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2004年7月下旬 |
ひとりぼっちももうたいがいやで
誰でもそれなりに寂しいもんやけど
だあれも知らへん、ウチだけのとき
辛抱(しんぼ)した痛み
待っとるくらいしかできへんかった
希望だけのとこへあんたが来たんや
あんたにはどないえらいことかわからへんやろ
あんたは暁や 夜もいぬんや
そこいらが明るうなるわ
抱いとったら ベイビー、ベイビー
なんかしらメイビー、あんじょういきそや
ベイビー、ベイビー、あんたの愛で
歌みたいに、ずっと自由や
ほんの昨日(きんの)までは
悲しゅうて寂しかったで
あんたが過去も涙も
放(ほ)らしてくれるんや
明日は今日より明るうなるわ
かなんことみんな昨日(きんの)
放(ほ)ってもたとこやさかい
うーん、やっぱりかなり難しいぞ、これは。歌うのはかなり苦しいな。二番はやめとこ。言っときますが、関西の人でも、日常的にこんな言葉使ってる人はほとんどいませんよ。タイトルだけなら、面白げなものはできるな。「あんたに近(ちこ)う」とか、「はじまったばっかし」とか、「痛(いと)うておあいこ」とか、「けだもんとジャリの詩」とか、「恋に、ほな」とか、「恋せんとあかんわ」とか、「『しっ』ていうたみたいやん」とか。「面かぶり盆おどり」くらいになるとかなり無理が出てきたから、このへんにしとこうか。あ、もひとつでけた。「それでや」ちゅうのは、ほとんど原語のまま……ちゅうか、意味がちゃいますかそうですか。
【7月26日(月)】
▼なるほど、ハードディスクの容量というのは、いくらあってもありすぎることはないと改めて思う。一昨日、「おれはそれほどマルチメディアをバリバリ使う人ではない」などと書いた指先も乾かぬうちに(?)言うのもなんだが、(コピーコントロールCDでないかぎりは)音楽CDをバカスカとディスクにコピーして利用するというのは、じつに快適である。なにしろおれはものぐさだ。いちいちCDを取り出してきてデッキにセットするというのが面倒である。いったん座ると、わざわざ立ち上がってそういうことをするのが億劫でしかたがない。それが、クリックひとつで好きな曲が呼び出せるようになってしまったのだ。テクノロジー万歳である。いまごろなにを言っていると言われそうだが、前のパソコンはCD−ROMドライブが壊れたまま使っていたし、仮にドライブが健在であったとしても、wav ファイルにして一曲数十メガにもなるような音楽データを野放図に放り込んでおくような贅沢な使いかたはとてもできないハードディスク容量であった。なにはともあれ、わが家においても、ようやくパソコンがまともなオーディオ機器になったわけである。まあ、スピーカーだけはオーディオ専用機器のそれにはとてもかなわないとしても、BGMを流すぶんには、標準構成でパソコンに付いてきたスピーカーで必要にして充分だ。音楽を集中して楽しみたければ、イアフォンで聴けばよいだけの話である。
前から不思議に思ってるのだが、どこのメーカのソフトでも、まあ、そこそこメジャーな音楽ソフトなら、CD入れてしばらくすると、勝手にインターネットにアクセスして、アーティストや曲名のデータを取ってきて表示しますわな。あれって、いったい誰がどこで入力しているのだ? データがなかった場合、音楽にマメなユーザが自分のパソコンで自主的に手入力したものが中央に吸い上げられて管理されるんだろうけど、それにしても、あまりにもマイナーな盤のデータが、ちゃんとネットから落ちてくるのには感嘆する、というか、ときに恐怖すら覚える。「どれ、試してやろう」という妙な闘志が湧いてきてしまい、あんまりメジャーじゃなさそうな盤を次から次へとドライブにセットしてみる。
