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2003年9月中旬 |
【9月17日(水)】
▼《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。
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出た、ついに出たー! 本書は、顔がちょっと神林長平に似ているテッド・チャンの作品集であり、いまのところ、テッド・チャン全集でもある。♪テッド・チャーン、テッド・チャーン、スキスキー(ハァ、ヨォイト)/テッド・チャン来るかと神田のはーずれまっで出てみたがー(ハ、ドシタ、テッド・チャン)/テッド・チャン来もせず、用もないのに……(適当に嫌いな作家を入れて最後まで唄ってください)。
それはともかく。あなたが諸般の事情で経済的に非常に窮していらしたとする。それでもSFは読みたい。だが、今年はSFを文庫本で二冊しか買うことができない。ああ、どれを買おう……と迷ってらっしゃるとするなら、迷うことなどまーったくありませんっ! 『しあわせの理由』(グレッグ・イーガン、山岸真編・訳、ハヤカワ文庫SF)と、本書『あなたの人生の物語』を買えばよろしい。それであなたは、誰に恥じることもないSF生活が送れる。SF初心者の方も、この二冊を読んでおけば、どんな催しに出かけていっても手持ち無沙汰になることはない。大手を振って歩くことができる。試しに誰かSFファンに話しかけて、この二冊の感想を一方的に述べてみよう。あら、不思議、話が通じた。あっ、こっちのSFファンにも通じた。おやまあ、こっちの人も読んでいる。わっ、こっちの人も……。よーし、SFファンの群れの中で石を投げて、当たった人に感想を訊いてみよう。わー、やっぱり読んでいる!
それは不思議でもなんでもないのである。おおよそSFファンを自認しているような人が、遅くとも今年のうちにこの二冊を読まないなどということは、まずあり得ない。そりゃまあ、そういうこともあるかもしれないが、そんな例は誤差の範囲である。気にしなくてよい。
おれの普及努力も空しく、「ゲシュタルトがわたしを呼んでいる」(本書収録作「理解」より)は去年の流行語大賞にならなかったが、この作品集が出たからには、今年こそ狙える。少なくとも、SF流行語大賞などというものがあれば、絶対狙える。さあ、みなさん、ご一緒に――ゲシュタルトがわたしを呼んでいるーっ!
【9月16日(火)】
▼道頓堀川には昨日から五千三百人が飛び込んだとかいう報道が流れている。ほ、ほんまかいなー! まあ、よく考えたら、一秒にひとりが飛び込んだとすると一時間半もしないうちに飛び込めてしまう量ではあるから、たぶんほんとうなのだろう。時間はたっぷりあったんだし。しかし、あれだけ言うても、やっぱりやるかー。そもそも、わざわざ事前に掃除するところを見せたというのが不可解だ。飛び込んでも大丈夫なように掃除したわけではないと釘を刺してはいたけれど、そんなもん、どう見ても飛び込んでも大丈夫なように掃除したように見えるわいな。やることが逆ではないのか? 同じやるんやったらやな、放送局やら新聞社やらに事前通達してやな、何十本もの竹槍を逆さに立てて錆びた釘を無数に打ち込むかなにかしたベトコンのトラップみたいなやつをやな、みなが見てる前で道頓堀川にようけ投げ込むんや。そしたら誰も飛び込まん。なに? 船の邪魔になる? ほんまに事故で人が落ちたら危ない? ……そらそうやな。ま、洒落や洒落。
あるいはやな、啓発時代劇を作ってサンテレビと朝日放送で放映するのはどうや? お城に忍び込んだ間者が、お殿様の飲む茶を道頓堀川の水とすり替える。お殿様が湯呑みに口をつけようとしたまさにそのとき、傍らに控えていた凜々しい若武者がすっくと立ち上がり、「殿っ、なりませぬっ!」と湯呑みを取り上げて、中身を金魚鉢に注ぎ込む。たちまち、腹を見せてぷかぷかと浮かび上がる金魚……。いやあ、形式美やねえ。
▼会社の帰りに本屋に寄ると、すぐそばで中古ビデオを売っていた。主に中古ビデオなのだが、新品も安くで売られている。すっかりDVDの時代になってしまったとはいえ、手元に置いておくのもよいなと思えるような作品があまりに安いと、ついつい衝動買いしてしまう。『フィフス・エレメント』(監督・原作:リュック・ベッソン)と『テキーラ・サンライズ』(監督・脚本:ロバート・タウン)を買う。パッケージにかけてある透明フィルムが少々破れているだけで、いずれも新品である。各九百八十円。ものの値打ちというものの不条理を感じる。
『フィフス・エレメント』は、単にミラ・ジョボビッチ(田中哲弥さんが言うには、「まあなんと汁気の多い名前」)の眼がひたすら観たいだけである。あの眼に九百八十円は安い。『テキーラ・サンライズ』はじつは観たことがないのだが、劇場公開当時やたらあちこちで激賞されていた記憶があるので、まあ、九百八十円だったら買っておこうかという程度。なんという貧乏性の映画鑑賞であろうか。たとえば、おすぎが五千円くらいの値をつけた映画が中古ビデオ屋で九百八十円で売られていた場合、彼女の、いや、彼の立場はどうなるのか?
