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2004年10月下旬 |
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“ハードSF作家”というのは、イーガンには似合わない肩書きだと思うのである。たしかにイーガンは、非合理的なことを著しく嫌い、ガチガチに理科系的な思考をするし、物理学や数学をはじめ、科学の知見やタームをためらいもなく使い、それがまた物語の中核に深く関わってくるという小説の書きかたをする。なのに、その作品の総体としての“手ざわり”は、おれにはいわゆる“純文学”のそれに非常に近いもののように感じられるのだ。これはおそらく、時代がそういう時代だからなんだろう。つまり、科学の対象そのものが、人間を人間たらしめているなにものかに直に斬りこんでくる時代、己とはなにかを考えるには科学の知見や方法論が不可欠であるいまという時代が、イーガンをこんなにも輝かせているのだ。“もの”(物体)である自分が、“こと”(現象)である自分を生じさせているまさに“いま・ここ”(場)を、イーガンが冷徹に描けば描くほど、物体である自己、現象である自己、そしてそれがここに生じている奇跡(という言葉をイーガンは嫌うだろうが)こそが、とてもとてもいとおしくなってくるのである。そこがじつに純文学的だ。
というわけで(なにが?)、まさに「満を持して」という言葉がふさわしく、翻訳前評判の高い『万物理論』がついに出た。物理学者の夢、森羅万象を根底のレベルで説明できる究極の理論が完成されつつある学会をめぐって、六百ページ超の物語が展開してゆくわけである。グレッグ・イーガンとは何者かを知らない人が聞けば、そもそも学説が発表されるだけの話をどう転がしたらそれだけ引っ張れるのか怪訝に思うだろうが、最後まで息もつかせぬうえ、いつものことながらアイディアや情報の密度が異様に高く、脳をフル回転させ一週間くらいかけて読み終えたときには、二千ページくらい読んだような心地よい疲労感と感動に浸れること請け合いである。なに? 今日、送られてきたばかりだろうって? いつものおれの予知能力でんがな、予知能力。
冒頭から、殺人事件の被害者の遺体を一時的に生き返らせて(というか、科学技術の力で、生きていたときのように脳を機能させて)証言を取るなどといった、安部公房の『第四間氷期』(新潮文庫/[bk1][amazon])を髣髴とさせるシーンがあり、いきなりぐいぐい引き込まれた。いやあ、そうだよなあ、以前この日記で、日野啓三がもっと長生きしていれば、イーガンを激賞したにちがいないと書いたことがあるが、思えば、安部公房だってそうである。むしろ、作家としてのコアの部分は、安部公房のほうがずっとイーガンに近いだろう。おれはよく知らないのだが、イーガンは安部公房を読んだことがあるのだろうか? 安部公房は、日本の作家の中でも、最もよく海外に紹介されている一人のはずである。イーガンが読んでいたとしても不思議ではない。また、読んだことがないのだとしたら、ぜひお薦めしたいものだ。仰天するのではなかろうか。「あっ、おれがもっと早く生まれていたら、こんなのを書いたにちがいない」と、イーガンは思うだろうに。
こいつは、『奇術師』(クリストファー・プリースト/古沢嘉通訳/ハヤカワ文庫FT〈プラチナファンタジイ〉/[bk1][amazon])と、今年のベスト海外SFを争うだろうなあ。“読ませる”小説の巧さや完成度という点では、イーガンはプリーストに遠く及ばないが、SFとしての面白さという点では、幻想小説に近い燻し銀のプリーストを、過激で活きのいいイーガンが凌ぐ。プリーストは、SFとの距離の取りかたが、なんだか筒井康隆みたいだしね。いい意味でも悪い意味でも、必ずしもSFとして評価されるとはかぎらないところにいる。この勝負は楽しみだ。
ともあれ、おおよそSFファンを自認しているような人が、遅くとも今年のうちにこの二冊を読まないなどということは、まずあり得ない。そりゃまあ、そういうこともあるかもしれないが、そんな例は誤差の範囲である。気にしなくてよい――って、なんだか去年もまったく同じことを書いたような気がしないでもないが、まあ、いいじゃないか。細部にこだわっている場合ではない、ゲシュタルトが私を呼んでいる、ってまだ言うか、この口が言うのか。
