title.gifBarbaroi!
back.gif第3巻・第4章


Xenophon : Hellenica



第3巻






第5章



[1]
 ところで、ティトラウステスは、アゲシラオスが大王の威光を軽んじ、アシアから引き上げる気がまったくなく、むしろ大王を攻略するという大きな希望をいだいていることがわかったと思って、この事態をどうしたらよいかに窮して、ロドス人 ティモクラテス(3)を、銀50タラントンに相当する黄金を持たせてヘラスに派遣し、諸都市の指導者たちに、ラケダイモン人たちに対して戦端を開くという条件で、できるかぎり確かな保証をとりつける努力をしたうえで、与えるよう命じた。そこで、その人物は出向いてゆき、テバイでは アンドロクレイダスイスメニアスガラクシドロスとに与え、 コリントスでは、 ティモラオスポリュアンテスとに、 アルゴスでは、 キュロンとその一統の連中に〔与えた〕。

[2]
さらにまたアテナイ人たちも、この金に与ろうとする者はいなかったものの、それでも戦争に対しては乗り気であった。支配権が自分たちのものになると信じたからである。ところで、金銭を受け取った者たちは、みずからの国家をラケダイモン人たちから離間させた。そして、彼らに対する嫌悪感を国に掻き立てて、最大の諸都市までも相互に同盟させたのである。

[3]
 しかし、テバイの指導者たちは、戦争を始める者がいないかぎりは、ラケダイモン人たちは同盟者たちに対する和平条約を破る気のないことを知って、オプウンティオス・ロクリス人たちを説得して、ポキス人たちと彼らとの間で係争している土地から金銭を取り立てさせた。そうなれば、ポキス人たちはロクリスに侵入すると信じたからである。はたして彼らは〔予想に〕欺かれることなく、すぐさまポキス人たちは ロクリスに侵入し、おびただしい財貨を取得した。

[4]
そこで、アンドロクレイダスの一統はただちに、ロクリス人たちの救援をテバイ人たちに説得し、自分たちが侵入するのは、係争地へではなく、協定の地へである、ロクリスは友邦であり同盟国なのだから、と主張した。かくしてテバイ人たちが ポキスに侵入し返して、その領土を荒らすと、ポキス人たちはただちに使節団をラケダイモンへ派遣し、自分たちの救援を要請し、自分たちは戦争を始める気はなく、自衛のためにロクリスに出向いたのだと説明した。

[5]
ところが、ラケダイモン人たちは、テバイ人たち攻撃の口実が手に入ったと喜んだ。以前から、デケレイアにおけるアポロンへの「十分の一」税納入要求の件のみならず、ペイライエウス攻撃に随行を拒否した件〔 第2巻 第4章 30節〕でも、彼らに対して怒っていたからである。さらには、共同出兵せぬよう彼らがコリントス人たちを説得していたことでも非難していた。さらにまた、アウリスでアゲシラオスが供犠するのを認めなかったばかりか、供犠の終わった犠牲獣を祭壇から投げ散らしたこと〔III.iii.4〕、また、アシアに向かうアゲシラオスに共同出兵しなかったことまでも思い出した。さらにまた、彼らに向けて軍勢を差し向け、自分たちに対する暴慢をやめさせるに美しい好機だというふうにも思量した。なぜなら、アシアにおける情勢は、アゲシラオスが制圧したのだから、自分たちにとって美しく、ヘラスにおいても自分たちの邪魔をするような戦争は他に何もない〔と思量した〕からである。

[6]
さて、ラケダイモン人たちの国家はこのような判断を下して、監督官たちは動員令を発布し、リュサンドロスをポキスに派遣し、ポキス人たちをそっくり率いて、またオイタイア人たちやヘラクレイア人たちや メリス人たちアイニアン人たちをも〔率いて〕 ハリアルトスに出頭するよう命じた。さらにまた、パウサニアスも――この人物が嚮導することになっていたが――、ラケダイモン勢とその他のペロポンネソス勢とを率いて、既定の日にその地に出頭することを取り決めた。そこでリュサンドロスの方は、その他にも命じられた事柄を果たしたばかりか、なおそのうえにオルコメノス人たちをテバイから離反させたのである。

