間歇日記

世界Aの始末書


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2001年2月中旬

【2月20日(火)】
京阪電車の中吊り広告を見上げると、なぜかケーキ屋の広告に「おけいはんがくる」などと書いてある。京阪百貨店守口店にあるアンテノールというケーキ屋に、二月二十四日、“おけいはん”がやってくるのだそうだ。そのケーキ屋では、“おけいはんのケーキ”(なんだそれは?)も用意しているという。
 え? “おけいはん”てなんやて? 2000年12月3日の日記でも触れたが、京阪電車が昨年の暮れあたりからなにかにつけて出してくる広告キャラクターである。淀屋けい子という、京阪電車の申し子みたいな名前の若い女性だ。喜多哲士さんの2000年12月6日の日記に、詳しい情報がある。といっても、いったいこの女性がほんとうは何者なのかはよくわからない。「22歳 OL」などと中吊り広告にはよく書いてあるのだが、ほんとにただのOLなのか? モデル事務所やらタレント事務所やらに登録していない、ほんっとのただのOLなのだったら、「淀屋けい子」などという都合のよい名前をどうやって発見した? たまたま「淀屋けい子」という名前の人物が実在することを知った京阪電車の人か広告会社の人がアプローチしてみたら、運よく若い女性だったので使ってみたとでもいうのだろうか。あるいは、「あなたには“淀屋けい子”という芸名でデビューしていただきます」と、このキャンペーンのためにスカウトしたのであろうか。まかりまちがって人気が出て大女優にでもなったら、京阪電車はず〜〜っと宣伝できる。でも、宇江佐りえ天気予報番組でデビューしたことを知らない人もたくさんいるわけであり、いまとなっては珍しい名前だなあと思われているだけのような気もする。ちなみに、高樹澪高樹沙耶も、映画デビュー作の役名がそのまんま芸名になっているのであるが(『沙耶のいる透視図』は高樹沙耶のデビュー作だが、公開が遅れたため二作めの出演作『チ・ン・ピ・ラ』が先に衆目に触れることになったのだ。ややこしい)、彼女らを見るたびデビュー作をいちいち想起する人はあんまりいないと思う。ちなみにちなみに、このふたりはおれの好みである。そんなことどうでもいいですかそうですか。
 京阪電車淀屋橋駅に貼ってあるハリガミに気づいて、さらに驚愕する――「おけいはんに逢える!」
 なんでも、二月二十四日には、淀屋橋駅にもやってくるのだそうだ。だ……だから、どうした? “おけいはん”は、「おれに関する噂」(『おれに関する噂』『筒井康隆全集13』筒井康隆、新潮社所収)の“有名人”森下ツトム氏そのものではないか。京阪電車が勝手にスター(?)に奉り上げている「22歳 OL」の“おけいはん”に「逢える!」もなにもあったものではない。「森下ツトム氏ウナギを食う!」とまったく変わらん。
 いまいましいことに、平日、ほとんど毎日“おけいはん”攻めにされているうち、なんとなく“おけいはん”に親近感が湧いてきてしまった。基本的にアマガエル系の顔で、なかなか可愛いのである。でも、そこいらへんを歩いている女性にだって、おけいはんくらいの人はいくらでもいる。要するに、どんな人であろうと、大勢の人に知らしめれば、多かれ少なかれ必ずそれなりのファンはついてしまうはずなのだ。極端な話、このおれですら、ああいうふうに露出してもらえば、「きゃあ、反町なんかより、ずっとかっこいいわ」と目を潤ませる女性が出現するにちがいない。男性も出現するかもしれん。出現せんでもええわい。
 広告屋さんの手にかかれば、フツーの「なんでもない人」をたちまち有名人、下手すると人気者にしてしまうことなど(金はかかるが)たやすいのだなあと、いまさらのようにしみじみ思う。いわゆる“ネット・アイドル”とやらも、同じようなものだ。電子口コミだけでもネット・アイドルは発生するが、マスコミが加わるとさらに“森下ツトム化”の過程が加速される。
 なにを隠そう、“冬樹蛉”というキャラクターは(アイドル性はまったくないにしても)、かなり“森下ツトム化”していると自分でも思う。というか、もともと冬樹蛉は森下ツトムたらんとして現れたキャラであり、森下ツトムであることが冬樹蛉の唯一の武器である。おれは言論活動の戦術として森下ツトム化をむしろ意識して目指している。誰もがあの森下ツトムになれる媒体がインターネットなのだから、かくなるうえは、おれも立派な森下ツトムになってやろうと思うのだ。
 といったことを踏まえて、どこかに“森下ツトム”というハンドルかペンネームを使っている人がいかにもいそうなのだが、おれはまだ遭遇したことはない。いらしたら、ぜひお友だちになりたいものだ。

