間歇日記

世界Aの始末書


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2004年2月中旬

【2月20日(金)】
年に一回の人間ドックで体脂肪率を測定し、愕然とする。二一・七パーセントだとぉ? そんなバカな。去年は体重七○キロで二三パーセントだったのだぞ? あれから六キロ落ちているのだ。七○キロあったときの脂肪の重さは、一六・一キロのはずだ。いま六四キロで二一・七パーセントが脂肪なのだとしたら、脂肪の重さは約一三・九キロだろう。二・二キロしか脂肪が落ちていないことになる。しかし、実際に体重は六キロ落ちているという事実がここにある。脂肪以外のいったいなにが、三・八キロも落ちたというのだろう? こんなに身体が締まって筋肉がついたではないか。ズボンの腰まわりなんかブカブカになってしまっているではないか。脂肪でないとしたら、なにが落ちたのだ、なにが? か? クラゲじゃあるまいし。それとも、一年でひどい骨粗鬆症にでもなったのか。歳食って脳が減ったとか? 最初から三・八キロもないわな。そうか、おれの身体を構成していたアブラがなんらかの理由で、軽いアブラに入れ替わったのだ。一年前は重油だったのが、いまはほとんど軽油になっているのかもしれん、ってそういう問題か。うーむ、謎は深まるばかりである。
 まあ、田中哲弥さんも訝っているように(「田中哲弥の、仕事に明け暮れる日々について」2003年8月1日・2日参照)、足の裏から電気を流して測定するタイプの体脂肪計はハンパじゃなく測定値が変動するようなので、どうも今回の結果はアテにならん。スリッパを履いていろんな検査を受けているうちに、足の裏に汗をかくのが影響しているのだろうか? でも、だとすると、電気抵抗は下がるはずだしなあ。そうか、やはり水か。今回の測定時には身体の水分量がかなり減っていて、それが相対的に電気抵抗を高めていたのにちがいない。それを体脂肪計は、体重に比して脂肪の率が高いと判断するのだろう。
 うーん、やっぱり正確に測るには、体脂肪計を買って、日々の生活の中でできるだけ同じ条件下での測定になるように狙いつつ、しばしば測らねばならんのかなあ。あれ、高いからなあ。体脂肪率を測る程度のことに体脂肪計を買うほどの金は使いたくないよなあ。
 今回の測定値が、仮にも掛け値なしに正確だったとしたなら、マジで堺三保さんに体脂肪率で追いつかれる日も近いかもしれぬ。よし、次回こそは体脂肪計の傾向と対策(?)を研究して測定に臨み(努力の方向がちがうような気もするが)、キアヌ・リーブスの倍を叩き出さなくては。

【2月18日(水)】
▼解剖実習中に切り取った死体の耳を壁にくっつけて「壁に耳あり」とやったところ退学になった医学生の話というのは、実話だか都市伝説だか知らぬが、すっかり人口に膾炙している。
 ところで、おれはこのごろ水曜日になるたび思うのだ。やはり解剖実習中に、「はい、メロンパン入れになってまーす」 パカッ――とかやって退学になった医学生もどこかにいたりするのではないかと……。

