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back.gif第4巻・第3章


Xenophon : Hellenica



第4巻






第4章



[1]
 その後とあっては、他の部隊は都市ごとに解散・放免し、アゲシラオスも家郷へ帰航した。これ以後も〔BC 393〕、かたや、アテナイ人たち、ボイオティア人たち、アルゴス人たち、および彼らの同盟者たちが、コリントスを発進基地に、かたや、ラケダイモン人たちとその同盟者たちがシキュオンを〔発進基地にして〕、戦争を続けた。しかし、コリントス人たちは、いつも戦争の近くにあったため、自分たちの領土も荒らされ、多くの人たちも戦死し、他方、その他の同盟者たちの方は、自分たち自身は平和裡にあり、彼らの耕地も豊饒であるのを眼にして、彼らの中の大多数の人々や、最善者〔貴族〕層の人たちは和平を切望し、結託してそのことをお互いに教え合った。

[2]
しかし〔BC 392〕、アルゴス人たち、アテナイ人たち、ボイオティア人たち、さらに、コリントス人たちの中で、大王からの金銭に与かり、この戦争の責任者となった者たちは、和平に傾斜している連中を排除せざるかぎりは、再び〔コリントス〕国がラコニケ化する危険性があると判断し、かくして殺戮の実行に手を染めた。そこで、先ず第一に、何にもまして神法に悖ることをたくらんだ。すなわち、その他の者たちなら、法によって有罪判決が下されても、祭礼の期間に処刑されることはない。ところが件の連中ときたら、 エウクレイア祭の最終日を選んで――というのは、より多くの者を市場でつかまえられると考えて――殺害に及んだのである。

[3]
かくして、殺害の任務を言いつけられた一味に合図が送られるや、彼らは両刃剣(xiphos)を抜いて、吶喊したのである、――ある者は立っているところをぐるりと取り囲んで、ある者は座っているところを、またある者は観劇中を、さらには、審判員として席に就いているところを。そして事件が知れるや、ただちに最善者たちは逃げた、――ある者たちは市場にある神々の彫像のもとに、ある者たちは祭壇の上に。ところがその場で、このうえなく神法に悖る者たち、まったくもって掟には何ら気にとめぬ者たちは、呼びかけた連中も聴従した連中も、神域の前でさえ殺戮を続けたために、襲撃されなかった人たち、しかし適法な人たちの中にさえ、その涜神ぶりを眼にして茫然自失した人たちまでいたのである。

[4]
かくして殺害されたのは、年長者たちの多数であった。たまたま市場により多くいたからである。しかし若者たちは、何か起こりそうだと パシメロスの怪しむところがあり、 クラネイオンでおとなしくしていたのである。しかし、悲鳴から察知し、また彼らのところまで事件を逃れて来た者たちも何人かいたので、そういうわけで、 アクロコリントスに駆け上り、アルゴス人たちとその他の同盟者たちが突撃してくるのは撃退した。

[5]
だが、何をなすべきか評議している最中に、円柱から柱頭が落下した、――地震も風もないのにである。しかも、供犠してみると、卜兆(うらかた)は、この地を退去するのがよりよいと占い師たちが主張するような内容のものであった。そこで、先ず第一に、亡命しようと思ってコリントスから退去した。しかし、友たちも彼らを説得し、母親たちも姉妹たちもやってきて〔説得する〕ばかりか、さらには権職にある者たちまでが、彼らは何も困ったことを被ることはないと誓いを立てて請け合うものだから、そういう次第で彼らのうちの何人かは家郷へ舞いもどった。

[6]
しかし、権力の座にある者たちが僭主支配をするのを眼にし、また、国は境界石をさえも引き抜いて消滅し、コリントスではなくてアルゴスが自分たちの祖国の名になっているのを察知し、何ら要求してもいないのにアルゴスの国制に参加するよう強制されて、この国において寄留民よりも劣った力しかないので、彼らの中の一部の者たちは、〔次のように〕考えるに至った――これでは生き甲斐がない。祖国を、初めからそうであったとおりに、コリントスとなし、自由なものとして立証し、血の汚れからは清浄に、適法的となすようやってみるのは価値あることだ、もしもこれを実現することができたなら、〔自分たちは〕祖国の救主となり、よしんばできなかったとしても、最美にして最大の善事に焦がれて最も称賛される最期を遂げるのだから、と。

[7]
こういうわけで、二人の人物―― パシメロスアルキメネス――が、激流を徒渉して、ラケダイモン人たちの軍令官 プラクシタスと会合を持つことを企てた。この人物は、たまたま自分の麾下の軍団を率いてシキュオンで守備隊任務に就いていたのだが、〔彼らは〕 レカイオンに通じる城壁の入口を彼に提供できると申し出た。彼は以前からもこの両名が信頼できる人物であることを知っていたので、信頼し、シキュオンから退去しようとしている軍団に駐留するよう手配して、侵入を実行した。

