[Antiphon略伝] B.C. 480c.-411 アッティカ十大弁論家の最初の人。彼はまた、報酬を受け取って弁論を代筆したlogographosの最初の人でもあった。あのThucydidesは、たぶん、彼の弟子の一人であったろう。 彼の経歴はよくはわからないが、411年、「四百人」による民主制転覆の政変において、重要な役割を演じた。しかし、この政変は8か月あまりで倒壊、Antiphonは死刑を求刑された。 「かれが一命を賭して己れの無罪を弁じた論述は、今日までに筆者が知りえた数ある例の中でも、とくに秀逸なものであった」(Thucydides『戦史』第8巻68章、久保正彰訳) にもかかわらず、処刑された。Antiphonの弁論は頭が切れすぎて、あまり一般受けはしなかったと言われている。 しかし、殺人事件の法廷においては腕利きであったと考えられる。現在に伝わる彼の作品6編は、いずれも殺人事件をあつかったものである。このうち、「四部作」と呼ばれる3編は、やはり殺人事件をめぐって、原告・被告双方がそれぞれ二度ずつ弁論を試みるといった場面が想定されているが、おそらくは実際の事件ではなく、一種の模擬弁論であったろう。また、彼の真作だという証拠もない。 《第5付録》アンティポン伝 |