【10月25日(月)】
▼会社から帰って、録画しておいた『ブラック・ジャック』(よみうりテレビサイト/手塚プロサイト)を晩飯を食いながら観ようとしたら、なにやら冒頭に「おことわり」が出てきた。今夜放映予定のエピソードには地震のシーンがあるので、新潟の災害を慮って、急遽先日放映した「オペの順番」に差し替えるというのだ。あっ、そうか。今回は「ひったくり犬」(原題「万引き犬」)の予定だったな。ぐうたら犬のラルゴの出てくるやつだ。なるほど、あの話では、ブラック・ジャックの家が地震で全壊してしまうはずである。「外へ出ていなければまちがいなくつぶれて下敷きだった」なんて台詞は、いくらなんでもまずいだろう。
それにしても、ブラック・ジャックの家は二回しか全壊しないのに(地震で一回、台風で一回)、よりによってこのようなめぐり合わせになってしまうとは、災害に遭われた方々も不運だが、ブラック・ジャックも不運だ。
【10月23日(土)】
▼昨日、『復活の地III』が送られてきたと思ったら、なんと新潟を震度6強の大地震が襲った。小川一水恐るべし――などと言っている場合ではない。そりゃあ地震国なんだから、確率的にはそういう偶然もあろう。こちらは全然揺れないが、次々と入ってくる報道によれば、阪神淡路大震災に匹敵する大災害のようだ。しかもタチの悪いことに、相当大きな余震が続いているらしい。京阪神のような人口密集地とちがい、山間部などでは孤立している集落も出ているもよう。人がたくさんいればいたでまた別の二次的災害があるし、人が少なければ少ないで都会では考えられないような不便が、災害によってたちまち生じる。まったく地震というやつは、厄介きわまりない。阪神淡路のときもそうだったが、しばらく余震が続くのだろう。あれはあれで、胃の腑を掻きまわされるようで、はなはだ神経に障る。とっとと静まればいいのだが。
【10月22日(金)】
▼《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。
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ひいい、また完結まで溜めちまったよー。そういえばこの話、I 巻の冒頭からいきなり大地震で都市が壊滅してしまうんだよな。ついこのあいだ、ひさびさのでかい地震に遭遇したばかりということもあって、これは読みたい読まねばならぬ早く読まねばなりませぬと気ばかり焦るのだが、諸般の事情でなかなか取りかかることができない。出てしまったからには、読むときは一気読みだ!
【10月21日(木)】
▼この夏わが家をブロードバンド環境にしてから、脳の英語回路が錆びつかないように、しょっちゅう MSN Video を流しっぱなしにしている。ニュースやらエンタテインメントやらのビデオクリップをいちいちひとつひとつ起動しなくても、まとめて PLAYLIST にぶちこんでおけば勝手に連続再生してくれるので、ほとんどアメリカのテレビを点けっぱなしにしているような感じで、たいへん便利だ。
で、今日も会社から帰るとすぐにパソコンを立ち上げて、MSN Video のニュースを横目で観ながら着替えていると、「キューバのカストロがコケた」とキャスターが言った。一瞬、聴きまちがいかと思ったが、たしかに stumbled だの fell だの言っている。いやあ、すごいなあ、カストロともなると、ただコケたことがニュースになるのかーと感心しながら映像を観て、なーるほど、これはニュースだと納得した。みごとなコケっぷりである。人がコケて怪我をしたのに不謹慎だとは思うが、おれは爆笑してしまった。吉本で十年は修行せんと、なかなかこうはコケられないと思う。関西人の鑑賞に堪える。何度も繰り返し再生して観てしまった。うむ、このコケかたは、金正日のような小物には真似できんな。あいつなら、ころころと転がってゆくだろう。ぶよぶよしているので、怪我はしないかもしれないけど。
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