第4巻・第5章
第6章[1] さて、この後〔BC 389〕、アカイア人たちは カリュドン――往古は アイトリアの都市であり、市民を形成するのもカリュドン人たちであった――を領有し、この都市で守備することを強制されていた。なぜなら、アカルナイア人たちが征戦したことがあり、しかも、アテナイ人たちとボイオティア人たちの何人かが、同盟者の故をもって、彼らに援助していたからである。それゆえ、アカイア人たちは彼らに圧迫されて、ラケダイモンに使節団を派遣した。この者たち〔使節団〕は〔ラケダイモンに〕赴くと、ラケダイモン人たちから被っている仕打ちは義しくないと申し立てた。 [2] 「なぜなら、われわれは」と彼らは主張した、「あなたがたのために、おお、諸君、いかようにであれ、あなたがたが下知するとおりに共同出兵し、いずこなりと、あなたがたが嚮導するところに随きしたがってきた。しかるに、あなたがたは、われわれがアカルナイア人たちとその同盟者たち――つまり、アテナイ人たちとボイオティア人たちと――に攻囲されているにもかかわらず、何らの配慮もしてくれない。したがって、こういう事態がつづくかぎり、われわれは持ちこたえることはできず、ペロポンネソスでの戦争の方は放置して、われわれは全軍で押し渡って、アカルナイア人たちとその同盟者たちと戦争するか、あるいは、いかようにであれ可能な仕方で和平を講ずるかしかない」。 [3] こう申し立てて、彼らは、自分たちに援助を仕返さないかぎりは、同盟から離脱するといって、ラケダイモン人たちを暗に脅迫したのである。このことが申し立てられたので、監督官たちにも民会にも、アカイア人たちとともにアカルナイア人たち攻撃に出兵することはやむを得ないと決定された。そして、アゲシラオスを、二箇軍団と、同じ割合の同盟軍とをつけて派遣することにした。しかしながら、アカイア人たちは全軍で共同出兵した。 [4] さて、アゲシラオスが渡ると、地方のアカルナイア人たちはみな市域に逃げ込み、家畜はすべて、遠征軍につかまえられないよう、遠方に避難させた。他方、アゲシラオスは敵国の国境に着くと、 ストラトスのアカルナイア人たちの共同体に人を遣ってこう言った、――ボイオティア人たちやアテナイ人たちとの同盟関係をやめ、自分たちやアカイア人たちを同盟者として選ばなければ、おまえたちの耕地をことごとく順次荒らしていって、何物も残さないようにするぞ、と。 [5] しかし聴従しなかったので、そのとおりに実行し、耕地を間断なく伐採していったため、一日に10ないし12スタディオン以上には進めなかった。そこでアカルナイア人たちは、遠征軍の〔進撃の〕鈍さからみて安全と考え、家畜を山から降ろすとともに、耕地の大部分で働いた。 [6] ところがアゲシラオスには、それがまったくもって大胆不敵と思われたので、侵入後15、6日目に、朝に供犠しおわると、夕方までに160スタディオン行軍して、アカルナイア人たちの家畜のほとんどが参集している湖に達し、畜群も馬群もおびただしい数を、他にもありとあらゆる家畜や、多くの奴隷人足たちを取得した。取得すると、次の日はそこにとどまり、戦利品を売却した。 [7] しかしながら、アカルナイア人たちの軽楯兵たちが多くやってきて、山麓のアゲシラオスが幕営しているところに、山の懸崖から飛び道具攻撃・投石器攻撃を仕掛け、自分たちは何の害も受けずに、敵軍を――ちょうど夕食の準備をしていたのだが――平地へと追い降ろした。が、夜に入って、アカルナイア人たちは退却し、将兵たちは番兵を立ててやすんだ。 [8] 次の日、アゲシラオスは軍隊を撤退させようとした。ところが、湖を取りまく湿地帯と平地とからの出口は、ぐるりを取り囲んだ山脈のせいで狭かった。そこで、アカルナイア人たちは降りてきて、右手上方から飛び道具攻撃と投槍攻撃とを仕掛け、じりじりと下りながら、山裾へと襲いかかって難儀をかけ、その結果、軍隊はもはや前進不可能となった。 [9] そこで、密集隊をやめにして、重装歩兵と騎兵たちとが襲撃者たちを逆攻めにかけたが、何ら害することができなかった。なぜなら、アカルナイア人たちは退却すると、すぐに、安全地帯に身を置いたからである。そこでアゲシラオスは、こういう事態を被りながら隘路を脱出するのは困難と考えて、左翼からの襲撃者たちを――非常に多人数にのぼったけれども――追撃しなければならないと判断した。なぜなら、この山のみが重装歩兵たちにとっても騎兵たちにとっても通りやすかったからである。 [10] しかし、彼が 血祭を捧げている間にも、アカルナイア人たちは飛び道具攻撃・投槍攻撃で大いに圧迫し、間近に攻撃してきて多くに傷を負わせた。だが、〔アゲシラオスの〕下知がくだるや、重装歩兵たちの中から兵役15年層の者たちが駆け、騎兵たちも疾駆し、自分はその他の将兵とともに追随した。 [11] かくして、アカルナイア人たちのうち、じりじりと下ってきて飛び道具攻撃をしていた者たちは、たちまち総崩れとなり、急斜面を上へ逃げる途中を殺された。しかし、頂上でアカルナイア人たちの重装歩兵たち、および、軽楯兵たちの大部分も、反撃態勢を整え、ここにおいて持ちこたえ、その他の飛び道具を放つとともに、長柄を投げつけて騎兵たちに深手を負わせるとともに、何頭かの馬を殺した。しかしながら、ほとんどラケダイモンの重装歩兵たちの手の届く範囲になると、総崩れとなり、この日に彼らのおよそ300が戦死した。 [12] さて、こういう結果に終わったので、アゲシラオスは勝利牌を立てた。そして、それから、領地を伐り倒し、焼き尽くしてまわった。さらに都市のいくつかには――アカイア人たちに強要されていたので――突撃したが、一都市も攻略はしなかった。そしてすでに穫り入れ後の時季になっていたので、この地から退却した。 [13] アカイア人たちは、都市を――自発的にも嫌々ながらも――ひとつもわがものに加えられなかったのだから、彼の達成したものは何もないと信じ、他に何もなくても、せめてはアカルナイア人たちの種蒔きを妨害しとおすだけの期間、彼が駐留することを要求した。だが彼は、彼らが得になるのとは反対のことを言っていると答えた。 「わしとしては」と彼は言った、「来年の夏までに、再びここへ出兵して来るつもりである。そうすれば、あの連中が種を多く蒔けば蒔くほど、ますます和平を欲求するようになるであろう」。 [14] こう言って、陸路、アイトリアを通って撤退したが、この道は、アイトリア人たちの意にそまぬかぎりは、多数であれ、少数であれ、行軍できないという、そういう道であった。しかし彼らは彼が通過するのは容認した。それは、自分たちに力を貸してもらって、 ナウパクトスの割譲を期待したからであった。かくして、彼は リオンに着くと、ここから渡って家郷へ引き上げた。というのも、カリュドンからペロポンネソスへの航行は、アテナイ人たちが、 オイニアダイを発進基地にして、三段櫂船で阻止していたからである。 |