間歇日記

世界Aの始末書


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2004年8月上旬

【8月10日(火)】
▼ずっと風邪を引いていて、ようやく治ったかと思ったら、副鼻腔炎をこじらせたらしく、上顎から眼の裏から眉のあたりから、とにかく顔全体が中から腫れあがっているような感じである。痛くてたまらない。鼻が痛いのか顔が痛いのか眼が痛いのか歯が痛いのか判然としないが、とにかくそこいらへんが全部痛いので、さすがに耳鼻科にゆき、抗生物質と消炎鎮痛剤を出してもらう。やはり人間の肉体の耐用年数は、四十年くらいなのではないかと痛感する今日このごろである。まあ、古いマシンを騙しだましチューニングしながら使うのにも、たしかにある種の楽しさがないわけではないから、そう思って、なんとかあと二十年くらいは使いたいもんだ。

【8月7日(土)】
▼ところで「京ぽん」だが――って、もういいですかそうですか。
 いやしかし、もうよくても書く。おれはたいへんなことを忘れていた。なんでも“京ぽん界”(というものが、発売三か月もしないうちにすっかりできあがっているとしか思われん)には、イニシエーションの儀式があって、京ぽんを買ったら、それをやらないとなにか祟りがあるらしい。一応、やっておくこととする――

       +
     +  +      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ∧_∧    <  わーい京ぽんだー! 京ぽんだー
   br(´∀` )ワーイ !  |    何でもできるぞー
 +   ヽ    つ     \______________
      (⌒_ノ
       し'ゝ ;;::⌒::

 儀式終わり。「何でもできる」というのは、いくらなんでも誇張である。さすがに水中では使えない(だろうと思う)。
 たとえば、amazon.co.jp のアソシエイトとして、うちのサイトがいくら手数料を稼いだかがケータイで見られたとして(見られる。やってみた)、それがいったいなんだというのだろう? なんだというのだろう――? た、楽しい。みみちいけど、京ぽんで見ると、ひときわしみったれていて楽しい。三十円儲かった、五十円儲かったというのを、この美しいがみみちい画面で確認していると、なんだか自分がやたら卑小な人間になったかのようで、えも言われぬ自虐的な快感がある。こんなことができるのもSSL通信に対応しているまともなブラウザが搭載されているからこそである。わーい、京ぽんだー! 京ぽんだー! なんでもできるぞー。こんなみみちいこともできるぞー。あなたが駅のホームで京ぽんに見入っている人を見かけたら、その人はきっと、こーんなみみちいことや、あーんなみみちいことを、家に帰ってからパソコンでやればいいものを、わざわざケータイでやっているのだ。
 それにしても、トイレでしゃがんでいてさえ、amazon.co.jp や bk1書評や感想を書影付きで読みながら、親指一本で本の衝動買いができてしまう(ま、いままでのケータイでだって買えることは買えますが、必ず買うことが決まっている本でもないかぎり、無愛想で面倒なケータイ用のサイトではまず買わんわな)というのは、正直なところ、いかがなものよ(おれはまだやったことないが)。ウェブ書店を運営しているほうだって、よもやそんな使われかたをすることは想定していないだろう。「流線型にシルバーの カッコ良すぎる未来」はまだまだやってこないけど、まあ、案外、未来なんてこんなもんだ。と、いま“かの有名な二十一世紀”にいるおれは痛感する。ウンコきばりながら親指一本で本を買う未来の話など、少なくともおれは、子供のころに読んだことがない。未来からやってきた妙に丸っこいロボットは、お腹のポケットからなにやら取り出して叫ぶのだ。♪チャッチャカ、チャッチャ、チャー、チャー、チャー! 「ウンコきばりながら親指一本で本を買う機ぃ〜!」 うわあ、すごい、ドラえもぉん、こんなのが欲しかったんだぁ。
 なんてみみちいひみつ道具であることか。でも、このみみちさは、なんだかいとおしかったりもする。人類って、こういう種なんだよなあ。
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『復活の地II』
小川一水、ハヤカワ文庫JA)
bk1 で見てみる amazon.co.jp で見てみる

 わ、「I」が出たのはついこのあいだだと思っていたのに、もう「II」が出てしまったのか。ひーん、まだ読めていないのだ。結局、完結してからあわてて一気読みすることになりそうだなあ。
 それにしても、昨年あたりからの小川一水の仕事量はすごい。♪ブレイク、ブレイクである。いやいや、あちらの誰それ、こちらの誰それに比べればまだまだ少ないすくないなどとおっしゃる方もあろうが、その取材魔ぶりが編集者の口からも漏れ伝わってくる小川一水のことであるから、このペースで作品を出しているということは、その取材にどれだけの労力がかかっているものやら、ちょっと想像するだけでコワい考えになってしまうのだった。

