ばれる古代儀式において、マハラシュトラ〔インド南西部〕の女たちは、月曜日に新月がかかるときはいつでも、女性のシンボルである聖なるイチジクの木のまわりを巡って歩いた[16]。
いくつかの神話は、女神がラクシュミー(「幸運」あるいは「主権」)の名のもとに、インドラにソーマを与えて神々の王としたと述べている。インドラは知恵、力、それに奇妙にも女性と同じように、妊娠能力をもっていたが、それらはラクシュミーの、「地上に住むものは誰も味わったことがない」神秘的飲み物に起因している[17]。女神から直接それを飲むことによって、インドラは女神と同じ力を持ち、女神の虹のヴェールのように「多彩な色を持つ」4つの川と、豊かな牛の群と、実り多き植物に恵まれた「楽園にそびえ立つ山」となった[18]。女神の血はインドラの知となった。同様に、ギリシア人は、人間や神の知恵は、血液に集中していると信じていた。その血液が霊魂を造る成分であり、それは母から与えられるものであった[19]。
エジプトのファラオは「アセト〔イーシス〕の血」、すなわちサーsaと呼ばれるソーマのような神々の食物を摂取することによって神性を得た[20]。saの象形文字は、陰門を表すしるしと同じで、アンクすなわち「生命の十字架」についているような女陰の輪である[21]。赤く塗られたこのしるしは、女性の生殖器と「天国の門」を表した[22]。死者とともに埋められた護符は、アセト〔イーシス〕に祈って、その魔力的血で死者に神性を与えるのに特効があった[23]。
チェットと呼ばれる特別の護符はアセト〔イーシス〕の陰門を表し、赤いもの、碧玉、紅玉髄、赤い磁器、赤いガラス、あるいは赤い木で作られた。この護符はアセト〔イーシス〕の血の持つ甦る力を備えていると言われた[24]。
同じ不老不死の霊薬にペルシアではアムリタamritaという名を与えた。ときにはアムリタは母神の乳、発酵させた飲み物、聖なる血と呼ばれ、つねに月と結びつけて考えられた。「霧と雨が草木の液となり、液が雌牛の乳となり、乳がやがて血に変わる、アムリタ、水、樹液、乳そして血はひとつの霊薬の異なった状態を表すものにほかならない。この不死の液体の入っている容器、あるいは杯は月である」[25]。
ケルトの王は、「妖精の女王」のマブが調合して与えた密酒を飲んで、神となった。マブの名は正式にはメドブ、すなわち「密酒」であった[26]。こうしてマブはラクシュミーのように、密酒である自身を与えたのである。この酒のケルトの名はdergflaithであり、「赤いビール」と「赤い主権」を意味している。ケルト族のいた英国では、赤を塗られることは、女神によって王に選ばれることを意味した[27]。ケルト語のruadhは「赤」と「王の」をともに意味していた[28]。
同じく血の色は、死後、神として崇められることを暗示した。異教の楽園あるいは「妖精の国」は、恥丘の子宮の中心、魔術的な「生命の泉」のある場所であった。大英博物館の古文書は、死して後に甦った「不死鳥」がそこで永遠に生き続けると述べている。中心にある「聖なる山」mons venerisは男性と女性のシンボルをともに持っている。すなわち「生命の樹」と「永遠の青春の泉」であって、後者は太陰月に一度あふれ出ると言われているところから、明らかに月経と思われる[29]。
中世の教会側の人々は、魔法使いが集会で飲む葡萄酒は経血であったと主張したが、これには理由があった。有名な魔法使いのトマス・ライマーThomas Rhymerは、「妖精の女王」の教えを受けて、魔女の儀式に加入した。女王は彼に「わたしはクラレット酒を持っている……この膝の間に」と言って、頭を女王の膝の間に横たえるよう彼を誘った[30]。クラレットは伝統的な王の飲み物であって、また血の同義語でもあり、字義的には「啓発」を意味する。「月の男はクラレットを飲む」The man in the moon drinks claret.という諺は、葡萄酒は月の血を表すという観念と関係がある[31]。
