第2巻・第4章
第1章[1] アテナイにおける党争(stasis)はかくのごとくにして終結した〔BC 401〕。さて、その後、キュロスが使者たちをラケダイモンに派遣し、〔ラケダイモン人たちと〕アテナイ人たちとの戦争のさいに自分がラケダイモン人たちに寄与したと同様、ラケダイモン人たちも自分に寄与するよう要請した。そこで監督官たちは彼の言うことが義しいと考えて、時の艦隊指揮官 サミオスに、キュロスが何か必要とすることがあれば臣従するよう通達した。彼もまたキュロスが要求したことを実に熱心に実行した。すなわち、自分の艦隊とキュロスのそれとをともに率いてキリキアに廻航し、 キリキアの支配者 シュエンネシスが、大王〔キュロスの兄、アルタクセルクセス2世〕攻撃に向けて進軍するキュロスに対し、陸上で邪魔だてできないようにしたのである。 [2] しかしながら、いかにしてキュロスが軍隊を結集し、これを率いて自分の兄〔アルタクセルクセス2世〕に向かって攻め上ったか、戦闘〔401年秋、バビュロンの近くキュナクサでの戦い〕の模様はどうであったか、彼の戦死の模様はどうであったか、その後ヘラス人たちはいかにして海まで無事に逃れたのか、〔これらについては〕シュラクウサイ人 テミストゲネスによって記録されている。 [3] ところで〔BC 400〕、ティッサペルネスは、大王〔アルタクセルクセス2世〕の弟〔キュロス〕との戦争にさいして大いに価値あった者と思われて、それまで自分の支配していた地ばかりか、キュロスが〔支配していた〕地をも合わせて、その太守(satrapes)として差し遣わされるや、ただちにイオニアの諸都市すべてに、自分に服属することを要求した。しかし諸都市は、一方では自由であることを望み、他方ではティッサペルネスを恐れ――というのは、キュロスが存命のおりには、キュロスを彼に代えて選んでいたからである――、彼を都市に迎え入れない一方、ラケダイモンへ使節団を派遣し、要請した、――全ヘラスの指導者であるからには、自分たちのようなアシアにあるヘラス人たちをも、その土地が荒らされず、自分たちが自由でいられるよう世話すべきである、と。 [4] そこで〔BC 399〕、ラケダイモン人たちは彼らの総督(harmostes)として ティブロンを派遣し、新平民(neodamodes)の将兵1000足らずと、その他のペロポンネソス人たちの将兵4000足らずを与えたが、ティブロンは、アテナイ人たちにも騎兵300を要請し、報酬は自分が払うと言った。そこで彼ら〔アテナイ人たち〕は、「三十人」時代に騎兵隊勤務に就いていた者たちの中から派遣した。外地にあって、そこで亡くなってくれれば、民衆にとって得だと考えたからである。 [5] さらに、〔ティブロンは〕アシアに到着してからも、大陸に住むヘラス人たちの諸都市からも将兵を掻き集めた。というのは、当時、諸都市はすべてラケダイモン人の下命することなら何でも聞き入れたからである。かくして、これだけの軍勢を率いたが、ティブロンは〔敵の〕騎兵隊を見て、平野には攻め下ろうとはせず、たまたま手に入れられた領土を荒らされずに守り通せれば、それで満足していた。 [6] ところが、キュロスとともに攻め上った者たちが無事のがれて彼と合流すると、それ以後は、もはや平野部においてもティッサペルネスに対して戦闘隊形をとり、かくして追加取得した都市は、自分から降った ペルガモン、それから テウトラニアと ハリサルナ――この二つを支配していたのは、 エウリュステネスと プロクレス(1)の二人であるが、彼らはラケダイモン人 デマラトスの子孫であった。このデマラトスに、ヘラス攻撃に共同出兵した〔480年〕褒美として、この土地は大王〔クセルクセス〕から与えられたものであった――。さらに、彼〔ティブロン〕に降伏したのは ゴルギオンと ゴンギュロス(2)とであった。これら二人は兄弟で、前者は ガムブレイオンと パライガムブレイオンとを、後者は ミュリナと グリュネイオンとを領有していた。これらの諸都市も大王から ゴンギュロス(1)に与えられたものであったが、それは、 エレトリア人たちの中でメディア〔ペルシア〕に靡いたのは彼一人で、彼は亡命したから〔与えられたものであった〕。 [7] 他方、弱体な都市で、ティブロンが総攻撃で略取した都市がいくつかあった。 ラリサ(いわゆるアイギュプティア・ラリサである)などは、聴従しようとしなかったので、彼は包囲陣を布いて攻囲した。しかし、他の仕方では攻略できなかったので、縦坑を切り、地下道を掘って、彼らの水〔源〕を断とうとした。