【8月6日(金)】
▼ううーむ、「京ぽん」楽しすぎ。もはや「京ぽん」の虜。そりゃあ Opera が載ってるんだから、パソコンで見える・使えるページはたいてい見える・使えるのはあたりまえといえばあたりまえなのだが、このちっこい画面に、いつもパソコンで(しかもパソコン用の Opera で)見ているページが“健気に”表示されるのが、なんともいとおしいというかなんというか、クるものがあるんですなあ。目の前に17インチのカラー液晶ディスプレイがあるというのに、なにが哀しゅうてわざわざケータイで、しかも家で、ウェブページを見なければならんのか、アホとちゃうかと自分で呆れながらも、ついついいろいろ試してしまう。それにしても、GPS作っちゃってる人には、さすがにビョーキとちゃうかと驚いた。いや、たいへん便利ですけど。
 こういう状況って、なんとなく既視感があるなあと遠い目をしてみたら、ああ、そうだ、AT互換電卓(?)HP95LXが出現してから、100LX200LXと進化していったあたりのヘヴィーでパワフルなLXerたちを見ているような感じだ(ヘヴィーユーザたちの足元にもおよばないが、おれもいまだに200LXはときどき使う)。ガチガチに用途を固められたものをメーカに押しつけられる機器とちがって、ユーザ側に汎用的な遊びの余地を与えてくれるマシンは、その手のものに燃える/萌える人たちを刺激して、設計者すら夢にも想定しなかったような使いみちを編み出させる。おれにはとてもそんな創造性も能力も根性も狂気もないが、そういう人たちを眺めているのはとても楽しい。いやあ、罪なマシンが出たものである。機械ってやつは、やっぱりこうでなくっちゃね。ああああ、しかしあんまり遊んでちゃいかん。

【8月3日(火)】
「京ぽん」でのメール打ちに、だいぶ慣れてきた。昨日、京セラの「H"」端末は操作性が悪いと貶したばかりだが、日本語変換に関しては「京ぽん」は非常にいい。「モバイルWnnV2」を搭載しているのだが、「入力予測」という機能はとてもケータイ向き。各社のケータイに次々搭載されているのもむべなるかなである。パソコンの日本語変換だと、この機能はかえって鬱陶しいかもしれないが、ケータイなら活きる。辞書ソフトのインクリメンタル・サーチが学習機能を備えたような感じだな。スティーヴン・ホーキング気分で入力できる。あ、そうか、この機能はモバイル機器向けだけじゃなく、ふつうのパソコン向けの日本語変換ソフトにもオン/オフができるオプション機能としてどんどん搭載するといいと思う。身体障害者の方々には、とても便利だろう。
 いろいろな文章を打って試してみると、ケータイでメールを作成する速度が倍くらい(当人比)になった感じである。さすがに「Japanist for Pocket PC」を使って「Pocket LOOX」上で入力する速度にはかなわないが、これならケータイでもかなりの長文が迅速に打てそうだ。めざせ、女子高生! って、めざしてどうする。

