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産児制限(Birth Control)

 動物や原始時代の人間が産児制限をする場合は、哺乳動物として自然に則ったものであったが、社会が母権制から父権制に変わると、人間のそれは違うものになってしまった。原始時代、女性は妊娠している間、および授乳期は性的関係を拒否するのが常であった。それはどこでも子どもを生むごとに、2年から6年と続いたものであった。今でもそうしている地域がある。ハンザ族の間では、妊婦や授乳期の母親はとともに寝ることはない。また、マラヤのセマイ族は、子どもを養育する長い期間は、性行為を禁ずるのは正しいと思っている。そのことによって子どもが次々と生まれることが避けられるし、また一人ひとりの子どもに十分な養育を施すことができるからである[1]。ヤノマモ族のような攻撃的で男性支配の社会でも、男性は子どもを養育している母親とは性的関係を持ちたくないと言う。

 現代人は婦女暴行をした男を「けだもの」と言うが、これは動物を侮辱するものである。動物は強姦したりはしない。雌が受け入れるときだけ性行為が行われるのである。雌は子どもの養育に専念している(このことは常に雌が最優先させることである)ときは、雄に性的関心を寄せることは決してない。もしも雄があさはかにも雌に対して性的関心を示すと、雌は歯をむいて雄を追い払う。

 「動物の間では、疑いもなく、雄が行動に出る。しかし雄と雌の交合は雌にその気があるかないかによって決まるのである……雌の本能というのは、自然の摂理によって、しばしば長期間発動しないのである。そのため雄の発情と必ずしも一致するとはかぎらない。草食動物の間では、雌は妊娠するとすぐに雄の群から離れて、完全に隔離された状態に身を置くか、または、雄がまったく排除されている群に身を寄せる。象の雌は約2年に及ぶ長い妊娠期間だけではなく、授乳期間も、雄を雌や仔の群から追放する。こうした行為は動物の雌には典型的なものである。原始時代の女性がもし月経、妊娠、授乳の期間に男性と性行為をしたならば、それは生物としての慣例を逸脱したものとして、その行為は異常なものとされたであろう」[2]

 昔の多くの記録を見ると、昔の女性は生物としての慣例を逸脱していなかったことがわかる。ヒポクラテスやガレノスは妊娠、授乳期間の性行為を禁ずる古代のタブーを支持した。20世紀初頭に評判になった結婚手引き書にも、古代のタブーの奇妙なものが残っていた。しかしそれは、われわれの祖父母たちがそのために戦わなければならなかった、性に関する膨大な誤った情報の一部であった。その手引き書には妊娠中に性的関係を持つと子どもがてんかんになると断言されていた[3]

 原始社会では、男性の性欲が優先し、母親や子どもたちが必要とすることは後回しになる、などということは考えられなかった[4]。父権制社会になるとどこでもこれを変えようとした。それも宗教的な拘束力を用いたのであった。女性は母親であることに専念しているときでも、男性の性衝動に奉仕しなければならなかった。神がイヴに次のように言ったときの意味はそれであったのだ。「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。それでもなお、あなたはを慕い、彼はあなたを治めるであろう」(『創世記』第3章 16節)。この文で「苦しみ」とは陣痛を意味するばかりでなく、子どもたちをいつも身近に置いておかなければならない母親の苦しい生活や、母親の注意が行き届かないと子どもたちが病気になったりけがをしたりする、ということを意味した。

 『アダムとイヴの第一の書』はキリスト教の聖書正典から除外された。その本にはイヴは結局は昔ながらの産児制限を守ったと書いてあって、それが正典と相容れなかったからであった。イヴはカインとその双子の兄妹であるルルワを生んだ。ルルワLuluwaとはユリ liluが化身したもので、ユリはまたアダムがイヴより先に妻としたリリトLilithにも化身した。「子どもたちを養育する期間が終わったとき」、(そのとき初めて)「イヴはまた懐妊した」。イヴはアベルとその双子の兄妹を生んだ。アベルが15歳になったときに殺されると、イヴはアベルの代わりにセツを生んだ。「こういった子どもたちを生んでから、イヴは子を生むことをやめた」[5]。このため全人類はこのカイン、ルルワ、セツとその姉という4人の末裔なのである。こうして『アダムとイヴの第一の書』を見ると、イヴはとくに神の呪いを受けることもなかった。

 しかし、のちにユダヤ・キリスト教文化になると、男性が女体を支配するのだと言われるようになった。性行為において妻が先ず始めに行動してはならず、またが求めればそれを拒否してはならなかった。カトリック教会は、たとえがむりやりに性行為をしても、強姦したとして妻は告発することはできない、という律法を定めた。性の「解放」とは結婚上の権利であって、妻のではなかった。

 『創世記』の話は、たとえ子どもや母親の健康や幸福を犠牲にしてでも、女性にできるだけ多くの子どもを生むようにという神の命令である、と教会は解釈した[6]。教会の伝統にしたがって、男性は出産過剰の問題を扱うことは拒否し、女性はそれを禁じられた。異教の時代にあっては、女性はかなり効果的な産児制限の工夫をいろいろやった。膣に海綿を入れたり、流産させる薬を使ったりした。教会側の多くの人々は魔女たちがそうした秘密の知識を伝承していると信じた。そう信じたことがはずみとなって魔女や産婆が迫害されることになったのである。