後には魔女崇拝と関連づけられるようになる中世騎士物語と宮廷風恋愛は、タントラ伝承の影響を強く受けた。この伝承では、経血はまさしく詩人と賢人の葡萄酒であった。今もなお「タントラの左手の儀式」に明確に示されているように、女神の体現者である巫女は、この儀式のとき月経期間でなければならず、男性は巫女に触れた後に儀式を執り行い、その儀式によって、彼は、ラジャのごとく蔵の背に乗って旅をする「偉大な詩人」、「世界の王」となった[32]。
東洋と西洋の古代社会では、経血には、氏族や種族の生命を伝える媒体であるところから、最高権威の霊が宿っていた。アシャンティ〔アフリカ西部の旧王国〕の人々の間では、女の子は「血」mogyaの運び手であるため、男の子よりも高く評価された[33]。この概念はインドにおいても明らかに示されている。インドでは経血は「クラの花」あるいは「クラの密酒」として知られ、家族の生命と密接に結びつくものであった。少女が初潮を迎えたときは「花を生んだ」と言われる[34]。英語の花を意味する語flowerは「あふれる(flow)もの」という重要な字義上の意味を持っている。
英国の花の女神は「ブローデュウェッド」Blodeuweddであり、古代の王たちの生贄と関連のある「三相一体の女神」の異形であった。ウェールズの伝説では、ブローデュウェッドの全身は花でできていたという。身体は血の「花」(flower)からつくられるという古代の原則にしたがえば、いかなる身体も花から成り立っていたのである。女神の名ブローデュウェッドは「血の結婚式」を暗示しており、神話では女神は数名の殺された英雄の妻となっている。これは女神の神聖な血は、人間の犠牲によって定期的に新しくされなければならないという古い理念を思い起こさせるものである[35]。
聖書もまた、経血を花と呼び(『レビ記』第15章 24節)、子宮の「果実」(子ども)の先触れとしている。花が未来の果実を神秘的に内包するように、子宮の血は月の花であって、未来の世代の霊魂を内包すると考えられた。これは氏族が母系によって存続するという概念の中心理念であった†[36]。
花
血を表すヘブライ語damは、他の印欧諸言語では「母」あるいは「女」を意味する(たとえば、dam、damsel、madam、la dama、dameなど)。また「呪い」(damn)をも意味する。シュメール語の太母神は母の血を表しており、ダム-キナ、ダムガルヌンナのような名前を持っていた。太母神の腹部から「楽園の四つの川」が流れ出したが、この川はときには、すべての生けるものの「生命」である血の川と呼ばれた。太母神の第1子である「救世主」がダムーで、「血の子ども」を意味した[37]。ダモス(「母の血」)は、母権制社会のミュケナイにおいては「人々」を表す語であった[38]。生命の川に対するもうひとつの、古代の共通したシンボルは赤い絨毯であって、聖なる王・英雄・花嫁がこの上を踏み歩む伝承があった[39]。
中国の道教は、タントラの教義を教えたが、後には父権制社会の禁欲的な儒教がこれに代わった。道教徒は、赤い陰の汁と呼ばれた経血を、女性の神秘的な門から吸収することによって、不死(少なくとも長命)を得ると言った。女性の門はまた「白い虎の小洞窟」として知られ、生命を与える女性の活力のシンボルであった。中国の賢者はこの赤い果汁を、すべてのものに生命を与える陰の原理である「母なる大地」の精髄と呼んだ。黄帝は1200人の女性の陰液を吸収して神となったと彼らは述べている[40]。