しかし、〔相手は〕何度も城壁から躍り出てきて、木材でも石でもその堀の中に投げ込んだので、今度は木製の亀甲蓋(chelone)*を作って、縦坑の上にかぶせた。しかしながら、ラリサ人たちは夜陰に乗じて走り出て、これをも焼き払った。そのため、彼は何もしていないように思われたので、監督官たちはこれを、ラリサを後にしてカリアに出兵すべしとの使いを送った。 *攻城のさいに、工兵を敵の飛び道具攻撃から守るための移動式の屋根。 [8] 彼がすでにエペソスにあって、カリア攻撃に進軍しようとしていたところ、 デルキュリダスが指揮するために軍隊に到着した。彼は非常に策に富んだ男と思われていて、 シシュポスとさえ綽名されていた。かくてティブロンは家郷に帰ったが、罰を受けそうになったので亡命した。というのは、同盟者たちが彼を告発したからである、――友邦を略奪することを自分の軍隊に認めた、といって。 [9] 他方、デルキュリダスの方は、軍隊を引き継ぐと、ティッサペルネスとパルナバゾスとがお互いに猜疑しあっているとわかったので、ティッサペルネスと語らったうえで、パルナバゾスの領地に軍隊を引きもどした、――両方と同時によりは、片方ずつと戦争することを選んだのである。しかも、デルキュリダスは前々からパルナバゾスを敵視していた。というのは、リュサンドロスが艦隊指揮官をしていたとき〔2_1_7〕、アビュドスで総督(harmostes)になったのだが、パルナバゾスに中傷されたため、楯を持って立哨させられたことがあるが、これはラケダイモン人たちの善良者(spoudaios)たちにとっては屈辱と思われていることであった。〔ふつうは〕戦列を乱した罰だからである。そういうわけで、パルナバゾス攻撃に赴くことは大いに快とするところであったのだ。 [10] しかも、〔着任後〕すぐとからして、嚮導ぶりについてはティブロンをはるかに凌駕しており、友好的な領土を通過して、同盟者たちに何ら損害を与えることもなくパルナバゾスのアイオリスにまで軍隊を進めたのであった。 ところで、この アイオリスはパルナバゾスのものであったが、この地を彼のために太守支配したのは、生前は、 ダルダノス人ゼニスであった。しかし彼が病死した後、パルナバゾスが太守役を他の者に与える心づもりをしていたとき、ゼニスの妻の マニアが、――彼女もダルダノス人であったが――、一団の随行員を引き連れ、贈り物を携えて、パルナバゾスその人にも贈り、その取りまきたちや、パルナバゾスのもとで特に権勢のある者たちにもご機嫌うかがいをするためにやってきた。 [11] そして会談に入ると彼女は言った。 「パルナバゾス様、わたしの夫は、他のことにおいてもあなたの友でしたが、年賦金をも納めたので、あなたはこれを称賛して名誉を授けました。それゆえ、わたしがあの夫に劣らずあなたにお仕えいたしましたなら、どうして、あなたは他の者を太守に任ずる必要がありましょうや? 何かあなたの気に入らぬことがあれば、わたしからその職権を取り上げて他の人にお与えになるのは、むろんあなたの意のままでしょうから」。 [12] これを聞いてパルナバゾスは、この女性に太守支配させるのがよいと決心した。かくて彼女は、女領主となるや、年賦金をその夫に劣らず支払ったばかりか、かてて加えて、パルナバゾスのもとへ赴くときは、いつも彼に贈り物を持参し、また、彼がその領地にまかりこしたときも、いかなる代官たちよりもはるかに最美にして最も快適に彼を歓待し、 [13] さらには、自分が引き継いだ諸都市を彼のために守り通したばかりか、それまで帰服しなかった諸都市のうち沿海地域の ラリサ(3)、 ハマクシトス、 コロナイといった諸都市を攻撃したが、ヘラス人の外人部隊を使って城塞に攻撃をかける一方、自分は有蓋馬車に乗って見物していたのである。そして、自分が称賛した相手には、文句のつけようのないほどの贈り物を与え、かくして、その外人部隊をこの上なく輝かしいものに拵えあげた。また、パルナバゾスと共同出兵することしばしばで、彼がミュシア人たちや ピシディア人たちのところへ、大王の領地に仇を成したとの理由で侵入したときでさえそうであった。その結果、パルナバゾスは彼女に気前よく返礼もし、忠告者と頼んだこともあった。 [14] ところが、彼女がすでに40歳以上の年齢になった時、 メイディアス――自分の娘の夫――が、ある連中に、女が支配し、自分は一介の私人だとは恥ずかしいことだとたきつけられ、彼女は、僭主制においては当然のことながら、その他の者たちに対しては厳しく守りを固めていたが、彼に対しては、婦人が娘婿を可愛がるように、信頼し可愛がっていたにもかかわらず、〔メイディアスは〕押し入って彼女を絞め殺したと言われている。