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back.gif第5巻・第1章


Xenophon : Hellenica



第5巻






第2章



[1]
 さて、これらのことが彼らの望みどおりに運んだので、彼らによって決定されたのは〔BC 386〕、同盟者たちのうち、戦争中に攻め立ててきた連中や、ラケダイモンに対してよりも敵国人たちに好意的であった連中、これらの連中を懲罰し、不忠であり得ないように整備すべしということであった。そこで、先ず第一に、マンティネイア人たちに対して使いをおくり、自分たちで城壁を取り払うよう命じ、さもなければおまえたちが敵国人たちと同類ではないと信ずることはできぬと申し渡した。

[2]
というのは、彼らの主張では、感づいていたというのである、――自分たちがアルゴス人たちと戦争していたとき、連中に穀物を輸出していたばかりか、休戦期間(ekecheiria)を口実にして共同出兵さえしようとしなかった時もあれば、つき従ったときも、その共同出兵ぶりは悪かった、と。あまつさえ、彼らの主張では、わかっていたというのである、――自分たちに何か善いことが生じた場合には、やつらは嫉妬するくせに、ひとが災禍に見舞われたときには〔 第4巻 第5章 18節参照〕、大喜びしていたのが。さらには、和平条約――マンティネイアにおける闘い〔BC 418〕の後に成立した三十年和平条約――も、マンティネイア人たちに対してはその年に失効したと世評されていたのである。

[3]
ところが、城壁の取り壊しを拒否したので、〔ラケダイモン人たちは〕彼らを攻撃するための動員令を発令した。
 ところが〔BC 385〕、アゲシラオスはこの出兵から自分を外すよう国に要求した。 メッセネとの戦闘のさいに、自分の父親〔アルキダモス2世〕に対してマンティネイア人たちの国家は多くの点で奉仕したというのである。そこでアゲシポリスが動員部隊をもって出陣した。自分の父親パウサニアスが〔彼はまだ存命で、亡命中。 第3巻 第5章 25節参照〕、マンティネイアの民衆の指導者たちにとりわけて友好的であったにもかかわらずである。

[4]
そして、侵入するや、先ず初めに土地を荒らした。が、それでも相手が城壁を取り壊そうとしなかったので、都市を取り巻いてぐるりと塹壕を掘った。将兵たちの半分には、塹壕を掘っている者たちの前に武装して座らせ、半分には作業を続けさせて。かくして塹壕ができあがったので、もはや安全に、都市のぐるりに城壁を建築した。しかし、前年が豊作だったために、都市内には穀物がたっぷり蓄えられているのを察知し、長時間にわたって国および同盟者たちがこの出兵のために消耗しなければならなくなっては、困難な事態に陥ると考え、都市の中を貫流している河――非常に巨大な河であった――をせき止めた。

[5]
すると、流れがふさがれたために、水が家屋の下の土台のみならず、城壁の下の〔土台〕の上まで上昇した。そのため、基部の煉瓦が濡れ、上部を支えられなくなり、先ず初めに〔壁が〕破れ、次いで傾きさえした。彼らは、しばらくは材木でつっかい棒をして、櫓が落ちないように工夫した。が、水〔力〕にはかなわず、ぐるりの壁のどこかが崩れて槍の穂先にかけられた者〔戦争捕虜〕となるのではないかと恐れ、〔城壁の〕取り払いに同意した。しかしラケダイモン人たちは、彼らが村ごとに分住しないかぎりは、〔成約の〕献酒をしあうことを肯じなかった。そこで彼らの方としても、やむを得ないと考え、それを実行することにも同意した。

[6]
そこで、アルゴス贔屓の人たちや民衆の指導者たちは、殺されると思っていたが、〔アゲシポリスの〕父親はアゲシポリスから、彼ら――60人であった――が国から立ち去るなら安全を手に入れられるとすることに成功した。かくして、城門を出発点として道の両側に長柄を持ったラケダイモン人たちが立ち並び、出てゆく者たちを見張った。そして彼らのことを憎んでいたにもかかわらず、彼らに手出しすることをひかえていたが、そうすることはマンティネイアの最善者たち〔貴族階級の者たち〕よりも容易であった。これこそは、従順さ(peitharchia)の大いなる証として述べられたと考えてもらいたい。

