さきはふ言葉
それは絶対にあり得ないことなのだと、頭ではよく理解している。
しかし、園家文苑によって墨表現された文字が、見るたびにそのかたちを変えているようなのである。
つまり、実際の「鳥」や「波」や「桜」が、これまで一瞬たりとも同じかたちではなかったように、である。
私は、空高く飛翔する「鳥」の羽音を聞き、大きくうねり砕ける「波」を見、舞うように落ち続ける「桜」の花びらの香りを嗅ぐ。
いささか幻想に近いかもしれないが、錯覚では決してない。
私の体の内側で奥行きと幅を持ち、やがて独り歩きをはじめる文字によって、確実に存在する精神の宇宙を知るのである。
園家文苑の心書は、文字や言葉の意味から導き出された概念などを遥かに超えたところで、精神の宇宙に「さきはふ」のである。
文:高岡陵平 |