間歇日記

世界Aの始末書


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2003年10月下旬

【10月31日(金)】
《以前から不思議に思っていた》シリーズ(というのがいまできたのだが)である。「空にそびえるくろがねの城」というが、マジンガーZはべつに鉄でできているわけではない。というか、「超合金Z」なるものの存在がこの作品における最も基本的かつ重要な前提であるはずなのに、主題歌の冒頭からその前提に反旗を翻しておる。アニメの主題歌がそのような曖昧な言葉遣いを許したからであろう、「超合金」と称して売られていたおもちゃは鉄でできていた。おれは持っていなかったが、むかしの公園の砂場などには、うっかりブレストファイアーを使ってどろどろに溶けてしまったマジンガーZの残骸がいくつも転がっていたものである。いまなら製造物責任を問われるところだが、あのころはとにかくのどかな時代だった。そういえば、あのころの砂場には、うっかりジェットスクランダーに後方から触れてしまった子供の指がぽろぽろと転がっていたものだ。言葉が曖昧なのも困りものだが、正確に作りすぎるのもいかがなものかと思う。

【10月29日(水)】
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『乙女軍曹ピュセル・アン・フラジャーイル』
牧野修、ソノラマ文庫)

 おや、なんだか牧野修の本らしくない装幀である。見るからに清純そうな乙女がなにかに憧れるような表情を浮かべ、右手に持った剣を天空に向けて掲げている。一瞥、“柔らかいジャンヌ・ダルク”といった印象を受ける表紙画だ。おお。ついに牧野修も言葉で世界を破壊してきた悪行三昧を悔い改め、親や教師が女子小学生・中学生に嬉々として薦めるようなものを書きはじめたのだろうか。
 「あとがき」の冒頭には、「この物語を書く直前まで、狂暴凶悪猥褻下品で最悪な美女二人組の小説を書いていました」とある。狂暴凶悪猥褻下品で最悪な美女二人組の話といえば、こないだのアレに決まっている。いやあ、アレはたしかにすさまじかった。どのページを開いてもものすごい字面が目に飛び込んでくるため、電車の中で隣の人が覗きこまないか、ひやひやしながら読んでいたものである。いやそんなあなたそれはちがいます、あなたがたまたま覗きこんだこのページがたまたまそういう描写であっただけでいやだからちがいますてば、読んでる本で人間を判断してはいけませんいけません断じていけません、ほら次のページはこのとおり人も死にません、ロリ系美少女が男の肉体をじわじわ切り刻みながらオナニーしたりしません、え、してますかわーほんま、いやだからそのこれはたまたまこのページが藝術的必然でこういうページなのであって次のページはきっと、わぁ――みたいなスリル満点の作品であった。
 本書はその反動が出たのだそうで、「清く正しい戦闘美少女が、むさ苦しい男たちを手足のように使い、大暴れします。単純明快な勧善懲悪大活劇です」と「あとがき」には書いてあるが、素直に信じてよいものか。まあ、いくら牧野修でも、ソノラマ文庫で男を切り刻みながらオナニーしたりはせんとは思うがわからんぞ。

【10月28日(火)】
▼なんだか知らんが、テレビCMを二本、立て続けに思いつく。おれがCMを思いついたからといってどうなるものでもないのだが、ときどき「こんなCMを作りたいなあ」と発作的に思いつくのである。
 ●日本酒のCM。侍姿の北大路欣也のアップ。刀を抜き、青眼の構え。画面上手を背にして、下手にフレームアウトしている敵に向かって、静かな殺気を込めた名のりを上げる――「刺客、子連れ狼」 カメラが下手に振れ、へっぴり腰で刀を構える侍が名のる――「まる。矢崎滋」
 ギャラが高そうなわりに、スベる危険が大きい。
 ●動物園のCM。園内の風景。突如、釈由美子のアップ。釈、右腕をまっすぐに伸ばし、ぴんと立てた人差し指をカメラに突きつけて言う――「小粋なサイ!」 カメラがズームで引きながら釈のサイドに回り込むと、釈の真ん前を、見るからに小粋なサイが歩いてゆく。
 “見るからに小粋なサイ”などというものを、いかに映像で表現するかが監督の腕の見せどころである。そんなもの、表現したかねーけどな。