【2月19日(月)】
「入試が終わり暇だらけ」という、あのSF中学生(であるのもあとわずかの)本上力丸さんが、ウェブでの活動を再開。なるほど、よっぽど暇なのか、おれの2000年10月8日の日記をマンガ化したとの知らせがきた。小説をマンガ化するというのならまだ話はわかるが、日記をマンガ化したとは、はて、どういうことだろう――と、首をかしげながら指定されたURLへ行ってみて納得した。そういえば、こういうネタがあったなあ。いやはや、おれもついにマンガの原作者になってしまったか。出世したものだ。本上さん、ありがとうございます。このマンガ、もしかして、全部マウスで描いたんとちゃいますか? 大原まり子さんのへろへろマンガに迫るものがある。もっとも、中年のSFファンは一度はご覧になったことがあるであろうが、大原さんのマンガの腕はじつはなかなかのものなのだ。ペンで描けば。
 とはいうものの……いくら暇だからって、もう少し有意義な暇の潰しかたはありませんか〜?? いやまあ、“無意義”な暇の潰しかたにかけては、おれもけっして人後に落ちるものではないのだが……。これからの日本を背負って立つ若者のエネルギーを浪費させたようで、なにやらフクザツな心境である。

【2月18日(日)】
▼夕方、テレビを点けると、『報道特集』(TBS系)をやっていた。途中から見たので話の流れがよくわからないが、事件を取材している記者がカメラに向けてケータイを見せている。ケータイが大写しになる。feel H" のサンヨー機「Leje」である。ディスプレイがでかいところは、たしかにテレビ向きと言える。そういえば、少し前に、まさにこの番組でケータイを特集していて、「Leje」の開発話をとくに大きく取り上げていたのだった。この記者、自分の番組で取材したものが気に入って買ってしまったのではなかろうか。それとも、メーカーからの謹呈品だろうか? でも、電話器だけ謹呈されたところで困るだけだし、それはないか。
 最近あんまり見ないが、以前はよく、福引やらなにやらに「携帯電話プレゼント」なんてのがあったけれども、あれを見るたびにおれは不思議に思ったものだ。そんなものもらったところで、キャリアも機種も選べないうえに、ランニングコストは自分にかかってくるだけではないか。未来永劫の基本料も通話料も“当たる”のなら、まだ話はわかるのだが、それでもキャリアや機種を限定されるのはおれなら厭である。そういう企画が成立していたということは、ケータイがもらえるんなら機種はなんでもよい人が少なからずいたわけであろう。不可解な人々である。ケータイにかぎらず、ああいうものは機種を選ぶ過程がまた楽しいんじゃないか。「車が当たる」なんてプレゼント企画で高級車が当たったとしても、おれならその車種が気に入らなければ、少々損しても叩き売って、ほかの車を買う(そもそも、おれは車が運転できないから、実際にはどんなのが当たっても叩き売らざるを得ないけれども)。
 たとえば、公取委の見解を念のため事前に訊かねばならんとしても、ケータイの代わりに、ケータイのCMタレントが“当たる”のだとしたら、どうであろうか? 藤原紀香が当たる梅宮アンナが当たる本上まなみが当たる広末涼子が当たる(地方によって当たるタレントがちがうので、無理して引っ越したりするやつが続出する)。ほんとうは藤原紀香が欲しいのだが、まあ、梅宮アンナが当たったからいいか、などと持って帰るやつがいるであろうか? だいたい、藤原紀香やら梅宮アンナやらが当たったところで、あんな非日常的なものをどこに置いておくというのだ。おれの生活環境にマッチしない。広末涼子に当たられても、なんとなく罪悪感が伴って困る。本上まなみなら当たってもよい。ランニングコストは払う――って、なんとなく話がずれたような気もするが、まあよい。でも、赤井英和が付いてくるのはナシね。

