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リリト(Lilith or Lilit)

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 リリトがアダムの最初の妻ということになったのは、昔のラビたちがシュメール・バビロニアの女神ベリティリあるいはベリリをユダヤ人の神話に吸収しようとした、その名残りだった。カナアン人にとって、リリトはバーラトという名の女神であり、ウルから出土した紀元前2000年頃の粘土板では、リリトはリルラケと呼ばれていた[1]

 へブライの伝承によると、アダムは獣たちとの交合に飽きて、リリトと結婚したという。獣たちとの交合は、旧約聖書では罪と断定されているが(『申命記』 27:21)、当時の中東の牧夫たちの間では、普通に行われている風習だった。アダムは力づくでリリトを自分の下に横たわらせ、男性優位の社会で良しとされている例の「宣教師流の体位」をとらせようとした。イスラム教徒たちは、性交は男性が上の形で行われなければならないと強く主張していたから、「女を天にし、自分を地にする男は、呪われてあれ」とまで言った[2]。カトリック教会筋も、男性上位以外の性交姿勢は、すべて罪であると言った[3]。しかし、リリトはイスラム教徒でもカトリック教徒でもなかった。彼女はアダムの粗暴な性行為を冷笑し、アダムを罵り、彼のところから逃げ出して、紅海の近くに住みついてしまった。

 神は、天使たちを派遣して、リリトを連れ戻そうとした。しかし、リリトは天使たちをも罵り、神の命令を無視して、「デーモンたち」と交合して時を過ごし(彼女にとっては、デーモンたちとの性交の方が楽しかったようである)、毎日100人の子供を生んだ。そのため神は、リリトの後釜として、リリトよりも従順なイヴを作り出さなければならなかった。

 リリトの多産性とその性的な好みからして、リリトは、アダムによって代表される遊牧民の侵略に抵抗した定住農耕部族の太母であったことがわかる。初期のヘブライ人たちは、牧者アベルが農業と鍛冶を司る年長の神カインによって殺されたあとで(『創世記』4:11)、アベルの血を飲んでしまった太母リリトを嫌っていた。しかし、リリトの「紅海」は、カーリー・マーの「血の大海」の異形であり、「血の大海」は、万物を生み出すと同時に、供犠によって定期的に血を補充される必要があったのである。

 リリトとエトルリアの女神レイントとの間には、何らかの関連があったとも考えられる。レイントには顔がなく、彼女は、エイタやペルシプネイ(ハーデースペルセポネー)と一緒に冥界の入口のところで待っていて、死者たちの霊を受け取った[4]冥界の門は、女陰であると同時にユリであり、したがって、冥界の門を擬人化した女神レイントには、「顔がなかった」のである。神話の場合、死後の冥界入りは性的交合という形で表現されることが多かった。ユリlily(すなわち、lilu「ハス」)は、太母の「女陰を表す花」であり、リルというその花の呼称からリリトの名が生まれたのだった。

 リリトの物語は聖書正典から姿を消してしまったが、リリトの娘たちであるリリムlilimの方は、 1000年以上にもわたって、男性の所に出没した。中世になってもかなり長期にわたって、ユダヤ人はリリム除けの護符を作り続けた。リリムは好色の女デーモンたちで、男性の夢の中に現れては彼らと交合し、男たちに夢精させたという[5]。リリムとしては、当然、被害者の男性の上にしゃがみこむ姿勢、すなわち、古代の家母長たちに是認されていた体位をとった。

 ギリシア人はリリムを借用し、彼女らを「ラミアーたち」、「エンプーサたち」(「力づくで押し入る者たち」)、あるいは「ヘカテーの娘たち」と呼んだ。キリスト教徒もリリムを借用し、彼女らを「地獄の娼婦たち」、あるいは、男の夢魔のインクブスIncubusに対応する「サクブスSacubusたち」と呼んだ。禁欲主遺産の修道士たちは、十字架を握った両手を自分の生殖器の上にのせて眠ることによって、リリム(サクブスたち)を近づけまいとした。(また、リリムはリリトの化身とみなされていたので)、信心深いキリスト教徒が夢精をするたびに、リリトが笑ったと言われた。男の子が睡眠中に笑っても、人々はリリトが彼を愛撫していると言った。男の赤ん坊をリリトから守るため、揺籃の周囲には白墨で幾重にも輸が描かれ、更にそこには、神がリリトをアダムのもとに連れ戻すために派遣した3人の天使の名が書き添えられた。リリトはこれらの天使たちの手に負えるような女性ではないということが、すでに立証ずみだったにもかかわらず、そのような措置がとられたのである。なかには、リリトに捕まるといけないから、男性の大人や赤ん坊は家に1人にしておくべきではないと言った人もいた[6]

 「リリトの娘たち」の一般によく知られているもう1つの名は、「夜の鬼女(ハグ)」だった。「鬼女」と呼ばれていたからといって、彼女らが醜かったわけではない。反対に、彼女たちはとても美しいと考えられていた[7]。兄弟分のインクブスたちと同じように、彼女らは情事にたけていて、「夜の鬼女」とひとたび交わると、男性は人間の女性との交合では満足できなくなってしまうのだった。