[8]
両名は、かつは偶然によって、かつは計略によって、勝利牌が立っている当の城門で守備兵となり、かくしてプラクシタスは軍団と、シキュオン人たち、および、コリントス人たちのうち、たまたま亡命していた連中を率いて出かけた。しかし、城門にいたって、進入を恐れ、信頼している者たちの一人を、内情を偵察させるために送り込んだ。そして両名が案内し、きわめて率直に明示したので、もぐりこんだ男は、すべては両名の言っていたとおり嘘偽りはないと復命した。そういう次第で彼は侵入した。

[9]
ところが、二つの城壁が相当に離れていたので、攻撃態勢をとってはみたものの、自分たちは数が少ないように思われたので、防御柵(stauroma)を作り自分たちの前面にできるかぎり塹壕も〔作った〕。同盟者たちが自分たちの救援に駆けつけるまで〔の防備に〕。彼らの後方にも、港にボイオティア人たちの守備隊がいたのである。
 さて、侵入した当日は、夜まで戦いはなく過ぎた。が、次の日、アルゴス人たちが全速力で救援に駆けつけた。そして、ラケダイモン人たちが自分たちの右翼に位置し、シキュオン人たちがそれに続き、さらにコリントス人たちの亡命者たちおよそ150人が東城壁のところに〔位置している〕のを見出して、東城壁のところを固めて対抗布陣したのは イピクラテス麾下の傭兵隊、および、これに加えてアルゴス人たちであった。また、彼らの左翼を受け持ったのは、都市から出撃してきたコリントス人たちであった。

[10]
しかし、数の点で見くびって、彼らはすぐに進撃を開始した。そしてシキュオン人たちを制圧し、防御柵も突破して、海岸まで追撃し、そこでも彼らの多くを殺害した。騎馬総督(hipparmostes)の パシマコスは、多くもない騎兵を率いていたが、シキュオン人たちが押しまくられているのをみて、馬たちを樹木につなぐと、彼らの楯をとって、志願者たちとともにアルゴス人たちに向かって進んだ。ところがアルゴス人たちは、楯の上のΣの文字をみて、シキュオン人たちだと思って恐れなかった。ここにおいて、パシマコスはこう言ったといわれている。
 「双子神にかけて、おお、アルゴス人たちよ、このΣという文字がうぬらを欺いて、痛撃をくらわせてくれよう」。
 言葉どおり、彼は寡勢で多勢と闘って戦死し、他にも彼の麾下の者たちも〔戦死した〕。

[11]
しかしながら、コリントス人たちの亡命者たちは、自分たちに対峙した軍勢に勝利し、内陸へと押し通り、市域を取り巻く周壁の近くに達した。さらにラケダイモン人たちの方は、シキュオン人たちに対峙した部隊が制圧したと察知するや、防御柵を左側に確保したまま、救援に撃って出た。ところがアルゴス人たちは、ラケダイモン人たちが後方にいると聞いたので、方向転換して駆け足で再び防御柵越しに殺到した。しかし、彼らの最右翼の戦列にある者たちは、ラケダイモン人たちによって無防備な裸の部分に吶喊をくらって戦死し、城壁の方へ多くの群衆となって集結した者たちは、都市の方へと後退した。ところが、コリントス人たちの亡命者たちと遭遇するや、敵だとわかって、再び方向転換した。しかしながら、ここにおいて、ある者たちは梯子を上って城壁の上から〔向こう側に〕飛び降りて亡き者にされ、ある者たちは梯子のあたりで圧倒され、吶喊をくらって戦死し、さらにある者たちはお互いに踏みつけ合って窒息死した。

[12]
対して、ラケダイモン人たちは、殺すべき相手に困らなかった。というのは、この時ばかりは、神が、それまでは祈ってもかなえられなかったような勲を彼らに与えたからである。つまり、敵たちの大多数が彼らの手中に落ちる様たるや、おびえきって、すっかりうちのめされ、無防備な裸の部分をさらして、闘いに立ち向かおうとする者は誰一人なく、全員がただ何としてでも破滅するためにのみ献身している――これをどうして神助と考えない人があり得ようか。とにかく、この時は短時間のうちにかくも多くの人たちが斃れたので、穀物や材木や、鉱石の堆積を見慣れている人たちは、この時は屍体の堆積を眺めるようなものであった。さらにまた、ボイオティアの港の中の守備隊も戦死した、――ある者たちは城壁の上で、ある者たちは船屋形の屋根にのぼって。