[7]
こういう次第で、城壁が取り壊され、マンティネイアは四つに分けて分住させられたが、これはまさしく昔どおりの居住の仕方であった。しかし、先ず第一に彼らが憤慨したのは、現有している家屋を取り壊して、別な家屋を建てなければならないことであった。が、家産を持っている者たちは、村落の近くに自分たちの耕地があったので、その近くに住み、貴族制を採用し、厄介な民衆指導者たちからはのがれられたために、この事態を喜んだ。また、彼らに対してラケダイモン人たちは傭兵隊長(xenagos)を一人ではなく、村ごとに一人ずつ送り込んだ。すると、村々から民主制時代よりもはるかに熱心に共同出兵したのであった。マンティネイアに関する件は、かくのごとき結果に終わり、少なくとも次の点では人々はより賢明になったのであった――つまり、河は城壁を貫通させてはならないという点で。

[8]
 他方〔BC 384〕、プレイウウスからの亡命者たちは、ラケダイモン人たちが同盟者たちについて、おのおのが戦争中自分たちに対してどのような振る舞いにおよんだかを調べているのを察知し、好機と考え、ラケダイモンに転進し、次のように教えた、――家郷が自分たちのものであった間は、国はラケダイモン人たちを城壁のところまで受け入れたのみならず、いずこなりと嚮導するところへ共同出兵してきた。しかるに、自分たちを追い出してからは、どこへも追随することを拒んだばかりか、あらゆる人間の中でラケダイモン人たちばかりは城門の内へ受け入れようとしなかったのである、と。

[9]
これを聞いて監督官たちには、一考の価値ありと思われた。そこで、プレイウウス人たちの都市に使いを遣って、亡命者たちはラケダイモン人たちの国の友であり、彼らは何ら不正していないにもかかわらず亡命しているのだと言い立てた。さらには、やむを得ずにではなく、自発的に、彼らの帰還を達成するよう要望すると主張した。これを聞いてプレイウウス人たちは、彼ら〔ラケダイモン人たち〕が自分たちに向けて出兵してきたら、内部者たちの中に彼らを国内に引き入れる者たちがいるのではないかと恐れた。というのも、亡命者たちの親類や、他にも好意を寄せる者たちが多く内部にいたし、たいていの国においても同様であるが、新体制を欲して亡命者を帰還させたいと望んでいる者たちもいたからである。

[10]
まさしくこういったことを恐れて、彼らは亡命者たちを迎え入れることを決議し、亡命者たちには公然たる所有物は返却し、また彼らから購入した者たちには、その代価を公庫から支払うこと。しかし、相互の間で何か異議の生じた場合は、裁判で裁くことにした。こういったこともまた、プレイウウス人たちの亡命者たちに関して当時起こったことであった。

[11]
 さらに、 アカントスアポロニア――これらは オリュントス周辺の諸都市の中で最大のものであった――からの使節団がラケダイモンに来着した〔BC 383〕。監督官たちは彼らがやってきたわけを聞いて、これを民会と同盟者たちの前に紹介した。

[12]
そこにおいてアカントス人 クレイゲネスが発言した。
 「おお、ラケダイモン人ならびに同盟者諸君、あなたがたは重大事がヘラスに出来していることに気づいておられないようにわれわれは思う。なぜなら、トラケ地方の諸都市の中でオリュントスが最大の都市であることは、ほとんどすべてのみなさんが知っておられよう。この連中は、同一の法習を採用し、したがって同市民となるとの条件で諸都市を引き寄せ、次いでさらに、より大きな諸都市をもわがものに加え。その後、マケドニアの諸都市をもマケドニア人たちの王 アミュンタスの手から自由とすることを手がけた。

[13]
そして、それら〔諸都市〕のうち、最も近隣の諸都市が、聞き入れるや、すぐさまより遠方のより大きな諸都市へも進軍した。かくして、われわれは他にも領有してきた多くの都市を――とりわけ、マケドニアの諸都市の中でも最大の都市 ペッラまでもすでに放棄してしまったのである。そして、アミュンタスは、これらの諸都市から撤退したばかりか、もはや全マケドニアから放逐されてしまったも同然なのをわれわれは察知している。そのうえ、われわれに対してもアポロニア人たちに対しても、オリュントス人たちは使いを送り、もしもわれわれが共同出兵しなければ、彼らがわれわれの攻撃に向かうとわれわれに予告しているのである。