【2月17日(土)】
▼体調最悪。そろそろ三寒四温と言われる頃合いで、一年のうちでもことに調子が悪くなる時節である。一日のびている。春になったら縮めるだろうか。

【2月16日(金)】
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『銀河帝国の弘法も筆の誤り』
田中啓文、ハヤカワ文庫JA)

 今回から、試験的に「Treva」で撮った書影を入れてみた。こんな写真でも、な〜んとなく雰囲気だけはわかる。小さすぎて細部がわからないかもしれないのでどういう表紙画なのかを解説してみると――舞台はどこかの惑星であろうか、生まれもつかぬ大目玉の怪物が半裸の美女を捕らえている。美女の顔は恐怖に引き攣り……と言いたいところだが、この手の表紙画の常として、あまり緊迫感のない表情をしている。どちらかというと、表情よりも胸元と太腿を見てっ、と全身でアピールしている。画面左下で怪物に対峙しているのは、この手の表紙画の常として、袈裟を着たお坊さんである。パルプマガジン風の安っぽいタッチの絵を横断して、Kukai in Galactic Empire とセンセーショナルな文字が躍る。まさかとは思うが、どうやらこのお坊さんが“銀河帝国の弘法”であるらしい。ほかにそれらしきものは見当たらぬところからすると、か、かなりの確率でそうなのだろう。あは、あはは、は……はは、まあ、細かいことはさておくとして、いったいどんな話なのか、表紙を見ただけでわくわくするではないか。するでしょう。しないと嘘だ。しますっ! いやまあたぶん、見たまんまの話なんだとは思うのだが……。
 田中啓文が持てる才能をあますところなく傾注して〈SFマガジン〉に書きついできたライフワーク《人類圏》シリーズ三篇に表題作を含む書き下ろし二篇を加え、いまここにとんでもない本が誕生した……ようである。各作品には田中啓文をよく知る五人の作家が解説をつけ、口をきわめて罵っているばかりか、本の腰巻では、朝松健我孫子武丸、飯野文彦、岩井志麻子、大原まり子、菊地秀行、北野勇作倉阪鬼一郎小林泰三、塩澤快浩、島村洋子、菅浩江瀬名秀明田中哲弥野尻抱介藤原ヨウコウ牧野修、森岡浩之、森奈津子、山田正紀といった錚々たる面々が、「私たちは、この本を推薦できません」と宣言している。
 まあ、多くは語るまい。じつは、いずれ某所で多くを語ることになっているので、ここでは語るまい。それにしても、よくもここまでやったものである。おれが田中啓文なる作家をさっぱり知らず、編集担当のS氏とやらもまるで知らず、SFもまったく知らず、早川書房などという出版社など聞いたことすらなかったとしても、このタイトルが書店で目に留まったら、なにやら熱い血の滾りを覚えて買ってしまうにちがいない。「しまった、やられた――『今月の言葉』に持ってこいなのに」と。

【2月15日(木)】
▼最近、いったいなんだって ABBA(パソコンじゃ正しく書けないな)が流行っているのかと不思議に思っていたら、そうか、テレビドラマの主題歌に使われているのか。ケータイの着メロをダウンロードしていてようやくわかったのだから、おれもすっかり鈍いおじさんだ。若い人には、ああいうのがかえって新鮮に響くのだろう。いや、おれも好きだけどね。Chiquitita は、おじさんたちの若いころには、清涼飲料水だったかなんだったかのCMに使われていたものでありますよ。
 ABBA を最初に聴いたとき、スウェーデンのグループだと知って驚いた。まだ姿を見たことがなかったので、アメリカ人だろうと思っていたのだ。ふだんしゃべってるところを聴いた記憶はないけれども、少なくとも歌に関しては、訛りというほどの訛りがほとんどないではないか。ネイティヴではなさそうな響きはあるけれども、あのくらいであれば訛りというより個性の範囲で、高等教育を受けたアメリカ人にだってもっと訛ってる人はいくらでもいるじゃん。北欧のあそこいらへんの人たちってのは、やっぱり外国語に対する耳の鍛えかたがちがうのかね? 人間というものは、三つや四つの言語をふだんからぺらぺらしゃべっていてあたりまえってな感じで育つんだろうなあ。
 ABBA の曲では、定番の Dancing Queen みたいなのも好きだが、なぜか Super Trouper がいちばん気に入っている。スターの側から、聴衆の中の恋人ひとりに呼びかけている歌で、A Song for You であり “逆 Superstarなのだが、妙に“せつな明るい”曲想がいい。あのころの ABBA の曲には、The Winner Takes It All とか On and On and On とか、不思議とおれの好きなのが集中している。同じグループでも波長の合う時期と合わない時期があるもんだよね。