[7]
他方、パウサニアスの方は、越境の生け贄が彼に〔吉と〕現れたので、テゲアに陣取って、傭兵隊長〔徴兵官(xenagos)〕たちをあちこちに派遣し、周住民たちから成る将兵たちを待ち受けていた。ともあれ、テバイ人たちにとっては、ラケダイモン勢が自分たちの領土に侵入してくることがはっきりしたので、使節団をアテナイに派遣して次のようなことを言わせた。

[8]
 「おお、アテナイ人諸君、〔ペロポンネソス〕戦争の終結のさいに〔 第2巻 第2章19節〕、われわれがあなたがたに対して厳しい票決を下そうとしたとして、あなたがたがわれわれを非難なさる点については、あなたがたの非難は正しくない。なぜなら、わが都市があのような票決を下したのではなく、一人の男がたまたまあのとき同盟者たちの中に席を連ねていて、そいつが提案したことだからである。逆に、ラケダイモン人たちがペイライエウス攻撃をわれわれに呼びかけたときには、わが都市全体が連中に共同出兵すべきでないと反対票決を下したのである〔 第2巻 第4章 30節〕。したがって、〔このたび〕ラケダイモン人たちがわれわれに怒っているのは、あなたがたが原因でないということは決してないのであるからして、あなたがたがわれわれの都市を救援することこそが義しいとわれわれは信ずるのである。

[9]
とりわけて、はるかになお切にお願いしたいのは、市内にすむ人たちが、対ラケダイモン人攻撃に赴くことに熱心になるようにということである。なぜなら、あの連中は、あなたがたを寡頭制へ、すなわち民衆の敵へと引きずり込んで、あなたがたの同盟者であるかのようなふりをして、全戦力をもって到着しながら、あなたがたを大衆に売り渡した。その結果、あの連中の意のままであった部分をあなたがたは破滅させ、この民衆があなたがたを救済したのである。

[10]
いや、それどころか、おお、アテナイ人諸君、かつてあなたがたが所有していた支配権をあなたがたが取りもどしたいと望んでおられるということを、われわれはみな承知している。だが、それが道理となるのは、連中によって不正されている者たちを、あなたがた自身が救援する場合をおいてよりほかに、どうしてあり得ようか。また、多くの者たちを支配するということは、あなたがたの恐れるところではなく、むしろ、それによってはるかにもっとあなたがたは勇み立つのだが、それは、あなたがたが最大多数を支配していた時にこそ、最大多数の敵を持っていたということにあなたがたは思いを致されるからである。まことに、離反しても身を寄せる先を持たなかった間は、やつらはあなたがたに対する敵意を隠していた。だが、ラケダイモン人たちが先頭に立つようになるや、その時にはあなたがたに対して何を考えていたかを明らかにしたのであった。

[11]
だから今も、われわれとあなたがたとが、ラケダイモン人たちに対峙するという一点で同じ楯の下に入ることが明らかとなれば、おわかりのように、やつらを憎む多くの者たちが立ち現れるであろう。
 そこで、われわれの言うことがいかに真実であるか、あなたがたが考量なさるなら、たちどころに理解なさるであろう。というのは、いったい、やつらに好意的な者が誰か残っているであろうか。アルゴス人たちは今までも常にやつらに対する嫌悪者であったのではないか。

[12]
そればかりか、今ではエリス人たちでさえ、多くの領地をも諸都市をも奪われて、やつらに対する敵対者の仲間入りをしている。さらにコリントス人たち、アルカディア人たち、アカイア人たちについては、われわれは何と言えばよいか、――あなたがたとの交戦をやつらにひどく強請されて、労苦と危難と出費とには、ありとあらゆるものに与りながら、ラケダイモン人たちが望みのことを果たした後に、いかなる支配ないし名誉、あるいは、いかなる財貨を彼らに頒け与えたであろうか。いや、隷属民たちなら総督として任命するだけの価値を認めても、同盟者たちに対しては、自由人であるにもかかわらず、自分たちが繁栄した後は、主人として立ち現れるのだ。