[14]
 われわれとしては、おお、ラケダイモン人諸君、父祖の法習を採用し、自主独立民でありたいと望んでいる。しかしながら、救援してくれる者がいなければ、われわれもまた彼らといっしょになるのはやむを得ない。しかも、今にして、すでに彼らの重装歩兵は800を下らず、軽楯兵はその数よりもはるかに多い。騎兵にいたっては、もしもわれわれまでが彼らの仲間になれば、1000を越えるであろう。

[15]
さらに、われわれは、アテナイからのもボイオティアからのも、使節団をすでに自国に待たせたままにしてきている。しかし、聞くところによれば、当のオリュントス人たちによっても、同盟関係を求めてそれらの諸都市に使節団をつけて派遣すべしとの決議がなされたという。万一、これほどの戦力がアテナイ人たち、ならびに、テバイ人たちの強大さに加わるならば、おわかりのとおり」と彼は言った、「もはやそれらはあなたがたにとって御しやすいものとは決してならないであろう。しかも、彼らは パッレネの地峡にある ポテイダイアまでも領有しているのだから、その内側にある諸都市も彼らの臣下になるだろうとみなすべきである。なおそのうえに、次の事実も、諸都市がこぞって強く恐怖にとらわれているという、あなたがたにとっての証拠としてもらいたい。つまり、オリュントス人たちを最高に憎んでいながら、それでも、この事態を教えるための使節団を、われわれといっしょになって派遣することを拒んだという事実を。

[16]
また、次のことにも留意していただきたい。つまり、あなたがたが、ボイオティアについては統一体にならぬよう気遣いながら、はるかに大きな権力が――それも、この権力たるや、陸上のみならず海上においても強力である――が結集しかかっていることには気にしないということが、どうして尤もなことであろうか、ということに。というのは、いったい、阻止し得るであろうか、――造船用木材は自国内に産し、財貨の収入は多くの港湾や、多くの貿易によってもたらされ、あまつさえ、もともと穀物数多にして人口数多であるからには。

[17]
いや、それどころか、彼らの隣人たるや王なきトラケ人たちであり、この連中は今もすでにオリュントス人たちに奉仕している。したがって、この連中が彼らの支配下に入れば、権力もまた大きいのが彼らにつけ加わることになろう。じっさい、この連中が追随者となれば、 パンガイオン山にある金鉱もすぐに手を彼らに差し伸べることであろう。そして、以上、われわれの述べたことで、オリュントス人たちの民衆の間で一万回も言われていないようなことは、ひとつもないのである。

[18]
しかも、彼らの思い上がりたるや、これをひとは何と言えばよいであろうか。というのも、神は、おそらくは、権力拡大と同時に、人間どもの思い上がりも増大するようになさったようなのである。
 それでは、われわれは、おお、ラケダイモン人たちならびに同盟者諸君、かしこの事態はこれこれしかじかと通報した。そこで、あなたがたは、気遣いの価値ありと思われるかどうか、評議していただきたい。ともあれ、あなたがたは次のことも知っておくべきである、――われわれが述べきたった権力はいかにも大きいが、いまだ抗しがたいほどではないということを。なぜなら、諸都市のうち、この国制を心ならずも共有している都市、これらの諸都市は、対抗者のようなものを見つけられるなら、たちまちに離反するであろうから。

[19]
しかしながら、相互の通婚と財産権――これを彼らはすでに決議してしまっているが――によって合併し、征服者たちに追随した方が得だ、ちょうどアルカディア人たちが、あなたがたといっしょになったおかげで、自分たちのものを保全したばかりか、他人のものをも掠め取れたように、と判断するような事態になれば、おそらくそれと同様に、もはや彼らは解体しやすいものとはなるまい」。

[20]
 以上のことが語りおえられると、ラケダイモン人たちは同盟者たちに発言権を与え、ペロポンネソスならびに同盟者たちにとって何が最善かわかる者は何なりと忠告するよう命じた。そういう次第で、しかし、多くの者たちは出兵を決行することに賛同し、とりわけ、ラケダイモン人たちを悦ばせたいと望む者たちはそうであり、1万におよぶ部隊を各都市が〔分担して〕派遣することに決した。

[21]
さらに提案がなされたことは、諸都市のうち望むところには、兵員に代えて金を、兵員一人につきアイギナ貨幣で3オボロス払うことを認めること、また、騎兵を提供するところがあれば、重装歩兵4人分を報酬として騎兵一人につき与えること。