 ドミニック・ブルーマー神父は、最近、『アメリカの自由とカトリックの力』の中で、「産児制限は相互手淫、あるいは不自然な肉欲以外の何ものでもない」と述べた[7]結婚した夫婦が互いに相手に対して肉欲を覚えることを不自然と見ることは、異常としか言いようがない。手淫という性行為も、それが夫婦が互いに満足しあうのではなく、のためだけの場合には、教会は決して反対はしなかった。事実、17世紀の教会公認の文学作品では、夫婦間の性行為の唯一の目的は子を生むことであって、もし女性があまりにも性の快感を覚えすぎると、懐妊できないとされた[8]

 教会は、さらに、子どもというものは自分のものではなく、神のものであると女性に教えた。そのために女性が母親として本能的に持つ独占欲が侵害されることになった。独占欲があるからこそ子どもの養育に最善を尽くすのであるのに、母親は望まない子どもを産むと、その世話を神に頼んだが、そのことは不合理なことでも何でもなかった。18世紀、パリの聖ビンセンシオ・ド・パウロ病院の報告によると、毎年、5000人もの幼児が門前に置き捨てにされたという[9]。幼児の遺体は西欧の多くの都市のごみくずの中によく捨てられていた。捨て子を扱う病院は忙しすぎて、そのために壁に回転箱を据えつけて、幼児をそれで運んだほどであった。しかしその病院で子どもが助かることは滅多になかった。実際、病院は幼児を何千人と殺すことによって、出産過剰という問題を解決したのであった。それは男性が支配している官僚の公認の下であった[10]

 ロンドンの最初の捨て子病院は、1756年から60年の4年間で、1万5000人もの幼児を入院させた。そのうち、生き残って成人に達したのは3分の1にも満たなかった。ヨーロッパ大陸では、捨て子使節における子ども死亡率は、生まれて1年未満の子ども場合、80%から90%に達した。行政区の役人は新生児の世話は「人殺し看護婦」という綽名のついた女性にまかせた。そうした女性は国がやるべきいやな仕事を代行して、望まれずに生まれた子どもたちが長生きしないように、うまく取り計らってくれるものと思われたからであった[11]

 実際、産児制限と堕胎を非合法化した父権制社会は、あふれんばかりに生まれてくる子どもたちを、結局は殺すよりほかなかったのであった。子どもを生むか生まないかの決定権が母親にないかぎり、明らかに、そうするよりほかなかったのだ。ベター氏はこうした倫理を困ったものとして、次のように述べた。

 「宗教がすばらしい知恵を提供して、俗事や今日の重大な社会的問題に対して指導力を発揮したという証拠がいったいあるのだろうか。無制限に子どもが生まれ、しかも病気の蔓延も充分に防止されるために、幾何級数的に地上の人口が増えているのに、いったい宗教的指導者の中に計画出産の必要を説いた者がいるであろうか。一人としていないのである。それどころかマーガレット・サンガー女史が産児制限に対して建設的な仕事をすると、女史を牢屋にぶちこめと、多くの宗教的指導者たちはけしかけたのであった」[12]

 あるイギリスの女性が、宗教的指導者というものは人類の未来の幸福に優先して自分たちの神話や儀礼を大切にするものだと指摘して、出産に対する因習的な道徳をあらまし次のように述べた。

 「わたしがよく知っている村で、正規に結婚した女性が次々と5人もの白痴の子を生んだ。彼女のは常習的な大酒飲みで、堕落した精神の持ち主であった。その5人の子どものうち、一人は幸いに死亡した。その子の葬儀用のカードに選ばれた一節は、『天国はそのようなものである』であった。同じころ、同じ村である娘が不義の子を宿した。その娘は美しい女で、生まれた子の父親は同村の者ではなかったが逞しく若かった。おそらく子どもも生まれれば丈夫な子であったろう。ところがその娘は若者との間を引き裂かれ、のちには父親によって家からも追放されてしまった。最後に彼女はもう採石されていない採石場に逃れ、そこで2日間、食料もなく過ごした。われわれが彼女を発見したとき、子どもはもう生まれていたが、死んでいた。その後、彼女は発狂した」[13]

 マーガレット・サンガー女史は、結婚していようといまいと、そうした悲劇を何とか防止しようとして一生を捧げた。「人口が過剰なのは神の所業ではなく、それが貧困と飢餓と戦争をもたらしたのです。……もし産児制限が公認されて、世界中に虚弱な人間を溢れ出させている栓をしめることができるならば、社会全体は進歩するでしょう。体が弱くて子どもを生むのにふさわしくない母親が子どもを生まなくてよくなれば、望まれないのに生まれてきて、成長して刑務所や保護施設に入るような子どもたちはいなくなるでしょう」[14]とサンガー女史は信じた。

 しかし教会は依然として、いつ、どこで、どのようにして子どもを生むのかを決定する権利を、女性に頑として認めようとしなかった。その主たる理由は、男性が生物学的にはたいした役割を演ずることもできない出産という奇蹟を、何とか自分たちの思いのままにしたいという、男性の根深い願望があるからであった。男性が支配する宗教は、その最初から、どこでも、こうした目的にかなうようなものであった、ということは否定しようもないことである。その結果、人口過剰が世界を襲い、今や、まぎれもないような災厄が発生しているのである[15]。そのような災厄に直面している今でもなお、宗教的指導者は信者は永遠に増えるであろうと考えているようである。


[1]Dentan, 98.
[2]Briffault, 2, 400-401.
[3]Simons, 161.
[4]Briffault, 2, 48.
[5]Forgotten Books, 54.
[6]E. T. Douglas参照。
[7]Ellis, 89.
[8]Simons, 141.
[9]Lederer, 64.
[10]M. Harris, 183.
[11]M. Harris, 184.
[12]Vetter, 513.
[13]Hartley, 347.
[14]E. T. Douglas, 137.
[15]Hallet, 411-12.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)