[13]
いや、それどころか、あなたがたから離反した者たちをも、明らかに欺いてきたのである。なぜなら、自由の代わりに二重の隷従を彼らにもたらしてきたからである。すなわち、総督によって僭主支配されるのみならず、リュサンドロスが各都市に設置した「十人」によっても〔僭主支配されてきた〕からである。いやはや、アシアの大王は、あなたがたを制圧するために、彼らにとりわけ寄与したにもかかわらず、今はあなたがたといっしょになってでも、やつらを打ち倒せたら、と思う有り様と、何が異なろうか。

[14]
したがって、かくも明白に不正されている者たちの先頭にあなたがたがもう一度立つなら、今度こそ、あなたがたがかつてよりもなおはるかに最大のものとなるのがどうして尤もなことでないことがあろうか。なぜなら、あなたがたがかつて支配したときは、あなたがたは、たしか、海上の者たちを指導したにすぎなかった。だが、今度は、われわれをも、ペロポンネソス人たちをも、以前あなたがたが支配した者たちをも、最大の権力を保有する大王その人をも、そのすべてを嚮導する者となることができよう。たしかに、われわれはやつらの同盟者としても大いに価値ある存在であったことは、あなたがたがご存知のとおりである。だが今度は、かつてラケダイモン人たちとそうであったよりも、あなたがたと共闘することにわれわれはあらゆる点で鼓舞されているのである。なぜなら、島嶼の人たちやシュラクウサイ人たちのためでもなく、かつてのように他人事のためでもなく、不正されているのはわれわれであり、そのわれわれ自身をわれわれは救援しようとしているからである。

[15]
さらに、次のこともよく心得ておくべきである。つまり、ラケダイモン人たちの強欲(pleonexia)は、あなたがたの過去の支配よりもはるかに解体しやすいということである。というのは、あなたがたは艦隊を保有して、保有しない者たちを支配していたのだが、この連中は少人数でありながら、幾層倍もの、しかも、装備において何ら劣らぬ武装した相手に対して強欲を通そうとしている(pleonektein)からである。もちろんあなたがたはよくご存知である、おお、アテナイ人諸君、われわれがわれわれの都市にとってよりも、あなたがたの都市にとってはるかに大きな善事の方向へとあなたがたを促しているのだと、われわれが確信しているということを」。

[16]
 彼はこう言って話をやめた。対してアテナイ人たちはといえば、おびただしい数の人たちが賛意を表し、満場一致で彼らの救援を票決した〔395年8月、アテナイ=ボイオティア同盟成立〕。そしてトラシュブウロスが決議結果を伝えたが、そのさい、次のことをも表明した。つまり、ペイライエウスは城壁もないが、それでも、自分たちが受けたことのあるよりも大きなお礼を彼らに返すために、危険に身を挺するつもりである。なぜなら、あなたがたは、と彼は言った、あなたがたはわれわれに対する攻撃に共同出兵したことはなく、われわれとしては、あなたがたといっしょにやつらと闘うつもりである、やつらがあなたがたに対して攻撃に向かうならば、と。

[17]
かくして、テバイ人たちは立ち返り、自衛のための準備にかかり、アテナイ人たちは救援のために〔準備にかかった〕。もちろん、ラケダイモン人たちももはや逡巡することなく、王パウサニアスは家郷の軍隊とペロポンネソスからの軍隊とを率いて ボイオティアに進軍したが、コリントス人たちは彼らに随行しなかった。他方、リュサンドロスは、ポキス、 オルコメノス(2)、および、それらの領地からの軍隊を率いて、パウサニアスに先んじてハリアルトスに着いた。

[18]
そして、到着するや、ラケダイモンからの軍隊を待っておとなしくしているというようなことはもはやせず、自分が保有している者たちを引き連れてハリアルトスの城壁に向かって進撃した。そして、先ず第一に、離反して自治権を持つよう彼らを説得しようとした。ところが、テバイ人たちの何人かが城壁の内にいて妨害したので、城壁に攻撃を仕掛けた。