【8月2日(月)】
「H"」端末を決然と機種変更した。むろん、前からどうしようかと迷っていた「AH-K3001V」京セラ)、通称「京ぽん」にである。実機を見た上で、これならPDAでウェブページを見るのとスピード的にもさほど変わらんじゃないか、おし、もう携帯通信端末はこれ一本で行こうと決心したのである。
 「京ぽんってどういう意味?」と訊かれたことがあるので、いわゆる2ちゃんねる用語”に通じていらっしゃらない読者のために、一応説明しておこう。DDIポケットが、音声通話系列の端末とデータ通信系列の端末を融合させた商品系列 AirH" Phone(エアーエッジフォン)の一号機として「AH-J3002V」日本無線)を出してまもなく、(おそらくは最初に)2ちゃんねるで「味ぽん」と呼ばれはじめた。エアーエッジフォン、エアエジホン、エアジホン、アジホン、味ぽん、ばんざーい、ばんざーい、みたいな感じだったんだろう。英語をローマ字読みに近く読むことで隠語を作るというパターンは、2ちゃんねるによくある。で、次に京セラがエアーエッジフォンを出したから「京セラの味ぽん」、すなわち「京ぽん」になったわけだ。いま、DDIポケットから通話端末を出しているメーカは、あとは三洋電機だけであるが、サンヨーが「味ぽん」に参入したら、まずまちがいなく「三ぽん」と呼ばれることになるであろう。
 「京ぽん」を導入したもんだから、PDAに挿しているカード型の AirH" 端末は解約することにした。PDAで通信ができなくなるのは(まあ、USBで京ぽんと繋げる機種にすりゃできるんだが)ちょっともったいない気もするが、PDAでプロバイダから直接メールを落としていると、もはやほとんどスパムを落としているような状態ではあるし、おれが使っている有料のフィルタリングサービスに加えて、プロバイダやキャリアのフィルタリングサービスをもくぐり抜けてケータイにまで到達するメールだけを読むほうが効率はいいからである。Word, Excel, PowerPoint の添付ファイルをどうしても移動中に読まねばならんときには、三洋電機の「AirStorage」という安価なサービスで解決できる。送りつけた添付ファイルを自動的に個々の利用者にしかアクセスできないウェブページにしてくれるので、Word, Excel, PowerPoint の文書なら、ウェブブラウザが動けば読める(見える)、つまり京ぽんなら読めるということなのである。まあ、わざわざケータイで PowerPoint 文書を読まなくてはならないような状況には、あんまり追い込まれたくないものだが。「AirStorage」というASPの発想は、ケータイやPDAから出発はしているのだろうが、とどのつまり、シン・クライアントでの利用を想定しているのと同じことになるので、Word, Excel, PowerPoint のアプリケーションが入っていないパソコンでも、それらの文書が確認できるということになる。文書を読むだけなら、けっして安くはない Microsoft Office 製品を買わなくてもよいわけである。まあ、べつに性格の悪い知り合いが勤めているから三洋電機を褒めるというわけではないが、「制約は創造性をはぐくむ」(Constraint propagates creativity./ジェフリー・ヴィーン)とはよく言ったものだ。こういうニッチなサービス、好きだなあ。さっそく利用手続きをする。
 というわけで、話が本質的すぎる方へ逸れてしまったが、要するに、京ぽんはシン・クライアントだと思って使うのが正しいのだろう。Opera という強力なブラウザが搭載されているのだから、ブラウザでできることはブラウザでやればよいのだ。名機「KX-HV210」(旧・九州松下電器)から乗り換えるおれにとっては、SDが使えないのは寂しいが、なんでもかんでもケータイに貯め込もうというパラノな(死語)発想を捨てればいいのだよな。まあ、京ぽんはバサード・ラムジェットみたいなもんだと思えばいいのか。
 カード端末を解約して、京ぽんの料金コースを「つなぎ放題」にし、それに「年間契約割引」を適用し、さらに「A&B割」を使うと(だからADSLが開通するまで待っていたのだ。kyoto-Inet BB は対象ISPである)、月々3,654円でウェブもメールも使い放題ということになる。通話は別料金だが、おれはケータイをほとんど通話に使わない。ADSLの月々の利用料を加えても、なんと、いままでの通信コストより安くなってしまった。けっこうけっこう。
 いやあ、しかし、この京ぽん、さすがに flash は無理だが、ほんとにほとんどのウェブページがそのまま見えて使えますなあ。フォントが驚異的に美しく、相当細かい文字でもくっきり判読できる。ディスプレイに関しては、文句なしだ。掲示板に書き込みもできる。SSLも使える。京ぽん用に自分に使いやすいポータルページを作っておいたらもっと便利だろう。ウェブ上の無料サービスをあれこれ試してみてやろう。なにしろ Opera に相当リソースを割いているようだから無理もないが、カメラは現代のケータイとしてはおもちゃ程度のクオリティである。ま、写らんよりはましだが。
 それにしても、操作性抜群だった「KX-HV210」と比べると、なんともタコな操作体系ではある。慣れるのに時間がかかりそうだ。ああ、松下が Opera 搭載の「松ぽん」を作ってくれていたらなあ。正直、Opera が載ってなきゃ、京セラの端末と聞くだけで選択肢から外すわい。過去の「H"」端末でも、京セラはどうも性に合わんかったからなあ。
 なんだか今日は、DDIポケットと三洋電機と京セラの宣伝みたいなってしまったが、どっからも一銭ももろてませんよ。なにしろおれは、判官贔屓ですから。ええもんはええんじゃ。


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