さらには、彼女の息子をも殺した。姿が全美で、年齢も17歳ぐらいだったのに。 [15] これを為したあと、 スケプシス、 ゲルギスといった堅固な都市を占拠したが、ここにはマニアの財貨も最も豊富にあったのである。しかし、その他の諸都市は彼を受け入れず、パルナバゾスのためにこれら諸都市を守ったのは、都市内にいた守備隊であった。そこで、メイディアスはパルナバゾスに贈り物を送って、マニアと同様に自分が領土を掌握することを要請した。だが彼は答えた、――この〔贈り物〕は見張っておいてやろう、自分で行って、おまえもろともこの贈り物を手に入れるまでは、と。つまり、彼が言ったのは、マニアのために報復しないうちは、生きている気がしない、という意味であった。 [16] デルキュリダスが到着したのは、まさしくこういう時で〔399年秋〕、一日のうちにたちまちラリサ(3)、ハマクシトス、コロナイといった自発的に投降した沿海諸都市を手に入れた。また、〔デルキュリダスは〕アイオリス人たちの諸都市へも〔使者を〕派遣して、これらの諸都市を自由にし、城内に受け入れ、同盟者となるよう要求した。すると、 ネアンドリア人たち、イリオン人たち、 コキュリタイ人たちが聴従した。というのも、城内で守備していたヘラス人たちは、マニアなきあと、まったくもって美しくは処遇されていなかったからである。 [17] ところが、非常に強固な地 ケブレンで守備を受け持っていた男は、パルナバゾスのためにこの都市を守り抜いたら、彼に誉められるだろうと信じて、デルキュリダスを受け入れようとしなかった。そこで彼は怒って、攻撃の準備にとりかかった。だが、彼が供犠を行っても、一日目には卜兆(うらかた)があらわれず、次の日に再び供犠を行った。しかし、それでも瑞兆を得ることができず、三日目にもう一度〔行った〕。かくして、四日間にわたって供犠しつづけたのである、――大いに不機嫌になりながらも。というのは、パルナバゾスが救援に駆けつけるまでに、アイオリス全体を支配下に置きたいと焦っていたからである。 [18] ところが、シキュオン人の旅団長(lochagos)で アテナダスとかいう者が、デルキュリダスはたわごとで暇つぶしをしている、自分なら充分ケブレン人たちの水源を奪い取ることができると考え、自分の部隊(taxis)を率いて駆け寄って、泉を破壊しようとした。しかし、城内から反撃に出動してきた相手方が、彼に深手を負わせたばかりか、二人を殺害し、その他の者たちをも吶喊と飛び道具攻撃とで撃退した。デルキュリダスは憤慨し、攻撃も意気のあがらぬものになるだろうと考えているときに、城内のヘラス人たちのもとから伝令官がやってきて、次のように言った、――指揮官がやっていることは、自分たちの意に添うものではなく、自分たちは異邦人とよりはむしろヘラス人たちと行動を共にしたい、と。 [19] なおも彼らがこういったことを話し合っている最中に、彼らの指揮官のもとから〔使者が〕やってきてこう言った、――先の連中が言っていることは、自分にもよいと思われることを言っているのだ、と。そこでデルキュリダスは、たまさかこの日、瑞兆を得たこともあって、ただちに武装させて、城門に向かって嚮導した。すると相手方は開門して受け入れた。そこで、ここにも守備隊を置くと、ただちにスケプシスとゲルギスに向けて進んだ。 [20] 他方、メイディアスの方は、パルナバゾス〔の来援〕を期待したが、すでに市民たちに怖じ気づいていたので、デルキュリダスに〔使者を〕送って、人質をくれるなら会談に応じようと言った。そこで彼は同盟者たちの各都市から一人ずつを相手に送り、その中から好きなだけの人数、好きな相手を〔人質に〕取るよう命じた。そこで彼は10人をとってまかりこし、デルキュリダスとの交渉に入ると、いかなる条件であれば同盟者となれるのかと尋ねた。そこで彼は、市民たちが自由であって自由・自主独立者たることを認めるという条件で、と答えた。そして、こう言うと同時に、スケプシスに向けて進んだ。 [21] メイディアスは、市民たちの意に反して阻止することは不可能と悟り、彼の進入を黙認した。かくして、デルキュリダスはスケプシス人たちのアクロポリスでアテナ女神に供犠をすると、メイディアスの守備隊を追い払い、市民たちにその都市を引き渡し、ヘラス人たちや自由人たちと同様に為政するように下命したうえで、出撃してゲルギスへと嚮導しようとした。