[1]Graves & Patai, 68.
[2]Edwardes, .157
[3]Graves & Patai, 67.
[4]Hays, 183.
[5]Graves, G. M. 1, 190.
[6]Cavendish, P. E., 99.
[7]Scot, 512.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



 旧約聖書冒頭の「創世記」には、二種類の人類創造の物語が記されている。一つは、最も古いJ史料(ヤハウェの名がでてくる。前八世紀頃の成立)に基づくもので、第二章の物語(七−二三)である。神は土(アダマ)の塵で人(アダム)を造り、その鼻に命の息を吹きいれた。さらに、人が一人でいるのは良くない、と考えた神は、アダムに合う「助け手」を造るべく、深い眠りに落ちたアダムの肋骨の一部を抜き取り、女を造りあげた、と語られている。この第二章の基礎になっているJ史料が最も古いことを根拠とし、また前述の「欠如」あるいは「派生」の論理をもって解釈した結果、この物語は、教会神学の男性優位の人間像を正当化する典拠、換言すればアダムから派生した女が第二の性、あるいは他者と定義される典拠となってきた。

 第二章とは対照をなす二つ目の人類創造讃は、P史料(エロヒムという神の名がでてくる。前六世紀頃成立)に基づく「創世記」第一章(二六−二八)にある。「神はご自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。神は彼等を祝福して言われた。『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の、空の、地の上を這う生き物をすべて支配せよ』」。

 ここでは、まず男女が神の似姿として、同時に、しかも平等に創造されたことが明言され、しかも世界・社会を形成すべく、女も男もひとしなみに神からの委託を受けている。この第一章からは、後世の教会が規定したように、女の領域は家庭であるという命題は読み取れない。第一章の創造譚は、まさに女性にとって解放的な意味を持っている。

 ユダヤ人の伝統は、この二つの物語を繋ぐために、自立する女リリトの物語を作り出している。(岡野治子「聖とセクシュアリティの拮抗するキリスト教文化:エバとマリアをめぐって」)

 リリトの登場にかんしては諸説ある。ある説によると、彼女はエバと別れた後のアダムと出会って彼と関係をもち、デーモンの息子をもうけ、その息子たちが世界じゅうにあふれかえったという。また別の説によれば、彼女はアダムと関係をもった最初の女で、したがって彼の妻だったわけだ。リリトはアダムとのあいだに対等な関係を要求したが、それを得ることができなかったため怒って彼を見すてた。彼女は、神聖な神の名を口にして、空に飛び去っていった。アダムは妻に逃げられたことを神に訴えた。すると神は、サンヴィ、サンサンヴィィ、セマンゲラフの三人の天使を送りこんで(スンウィ、スンスウィ、スムングルフとする説もある)リリトをエデンにつれもどそうとした。天使たちは紅海のなかに彼女を発見し、アダムのもとにもどらなければ彼女のデーモンの子どもを毎日100人ずつ殺すといって脅した。彼女はそれを拒み、いわれたとおりの罰を受けた。これに復讐するため、リリトは出産時の女性や生まれたばかりの赤ん坊 — とくに男児 — それからひとりで眠る男性を恐怖におとしいれることにした。しかし彼女は、この三人の天使の名前や姿がお守りについていた場合、赤ん坊や母親に手を出さないということを天使たちに向かって誓わされた。

 この話にはキリスト教版もあり、そのなかではリリトの名前は異なり、またシネス、シシニオス、シノドロスという聖人が天使たちのかわりに登場する。

 ほかに、カバラの物語では、リリトはサマエル(サタン)の花嫁になるという。彼女は、神が地球上から悪を洗い清めるという救済の日まで存在しつづける。

 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の神話において、リリトは翼をもつ夜行性の女デーモンであり、新生児を見つけたらさらうか絞め殺そう、寝ている男を見つけたらデーモンの息子をもうけるため誘惑しよう、と空を飛びまわっている。

 リリトは、バビロニアおよびおそらくシュメールの悪霊論のなかに出てくる子どもを苦しめる男女の悪霊から発展したものである。リリトの存在はユダヤ教の悪霊論のなかでも傑出している。

 リリトは女の顔をしており、翼と長いをもっている。彼女は夜にデーモンの大群とともに飛びまわり、何万もの名前を使って自分の正体を隠す。出産時の女性と睡眠中の男性のもとを訪れ、その男性の夢精を利用してデーモンの息子をこしらえるのである。

 さまざまなお守りや魔よけが弱者を彼女の襲撃から守った。出産にのぞむ女性は、三人の天使の名前だけでなくその姿や翼や手や脚までついたお守りによって守られており、そのお守りはお産に使う部屋の四方の壁すべてに貼りつけられていた。「暗闇の部屋のなかを飛ぶ彼女に告ぐ……早く早く通り過ぎよ、リル(リリト)」という呪文が家を守るとされていた。新婚のさい、初夜の床の上にコインを四枚投げて「アダムとエバ」そして「立ち去れ、リリト!」ということが予防になった。

