文字に生命を吹き込む
ある日、「桜」のツの部分を書こうとした時のこと、思わず飛び散った淡い墨が、みるみる広がり、幾つもの丸が重なりあって美しい花びらと変身した。 それが心書と呼ばれる作品「桜」の誕生だった。
始まりは偶然性からの出逢い
まるで墨絵のように思える美しい心書。
しかし、それは水墨画ではない。そこには絵のように見える楽しい漢字が、ある時には力強く大胆に、またある時は繊細に文字のもつ独自のイメージでみごとに表現されている。
「ちょっとおこがましいですが、心書とは私がつくった言葉です。文字自体がもつ心(意味)、書き手の心、さらに見る側の心のいわば三者からなる心の書として名づけました。私は七歳の頃から書道を習い始めたのですが、いつの間にか書家としてもっと自分らしい表現をしたくなっていたのかもしれません。
そんな時、失敗というか偶然にも、真っ白な紙の上で華麗に変身する墨の滲みの美しさに出逢ったのです。最初に書いたのは桜という文字でした。今でもはっきり覚えています」と優しい表情を浮かべながら当時を振り返る園家さん。幼少時代から週二回も書道を習い、筆に慣れ親しんできた書家でさえも、そんなミスをするのだろうか。しかも絵の勉強は一切していないという。
もし偶然という言葉を使うのなら、そこには墨の濃淡の彩りに気づくことができる目と心、絵心が感じ取れてイメージが描けるという独自の才能がなければ、これほど素晴らしい作品は生まれてこなかったはずだ。
ではなぜ、ひらがなという表音文字ではなく、表意文字の漢字なのだろうか。
「漢字は多くの意味を内包しています。それぞれの意味が、さまざまなイメージを喚起させてくれます。文字を見ているうちにイメージが浮かび上がる場合と、ある光景をイメージしている時に特定の文字に結びつく場合があります。悠久の歳月を経て人々によって育まれた文字には、きっと魂が宿っているに違いない。それなら字源よりも、自分の捉えたイメージで現在の文字に新しい生命を吹き込むことができるのではと考えたからです。今ではすっかり心書にはまっています。」 身近な漢字という文字に、三者からなる心の書として自分らしさを表現する独自の手法を見つけ出したという。
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