中国の神話によると、月経を司る月の女神の嫦娥(こうが)は、その権力を嫉妬する男性に怒りを覚えた。嫦娥が不死の霊薬をすべて持ち、自分は何ひとつないと言って憤る夫と争い、彼女は夫のもとを去って再びもどらず、月に行き、永遠に月で暮らしたという。アダムのもとを去って、「紅海」でひとり住んだリリトとよく似ている。嫦娥は男性が中国の月の祭りに出ることを禁じた。月の祭りは後には女性だけで、秋分のころの満月の夜に祝われるようになった[41]。
道教が行われていた中国では、赤を女性、血、性的能力そして創造力と結びつけ、聖なる色と考えた。白は、男性、否定的影響力、受動、そして死の色であった[42]。これは男性と女性の本質に関するタントラ教典の基本的理念であった。男性の原理は「受動」と「静止」であり、女性の原理は「能動」と「創造」であって、後世の逆転は父権制社会の見解によるものである[43]。
女性の血の色だけが、魔術的呪力を持つとしばしば考えられた。マオリ族は赤く塗り、経血の色だと言うことによって、ものに神聖さを付与した[44]。ベンガル湾のアンダマン諸島の人々は、血の色の赤い塗料を強力な薬だと考え、病人の身体中を赤く塗って治療した[45]。ホッテントットは彼らの「太母神」に「身体を赤く塗りし者」と呼びかけた。女神は経血を落としたり、浪費したりしないがゆえに神聖であった[46]。いくつかのアフリカの種族は、蓋のある壺に9ヶ月間保たれた経血だけが、嬰児となる力を持つと信じていた[47]。
女神イオストレの子宮の古典的なシンボルである復活祭の卵は、伝統的に赤く塗られて、死者に力を与えるために、墓の上に置かれた。ギリシアとロシア南部にともに見られる習慣だが、その源は、黄土で赤く塗られた新石器時代の墓や、埋葬品にまでさかのぼることができるかもしれない。これらは死者がそこから「甦る」ことのできる「大地母神」の子宮に似せて黄土で赤く塗られた。古代の墳墓はいたるところで赤い黄土で塗られた死者の骨を出土している。ときには壁を含め、墳墓の中のあらゆるものが赤色である。J. D. エヴァンズは、赤く塗られた骨の満ちたマルタ島の井戸型墳墓について述べ、骨が「鮮血」にまみれていると思いこんだ人夫たちを恐怖に陥れたという[48]。
オーストラリアを起源とする再生の儀式は、原住民が再生を子宮の血と結びつけて考えていたことを示している。「大地の陰門」であるアンコタで行われる儀式は、赤を強調し、礼拝者たちは赤で取り囲まれていた。「真っ直ぐな道がわたしの前に口を開けている。地下の穴がわたしの前に開いている。洞窟の通路がわたしの前に開いている。わたしは火の焔の中心のように赤い。わたしが留まっている穴もまた赤い」[49]。このような救済のイメージは、東洋のクルクラ(洞穴の女神)と、それに対応する西洋のキュベレーのような女神の最も古いイメージが、洞穴と血の両方に結びついている理由を説明している[50]。
ギリシアにおいて秘儀を授かったものは、アルファ(「始まり」)の名でも知られるステュクス河Styx(「三途の川」)から再生した。この河は大地の内部を7度回って、クリトオル(ギリシア語のkleitoris)の都市の近くの、太母神を祀った女陰の神殿から地上に姿を現した[51]。ステュクス河は大地の膣から流れる血の河であって、河の水は経血と同じで恐ろしい力を持つと信じられていた。地上の男が母親の血にかけて誓うように、オリュムポスの神々はステュクス河の水にかけて、絶対に破れぬ誓いを誓った。
ステュクス河の水で洗礼を受けることは、世界中の多くの聖なる河の場合と同様に、死と再生の象徴に結びつく。イエス自身は、パレスティナのステュクス河であるヨルダン河で洗礼を受けた。ある男はこの河に7度身を浸すと、「その肉がもとにかえって幼子の肉のようになり、清くなった」という(『列王紀下』第5章 14節)。ギリシアの伝説では、死の国への旅はステュクス河の徒渉を意味し、ユダヤ人のキリスト教徒はヨルダン河を渡った。これはトマス・ライマーが「妖精の国」へ行くときに渡った「血の河」と同じ河である。