 18世紀になってからも、新生児とその母親をお守りでリリトから守るというしきたりは、多くの国でふつうに行なわれていた。男の赤ん坊は生まれてから最初の1週間が狙われやすいとされ、女児の場合は3通間だった。お産のベッドのまわりにはよく魔法の円が描かれ、三人の天使の名前とアダムとエバ、そして「リリト除け」または「生まれたばかりのこの子をあらゆる害悪から守りたまえ」としるされたお守りが用いられた。このように書かれたお守りが、寝室の全部の隅をはじめあらゆるところに置かれたりもした。子どもが眠っている最中に笑ったら、リリトがそこにいるしるしだとされた。子どもの鼻をつんと叩けば、デーモンは逃げるのだ。

 夢精をした男性は夜のあいだにリリトに誘惑されたのだと信じ、自分の子がデーモンになることを防ぐための呪文を唱える必要があった。リリトの血に飢えた夜の探索に手を貸していると信じられていたスクブス(女怪)たちは、「暗闇の山々」の近くに集まって彼女と落ち合い、サマエルと遊び戯れていた。『ゾーハル』のなかでは、が欠けだすとリリトの力は最高潮に達すると書かれている。

 また、リリトの数え切れないほど多い名前のどれかを口にすることで追い払うこともできる。これの根拠は、預言者エリヤがどのようにリリトと対決したかという話(起源はおそらく東方正教会と思われる)から来ている。ある女性の生まれたばかりの子を襲う途中だったリリトは「彼女にの眠りをあたえ、彼女の息子を奪いその血を飲み、骨の髄をすすり肉を食らう」つもりであった。エリヤはリリトの名前のいくつかをむりやり白状させた。その後、彼はリリトを破門にした。

 リリトはおそらく、ユダヤ教とヘレニズムのデーモンであるオビゾト(Obizoth)と関連があると思われる。オビゾトは、大天使ラファエルの神秘的な名前のひとつの書かれたお守りによって追い払われていた。

 イスラム神話によれば、悪魔ののイブリスと彼女の交わりによって、悪霊的なジンが生まれたという。

 リリトに似たデーモンは、世界じゅうの神話に存在する。また彼女は、伝説上および神話上のほかの人物とも関連があり、そのなかにはシバの女王とトロイのヘレネーもふくまれている。中世ヨーロッパでは、彼女はたびたびサタンの妻や愛人、あるいは祖母として描かれている。17世紀末には彼女はメンフクロウの姿で描かれ(おそらくイザヤ書の記述に端を発したもの)、日中はが見えず、幼い子どもの胸やへそまたはヤギの乳房を吸っていた。

 よく知られているリリトの名前は以下のとおりである。
 アペコー、アビトー、アブロー、アビズー、アイロー、アルー、アミズ、アミゾー、アミズー、アルダッド・リリー、アヴィツー、バトナー、ピツアー、エイロー、ガルー、ゲロウ、ギロウ、イク、イルス、イタ、イゾルポー、カレー、カリー、カカシュ、ケア、ケマー、ココス、ラマスー、オドム、パルタサー、パルタシャー、パトロータ、ぺトロータ、ボードー、ポッズ、ラフィ、サトリナ、タルトー、ティルトー、ザーリエル、ゼフォニト。(ローズマリ・エレン・グィリー/大出健訳『図説・天使と精霊の事典』原書房、1998.12.)


  エムプーサ(Empusa) ヘカテー女神に従う女の怪物のひとつ。いろいろな姿をとり、夜に婦人子どものところに現れて嚇し、人間を喰らい、ときに美しい女に化けて男を誘惑するが、最後にはこれを喰らう。青銅の脚を有するともいわれる。

 エムプーサたち(「乱入者たち」)というのは、男性をどこまでも誘惑する女怪のことで、おそらくパレスティナからギリシアへつたえられた観念だと思われる。パレスティナでは、リリム(「リリトの子どもたち」)とよばれていた。彼ら がろばの尻をしていると考えられたのは、ろばが淫奔と残虐を象徴するものだからである。リリト(「フクロウ」)は、要するにカナアン系のへカテーだと考えればよく、ユダヤ人たちは中世になってもまだお守りをつくって、この怪物から身をまもっていたようである。タルタロスのほんとうの支配者だったへカテーは青銅のサンダル — アプロディーテーは黄金のサンダル — をはいていた。そこで、娘のエムプーサたちもその例にしたがっていたわけである。彼女たちが ときに雌犬雌牛になり、また美しい乙女にかわることもできたというのは、雌犬ヘカテーは三面相のの女神の一体で、アプロディーテー、または雌牛の眼をしたへーラーとまったく同一の女神だからである。(グレイヴズp.273-274)

 なお、リリトについては、次のサイト <http://ccat.sas.upenn.edu/%7Ehumm/Topics/Lilith/>が充実している。