【2月14日(水)】
▼ヴァンレンタイン・デーである。チョコをくださった方々、ありがとうございます。
 パソ通友だちの宇海遥さんからのチョコを開けてみて絶句する。どう見てもほんものとしか思えないカエル型のチョコである。食うのがもったいない気もするが、しばし鑑賞したのち頭を齧り取った。しまった。胴体のほうから齧り取るべきであったか。そうすれば、残った上半身を牛めしに入れて食ってみるという遊びができたのに。あの事件ももう旧聞に属するなあ。最近はあまりインパクトのあるインターネット告発事件を耳にしないが、みんなもう飽きてしまったのであろうか。
 で、チョコに戻る。このカエル型チョコのように、チョコという食いものの遊べる点は、どんな形にでもできるところだ。きっと瀬名秀明さんのところにはミトコンドリア型チョコやらドラえもん型チョコやらがたくさん届いているにちがいない。小林泰三さんなどは、邪神型チョコとか臓物型チョコとかヒトブタ型チョコとか、いろいろ食欲をそそる形のチョコを山のように受け取っていることであろうし、田中哲弥さんはいまごろ猿型チョコを丼十杯くらい食って腹を壊しているだろう。牧野修さんは牧野修さんで、電波型チョコハリガミ型チョコドラッグ入りチョコを食ってラリっていることだろう。牧野さんには人間の顔型のゼリーを贈るのも最近の流行であるらしい。
 ここで、田中啓文ファンのために、マダム・フユキが特別に彼に贈るべきチョコレートのレシピを教えて進ぜよう。みなさま、メモのご用意を。
 まず、宇宙飛行士の“型”を用意して溶かしたチョコを流し込み、中が空洞になるように宇宙飛行士型チョコを作る。それから“ピザ味”のプリングルスをミキサーで擦り潰しどろどろにする。匂いをリアルにするためバナナジュースを加えるのをお忘れなきよう。できあがったどろどろを宇宙飛行士型チョコの中に太めの注射器で詰め、穴を塞いでできあがり。言わずと知れた「嘔吐した宇宙飛行士」型チョコである。宇宙飛行士のヘルメットを齧り取ると、中からなにやらつ〜んと酸っぱい臭いのするピザ味のクリームがとろ〜りと溢れ出て、食欲がいや増すこと請け合いである。啓文さんの奥様に於かれては、来年ぜひ作ってさしあげてください。
 ――って、今日はSFを読まない人にはさっぱりわからないネタですみません。