【10月27日(月)】
▼おおお。この日記のカウンタが、ついに百万を突破した。漢字で書くと、どうもありがたみがないな。1,000,000を突破した。いやはやまったく継続は力というか下手の横好きというか石の上にも三年というか、カウンタのついている日記は続けてさえいればいつかは百万くらいにはなるとは思うものの、感慨もひとしおである。みなさま、ご愛読まことにありがとうございます。ここらで「間歇日記『世界Aの始末書』は永遠に不滅です」とかほざいてすぱっとやめればカッコいいかもしれんが、まだまだこの日記は続くのである。いつまで続くかわからないけれど、ご用とお急ぎでない方は、おつきあいください。
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『星の綿毛』
藤田雅矢、ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

 トリビアにさえ種がある今日このごろ、“植物育種家”という異色の肩書きを持つSF作家、藤田雅矢がJコレに登場である。裏表紙のアオリには、「どことも知れぬ砂漠の惑星。そこでは〈ハハ〉と呼ばれる銀色の巨大な装置が、荒れた大地を耕し、さまざまな種子を播きながら移動を続けていた」ときた。なにやら叙情叙情した、叙情でございます、ええ叙情ですとも、その証拠に叙情だと叙情を押しつけてくる異世界のようなものがだらだら描かれているような話はおれは嫌いだが、藤田雅矢はまちがってもそんなものは書かないはずである。必ず叙情の垂れ流しを御する縛りがあるにちがいない。それがすなわち“種から命を育てる”という屋台骨なんだろうなと推測するのだが、まだ読んでないからハズレてるやもしれん。なんかこう、本全体から『旅のラゴス』筒井康隆)のような、『果てなき蒼氓』(谷甲州&水樹和佳子)のような匂いが立ち昇っている。だとすると、おれのツボにハマるはずだ。楽しみである。

【10月26日(日)】
▼日曜日恒例、『仮面ライダー555』テレビ朝日公式サイト東映公式サイト)にミーハーする時間がやってまいりました。というか、最近、“ファイズ突っ込みアワー”の様相を呈してきたな。
 今回は、またもや新しい変身アイテムが登場、なんとファイズが“二段変身”して赤いファイズになった。なんだか、セーラームーン化してないか。ファイズが新変身アイテムにコード555を入力すると、軌道上の人工衛星からなにやら光線のようなものが出て地上のファイズに降り注ぎ、ファイズは赤ファイズになるのである。スペクトルマンかい。それにしても、スマートブレインは、一企業の分際で、死人は生き返らせるわ、人工衛星は持ってるわ、べつにオルフェノクに人間を襲わせなくても、世界征服くらいできるんとちがうか? あの調子なら、核兵器でも生物兵器でも持っていそうだ。人間には致死的な作用を及ぼすがオルフェノクには無害なウィルスでも開発したほうが、仮面ライダーの変身ベルトをめぐって擦った揉んだするより、ずっと簡単そうだぞ。
 以前、ファイズの動きをサイボーグ009みたいに加速させる“ファイズアクセル”だかを突然草加雅人が持ってきて、「おまえが持ってたほうが都合がいい」というわけのわからん理由で乾巧に渡したのだったが、結局あれは、どう都合がよかったのだ? あれを作ったのも、今度の新しい二段変身アイテムを作ったのも、たぶんスマートブレインの前社長であろう。おれは前社長に言いたい。いろいろ新アイテムを作ってるヒマがあったら、いまの変身ベルトを、もう少し外れにくいように改良してやれよ。
 ついでに『アストロボーイ・鉄腕アトム』(フジテレビ系)突っ込みアワー。以前出てきた不法産廃業者〈ダークガールズ〉とやらが再登場していたが、あいつら三人は、どうキャラがちがうのかよくわからん。リーダーだけでも、まったく差し支えないように思えるが……。埼玉紅さそり隊(『クレヨンしんちゃん』)のほうが、ずっとキャラが立ってて魅力的であるぞ。悪玉がチャチだとつまらん。