上野洋子の『Puzzle』――あ、ちゃんと情報が落ちてきた。まあ、これはちょっとメジャーすぎたか。収録曲の「Seek Words」は素麺のCMに使われているくらいだしな。よし、シングル盤の『ウルトラマン80』はどうだ――わーん、ちゃんと入ってるよ。誰が入れるんだ、誰が。じゃあ、『帰ってきたウルトラマン』はどうだ? ちゃんと団次郎が唄ってるやつだぞ――ひいぃ、データが落ちてきた。さては京本政樹の仕業か? おのれ、では、さすがにこれは無理だろう、なにしろ本の付録なのだからな――と、『〈声の図鑑〉蛙の合唱 山渓CDブックス(6)』(前田憲男/山と渓谷社/[bk1][amazon])に付いていた愛聴のカエルの声だけが入ったCDを、おれはおもむろにドライブに入れた。あ、インターネットに繋ぎにいったぞ。まだデータは落ちてこない。落ちてこない。勝った――と思った瞬間、音楽ソフトの曲名リストに西表島から然別まで、カエル生録スポット六箇所の地名と、三十六種類のカエルの名前がずらりと表示されたではないか。ま、参りました、ごめんなさい、もういじめたりしません。でも、よく考えたら、このCD、カエラーだけじゃなくて、職業としてカエルを研究している人はみんな持ってそうだよな。そういう人はパソコンでカエルのデータを管理しているにちがいない。カエルの声の聴き分けを練習するのに持ってこいだし。
とまあ、こんなことをしながら、容量などまったく気にせずに、愛聴盤を片っ端からハードディスクに移している。まだ、六十ギガくらいあるな。だが、早晩、ハードディスクの容量というのは、いくらあっても足らなくなるというのも、また経験的真実なのであった。
▼《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。
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『小説探偵GEDO』の桐生祐狩は、Jコレ初登場。収録作七話中、二話は〈SFマガジン〉に発表されているが、あとはすべて書き下ろしである。眠ることで小説世界に侵入できる「小説探偵」が、その小説に描かれざる謎を追うというのは、単発作品のアイディアとしては相似のものに思い当たるものの、シリーズものとしては、ありそうでなかった魅力的な設定ではなかろうか(牧野修の《月世界小説》シリーズがちょっと近いかな)。設定貸してくれれば、おれでも一本書いてみたくなるくらいである。『パプリカ』(筒井康隆/[bk1][amazon])が、『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』をやるようなもんですぜ。いやあ、設定だけですでに勝っていると思うな。なにせ小説の世界に侵入するんだから、やろうと思えば、そして実力さえあれば、いかなるジャンルであってもメタレベルとしてのこの設定に取り込んでしまえるんである。演劇系の人は、一度はこういうことをやってみたくなるんだろうか? あなたも小説を読んでて気になることがあると思う。あそこでつじつま合わせのようにして殺されてしまったあの男の家族は路頭に迷っていないだろうか、子供はちゃんと学校に行けたのだろうか、とかさ。
『デス・タイガー・ライジング4 宿命の回帰』は、シリーズ完結篇。あわわわ、もう完結篇が出てしまった。じつはまだ「1」しか読めていないのだ。眼鏡をかけていないという欠点はあるものの、ナイチンゲールのようなミレの身の上がたいへん気にはなっているのだが(ミレだけかい! キバのほうがよっぽどキツいめに会うとると思うが)、いや、ミツタ家のいやらしい姉弟も『細腕繁盛記』の冨士真奈美にエリート臭をふりかけたようで、悪役として妙に好きなのだが、読みたい読みたいとは思っているのだが、なかなか読めないでいるのである。もう八月じゃ。いくらなんでも、完結を機に、そろそろ一気読みせんといかん。
【7月25日(日)】
▼新しいパソコンの環境設定に昨晩から引き続き取りかかっている。一応、ウェブ閲覧まわりとメールまわりはオーケーだ。日本誤変換用の辞書を移したりするのはけっこう面倒だから、おいおいやることにしよう。
それにしてもこの eMachines J2828、なーかなかいいじゃないの。ファンがうるさいという意見もあるようだが、おれはあんまり気にならない。パソコンというものは、むかしから多少はガーガーいってあたりまえと思って使ってきているから、静音に関するおれの要求水準が低いのかもしれん。このジュピターゴーストみたいなキーボード(と言って通じるのは、この日記の読者の半分くらいだろうと思うけれども)がけっこう心配だったんだが、文章書きはじめてみると、おお、悪くないじゃないか。ストロークが深くてクリック感があり、オリベッティの機械式タイプライターからキーボードに触れたおれにとっては、なんとなく懐かしい感触である(いや、あんなに重いわきゃないけどさ)。