[22]
逆に、諸都市のうち、出兵に後れをとるところがあれば、兵一人につき、一日に、1スタテル〔=2ドラクマ〕の罰金を課すことがラケダイモン人たちに認められること。

[23]
こういった事柄が決定されると、アカントス人たちは再び立ち上がって教えた、――これらの決議事項は美しい、だが、すぐさま実現することは不可能である。そこで、よりよいのは、と彼らは主張した、この戦備が結集される間に、指揮官ならびに、ラケダイモンからすぐさま出動できるだけの戦力が、もちろんその他の諸都市からも、できるかぎり速やかに出動することである。なぜなら、そういうことになれば、いまだ降伏していない諸都市は思いとどまることができようし、力に屈したところも、あまり共闘はすまい、と。

[24]
そこで、これらのことも決定され、ラケダイモン人たちは エウダミダスと、彼とともに新平民たち、ならびに、周住民たちやスキリティス人たちから成る兵たち、〔あわせて〕およそ2000を急派した。ところで、エウダミダスは、出動にさいし、兄弟の ポイビダスに、自分に配属された部隊の残りを掻き集めて追いかけさせるよう、監督官たちに要望した。そして、自分はトラケ沿岸の地に到着すると、要望のあった諸都市には守備隊を派遣し、特にポテイダイアは、すでにあの者たちと同盟関係にあったにもかかわらず、自発的に申し出があってわがものに加え、ここを発進基地にして、あまり戦力を持っていないものなら尤もな仕方で戦争を続けた。

[25]
 他方、ポイビダスの方は、エウダミダスの残りの部隊が彼によって掻き集められたので、これを率いて進軍した。そしてテバイに着くや、都市郊外の体育場の周辺に宿営した。ところが、テバイ人たちは党争の最中で、イスメニアスと レオンティアデスとは、ちょうど軍令官であったのだが、お互いに不和で、どちらもが結社の領袖であった。ところで、イスメニアスの方はラケダイモン人たちを憎んでいたので、ポイビダスには近寄ろうともしなかった。が、レオンティアデスの方は、他にもいろいろ彼に奉仕していたが、親密になるや、次のようなことを言った。

[26]
「あなたには、おお、ポイビダスよ、今日にも、最大の善事をあなたの祖国に献ずることができるのだ。すなわち、あなたが重装歩兵たちといっしょにわたしについてくれば、あなたをわたしがアクロポリスの中に引き入れよう。このことが実現すれば、テバイ人たちは完全に、ラケダイモン人たち、ならびに、あなたがたの友たるわれわれの支配下に入ると信じてもらいたい。

[27]
たしかに今は、ごらんのとおり、テバイ人たちのうち、何びともあなたといっしょにオリュントス攻撃に出兵してはならぬと布告されている。しかし、あなたがこのことをわれわれといっしょに実行するなら、すぐさまわれわれはあなたに多くの重装歩兵、多くの騎兵を応援に派遣しよう。そうすれば、多大な戦力をもって兄弟を救援できるのみならず、兄弟がオリュントスを屈服させんとしている間に、あなたはテバイを――オリュントスよりもはるかに大きな都市を――屈服させてしまうことになろう」。

[28]
これを聞いてポイビダスは舞い上がってしまった。というのも、彼はただ生きるよりも何か目覚ましいことを実行することの方をはるかに恋する者であって、確かに思量の人ではなく、まして慎慮の人では決してないと思われていた。そういうわけで、彼がこのことに同意すると、〔レオンティアデスは〕彼には、荷造りをして撤収するかのように進発するよう頼んだ。
 「好機とみれば、あなたのところへわたしが行こう」とレオンティダスは言った、「そして自分であなたの嚮導者になろう」と。

[29]
 この時、評議会が市場の柱廊に着席して〔開かれて〕いた――女たちが カドメイアテスモポリア祭を挙行していたからである――、しかも、夏の、それも真昼時で、いずれの道にも人影はまったくなかった――、まさしくこの時に、レオンティアデスは馬に乗って馳せ参じ、ポイビダスを引き返させ、まっすぐアクロポリスへと嚮導した。そして、ポイビダスとその麾下の将兵とをその場に佇立させたまま、城門の〔閂留めの〕鍵を彼に渡して、自分が命じるまでは誰ひとりアクロポリスに入り込まないように言うと、すぐさま評議会の前に進み出た。