【10月24日(金)】
▼玄関のドアノブのユニットを固定しているネジがひとつ、表から外されていることに気づく。気色が悪い。おれんちに忍び込んでも本以外ほとんど盗むものがないわけだから、十全に下調べをしているとすれば、本好きなやつの犯行であろう。水も漏らさぬ推理である。もっとも、素人が忍び込むと本の下敷きになって死にはしないまでも負傷しかねない。運のいいやつめ。
 団地の管理人にどこをどうされてしまったか説明するのにケータイで写真を撮ったので、ついでだから載せておこう。うーむ、ケータイのカメラにはこういう使いみちもあったか。

← 上部の小円が鍵穴。でかい円がドアノブ。その下がネジを外された跡である。

 こんなもの、手で外そうとしたって外れるものではない。わざわざドライバーを持参して外したのだ。このネジをドライバーで外そうとすると、かなり身の長いドライバーでないと、柄がドアノブに当たって外しにくいはずである。見ると、案の定、ドアノブの下部側面になにかが擦れたような跡があった。どこの家にでもある一般的なサイズのドライバーを使ったようだ。なにやら素人臭い感じもするが、プロだからこそ不審尋問を受けたときに言い逃れできない特殊な道具を携行したりはしないものなのかもしれない。ふつうのドライバーでも、ふつうの人が携行していたら充分不審だけどな。
 最近空き巣が増えているというが、どうやら身近に脅威が迫っているらしい。高価だと言えるほど高価なものはおれの家にはまったくないけれども、第三者にはつまらないものながらおれにとっては貴重なものはある。警戒を厳重にせねばなるまい。電子的なトラップでもいくつか仕掛けておこうか。『ホーム・アローン』みたいなトラップをいっぱい仕掛けておいたら面白かろうが、下手すると自分が引っかかるおそれがある。モスラの糸みたいなのを泥棒めがけて噴射するような仕掛けはないものか。たしかにモスラの糸は、ひと缶四百八十円で市販されているのだが、あれにはほんもののような性能はないだろうしなあ。ほんもののモスラの糸、発売希望。帰宅すると玄関のドアがこじ開けられており、三和土のところでなにやら巨大な繭が蠢いている。繭を切り開いてみると、ヤク中のマコーレー・カルキンが出てくる――なんてことになると面白いなあ。面白かったらええのか。

【10月22日(水)】
「おいしい牛乳」という文字列を含む商品名の牛乳が複数の会社から出ていてややこしい。最初に明治乳業から出たときに、「あ、これはもしや、当たったらよそがやりおるな」と思っていたら、案の定だ。一般名詞の組み合わせにすぎない「はちみつレモン」が商標として認められず、いろんなメーカーが「はちみつレモン」を発売できてしまった例はあまりにも有名であり、明治はいったいなにを考えてこんな商品名にしたのか理解に苦しむ。パクられてもパクったほうに悪いイメージがつくだろうと、リスクを計算したうえであえてやったのだろうか。パクったのは森永乳業だが、おれなんぞは、「ああ、やりおったな。えげつないというよりは、むしろ期待を裏切らない“ワザあり”やなあ。とくに関西人は“おみごと”くらいに思うやろなあ」と感心している。たしかに、もし雪印乳業が同じことをしていたら袋叩きに会ったにちがいないだろうけどな。
 AV女優などの芸名がアイドルの芸名のパロディになっていることがよくあるが(最近は流行らんみたいだけど)、あれはあんまり裁判になったという話は聞かないよな。本来なら、不正競争防止法に言う「周知表示混同惹起行為」(やたらたいそうな行為だ)になるはずだが、芸名が“周知表示”だと万人が認めるほどの芸能人であれば、「あとからぽっと出たAV女優と誰も混同せんわい」と万人が認めることもまた事実である。訴えて「洒落のわからんやつ」と思われるのも芸能人としては損だし、むしろAV女優にパロられるようになったら一人前のアイドルだくらいに思っているのやもしれん。まあ、ことによると、「いいだももって誰?」「ほら、高島礼子のダンナの前の奥さん」「ああ、そかそか」などという会話を電車の中で耳にしないともかぎらないが、これは混同が惹起されているのではなく、話者の文化圏が偏っているというだけの話のような気もする。
 “榊林長平”とか“犬原まり子”とかが出現しても、やっぱりギャグだとしか思われないであろう。あるいは“小林秦三”であれば、犯意があると認められるかもしれない。“おいしいSF”というペンネームでデビューすれば、書店の棚ではたいへん有利であると思われるが、誰でもその名でデビューできるであろうことは言うまでもない。まあ、編集者に止められるに決まっているが。
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『記憶汚染』
林譲治、ハヤカワ文庫JA)

