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back.gif第4巻・第1章


Xenophon : Hellenica



第4巻






第2章



[1]
 アゲシラオスの方は、以上のごとき状況にあった。他方、〔本国の〕ラケダイモン人たちは、金銭がヘラスに流入し〔 第3巻 第5章 1節〕、最大の諸都市が自分たちに対する戦争目当てに連合したのをはっきりと察知したので、国は危機にあると信じ、出兵は必至と考えた。

[2]
そこで、自分たちはその準備にとりかかるとともに、ただちにアゲシラオスのもとにも エピキュディダスを派遣した。彼は、到着すると、その他のことは状況を説明するとともに、できるかぎり速やかに祖国を救援するよう国が自分に通達した旨をも〔説明した〕。

[3]
ところが、アゲシラオスは、これを聞くと、不機嫌になった。いかなる名誉、いかなる希望を奪われることになるかに思いを致したからである。それでも、やはり、同盟者たちを呼び集め、国によって下知されたことを明らかにし、祖国救援はやむを得ないと述べた。
 「しかしながら、このことが美しく運んだなら、よく承知しておいてもらいたい」と彼は言った、「おお、同盟者諸君、あなたがたのことを忘れることは決してなく、あなたがたが求めていることを実現するために再びもどってくるつもりだということを」。

[4]
これを聞くと、多くの者たちは涙を流し、アゲシラオスとともにラケダイモン救援に向かうこと、そして、この一件が美しく運んだなら、彼を伴って再びアシアに帰ってくることを、満場一致で決議した。

[5]
そこで、彼らは随行するための荷造りにかかり、アゲシラオスの方は、アシアには総督として エウクセノスと、これのもとに4000人をくだらぬ守備隊とを残し、諸都市を守り抜くことができるようにした。しかし自分は、将兵たちの多くが、ヘラスに出兵するよりはむしろとどまっていたがっているのを眼にして、最善にして最多の将兵を自分とともに率いたいと望んで、褒賞を提示した。諸都市には、最善の軍隊を派遣した都市に、傭兵部隊の旅団長には、重装歩兵部隊であれ、弓兵隊であれ、軽楯兵隊であれ、完全武装した旅団を率いて共同出兵した者に。さらにまた、騎兵隊指揮官たちにも予告して、師団(taxis)を最も騎兵らしく最も完全武装したものにしたならば、これらにも優勝賞を与えるつもりだといった。

[6]
そして、これの判定は、アシアからエウロペに渡ってから、ケルソネソスですると彼は言った。それは、出兵せんとする者たちをよく吟味しなければならないと彼らが周知徹底するためであった。

[7]
ところで、褒賞は、そのほとんどが、重装歩兵用のも騎兵用のも、綺麗に労作された武具であった。さらにまた、黄金製の花冠もあった。いずれにしろ、すべての褒賞が、4タラントンを下らぬしろものであった。しかしながら、これほどの出費をしたおかげで、莫大な金額に相当する遠征用武具が装備されたのである。

[8]
そして、ヘレスポントスを渡ると、判定者として、ラケダイモン人たちの中からは メナスコスとヘリッピダスと オルシッポス、同盟者たちの中からは各都市から一人あてが就任した。かくして、アゲシラオスは、判定をした後、軍を率いてかつて大王〔クセルクセス〕がヘラスに出兵したときと同じ道を進軍した。

[9]
 他方、この間に、〔本国の〕監督官たちは動員令を発布した。しかし国は、〔パウサニアスの息子の〕 アゲシポリスがまだ子どもだったので、同じ血筋の生まれの、その子の補弼(prodikos)の アリストデモスに軍の嚮導を命じた。

[10]
かくしてラケダイモン勢は出撃し、対して敵方はすでに集結し終わっていたが、〔後者は〕会合を持って、いかにすれば戦闘をできるかぎりわが方に有利に運べるか評議した。

[11]
このときコリントス人ティモラオスが言った。
 「いや、わたしに思われるところでは」と彼は言った、「おお、同盟者諸君、ラケダイモン人たちのやり方は、あたかも河の流れと同じである。すなわち、河というものは、源流のところでは大きくはなく、渡りよいものであるが、〔源流から〕遠ざかれば遠ざかるほど、ほかの河が流入して、その流れをより強力となすものだが、

[12]
ラケダイモン人たちも同様で、出撃する地点では、彼らだけであるが、前進するにつれて諸都市をわがものに加えて、より多く、かつ、より闘い難くなるのである。さらに、わたしの見るところ」と彼は言った、「スズメバチをつかまえようとする者たちでさえも、飛び出したスズメバチを狩ろうとすれば、多くのハチに刺される。だが、まだ巣の中にいる間に火を使えば、何の被害も受けずにスズメバチを手に入れることができる。このことに思いを致せば、最も優れているのは、何よりも〔ラケダイモン〕本国内で、さもなければ、せめてはラケダイモンにできるかぎり近いところで、開戦することだとわたしは考える」。
 さて、彼の言っていることがよいと思われたので、これを決議した。

[13]
さらに、嚮導の仕方についても申し合わせ、全軍を何層の戦列に配置するかで合意をみた。密集隊の縦深をあまりに厚くしすぎて、諸都市が敵たちに包囲されることのないようにするためであるが、この間に、ラケダイモン人たちはテゲア人たちばかりか、マンティネイア人たちをも手に入れて地峡路を進撃してきた。

[14]
そして〔両軍ともに〕進軍して、ほとんど同時に、コリントス人たちの一統は ネメアに達し、他方、ラケダイモン人たちとその同盟者たちは、 シキュオンに〔達した〕。そして後者が エピエイケイアに侵入するや、先ず最初にこれを右手上方から飛び道具攻撃し、弓攻撃して、甚大な仇を成したのは、相手方の軽装兵(gymnetes)たちであった。