[30]
入ると次のように発言した。
 「おお、諸君、ラケダイモン人たちがアクロポリスを押さえたということは、何ら落胆するに及ばぬ。なぜなら、敵としてやってきたのではないと言われているからである。戦争を恋する者は除いてだが――。そこで、わたしとしては、法の命ずるところによって、何びとであれ死刑に値することを為したと思われる者あらば、軍令官は〔これを〕捕らえることができるのだから、このイスメニアスを捕らえよう。戦争扇動者の咎で。それゆえ、あなたがた旅団長(lochagos)、ならびに、旅団長に配属されている諸君は、起立して、この男を捕らえて、すでに申し渡されている場所に連行せよ」。

[31]
 もちろん、この件を知っている者たちがその場にいて、聴従して逮捕に協力した。他方、知らない者たち、レオンティアデス一派に反対な者たちのうち、ある者たちはすぐさま都市郊外へ逃げた。殺されるのではないかと恐れたからである。またある者たちは、とりあえず家へ引き上げた。だが、イスメニアスがカドメイア城に幽閉されたと察知し、その時になってからアテナイへと退去したのは、アンドロクレイダスならびにイスメニアスと同じ見解を有する人々おおよそ300人であった。

[32]
 これらのことが成し遂げられると、彼らはイスメニアスに代わる他の軍令官を選び、レオンティアデスはただちにラケダイモンへと出向いた。しかし、そこでは、監督官たちならびに国の大衆がポイビダスに対して不機嫌であるのを見出した。国家によって下命されたのではないこと、これをしでかしたからである。しかしアゲシラオスは言った、――ラケダイモンにとって有害なことをしでかしたのなら、罰を受けるのが義しいであろう、だが、善いことを〔しでかしたの〕なら、こういったことは臨機応変にすることができるというのは、古来のしきたりである。「したがって、事柄そのものを」と彼は言った、「考察すべきである、――しでかされたことは善いことなのか、それとも、悪いことなのか、を」。

[33]
 とにかく、レオンティアデスは、民会議員たちの前に進み出て以下のような発言をした。「ラケダイモン人諸君、今回の事件が出来するまでは、テバイ人たちがあなたがたに対して敵対的であったということは、あなたがたもおっしゃってきたとおりである。というのは、眼にしてこられたとおり、彼らはあなたがたの敵手とは友好的であるが、あなたがたの友たちには敵対的であるのが常だったからである。ペイライエウスの民衆を攻撃したさいには、それがあなたがたの難敵中の難敵なるがゆえに、共同出兵するのを拒否したのではなかったか? 逆にポキス人たちに対しては、あなたがたが好意的であるのを見て、征討軍を差し向けたのでは〔なかったか〕?

[34]
 いや、それどころか、オリュントス人たちに対しても、あなたがたが戦争を仕掛けたのを知って、同盟関係を結び、あなたがたも、今まで、やつらがボイオティアを力ずくで自分たちの支配下に置いたと聞くことになるのはいつなのかと、いつも心を傾けてきた。しかるに今や、今回のことが成し遂げられたために、あなたがたはテバイ人たちを恐れる必要は何もなくなった。いやむしろ、あなたがたは小さな密書だけで、あなたがたが必要とするだけのものをすべてかしこから奉仕されるに充分となるであろう、――われわれがあなたがたを気遣うように、あなたがたもわれわれのことを気遣うならば」。

[35]
 これを聞いたラケダイモン人たちによって、アクロポリスを自分たちが占領したかのように守備すること、そしてイスメニアスを裁きにかけることが決定された。そして間もなく、裁判官としてラケダイモン人たちの中からは3人、さらに同盟諸国からは――小国であれ大国であれ――一人ずつを派遣した。そして一同が法廷に着座するや、いきなりイスメニアスに対する告発がなされた、――いわく、異邦人に味方した咎で、いわく、ペルシアの客友としてヘラスに対して何ひとつ善きことに寄与しなかった咎で、いわく、大王からの財貨の分け前に与った咎で、かつまた、ヘラスにおけるあらゆる紛争の最高責任者は、彼とアンドロクレイダスとであったという咎で。

[36]
彼としては、これらすべての嫌疑に対してもちろん弁明をこころみたものの、しかし自分は大行者でも悪行者でもないというふうに説得することはできなかった。そして彼は有罪決議を受け、処刑されてしまった。逆にレオンティアデス一派は国を掌握するとともに、ラケダイモン人たちから下命されるよりもはるかに多くを彼らに奉仕したのであった。