とはいえ、コントロールキーの位置だけはどうしても我慢ならないので、ソフトで入れ換える。[A]のキーのすぐ左に[Ctrl]がないと気色悪くてしかたがないし、おれの脳はそこに[Ctrl]があるということを反射として覚えてしまっているから、そのままだとすぐ誤操作をしてしまう。会社で使っているNEC機のキーボードもほぼ同じ配列になっている。[Ctrl]キーをホームポジションの二段も下に配置するとは、なにを考えてこのような凶悪な設計をしたのか。どこかの小指の短いアメリカ人の仕業ではないかと思う。たしかに小指の短いやつなら苦にならないだろうなとは思うのだ。あいにく、おれの小指は先端が薬指の第一関節を超えるほどに長い。
さて、この eMachines J2828 、いまのところなーんの不満もない。なるほど、売れてるわけだ。あちこちの売れ筋ランキングを見ると、最近、しばしば上位に(下手すると1位に)ランクインしてたりする。不思議だ。ある程度パソコンをいじっている人ならもちろん知ってるだろうけど、どう考えたって、そこいらで石を投げてみて当たった人がみな知っているという類のブランドではない。仮に数年前に日本に進出していたとしても、自作派もしくはその予備軍が中心の“パソコンおたく”系の人々くらいしかふりむきもしなかったはずである。少なくとも、マスコミの売れ筋ランキングに顔を出すことになるとは、誰も思わなかったろう。なにか面白いことが起こっているのだろうか。通販サイトはあちこちにあるが、店頭で実機を見られるのは、いまのところ独占的に代理店になっているツクモ電機と石丸電気だけのはずである。どちらもかなりマニアックなイメージの会社であって、カタギの人が量販家電を買いにゆくようなところではない。おれの知っている関西のカタギの人は上新電機やヤマダ電機や、最近では梅田のヨドバシカメラにゆく(話半分に聞いてくださいよ)。どうして、ツクモと石丸だけが売っているものがこんなに売れているのだ? やはり、ネット口コミの威力だろうか。ふつうの人がパソコンを探すときに、店頭ではなく、まずネットで情報を漁るようになったからなのかもしれない。あなた、eMachines のテレビCMなんて観たことありますか? ないよなあ、おれもない。テレビCMなんてやってたら、この価格でこのブツは売れまい。してみると、パソコンというのは、もう一台めはゆきわたってしまっていて、多くの人がいま持っているパソコンを使って買い替え・買い足しパソコンの情報を得ているということなのかもなあ。
今回おれが eMachines にしたのは、安くて高性能なこと、拡張性の観点から標準スペックをうまく設定していることに加えて、いつもの判官贔屓がかなりあるつもりなのだが、判官贔屓の人が好むようなマシンが売れ筋ランキングの常連になりつつあるのも、なんだか気色が悪いのよなあ。つまるところ、そういう時代になったということなのだろう。どん底景気を経た一般消費者の消費行動に、なにか相転移のようなものが起こっているのだろうか。
ま、いくら安くて高性能だからといって、パソコンを初めて買おうという方とか、お部屋のインテリアとしてのデザインにこだわるという方にはお薦めいたしませんです、ハイ。すでに武骨なブラックとシルバーが似合うお部屋だというのなら、こいつはバッチリですぜ、ダンナ。値段の割には、それなりに高級感のある落ち着いた無駄のない造りなのだ。
▼『ちびまる子ちゃん』(フジテレビ系)のエンディング曲が七月から新しいのになっていたため、いまのうちに入手しておかねばまずいかもと注文しておいた以前のエンディング曲、『宇宙大シャッフル』(LOVE JETS)が届いていた。一年前に出ているCDだが、そのうち買おうと思っているうちに、テレビでは聴けなくなってしまったのだ。ちょうどいい、さっそく新しいパソコンで聴こう。エンディングアニメの特典映像も付いている。LOVE JETS ってのは、忌野清志郎が深〜く関わっている自称“宇宙人バンド”なんだが、この曲の作詞はさくらももこ、作曲・ヴォーカルは忌野清志郎である。いや、おれ、この曲好きなんだよ。晩飯食いながら初めてテレビで聴いたときには、箸が止まっちまったよ。
ぼくらが見てた夢は 流線型にシルバーの
カッコ良すぎる未来
