モノクロームの世界 文字をイラストレーションする心書
日常生活から遠くなってしまった「書」を、もう一度復活させたいと考えた。
茶の間やキッチンに飾って楽しめる「書」のありようを模索して文字を描く今のスタイルができた。 桜という文字を、満開の桜の木のように。 象形文字だけではなく、文字の持つ意味が喚起するイメージを形にする。
文字を絵にした。
水という字を水のように、桜という字を桜の木のように。
対象は象形文字に限らない。漢字は、多くの意味を内包している。 それぞれの意味が、さまざまなイメージを喚起する。
それをかたちにするのである。
文字を見つめているうちにイメージが浮かぶ場合と、ある光景をイメージしているときに、特定の文字に結び付く場合がある。
文字はどんどんデフォルメされる。
しかし文字から全く離れてはいない。 一つの画面に文字と絵が両方存在しているから面白い。
漢字に触発されて、一つのかたちを描く。
すると絵を見た人が、作者とは異なるイメージを思い浮かべることも多い。 「生」という作品が人によって、どう見えたか。 海という人がいた。 草原。砂漠とサボテンに見えた人もいる。 「宇宙の誕生」をイメージする人もいれば「生ビールの泡」を連想した人もいて、何に「生」を感じるのかの、人による違いが面白い。
描いた本人は(本当は言いたくないのだけれど)、この作品では「大地、芽生え、太陽」などをイメージした。絵を見た人が、さまざまにイマジネーションを膨らませることが出来るのだ。
かたちに出来ない文字もある。
例えば「愛」。 具象的に表現できる文字ばかりではないのである。 「結」「生」などはかたちになりにくい。難しいが、イメージは広がる。
ひとつの文字を書くのに、濃い墨と薄い墨を使い分けるのは、書道の世界ではタブーであった。 園家さんは、あえて濃淡2色の墨と2本の筆を使って、文字を描く。 「桜」の旁の上、ツの部分に薄墨を落としたのが最初だった。 その部分の滲みが、桜の花びらに華麗に変身したのである。
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