【2月16日(月)】
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『SFが読みたい! 2004年版』
(SFマガジン編集部編、早川書房)
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 ご恵贈いただいたというよりは、「発表! ベストSF2003」として集計される「マイ・ベストSF[国内篇・海外篇]」のアンケートに答えているので、見本としていただけるわけである。SFファンには説明する必要もない毎年恒例のムックなのであるが、SFファン以外のこの日記の読者がまかりまちがってSFを読んでみようとお思いになったら、この本を参考にしていただきたい。“いま”の活きのよいSFが目白押しだ。
 いや、それにしても、大森望さんの「21世紀日本SF作家分布マップ SF大陸の国勢調査」には笑い転げながら脱帽した。こういう藝こそが、大森望の真骨頂でありますなあ。このノリは、たとえ充分な知識を備えていたとしても、ちょっと余人には真似のできないものがある。このマップ(科学性を北、幻想性を南、作家性を東、物語性を西とした二次元座標)をつらつら眺めるに、おれ自身がとくに居心地がいいのは、北北東から東北東にかけての旧市街寄りのあたりかな。だけど、南のほうの郊外も捨て難い。ま、二次元で表わすのに土台無理があるわけだから、そこはそれ強引にマッピングするところがこの企画は面白いわけだ。
 この大森マップを見ながら、『タモリの(SUPER)ボキャブラ天国』を連想した人って多いんじゃなかろうか。「知的―バカ」軸が「科学性―幻想性」軸で、「インパクト―シブい」軸が「物語性―作家性」軸なわけね。いや、べつに幻想作家がバカだと言っているんじゃなくて、あえてボキャブラ座標に当てはめればそうなるという話である。たとえば、大御所を強引にマッピングするなら、小松左京「インパク知」で、筒井康隆「バカシブ」となるだろう。問題は、「バカ知」とか「インパクシブ」とか、ボキャブラ座標では表わせない領域の面白さが、SFの場合、ざらにあることだなあ。

【2月15日(日)】
▼日常に潜むサブリミナル効果というものがある。
 土曜日からの続きの夜中(なんて言いかただ)に小腹が減ったので、冬のゴキブリのように台所をうろつく。おお、テーブルの上に草餅が入ったビニール袋が置いてあるではないか。そうかそうか、そういえば一個残してあると言うておったな。食おう食おう。おれはいそいそと草餅を袋から取り出しながら、無意識に鼻歌を唄っていた。「♪コートでは〜、誰でもひとり、ひとりきり〜」
 しかし、だ。おれは草餅を口に運びながら、ふと思った。なぜ『エースをねらえ!』のテーマソングなんぞが口をついて出たのであろうか? このところ、『エースをねらえ!』(テレビ朝日系)を跳びとび切れぎれに観ているからだろうか? まあ、よい。些細なことだ。
 そして草餅をひと口齧ったとき、おれは一瞬にしてその選曲の理由を悟ったのだった。サブリミナル効果だ。草餅の齧り口を見ながら、おれはつぶやいた――「緑…皮……アンコ」
 そういうわけだったのだ! おれはおのれの無意識のあまりにもくだらない働きに戦慄した。脳というのは、ほんとに勝手にいろいろ考えてくれるものだ。だが、無意識のやつめ、せっかく勝手に考えてくれるのなら、なにか金になりそうな大発明でもしてくれればいいのに、考えるにこと欠いて「緑皮アンコ」かよ。おれの知らないあいだに、おれの無意識はこんなことばっかりせっせと考えているのかと思うと、そこはかとなく情けないものがある。まあ、自分で笑えるから、それはそれでいいんだけど、さほど高くはないにしてもそう低いわけでもない知能の無駄遣いもおびただしいのではあるまいか。

【2月12日(木)】
▼帰宅して飯の支度をし、さあ食おうとテレビを点けたら、二十一時をとうに過ぎているのに、なぜか『エースをねらえ!』(テレビ朝日系)がはじまったばかりらしい。サッカーで時間がずれたようだ。
 この前はテーマ曲のアレンジについて不平不満を垂れたのだが、今回はエンディング曲に文句を言う。べつに上戸彩が自分の歌を唄うのはかまわない。アイドルも商売だ。がんばらなかったら人気は sa girl。ただ、せっかくテーマ曲をリバイバルさせたんだから、どうせならやるとこまでやって、やっぱりエンディングも『白いテニスコート』で締めてほしかったとも思うよのなあ。あれもなかなかスポ根学園ドラマらしい“これ見よがしにドラマチック”な名曲ではないか。「♪夕焼けの種子島で〜、折れた、かわいそうな、ロケットを見・た・わ〜」ってやつだ。だいたいおおまかにはそんなふうな歌だったことについては、この日記の読者にとくに異論はないと思う。


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