[13]
さて、この後、コリントス人たちとアルゴス人たちとは休戦を申し入れて屍体を収容し、ラケダイモン人たちの同盟者たちも救援にやってきた。そして集結するや、プラクシタスは、先ず第一に、城壁を軍隊の通路たるに充分なだけ破壊し、次いで、軍勢を擁してメガラへと引率し、突撃をかけて先ずは シデュウスを、次いで クロムミュオンを攻略した。そして、これらの城壁内に守備隊を駐留させたうえで、引き返した。そのうえで、エピエイケイアを城塞化して、同盟者たちの友好の地の前哨たる防衛戦線となるようにし、かくして軍隊を解散して、自分もラケダイモンへの道を引き上げた。

[14]
 この時以降〔BC 391〕、双方とも〔市民軍による〕大きな征戦は取りやめになり、諸都市は、一方はコリントスに、他方はシキュオンに、守備隊を派遣するようになり、城壁を守備した。とはいえ、双方とも傭兵隊を保有し、これによって戦闘は苛烈なものとなった。

[15]
 ちょうどこのようなときに、イピクラテスは プレイウウスに侵入し、待ち伏せをしておいて、寡勢で掠奪しまわっているときに、都市からの者たちが無防備に救援に駆けつけたので、あまりに多くを殺害したため、プレイウウス人たちはそれまではラケダイモン人たちをさえも城壁内に迎え入れなかったのに――というのは、ラコニケ贔屓との咎で亡命者となったと称する連中を帰還させることになるのではないかと恐れたからである――、この時ばかりはコリントスから〔出撃してきた〕連中に打ちのめされて、ラケダイモン人たちを呼びにやったばかりか、国をも城塞をも守ってくれるよう彼らに引き渡したのであった。しかしながら、ラケダイモン人たちは、たしかに亡命者たちに好意的であったけれども、彼らの国を手中にしている間は、亡命者たちの帰還についてまったく言及することもなく、国が勇気を取りもどしたと思われるや、国をも法習をも、自分たちが受け取ったときのままそっくり引き渡して撤退したのであった。

[16]
ところが逆に、イピクラテス麾下はといえば、 アルカディアにも多方面に侵入して掠奪しまわったばかりか、城壁にも突撃をかけた。というのは、アルカディア人たちの重装歩兵たちは、まったく反撃に撃って出なかったからである。それほどまでに軽楯兵たちを恐れていたのである。しかしながら、逆に軽楯兵たちの方は、ラケダイモン人たちを恐れるあまりに、重装歩兵たちの投槍の射程内には近寄らなかった。というのは、かつて、ラケダイモン人たちの若者たちは、それぐらいの距離からも追撃してつかまえ、彼らの中の何人かを殺害したことがあるからである。

[17]
そこでラケダイモン人たちは軽楯兵を軽蔑し、それ以上に自分たちの同盟者たちを軽蔑していた。というのも、マンティネイア人たちが、かつてレカイオンの方に延びる城壁から撃って出た軽楯兵たちに立ち向かったことがあるが、投槍攻撃にさらされて総崩れとなり、敗走の途中に仲間の何人かを殺害されたことがあったからである。そのため、ラケダイモン人たちは、同盟者たちは軽楯兵たちをまるで小わっぱがお化けを〔こわがる〕ようにこわがっていると、ことさらあざけっていたのである。対して自分たちの方は、軍団とコリントス人たちの亡命者たちを率いて、レカイオンから進発し、コリントス人たちの市域の周囲ぐるりで征戦した。

[18]
他方、アテナイ人たちの方は、ラケダイモン人たちの勢力を恐れ、コリントス人たちの長壁が破壊されたら、次には自分たちに向かって出撃してくるのではないかと〔おそれ〕、プラクシタスによって破壊された城壁を再建するのが最も優れていると考えた。そこで、石工たちや大工たちを同伴して全軍で出向き、シキュオンと西に面する部分はわずかな日数で全美に築城し、東の部分はゆっくりと築き上げた。

[19]
 逆にラケダイモン人たちの方は、アルゴス人たちが、家郷の耕地は実り豊かで、戦争を楽しんでいるのに思いを致して、彼らに向けて出兵した。嚮導したのはアゲシラオスであったが、彼らの領土全体を荒し回ると、そこからまっすぐ テネアをコリントスに越えて、アテナイ人たちによって再建された城壁を破壊した。彼の兄弟の テレウティアスも海路、三段櫂船12を率いて参戦した。そのため、彼らの母親は浄福であった、――同じ日に、自分の生んだ一人は陸路、敵国人たちの城壁を、もう一人は、海路、艦船と造船所とを破壊したのだから。そして、この時は、以上のことを成し遂げると、アゲシラオスは同盟者たちの軍隊は解散し、市民軍を家郷へと連れもどった。
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