タントラ教典の経血崇拝は、キリスト教に広がる以前のギリシア・ローマ世界に浸透し、グノーシス派の時代には基盤が確立していた。この崇拝はアガペーagape(「愛餐」、あるいは「霊的結婚」)を定めとしており、「拝蛇教信徒」Ophitesのようなグノーシス派キリスト教徒が、これを行った。アガペーのもうひとつの名は「シャクティスムの道」synesaktismであり、タントラ教典の女陰崇拝を意味している[52]。「シャクティスムの道」は7世紀にいたる以前に異端の宣告を受けた[53]。続いて「愛餐」も消滅し、聖パウロの定めによって、キリスト教礼拝に女性が直接関係を持つことが禁じられるようになった(『テモテへの第1の手紙』第2章 11-12節)。
エピファニウム〔315?-403。サラミスの大司教〕は拝蛇教キリスト教徒によって行われたアガペーについて叙述しているが、彼がこの異教の性的行動に恐怖を覚えたことは明らかである。
「彼らは女性の教徒を共有していて、教義を異にすると思われる者が来ると、男も女も彼らだけにわかるサインで、互いに知らせ合う。手をさしのべて、一見挨拶を交わすように見え、実は手のひらを特定の方法でくすぐる。これによって新来者が彼らの教義に属しているかどうかを見分けるのだ。……夫は妻と別々になり、男は自分の伴侶にこう言う。『立って、おまえの兄弟と愛餐(アガペー)を祝福しに行くように』。そして人でなしどもは互いに乱交を行い、……ともに激しく淫色に耽った後に……女と男は、男の射精した精液を手に受けて立ち上がり、『万物の原初的存在』である『父』に、手に受けたものを捧げて言う。『あなたの御前に、キリストの身体そのものであるこの聖体を捧げます』。彼らはそれを飲み干して、彼らの恥の聖餐を受けて言う。『これはキリストの身体であって、また過越の祭りの生贄であります。この生贄を通して私たちは苦しみ、それによってキリストの苦しみを私たちの苦しみとするのです』。
女性が月経期にあるときは、彼らは経血をもって同様のことをする。不潔な血の流れを受けとめ、取り上げて、皆で飲む。そして、それはキリストの血である、と言う。それというのも、彼らは『黙示録』に、『河の両側には命の木があって、12種の実を結び、その実は毎月みのり』(『ヨハネ黙示録』第22章 2節)と書かれているのを読むとき、これを毎月起こる月経の暗喩と解釈しているからである」[54]。
この拝蛇教信徒の秘蹟が信者に対して持つ意味は、これと対比されるタントラ教典の秘蹟からも容易に見出すことができる。再生の生きた実体を食べることは、かの死んだ身体を食べることよりも、パンと葡萄酒という神の身体の変形を食べる場合よりも(もっとも、色のシンボルは白と赤で同じであるが)、さらに「霊的」であると考えられた。
「精液が偉大な情熱の火に溶けて、『母』のハスの花の中に落ち、赤い要素と混じり合うと、男性は『昔ながらの悟りの曼陀羅』を成就する。その結果生じた混合物は結合した『父-母』(ヤブ-ユム)によって味わわれ、それが喉を過ぎるとき、彼らは独特の歓喜を具体的に感じる。……ボディシッタ(精液と経血の結合から生じた滴り)はヨーガ行者(男性)に運ばれ……彼のそれぞれの神秘的な血管と中枢神経に活力を与えて、ブッダの言語機能を作り上げる。「秘儀入信の儀礼」という語は秘密の物質を味わうことに由来する」[55]。
タントラ教典のオカルト用語では大儀式(マハールッティ)の二つの構成要素は、精液sukraと経血raktaであった。儀式を執り行う巫女は、月の活動力が上げ潮にのるよう、月経期間中でなければならなかった[56]。巫女は経血raktaの持つ力を具現した。raktaはときにはrukh、あるいはrugとも訳され、ヘブライ語のruach(「精神」)とアラビア語のruh(「精神」と「色」をともに意味する)と同語源である。タントラ教典と、それに関連する信仰のすべてを通じて、女性の赤と男性の白の合体は、「深遠な重要性を持つ象徴的結合」であった[57]。