[19]
これを聞いてテバイ勢は、重装歩兵ならびに騎兵たちが駆け足で救援に駆けつけた。はたしてどちらなのか、――〔テバイ勢が〕リュサンドロスに気づかれずに彼に襲いかかったのか、あるいは、攻撃してくるのを〔リュサンドロスが〕知りながら、制圧しようとして踏みとどまったのか――は不明である。とにかく、はっきりしているのは次のこと、つまり、城壁付近で戦闘が起こった。そして、勝利牌がハリアルトス人たちの城門のそばに立ったということである。かくして、リュサンドロスが戦死したので、その他の者たちは山岳方面に敗走したため、テバイ人たちは勇んで追撃した。

[20]
しかし、あまりに高所にまで追撃したため、険阻な地勢と隘路とが彼らの行く手を遮ったとき、〔ラケダイモン勢の〕重装歩兵たちは向きなおって投げ槍を投げ、飛び道具攻撃し始めた。そのため彼ら〔テバイ勢〕の前衛の二、三人が斃れ、さらに、残りの者たちの上に、岩石を斜面に転がし落とし、必死の態で攻め込んだので、テバイ勢は斜面を背走させられて、その200人以上が戦死した。

[21]
 こういう次第で、この日、テバイ人たちは意気阻喪してしまった。成し遂げたことにまさるとも劣らぬ害悪を被ったと信じたからである。だが、次の日には、夜陰に乗じてポキス勢ならびにその他の軍勢がすべて、それぞれ家郷に撤退してしまったのを知るや、これによって、成し遂げられたことを大いに自慢しはじめた。しかし、パウサニアスがラケダイモンの軍勢を率いてまたもや現れたので、今度は再び大きな危難に陥ったと考え、沈黙と落胆とが彼らの陣地を占めたと云われている。

[22]
しかしながら、次の日、アテナイ勢がやってきて戦闘態勢をとり、パウサニアスは進撃せず、闘おうともしないので、このためテバイ勢の慢心ははるかに大きなものとなった。対して、パウサニアスは、軍令官(polemarchos)や五十人隊長(pentekonter)を呼び集め、交戦するか、それとも、休戦を申し入れて、リュサンドロスおよび彼といっしょに斃れた者たち〔の屍体〕を収容すべきか、評議した。

[23]
パウサニアスの思量では、そして、ラケダイモン人たちの首脳部もそうだが、リュサンドロスはもはや命終してしまって、麾下の軍隊も負けて撤退してしまった、しかもコリントス勢は自分たちに追随する気配をまったく見せず、現存勢力は征戦に熱心ではない。さらにまた、騎兵部隊の点でも、敵対部隊は多いが、自分たちの部隊は少数であるばかりか、最も重大なことは、屍体は城壁のたもとに横たわっており、したがって、たとえ制圧しても、櫓からの攻めをくらって収容は容易ではないと彼らは思量した。そこで、あれやこれやの理由で、休戦を申し入れて屍体を収容することが彼らによって決定された。

[24]
しかしながらテバイ勢は、領土から撤退するという条件でなければ、屍体を引き渡さないと云った。しかし彼らは喜んでこれを聞き入れた。屍体を収容したら、ボイオティアから撤退するつもりだったからである。かくして、これらのことが実行されたが、ラケダイモン勢は意気消沈して撤退したのに反し、テバイ勢はきわめて暴慢で、少しでも耕作地のどこかに足を踏み入れた者がいれば、吶喊して街道にまで追いかけるほどであった。かくして、これこそが、ラケダイモン人たちの出兵の結末にほかならなかった。

[25]
ところで、パウサニアスは家郷へ到着すると、死刑の判決を受けた。彼が告発を受けた所以は、ハリアルトスに同じ日に出頭すると取り決めながら、リュサンドロスに後れたということ、また、屍体を収容しようとしたが、それが休戦を申し入れてであって、戦闘によってではなかったこと、また、ペイライエウスにおいてアテナイ人たちの民衆派を手中にしながら放免したこと〔 第2巻 第4章 29-39節〕、かてて加えて、当裁判に出席しなかったため、彼に死刑の有罪判決が下された。そこで彼は テゲアに亡命したが、しかしながらその地において病で命終した。以上が、ヘラスに起こったことである。
                            1997.06.03.訳了
forward.gif第4巻・第1章
back.gifHellenica・目次