[37]
 こういったことが成し遂げられたために、ラケダイモン人たちはオリュントスへの遠征軍共同派遣にますます熱心になった〔BC 382〕。そして総督としてはテレウティアスを急派する一方、10000に及ぶ全軍を自分たちが応援急派したのみならず、同盟諸国にもあちこち密書を送りつけ、同盟者たちの議定どおりにテレウティアスに随行するよう命じた。すると、他の者たちは熱心にテレウティアスに奉仕した、というのも、何らかの点で奉仕した相手に不義理するような人物ではないと思われていたからであるが、特にテバイ人たちの国家は、アゲシラオスも彼の〔異父〕兄であったことから、重装歩兵たちをも騎兵たちをも熱心に派遣協力した。

[38]
しかし、彼は進軍を特に急ぐこともなく、進軍にさいして、友たちに対して不正なきよう、また、最多の戦力を掻き集められるようにと気遣った。さらにまた、アミュントスのもとにもあらかじめ使いを送って、いやしくも権職の再興を望むなら、外人部隊に報酬を払いもし、また、近隣の王たちを同盟者にするために財貨を与えもするよう、彼に要請した。さらには、 エリミアの支配者 デルダスのもとにも使いを送って、教えた、――オリュントス人たちはマケドニアという、より大きな勢力を屈服させてしまった、したがって、より小さな勢力を放置することはなかろう、もしも連中の暴慢を阻止する者がいなければ、と。

[39]
こういったことを実行したので、非常に多くの遠征軍を率いて自分たちの同盟国に到着した。そしてポテイダイアに赴くと、その地から戦闘態勢をとって敵地に進軍した。だが、この国に進撃したものの、焼き払うことも切り倒すこともしなかったが、それは、そういったことを何かしでかした場合、前進するにしても、後退するにしても、あらゆる点で自分の障害になるだろう。しかし、この国から退却するとき、この時には、背後から襲いかかる者のある場合に、樹木を切って障害物として投げ倒すのが正しい、と信じたからである。

[40]
 そして、都市から10スタディオンと離れていないところで、武器を置くと、彼はみずから左翼を受け持ち――かくすれば、城門のところで敵国人たちが出動してくる通路に自分が向かうことになるからである――、同盟者たちから成る他の密集隊は右翼に持ち場を定めた。また、騎兵のうち、ラコン人たち、テバイ人たち、さらにマケドニア人たちの中で参戦した者たちは、右翼に配置し、自分のもとにはデルダスとその騎兵隊おおよそ400を〔配置した〕が、それは、この騎兵部隊に対する敬意と、デルダスが悦んで参戦してくれたことに対する配慮からであった。

[41]
対して、敵たちも進撃してきて、反撃態勢をとって城壁のたもとに対抗布陣し、彼らの騎兵隊は一丸となってラコン人たちとテバイ人たちに向かって突入した。そして、ラケダイモンの騎兵指揮官 ポリュカルモス(1)を馬上からたたき落とし、倒れたところを、満身に創痍をおわせ、他の者たちをも殺し、最後には右翼の騎兵部隊を背走させた。しかも、騎兵隊が逃げたために、これが率いていた歩兵隊も崩れ、全軍が敗北の危機に瀕したことであろう、――もしもデルダスが自分の騎兵部隊を率いてまっすぐオリュントス人たちの城門に疾駆することがなかったとしたら。さらにまたテレウティアスも、戦闘態勢にあった麾下の将兵を率いて攻め寄せた。

[42]
それと察知したオリュントスの騎兵隊は、城門から閉め出されるのではないかと恐れ、向きを変えると、大急ぎで退却しようとした。ここにおいて、デルダスは連中のうち駆け抜けようとする者たちをおびただしく殺害した。さらにオリュントスの歩兵隊も都市に撤退した。が、彼らの中で殺された者は多くはない。城壁の近くにいたからである。

[43]
かくして勝利牌が立てられ、勝利そのものもテレウティアスに帰せられ、退却しながら樹木を伐採した。そしてこの夏も遠征にくれたのち、マケドニアの軍隊もデルダスのそれも解散・放免した。しかしながら、オリュントス人たちもラケダイモン人たちの同盟諸都市に何度も襲来しては掠奪しまわり、人々を殺したのであった。
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