タントラ教典を自己流に実践したスーフィー教徒は、ruhは女性で、赤であると言っている。それに対応する男性のsirrは「意識」を意味し、白であった。赤と白は、スーフィー教のハルカhalka(魔法の輪)の中で交互に並ぶ。ハルカはタントラ教典のチャクラchakraに対応するもので、「行動的スーフィー教教義の基本単位であり、中枢」と呼ばれるものであった。赤と白の飾り玉を交互に重ねたアラブのロザリオは同様の意味を持っており、西欧の多くのフォーク・ダンスに見られるように、輪になって対を組む男性と女性を表している[58]。
タントラの大地母神と同じ名の女神タラTaraを崇拝していた異教時代のアイルランドでは、魔法使いたちが男女交互に並び、「妖精の輪」をつくって踊るとき、赤と白の服を着た[59]。タントラ教典のチャクラと同様に交互に並んだ男と女は、時計の針の動きと反対に、月の回転と同じに動きながら踊った。今なお残る輪踊りのほとんどが同じ向きで踊っている。赤と白の色は「妖精の世界を表していた」[60]。
儀式はしばしば年老いた女性によって取り仕切られた。古代では、「知恵の血」を永遠に体内に保持しているため、閉経後の女性は人間の中で最も賢いと信じられていたからである。17世紀になってもなお、年老いた女性は、経血を血管に保持しているため、魔法の力に満ちているのだ、とキリスト教の著作者たちは主張している[61]。魔法使いと目されて老婆が絶えず処刑されてきた真の理由はここにあった。古代の氏族組織においては、老婆は「知恵の血」を持つために指導者となったが、新しい父権制社会の信仰のもとでは、同じ理由によって恐怖の対象とされたのである。
経血は母権制社会の理論の中心的位置を占め、早くから「神聖にして畏怖すべきもの」sacerであったため、父権制社会の禁欲的な思想家は経血に対してほとんどヒステリカルな恐怖をいだいた。
マヌ法典〔紀元前200-後400年に形成された古代インドの法典〕は、もし、男が月経中の女に近づいたら、その男は知恵、活力、視力、力そして生命力を失うであろうと述べている。タルムード〔ユダヤの法律と伝承の集大成〕は、月経中の女が2人の男の間に入って歩いたら、その男たちの中のひとりは確実に死ぬだろうと述べている[62]。バラモン教は、月経中の女と寝た男は、バラモン殺しに対する罪の4分の1に等しい厳罰を受けなければならないと規定した。バラモン殺しは、バラモンの想像しうる最も重い罪であった。
ヴェーダの神話は、法を保つという構想を持って作られており、ヴィシュヌ神が、月経期にある「大地女神」と敢えて交わった結果、大地女神は、世界を破滅の危機に陥れそうになった化け物たちを生んだという神話がある[63]。
これはタントラの「大儀式」Maharutiと対立する父権制社会の主張であって、タントラの大儀式では、経血は精髄となる要素であった。カーリーの洞穴神殿において、カーリーとシヴァの2神は陽と陰のかたちをとり、カーリー神の像は生贄の血を膣孔より噴出し、シヴァ神の聖なる男根に浴びせている。礼拝者たちはそれにならって、男性と女性、白と赤の結合によって生じる宇宙の生命力を保持するための饗宴を開く[64]。この「大儀式」において、シヴァは、彼と対比される中近東の神々と同様に、「油を塗られた者」となった。「油を塗られた者」のギリシア語訳がクリストス christosであった。
ペルシアの族長たちは、バラモンの先例にならって、月経中の女性は毒のごとく避けなればならないと主張した。彼女たちは悪魔に属していて、太陽を見ること、水中に座ること、男に話しかけること、祭壇の火を見ることを禁じられていた[65]。月経中の女性を一瞥することはゴルゴンの一瞥のように恐れられた。ゾロアスター教徒は、月経中の女性と寝る男は悪魔を子として得、冥界で口に汚物をつめこまれて罰を受けると信じていた[66]。
