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ラーイオス(Lavi&oV)

laios.jpg  「王」の意で、オイディプースOedipusの先王の名称。ラーイオスは、自分を殺したオイディプースの「父親」と呼ばれたが、これは、神の聖霊が先王からその後継者に伝えられたことを示すため、後継者の手で殺害された先王たちに対して、後継者(「息子」)の「父親」という称号を与えるのが当時のしきたりだったからである。point.gifKingship.


Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



 母権制社会にあっては、先王は新王によって殺され、新王の父親と呼ばれる。この習慣に則して、ラーイオスは、オイディプースの父親と呼ばれた。

 ラーイオスのは、太陽王がその世継ぎの手で戦車から投げとばされ、馬で引きずり殺される祭式の次第をしるしたものである。(グレイヴズ、p.537)

 リュクールゴスやディオメーデースの神話から察せられるように、プレ・ヘレーネス時代の聖王は、その統治期間のおわりになると、雌馬に扮した女たちによって八つ裂きにされたものらしい。ヘレーネス時代に入ると、この祭式は四島だての戦車の後ろに引きずられて殺される形式にかわった。それは、ヒッポリュトス、ラーイオス、オイノマオス、アブデーロス、ヘクトールなどの神話に見られるとおりである。

 バビロニアの新年の祭では — このとき、王の姿をかりた太陽神のマルドゥクが、地獄で海の怪物ティアマートと格闘すると信じられていた — 王位の継承が行われるあいだの混沌たる世相を象徴するために御者のいない四頭の馬にひかれた戦車を街路に放つ。おそらく、手綱にからまれた御者の人形が戦車にのせてあったものと思われる。もしもバビロニアのこの祭式がギリシアのものと同じ起源であるなら、パエトーンやヒッポリュトスの神話などにみられるように、ただ1日だけの譲位期間を、少年の中間王(インテルレクス)が王位について后をめとり、翌日の早朝には早くも戦車の後ろにくくりつけられて引きずりまわされたのであろう。王は、その後で〔新王として〕復位するのである。(グレイヴズ、p.333)


画像出典:"Oedipe-Roi" de SOPHOCLE
meurtre de Laïos (fresque romaine)