 おお、わかりやすいタイトルだ。どんな話なのか想像がつきそうでいて、具体的にはさっぱり想像がつかないという絶妙な簡潔さである。少なくとも「魂はみずからの社会を選ぶ――侵略と撃退:エミリー・ディキンスンの詩二篇の執筆年代再考:ウェルズ的視点」(コニー・ウィリス/山岸真編『90年代SF傑作選(上)』ハヤカワ文庫SF・所収)よりはずっと想像がつく。
 「破滅的な原発テロの教訓から、携帯情報端末による厳格な個人認証が課された近未来日本社会」ときた。おおお、原発テロ。携帯情報端末。個人認証。おそらく、セキュリティプライバシーというものが大きなテーマとなってくるのだろう。いま最もホットな題材である。そして、なにがプライベートかといって、“記憶”ほどプライベートなものはない。まず最も極端なところから思考するのは、SFのお家藝である。そしてその“記憶”が“汚染”されるわけだ。なーるほど、そういう話なのだな……。といっても、具体的にはどういう話だかさっぱり予測がつかない。でも、だいたいどういう路線の話なのかは、匂いでわかる。これはコンピュータ・通信方面、SF方面、セキュリティ方面、その他諸々方面に、それぞれの視点からそれぞれの興味・関心を惹起しそうな、おいしいタイトル、おいしい設定だ。坂村健氏、塚本昌彦氏、東浩紀氏、三輪信雄氏、岡村久道氏、田中康夫氏らが手に取ってくれたら、面白いコメントを出してくれそうだ。まあ、少なくとも前三者は、ほぼ確実に手には取るだろうけどな。

【10月21日(火)】
▼なにやら最近、行きつけのコンビニは酒の品揃えがよくなって、とくに焼酎が豊富になった。「千鶴」という芋焼酎があったので、試しに買って飲んでみる。芋焼酎独特の癖のある香りが苦手な人は全然だめだろうが、まあ、安いわりにはなかなかうまい。
 千鶴といえば、鳥木千鶴宮迫千鶴池脇千鶴世界三大千鶴であることは言うまでもないけれども、はて、よく考えたら、いま思いつくのはこの三大千鶴だけである。わりとありそうな名前なのに、もしかすると意外と少ないのかもしれない。あるいは、おれが知らなさすぎるのか? だが、おれがいままでの人生で実際に生身で出会った人々を頭の中で検索してみても、千鶴という女性は不思議とヒットしないのだ。男性もである。
 会ったことはないが、上野千鶴子というのはすぐ思いつく。が、これは千鶴的には反則である(ということにしておこう)。千鶴と書いて「ちづ」と読む人もけっこういそうだが、やっぱりこれも全然思い浮かばないのだ。「ほら、あの人がいるじゃん」と指摘されれば、そうだそうだと思い出すにちがいないのだけど、いまいくら考えても出てこないのである。不思議だ。単に脳が老化しているだけなのかもしれない。


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