ペルシアの宗教は、最初の月経は超自然的な蛇と交わることによって起こるという、一般に信じられていた原始的な考えを取り入れた。父権を未だ認識していなかった人々は、同じく蛇が女性を豊かにし、妊娠するのを助けると考えた[67]。
このような信仰はミノア文明の中心地であるクレータ島でも優位を占め、ここでは、女性と蛇が神聖であり、男性は神聖とされなかった。聖餐(葡萄酒)を注ぐための管形の口のついたクレータ島の器は、女性の膣を表し、内部にはうずくまる蛇の姿を持つ[68]。
古代の言語は蛇に、イヴと同じ名を与えたが、この名の意味は「生命」であった。さらに、最も古い神話では原初の1組は女神と神でなく、女神と蛇であった[69]。女神の子宮は蛇が住んでいる楽園の庭であった。
プリュギアのオピオゲネイス(「蛇から生まれた人々」)は、彼らの祖先にあたる最初の男性は楽園に住む「大いなる蛇」であったと言う[70]。パラダイス(楽園)は「処女としての女神」の名であって、「母神ヘーラー(大地)」と同一視された。ヘーラーの処女の姿がヘーベーであり、ギリシア語の綴りはEveである。処女神ヘーラーはデルポイの「子宮-神殿」の神託を告げる蛇となるピュートーンを処女懐胎した[71]。「母なる大地」の子宮に住む蛇は、世界の知恵の血に触れているため、あらゆる知を所有していると考えられていた。
最初の女性と蛇が分かち持つ秘密のひとつが月経の秘密であった。ペルシア人は、月経は最初の母によってこの世にもたらされたと主張している。この最初の母を彼らは「娼婦ヤヒ」Jahi the Whoreと呼んだが、彼女は天界の父に反抗するリリトLilithのような女性であった。ヤヒは「大いなる蛇」であるアーリマンと交わった後で、最初の月経を見た。のちになって彼女は、聖なる生贄の雄牛を仲間として、楽園の庭にひとりで住んでいた「最初の正しき行いの人」を誘惑する。男はヤヒが手ほどきをするまで、性については何も知らなかった[72]。
ユダヤ人は、ペルシアの神話から細部を多く借りている。ラビの伝承では、イヴはエデンの園の蛇と交わった後に初めて月経を見、アダムはイヴが教えるまで性について無知であったという[73]。イヴの最初の子カインは、アダムではなく蛇によって得られたと広く信じられていた[74]。蛇を妊娠と月経に結びつける信仰は、数世紀にわたってヨーロッパ中で信じられていた。最近に至るまでドイツの農民は、女性が蛇によって妊娠することを信じていた[75]。
蛇によって初潮を見たかどうかはともかく、月経の出血はペルシアとユダヤの族長たちに大きな恐怖を引き起こした(『レビ記』第15章)。ラケルは父のテラピムteraphim(家で祀る神)を駱駝の鞍の下に入れてその上に座り、自分は女の常のことがあるので、近寄ってはならないと父に告げ、うまくテラピムを持ち去ることに成功した(『創世記』第31章)。
今日に至るまで、正統派のユダヤ人は、月経中であることを恐れて、女性とは握手をしない。またユダヤ人は、ヘシオドスが定めたと思われる戒律〔『仕事と日々』753-4行〕を受け入れ、それによると、経血がわずかでも残っているかもしれないという理由から、男性は女性が前に使った水で身体を洗ってはいけないことになっていた[76]。
同様のタブーは多い。古代世界で最も恐れられた毒は、テッサリアの魔女が集めた「月の露」であって、これは月食の間に流された少女の初潮の血であると言われた[77]。プリニウスは月経中の女性が触れると、畑の果実は枯れ、葡萄酒は酸っぱくなり、鏡は曇り、鉄は錆び、ナイフの刃は鈍くなると言った[78]。もし月経中の女の指が蜜蜂の巣に触れたら、途端に蜜蜂は飛び去り、決してもどってこないだろう[79]。もし男が月食のときに月経中の女と寝るなら、その男は間もなく病に臥して死ぬであろうと言われた[80]。