[15]
そこで、〔ラケダイモン勢はコリントス湾の〕海岸方面へくだり、そこから平野部を前進しながら、耕地を伐採し焼き払った。しかしながら、相手勢も後退しつつ、〔ネメアの〕峡谷を前にして陣営を築いた。ラケダイモン人たちもさらに前進し、敵勢からもはや10スタディオンと離れていなかったが、こちらもそこに宿営して平静を保った。

[16]
 ここで、両勢力の大きさも話しておこう。すなわち、集結した重装歩兵は、ラケダイモン側のは、ほぼ6000、さらにエリス人たち、トリピュリア人たち、アクロレイオイ人たち、ラシオン人たちのは3000近く、シキュオン人たちのは1000と500、さらに、エピダウロス人たち、トロイゼン人たち、 ヘルミオン人たち、 ハリアイ人たちのは3000を下らなかった。これら〔重装歩兵〕に加えて、騎兵は、ラケダイモン人たちのは約600、 クレテ人たちの弓兵およそ300が追随し、さらに投石兵は、マルガナ人たち、レトリノン人たち、アムピドロス人たちのが400を下らず〔追随した〕。ただし、プレイウウス人たちは追随しなかった。戦争停止期間(ekecheiria)中にあると称してである。以上が、ラケダイモン人たちの側についた戦力にほかならなかった。

[17]
対して、敵の戦力として結集させられたのは、アテナイ人たちの重装歩兵約6000足らず、アルゴス人たちからおよそ7000を集め、ボイオティア人たちからは、オルコメノス人たちが参加しなかったので、およそ5000、ところがコリントス人たちの3000足らず、さらに、全エウボイアからは3000を下らぬだけ。重装歩兵隊はこれだけであった。が、騎兵は、ボイオティア人たちのが、オルコメノス人たちが参戦しなかったにもかかわらず、800足らず、アテナイ人たちのは600足らず、エウボイアから参戦した カルキス人たちのは100足らず、さらにロクリス人たちのうち、オプウンティオス・ロクリス人たちのは50足らずであった。さらには、裸兵たちも、コリントス人たちのそれといっしょに多数がいた。というのも、オゾライ・ロクリス人たちや、メリス人たち、アカルナニア人たちが彼らの側についたからである。

[18]
 以上が、両軍の戦力にほかならなかった。さて、ボイオティア人たちは、自分たちが左翼を受け持っているうちは、戦火を交えることに逸りはしなかった。ところが、アテナイ人たちがラケダイモン人たちに対峙し、自分たちは右翼を受け持って、アカイア人たちの対抗配置につくや、すぐに美しい卜兆(うらかた)があらわれたと称して、開戦の準備にかかるよう下知した。そして、先ず第一に、縦深16層以下〔という申し合わせ〕をまったく無視して密集隊を形成したばかりか、そのうえさらに、敵勢の側面攻撃をしようとして右方向へと引率した。このためアテナイ人たちは、分断されないために、そちらへと追随した。包囲される危険性のあることはわかっていながらである。

[19]
ところで、ラケダイモン人たちの方は、敵勢の接近にしばらく気がつかなかった。というのも、その地は草深かったからである。だが、〔相手の〕吶喊歌で、ようやく気づき、すぐに全軍戦闘の装備を身につけるよう逆に下知した。そして、傭兵隊長(xenagoi)がそれぞれを配置したとおりに戦闘配置につくや、嚮導者に追随するよう指令をまわす一方、ラケダイモン人たちも右方向へと引率し、翼が延びすぎたため、アテナイ人たちの部隊は、ラケダイモン人たちには6部族が、テゲア人たちには4部族が対峙するにすぎなくなった。

[20]
もはや1スタディオンと離れてはおらず、ラケダイモン人たちは、しきたりどおり アグロテラアルテミス〕女神に雌山羊を 血祭に捧げると、はみだした翼を〔相手の側面攻撃に〕回り込ませながら、敵勢に向かって嚮導した。かくして乱戦となり、ラケダイモン人たちの他の同盟者たちはみな敵勢によって制圧されたが、ペッレネ(1)人たちはテスピアイ人たちと対峙していたが、戦って両勢ともその場で斃れた。

[21]
しかし、ラケダイモン勢の本隊は、アテナイ人たちのうち自分たちがとらえた部分は制圧し、はみだした翼で包囲してその多くを殺害し、そのうえ、無傷であったから、戦闘配置のまま進撃した。そして、アテナイ人たちの4部族の方は、追撃から引き返してくる前に通り過ぎたため、激突のさいにテゲア人たちによって〔斃された者は〕別にして、これを殺害することはなかった。

[22]
これに反してアルゴス人たちは、引き上げてくるところにラケダイモン人たちが遭遇し、第一軍令官は正面からこれに激突させようとしたところ、最前列をやり過ごすよう叫んだ者がいたといわれている。それがそうなったため、肩すかしをくらった相手の裸の側面〔右側〕に吶喊して、その多くを殺した。彼ら〔ラケダイモン勢〕はまたコリントス人たちが引き上げてくるところをも攻撃した。さらにそのうえ、ラケダイモン人たちはテバイ人たちの何人かが追撃から引き上げてくるのにも遭遇した。そしてそのあまたを殺害した。

[23]
かかる事態になったため、敗北者たちは、初め〔コリントスの〕城壁に逃れた。ところが、コリントス人たちが閉鎖したので、今度はもとの陣地に幕営した。逆にラケダイモン人たちの方は引き返して、最初に敵と交戦したところに勝利牌を立てた。これこそが、この戦闘の模様であった。
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