【2月13日(火)】
昨日の初期不良のケータイ、買った店に持ってゆくと取り替えてくれた。どうせ取り替えになるだろうと、メールなどのデータはすべてSDメモリカードに退避しておいたので、電話帳のデータ移行だけでいとも簡単にすんだ。電話屋の話では、feel H" のパナソニック機「ル・モテ」はかなり液晶にトラブルが多いとのことで、要注意である。たしかにどの個体を見ても、液晶が傾いていたり、液晶はきれいでもフロントライトにかなりムラがあったりする。パナソニックもあんまり液晶は上手じゃないみたいだ。それ以外は、まことにけっこうなマシンなんだけどねえ。
 そういえば日記に書くのを忘れていたが、どうせSDを入れるならと、清水の舞台から飛び降りるつもりで64MBのを買ったのであった。かなり安めのマルチメディアカードでも代用できることは知っていたが、ちょっとしたところで他の機器との不整合が生じて悔しい思いをするようなことがあっても癪なので、やっぱりSDにしたのだ。さすがにアイ・オー・データ機器製だけどね。あたりまえの話だが、電話器本体よりも高い。わはははははは。これだけ投資したのだから、骨までしゃぶるようにして使い倒してやらずばなるまい。
 それにしても、ケータイに64MBも積んでどうしようというのだ。ICレコーダーとして使えるというのが feel H" パナソニック機の目玉機能なのだが、64MBをフルに使ったとすれば、なんと四時間録れるというから驚きである。ただし、スピーカーで連続再生すると一時間半でバッテリ切れになるとマニュアルにあるから、まあ、短い打ち合わせや会議などをいくつも残しておくといった使いかたをするべきだろう。おれは声フェチなので、好きな声の人にしゃべってもらい(「エェ〜声ェ〜〜」と吉本ネタをやってもらうとか)コレクションをするのもよいかもしれんって、な〜に考えてんだか。声フェチの人は、絶対「ル・モテ」ですぜ。
 なにも四時間ぶんも会議を録る気などないので、ケータイ・メールをどんどんSDにセーブしてゆくものの、依然、余裕の空き容量を維持している(あたりまえだ)。音なんぞおまけの機能だとは思っていたのだが、いざ鳴らしてみるとなかなか楽しく、調子に乗って着メロやらカラオケやらを次々ダウンロードしてみる。ソフト的には、本体に十曲、SDに百曲、計百十曲の着メロが持ち歩ける仕様になっているというから、これはもう、アホである。メールの形で保存すればもっと持ち歩ける。持ち歩いてどうしようというのだ。道端で唄うのか?
 eメール受信は、一通あたり全角一万字ってのが嬉しい。四百字詰め原稿用紙二十五枚ぶんだ。短かめの短篇一本読めるではないか(読みたくはないが)。これだけのメールを親指で打って送ってくるやつがおったらアホやな。
 おっと、おれはめったに使わないのだが、なかなか便利な機能がもうひとつあった。このケータイは、遠くの人と声でお話しができたりするのだ。すごい機能である。テクノロジーの勝利と言えよう。
大森望さんが、H川書房〈SFマガジン〉の編集長、S澤さんを応援する(らしい)サイト「S澤わくわく伝言板」を開設。全国十四万八千人のS澤編集長ファンはゴーだ。

【2月12日(月)】
▼ありゃま。先週買ったばかりなのに、ケータイのディスプレイのフロントライトが点かなくなる。どうも昨年から(前世紀末からと言うべきか)、おれがデジタルグッズを買うと初期不良品に祟られるようだ。明日、販売店に持っていって交換してもらおう。
▼いまはなきインターネット文芸新人賞(第一回)に「太陽が山並に沈むとき」(いまは「青空文庫」で無料公開されている)で入選、SFバカ本 たいやき篇プラス』岬兄悟大原まり子編、廣済堂文庫/絶版)にも「夢の有機生命体天国」が収められ、第一回日本SF新人賞にも「パッチワールド」が最終選考まで残った、たいへん幸運でありながらも不運なセミプロSF作家・弾射音(だん・しゃのん)さんが、奥さんと共同でウェブサイトを開設なさっていた。受賞作をぜーんぜん売る気のない賞にふりまわされたり(あれは主催者側が不甲斐ないのであって、選考委員に罪はないのである、念のため)、メジャーレーベルのアンソロジーに載ったと思ったらこれまた版元の会社が出版から撤退したために絶版になったりと、傍で見ていても踏んだり蹴ったりの目にあっている弾さんだが、ウェブサイトという武器もあることだし、いつの日か必ずや弾射音の逆襲があるものと期待しているのだった。

【2月11日(日)】
feel H" の イメージキャプチャーユニット(要するにデジタルカメラの撮像機構だけのユニット)「Treva」の使いみちを考えていて、ひょっとして書影の紹介に使えるのではないかと思い、さっそく試してみる。手近な本を何冊か撮ってみた――。

 妙に古い本が多少混じっているけれども、まあ、知ってる人にはなんの本かはわかる程度には撮れてるな。よし、当分これで間に合わせることにしよう。なにしろレンズの大きさが大きさなので、こういう四角いものを至近距離で撮ると球面収差や色収差がかなりはっきり出てしまう。ま、いいでしょう。
 試しに縦横を四倍(面積で十六倍)に拡大してみると――

 どっひゃー。思わず土居まさるになって「中島梓さん、どうぞ」とか言ってしまいそうだ。やっぱり、こんなもんでありましょう。小さいままのほうが、よっぽどきれいに写っているように見える。人間の認知能力というのはえらいものと言おうか、いいかげんなものと言おうか、いいかげんだからこそえらいものだと言おうか……。


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