キリスト教徒は、古代の族長の迷信による恐怖をすべて受け継いだ。聖ヒエロニムスは記している。「月経中の女性ほど不潔なものはない。触れるものすべてを不潔にしてしまう」。7世紀にカンタベリー司教のテオドルスによって定められた悔罪総則は、月経中の女性が集会に出たり、教会に入ることさえ禁じた。モーで開かれたフランス教会会議において、月経中の女性は教会に来ることをとくに禁じられた。8世紀から11世紀にかけて、多くの教会は月経中の女性が教会の建物に近づくことを、いかなる場合であろうと禁じてきた。
1684年になっても、「出血」している女性は教会の扉の外に留まるように、なおも命じられた[81]。1298年にウェルツブルクの教会会議は、月経期の女性に近づかないようにという命令を下した[82]。迷信は20世紀にまで及んで、あるスコットランドの医学書は、経血は全世界を破滅に陥れる力を持つという趣旨の古詩を引用している。
おお、血を流す女よ、おまえは悪魔だ。
万物はその悪魔から完璧に遮断されなければならない。[83]
キリスト教徒の女性は、『独住修女の戒律』にあるように、自分の身体の持つ「不潔」を軽蔑するよう命じられた。戒律にはこう記されていた。「おまえはけがれた粘液でつくられたのではないか?おまえはつねに不潔で満ちているのではないか?」[84]。
16世紀の医学者たちは、「デーモンは月経の流出した血からつくられた」という古い信仰を相変わらず述べ立てた[85]。その眼に睨まれた人間は死ぬという伝説上の怪物バシリスクは、経血から生まれたデーモンのひとりであった[86]。この伝説は明らかにギリシア・ローマ神話のゴルゴンから来たもので、彼女は蛇の頭髪と知恵の血を持ち、見る人を石に化したという。ゴルゴンと、経血で描かれた赤い十字架はかつては最も強力な禁忌(タブー)であった[87]。ポリネシア語のtupua(神聖な、魔力を持つ)から派生したこのタブーという語は、きわめて的確に経血を言い表している[88]。
原初の人々が、恐怖をいだくとともに経血の効力をも信じていたように、中世の農民は経血に治癒・育成・豊穣の力があると考えた[89]。ある人々は、月経中の女性が畑を歩いたり、畑の中で陰部を出したりすると作物が丈夫に育つと信じていた[90]。農家の女性は経血の浸みた袋に種を入れて畑に運んだ。エレウシースの豊穣を司る巫女の風習がそのまま残っていたのである[91]。医者でさえ経血はハンセン病を治し、催淫剤としても効力があると考えた。モンテスパン夫人は恋人であったルイ十四世の恋情を煽るために経血を用い[92]、ジプシーの間では、女性は自らの経血を用いればどんな男の愛でも得ることができると言われた[93]。
古代において経血は再生への媒体であったため、ときには死そのものを治す力があると言われた。公子ロウランド〔childe Roland、スコットランドの古いバラッド〕の物語では、小妖精の王が「輝く赤い液体」を用いて魔法の死の眠りについている人々を呼び起こす[94]。初期の騎士物語は、ある産婆が円卓の騎士ギャラハッドに啓示したように、この普遍的な万能薬を「気高い処女の血」と結びつけて考えた[95]。同じ信念にもとづいて、ルイ十一世は少女の血を飲んで死から逃れようとしたのである。
ヴィクトリア朝時代の迷信では、月経期間に受胎した子どもは大網膜〔羊膜の一部、水難除けのお守りと言われる〕をつけたまま生まれ、魔力を持つとされた[96]。19世紀の医者は魔術と悪に関する前時代の人々の考えを受け継いで、月経期の女性は不健康で、交わった男性は尿管炎瘻や淋病になると主張した。アウガスタス・ガードナー†の説では、性病はふつう女性から男性に感染し、その逆はあり得ないという[97]。未開人の月経に関するタブーについて語るとき、人類学者は女性を、「頭がおかしく」、「毎月具合が悪くなり」、「女性に共通の病気にかかっている」者として記述している[98]。
アウガスタス・キンズリィ・ガードナー