……と、さくらももこの詞は冒頭からストレートにおれたちの胸に飛び込んでくる。いやあ、同世代だねえ、まる子ちゃん。テレビ版では、清志郎がシャウトに入る前に静かに歌う部分はここまでなのだが、CD版にはまだ続きがあった。
ぼくらが見てた夢は 流線型にシルバーの
カッコ良すぎる未来 宇宙旅行に行こうぜ
月にだって住めるぜ
ひいいいぃ。涙がちょちょ切れる。まったく、「何やってんだ人類 どうしたんだ未来」である。
だけど、この曲聴いてジーンとくるのは、どう考えても、いま大人になっているまる子たちの世代だよなあ。いまの子供はどう思って聴いていたのか、いまだに謎である。あたりまえの話ではあるけれど、“二十一世紀”という言葉のあの不思議な響きは、すっかりどっか行っちまったなあ。
【7月24日(土)】
▼さすがにいつまでも Windows95 でダイアルアップ接続をしていてはいかんだろう(まあ、ウェブページを更新するだけならそれでもさして不自由はないのだが)というわけで、とうとう新しいパソコンを買った。というか、先日注文していたのが、今日やってきた。今度のマシンは、eMachines J2828 である。ずっとノートパソコンばかり使ってきたおれが、初めてタワー型を買った。なんのことはない、安いからである。これだけの性能のマシンが17インチ液晶モニタとセットで十万円を切るとは、前のマシンを買ったときのパソコン相場を考えると夢のようだ。余計なソフトはほとんど付いてないから、アンインストールする手間もかからない。
晩飯を食ってから、さっそく組み立てにかかる。幸い初期不良もなく、サクサク動く。Windows XP を256MBのメモリで使うのはややきついかもしれないが、おれはそれほどマルチメディアをバリバリ使う人ではないので、ふつうに文章を書いたりインターネットを使ったりするぶんには、ほとんど支障はないだろう。ま、そのうちメモリも増設しよう。そうじゃ、ノートとちがって、空きスロットがいっぱいあるのだ。これがタワー型のいいところだな、ってあたりまえじゃろうが。
おっと、パソコンは届いたものの、ADSLが開通するのは28日の予定なのだった。というわけで、パソコンはパワフルになったものの、いままでと変わらぬ電話回線でダイアルアップ接続をし、Norton AntiVirus(さすがに、これはバンドルされている)の定義ファイルをアップデートする。Windows Update はADSLが開通してからにするか。さしあたり、フリー版の ZoneAlarm だけは入れて(おれは Windows XP のパーソナルファイアウォールをあまり信用していない)、必要最小限のデータ通信しかしないようにしておこう。まだ、とても安心して“開国”できる状態ではない。まったく物騒な世の中になったものである。1200bpsのモデムでパソコン通信をしていたころは、思えばじつに牧歌的であった。チャットをしているだけで凶悪なワームに感染するなんてことはなかった。
いままでのノートパソコンとは比べものにならぬ広いディスプレイで『2010年』のDVDを観ながら、旧機のデータをコンパクトフラッシュで掻い出すようにして新機に移してゆく。シリアル接続だろうがなんだろうが、これほど世代のちがうマシンを繋いでデータを移そうなどという発想は最初からおれにはない。おれはエンジニアじゃないのである(まあ、資格の上では、一応“高度情報処理技術者”とやらのはしくれということにはなっているのだが)。「下手な接続休むに似たり」というのが、おれがいままでのパソコンライフで得た知恵である。あれこれ方法を考えている暇があったら、媒体で掻き出すほうが早い。やはり情報処理技術者の風上にもおけないやつである。まあ、旧機のディスク容量は2GBほどしかないし、なにがなんでも移さなければならないデータは、ほとんどがテキストファイルである。
新しいマシンが手に馴染み、ウェブページが更新できて、ばりばり雑文が書けるようになるまでには、まだ少し時間がかかりそうだ。
【7月23日(金)】