すると、多くの人たちが、――スケプシス人たちまでが彼に同行して見送った。為されたことに敬意をはらい喜んだからである。 [22] メイディアスも彼に随伴し、ゲルギス人たちの都市を自分に引き渡すよう要請した。しかしデルキュリダスは、義しいことの何ひとつそなたが得そこなうことはない、と言っただけであった。こう言うと同時に、メイディアスといっしょに城門の前に進み、軍隊も平和行列のように二列縦隊で彼に追随した。 櫓――それも非常に高いものであった――の上の者たちは、メイディアスが彼といっしょなのを見て、飛び道具攻撃しなかった。そこでデルキュリダスが、「命じてくれ、おお、メイディアスよ、城門を開けるよう。そうすれば、そなたが嚮導し、わたしはそなたといっしょに神殿に入って、そこでアテナ女神に供犠できよう」と言ったので、メイディアスは、城門を開けることに怖じ気づいたが、その場で取り押さえられるのではないかと恐れて、開門を命じた。 [23] そして、彼〔デルキュリダス〕の方は入城すると、またもやメイディアスを伴ったままアクロポリスに向かって行進した。そうして、その他の将兵には城壁のところに武器を置くよう命じ、自分は自分の側近たちといっしょにアテナ女神に供犠した。供犠が終わると、彼は抗議した、――メイディアスの槍持ち(doryphoros)たちも、〔自分の〕傭兵となるはずだからして、自分の軍隊の陣頭に〔異動して、自分の将兵たちと同じように〕武器を置くべきだ、メイディアスにはもう何も心配はないのだから、と。 [24] しかしながら、メイディアスは、どうしたらよいのか困って、言った。 「それでは、わたしは立ち去ることにしよう」と彼は言った、「あなたに客遇の準備をするために」。 すると相手が、 「 ゼウスにかけて、とんでもないことだ」と彼は言った、「供犠をしたのはわたしなのに、そなたに客遇されて、そなたを客遇しないとあっては、恥ずかしいことだ。だから、わたしたちのところに留まっていただきたい。ここで晩餐が用意されるなら、わたしもそなたもお互いに義しいことを思案もし、実行もできよう」と。 [25] そこで、席に着くと、デルキュリダスが尋ねた。 「言っていただきたい、おお、メイディアスよ、父君はそなたを家の支配者として後に残したのか?」。 「もちろん」と彼が言った。 「いったい、どれほどの邸宅がそなたのものなのか? また、耕地はどれほどなのか? また、牧場はどれほどなのか?」。 そこで彼が枚挙し始めると、陪席したスケプシス人たちが言った。 「この男はあなたに、おお、デルキュリダスよ、嘘を言っている」。 [26] 「おまえたちときたら」と彼〔メイディアス〕が言った、「あんまり細かすぎることを言うな」。 そして、彼が父祖伝来の家産を枚挙し終わると、 「言っていただきたい」と彼〔デルキュリダス〕が言った、「マニアは誰のものなのか?」。 陪席した者たちが口をそろえて、パルナバゾスのものだと言った。 「すると、彼女のものも」と彼は言った、「パルナバゾスのものではないのか?」。 「まったく」と彼らが肯定した。 「われわれのものであろう」と彼が言った、「われわれが制覇したのだから。パルナバゾスはわれわれの敵対者なのだから。いざ、誰かに嚮導させてもらいたい」と彼が言った、「マニアのもの、いや、パルナバゾスのものがある所に」。 [27] そこで他の者たちが、マニアの邸宅――メイディアスが相続したもの――へ嚮導したので、メイディアスもまたついていった。そして中に入ると、デルキュリダスは財務官たちを呼びつけ、従士たちにこれを捕まえるよう言いつけたうえで、マニアのものをちょっとでも隠そうとして逮捕されたら、たちどころに喉をかき切られるだろうと彼らに予告した。こうして彼らが提示し、彼は全部を見終わると、これを閉鎖して封印し、守備兵たちを立てた。 [28] そして外に出ると、歩兵指揮官たちや旅団長たちが扉のところにいるのを見つけ、彼らに言った。 「われわれの稼いだ報酬は、おお、諸君、兵士8000人の軍隊の1年分近くに相当する。しかし、もっと稼ぐ気があるなら、それも追加されるはずだ」。 彼がこんなことを言ったのは、聞けば、はるかにもっと秩序ただしく忠実となるとわかっていたからである。するとメイディアスが尋ねた、 「わたしはどこに住めばいいのか、おお、デルキュリダスよ」と。 そこで彼が答えた、 「まったくもって義しい場所にだ、おお、メイディアスよ。そなたの祖国スケプシス、つまり、父祖伝来の家に」。 |