19世紀後半の著名な医者。あらゆる方法の産児制限に反対した。彼の意見によれば、産児制限は「ただちに、かつ確実に」精神病や神経衰弱を引き起こすという。
20世紀においてさえ、ある医師はこう記した。「われわれは、この月に一度の訪れを不健康な状態の期間とみなして、その間は通常の仕事を中止したり、軽減したりすべきだという意見の重要性を、いくら強調しても強調しすぎることはない」[99]。
現在でも中世とまったく同様に、カトリック教会は、揺るぎない神学的基盤に立って考察し、女性の聖職叙任に反対する議論に見られるように、月経中の女司祭は祭壇を「汚染する」という考え方を推進している。これは閉経後の女性を閉め出すものではないが、彼女たちを閉め出す口実はまた別に用意されているのだ。聖なる「生命の血」は、かつては女性に属し、実体のあるものであった。しかし現在は男性に属し、象徴となっている。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
「聖書もまた、経血を花と呼び(『レビ記』第15章 24節)」
これはバーバラ・ウォーカーの勇み足。当該箇所を「花」と訳しているのは、欽定訳のみである。
And if any man lie with her at all, and her flowers be upon him, he shall be unclean seven days; and all the bed whereon he lieth shall be unclean.興味深いのは、天理教の教祖中山みきが、その説教のなかで経血を花に譬えていることである。
それそれ、あの南瓜や茄子を見たかえ。大きい実がなっているが、あれは花 が咲くで実が出来るのやで。花が咲かずに実のなるものは、一つもありやせん で。そこで、よう思案してみいや。女は不浄やと、世上で言うけれども、何 も、不浄なことありやせんで。男も女も、寸分違わぬ神の子や。女というもの はな、子を宿さにゃならん、一つの骨折りがあるで。女の月のものはな、花や で。花がのうて実がの〔ママ〕ろうか。よう、悟ってみいや。南瓜でも、大き な花が散れば、それぎりのものやで。むだ花というものは、何んにでもあるけ れどな、花なしに実るという事はないで。よう思案してみいや。何も、不浄や ないで。一(『天理教教祖伝.逸話扁』) (ヘレン・ハーディカ「新宗教の女性教祖とジェンダー」、『ジェンダーの日 本史・上』所収)
また、漫画家つげ義治の『紅い花』も、やはり経血の表象である。
折口信夫の神婚論では、当然ながら神霊に交わる女性に血穢は認められていない。月経・出産に伴う出血について、折口は次のように述べている。
槻の木は、月経その他の場合にこもる、つきごもり(晦日の語原)の屋の辺に立つてゐたのだ。斎槻も其だ。……物忌みの為の、別室である。月経を以て、神の召されるしるしと見なして、月に一度、槻の斎屋に籠らしたのだ。
と記し、月経の血は神霊と性交するための神の印ととらえた。むしろ月経の間は、ひたすら神に仕えるという役割を担わされているというのが折口の理解であり、ここでは、とうてい「穢れた血」という認識などは生じていない。
さらに折口はこういう。
月のはじめは、高級巫女の「つきもの」の見えた日を以てした。月の発つ日で、同時に此が「つきたち」である。神の来る日が元旦であり、縮つては、朔日であるとか考へた。
(『小栗判官論の計画』)
この考え方は、月の動きと女性の体液である血との関係を示している。……女の血が宇宙の根源に関わることを言いあてて妙である。月立ちが月経のはじまりで、神の印となる。その血を見て神が訪れ、巫女と性交が行われてやがて神の子が誕生する。これは聖なる時間の出来事であり、このかぎりにおいて産血や月経は神聖なる血なのである。
(宮田登『ケガレの民俗誌:差別の文化的要因』)