▼曲芸CMでおなじみ「燃焼系アミノ式」(サントリー)の最新版CM『頭上風車』篇を観るたび、角運動量というものが感覚的によくわかって楽しい。よく見ていると、おっさんの頭の上で回っている子供とおっさんの相対角速度は、おっさんが回っている最中はほとんどゼロである。そのあいだはおっさんの角運動量は、摩擦で損失されないぶん効率的に子供に伝わり、おっさんに対して高速で回転しているあいだに子供が失うぶんの角運動量を補給している。あの藝がすごいのは、おっさんが回りはじめるタイミングとおっさんの角速度が精緻に制御されていて、子供だけ見ていると、まるで摩擦のない世界で等速円運動をしているかのように見えるところである。もし、おっさんの頭上に乗って回っているのが子供ではなく、もっと質量の大きなおっさんであったとしたら、下のおっさんはときおり一回転するだけでは充分な角運動量を頭上の人物に伝え続けることができず、藝として面白みがなくなる。下のおっさんはいま以上にせっせと回転しながら歩いて前に進まねばならないから、しらけるだろう。
あのCMを観て、全国の物理の先生たちが試験問題を一問でっちあげているような気がしてならない。子供の質量、おっさんの質量、子供の回転半径、おっさんの頭の大きさ、おっさんの頭と子供の腹との接触面積、それらの面の摩擦係数、あの藝を行なっている環境の重力等々さまざまなパラメータを与えて、「子供の角速度が指定された大きさに維持され、おっさんが指定された時間間隔で一回転するとき、おっさんはどれほどの角速度で回転しなくてはならないか?」というのを計算させるわけである。高校生では、理科系じゃないと難問すぎるだろうなあ。大学教養課程くらいの演習問題にちょうどよいような気もする。関数電卓は持ち込み可ということにしよう。いや、かくいうおれも、この現象にはこういうことどもが関連するであろうなというのは推測できても、定量的な計算などとてもできん。まあ、こういうのは、放っておくと、この宇宙では小林泰三という人が嬉々として計算することになっているから、餅は餅屋なのである。
なぜかダークマターの密度が高い宙域があって、そこにさしかかったある銀河の回転は理論上だんだん遅くなってくるはずなのだが、不思議なことに回転は遅くなってこない。調査を命じられたマキタは、その銀河の角運動量を補充している驚くべき機構の存在をつきとめるのだった――みたいなノリだと渋い堀晃風、その銀河を頭上に乗せて巨大なおっさんがときおり回っていた――となると、田中啓文風ということになろうか。
【7月22日(木)】
▼なぜかこの日記の2001年1月中旬へのアクセスが急増している。はて、いったいあのころにはなにを書いたっけな?
読み直してみてすぐにわかった。“のどちんぽ”だ。昨日の『トリビアの泉』で、『広辞苑の「のどちんこ」の隣に出ているのは「のどちんぽ」』とかいったネタをやっていたから、おそらくウェブで「のどちんぽ」を検索してみた人が多いのだろう。実際にやってみた。Goole で「のどちんぽ」と検索してみると、案の定、おれの日記がかなり上位にヒットするではないか。
2001年1月14日の日記で、おれがのどチンコの話をしたところ反響があり、いただいたメールを翌15日の日記で紹介しているのだが、のどチンコに詳しい作家の田中哲弥さんはこう語る――『広辞苑第四版を見ると「のどちんぽ」という言い方もありますね。さすがにのどちんこが言える女性も「のどちんぽ」は言いにくかろうと思います』
ををを。さすがは田中哲弥さん、『トリビアの泉』のネタをこんなところで先取りしているぞ。こういう格調の高い話題をテレビが取り上げると、たちまちおれの日記へのアクセスが増えるのだから、おれもそこそこ社会に貢献していると言えよう。
いや、それにしても、「(「のどちんこ」と「のどちんぽ」の)どっちが好きですか?」と八嶋智人に訊かれた MEGUMI が、絶妙な間で「どっちも好きぃ」と答えていたのはおみごとでしたな。このコはやっぱり頭がいい。芸能人としての自分の立ち位置がよくわかっている。アホではとても務まらんがかしこぶられてもしらける役回りが求められる現場にひっぱりだこなのも、なるほど頷ける。ディレッタント系のインテリ風タレントや文化人と競演することが多いのも、彼らのほうから MEGUMI を指名しているのではないだろうか。ま、これから MEGUMI がどこへゆくのかは、けっこう難しいところだと思うけどね。「だっちゅーの」の人たちみたいにはならないだろうと思うし、案外、面白い化けかたをしてくれるのではないかと期待しているのだ。
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