いやしかし、中古ビデオって、ちょっとむかしの映画をレンタル屋で借りるよりお得だぞ。なにしろ、返しに行かなくていいしな。めちゃめちゃに気に入った映画は最初からDVDで買うだろうし、中古ビデオで初めて観てDVDが欲しくなり買い直したとしても、九百八十円くらいならさほど惜しくはないしな。DVDで買うほどではないが、とくにミーハー的見地から手元に置いておきたいというあたりのものなどは、中古ビデオを漁るにかぎる。原田知世・時任三郎主演の『満月』(監督・脚本:大森一樹)なんてのをずいぶん前に買って置いてあって、二、三か月前にようやく観た。一九九一年の知世ちゃんが九百八十円なら、これは安いよなあ。
【9月15日(月)】
▼阪神タイガースがついにリーグ優勝。やるなやるなと言うておるのに、大方の予想どおり、戎橋からは阪神ファンが次々と毒水の中へと身を躍らせている。ほんまになあ、死んでも知らんぞ。あのときのカーネル・サンダースも、生きておればもう……いくつじゃ? ともかく月日の経つのは速いものである。ううう、あした大阪の会社へ行くのが怖いよう。とくに帰路には要注意だ。突然駅のホームで万歳三唱が聞こえたかと思うと、「六甲颪」の大合唱がはじまるんだよなあ。十八年前と同じことが起こるにちがいない。
▼自民党総裁選は、小泉圧勝がほぼ確定したような空気。そもそも、他の三候補は、どう見ても本気でやっとらんもんなあ。どうしても出さにゃならんから、“しょーことなし”に担ぎ出された形が見えみえでしらける。もはや自民党の大派閥は、自分たちが蛇蝎のごとくに嫌う小泉総裁候補に、対立候補もまにあわせにしか立てられないくらいに哀れな存在になってしまっている。小泉首相の“政策”に反対し、“政策論議”が重要であるかのように口では言いながら、そのじつ、最も数の論理に頼っているのは、当の批判している側である。“数合わせ”しかやりかたを知らずに育ってきた連中が、「お、おかしい。ひ、必殺技が効かないっ!」と途方に暮れている図が非常に滑稽だ。国民にはちゃんとそれがわかっている。
野中のおっさんの引退宣言には快哉を叫びましたな。野中氏の引退は、自民党にとってとてもとてもよいことだ。引き際がよくわかっているではないか。野中氏は、橋本派から金をもらっておきながらいけしゃあしゃあと小泉につく若手がけしからんといったことをほざいていたが、そうしたプラグマティズムは政治家としてちっともけしからんことではないという論理で動いてきたのは、当の野中氏のはずなのである。ああいった若手は、派閥に手なずけられていたのではない。派閥を利用していたのだ。そういう意味で、若手のほうがはるかに本来の野中流をクールに体現しているのではないか。その優秀な後輩たちに対して、派閥政治の象徴たる大物が、浪花節の恨みごとを吐く滑稽さに気づくがよい。いや、気づいたからこそ、なりふりかまわず醜く退く決意をしたのだろう。野中氏には、敬虔な無宗教者のおれから、餞の言葉を贈っておこう――「剣を取るものは剣にて滅ぶ」
阪神タイガースの優勝というのは、橋本派の崩壊と意外に深く結びついているのかもしれないぞ。
▼以前顕微鏡を買ってやった虫愛づる姪が、ケータイ(PHSだが)の機種変更をしたというので嬉しがって電話をかけてきた。あ、思い出した。もうすぐこいつの誕生日ではないか。「なにが欲しい?」と訊いたら、「ほら、あの、コマの中だけ回るやつ」と不可解なことを言う。「……地球ゴマか?」「それそれ」
この子はスジがいいからと幼いころから洗脳を続けてきたが、ちょっと洗脳が効きすぎているのではないかと思う今日このごろである。
この姪は、母や妹に河原町に連れていってもらった際、おれが教えた理科教材・教育雑貨専門店「THE STUDY ROOM」(全国に八店舗あるそうだ。ほとんど東京だけど。こういう店は全都道府県にひとつずつはあってほしい)に立ち寄り、万華鏡やらなにやらいろいろ買ってもらったのだが、地球ゴマはまだなのだという。おれも子供のころもちろん持っていたけど、そういえば、あれはどこに行ったのだろう?
河原町まで出る時間がなかなか取れないなあ。ネット通販で探してみるとするか。
【9月14日(日)】
▼おお、速いな。土曜の早朝に bk1 に注文した本がもう着いた。『われらの有人宇宙船 ――日本独自の宇宙輸送システム「ふじ」――』(松浦晋也/裳華房)と『よくわかる最新医学 リウマチ』(監修:日本医科大学教授・吉野槇一/主婦の友社)である。なんて取り合わせだ。
さっそく、『リウマチ』を読みはじめる。母が自分で読んでもある程度理解できるように、斯界のエキスパートが監修した一般向けのできるだけ新しい本を選んだつもりだが、うむ、これなら基本的なことはよくわかる。図や写真も豊富だ。難しい漢字には、うるさいくらいにルビが振ってあるのもいい。
読んでいると、これまた“高へぇ”の連続だ。なんでもこの本によれば、日本での正式な呼称であった「慢性関節リウマチ」は、つい昨年、「関節リウマチ」に改められたそうでなのである。『慢性関節リウマチは、どの訳語にも該当せず日本独自の用語であること、病気の解明も進み、早期発見・早期治療が重要になっている現在の状況に、「慢性」という表現は適当でないこと』などが、「慢性」を削除した理由だということだ。昨日の日記で紹介した聖マリアンナ医科大学難病治療研究センターのサイトでは、難病治療研究センターの「研究対象疾患」としては「関節リウマチ」と明記してあるのに、当のページに跳んでみると、そのコンテンツには「慢性関節リウマチ」と書いてあり、病名って専門家のあいだでもそんなに曖昧なものなのかと、ちょっと不思議に思っていたのだ。日本リウマチ学会から通達が出たのが去年だということなら、まだまだ新旧が混在していても不思議はない。というか、そのような通達はあちこちの学会からしょっちゅう山ほど出ているはずで、リウマチ専門医でもなければ、医者だってまだ知らない人が大勢いるのではなかろうか。やっぱり、この手の本はできるだけ新しいものを買うべきだなあ。『「慢性関節リウマチ」は、2002年、「関節リウマチ」と改められた』と中江真司の声が勝手に頭の中で流れる。あんまり“へぇ”が取れそうなトリビアじゃないけどな。
【9月13日(土)】
▼ウェブを漁って、リウマチの勉強。いや、おれがリウマチになったわけではない。以前から母が脚が痛い手が痛いと言っては形成外科に通っていたのだが、最近歩行も困難になってきて、評判の鍼の先生がいると聞いてきた妹がバイトを休んで母を鍼灸院に連れていってくれたところ、鍼の先生はリウマチではないかと診立てて内科での検査を勧めたというので、内科で検査をしたらリウマチ因子の値がめちゃめちゃに高く、関節リウマチの疑い濃厚ということになったのであった。いままでかなり長く通っていた形成外科では、リウマチかもしれんということさえわからんかったのだろうか。わかっていたんなら、とっとと内科で検査しろとか提案してくれよ。言うたことしかしてくれん、訊いたことしか答えてくれんという医者は、サービス業としての基本がなってないね、まったく。
というわけで、リウマチなるものについて、おれがにわか勉強しているわけなのである。まあ、SFに関係ないものは世の中にはないのであるからして、勉強して損にはなるまい。誰かがリウマチSFでも書いたら、ちょっとでも的確な評ができるであろう。母はそもそも自己免疫疾患だの膠原病だのという概念からしてよくわかっておらず、リウマチなるものを、運動選手が脚や手を傷めたといった不具合の延長線上にあるもののようにしか認識していないから、一から噛み砕いておれが教えねばならんわけである。
あちこちウェブをうろついているうち、最大公約数的なことは一応理解できた。原因がよくわかっていないこういう病気に関しては、専門家のあいだでも相当見解に相違があるのが常である。複数の文献に広く当たって、「だいたいここいらが最大公約数らしい」というアタリをつける必要があるのだ。紙の本でこれをやるのはたいへん手間がかかる。インターネット万歳と思うのはこういうときだ。
おれがウェブ上で見つけた中で一般向けとして最も優れたものは、聖マリアンナ医科大学難病治療研究センターのサイトにある「関節リウマチ」のコーナーである。思わず読み耽ってしまうほど興味深く、たいへんわかりやすい。わかりやすいが、わかりにくくなるほどにはわかりやすくせず、書くべきことは専門的な内容でもしっかり書いてある。なーるほど、関節リウマチってのはこういう病気なのねー。“へぇボタン”を何度も叩きたくなったくらいである。
以前ご一緒したコンベンションのパネルで、我孫子武丸さんが、昭和三十七年生まれあたりの人間というのは、なにかに手をつけるとついついおベンキョーしてしまう性癖があるだろうといった指摘をなさっていたが、げに、そのとおりであると痛感する。勉強しはじめると、おおよそなんだって面白いもんなんだよねえ。母は調子の悪いときには膝や手首がほとんど動かせなくなっているもんだから、このところおれがやる家事が増えてつまらんことで忙しいにもかかわらず、関節リウマチに関する知識欲が妙に刺激される。患者本人はそれどころではないだろうが、いい機会だから勉強しようなどと思っている部分がおれの中にたしかにある。立原啓裕にでもなったような気分だ。おれ自身が癌にでもなったら、「おれのことはさておくとして、癌って勉強しはじめるとなかなか面白いではないか」などとほざいてウェブを漁り、べつに患者が読まんでもいい専門書を和洋を問わず次々と取り寄せそうな気がしてならない。なにが面白いって、自分に関わりのあることを勉強するほど面白いことはないからねえ。それにしても、誰か書かんかな、リウマチSF。
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