第4巻・第8章
第1章[1] とにかく、ヘレスポントスをめぐって、アテナイ人たちとラケダイモン人たちとの間に起こったことはといえば、以上のごとくであった。他方、エテオニコスは再びアイギナ島にあり、アイギナ人たちはかつてはアテナイ人たちと通商していたのであるが、海上で公然と戦争がたたかわれるようになってからは、〔エテオニコスは〕監督官たちにも了承を得て、望む者にはアッティカの奪略を容認していた。 [2] そこでアテナイ人たちは、彼らに攻囲されたので、アイギナ島に重装歩兵、ならびに、その将軍としてパムピロスを派遣し、アイギナ人たちに対して攻撃壁を築き、陸上からも海上からも、三段櫂船10艘で彼らを攻囲した。しかしながら、たまたまテレウティアスが島嶼のいずれかに資金の調達のために到着していて、攻撃壁がめぐらされたということを耳にして、アイギナ人たちを救援した。そして、艦隊は撃退したが、攻撃壁の方は パムピロスが守りとおした。 [3] やがて、ラケダイモン人たちの中から ヒエラクスが艦隊指揮官として来着した。そしてこの人物が艦隊を引き継いだのだが、テレウティアスの家郷への帰帆は浄福きわまりないものとなった。というのは、家郷に出発しようとして海に降りていったとき、将兵たちのうち彼に右手を差し出さない者は一人もなく、ある者は花冠をかぶせ、ある者は頭飾りをつけさせ、ある者たちは、遅参したために、〔テレウティアスの船が〕すでに船出していたにもかかわらず、海中に花冠を投げ込み、彼のために多くの善きことあれと祈ったのであった。 [4] たしかに、この間に、出費も危険も戦略も、およそ語るに足るほどのことは何もわたしが述べていないのは、わたしはわかっている。にもかかわらず、神かけて、次のことは男子たるものにとってよく心にとめておくに値することだとわたしには思える。――支配される者たちに、テレウティアスがこれほどの感情をいだかせた所以は、いったい何かということを。こういうことこそ、多くの金銭よりも危険よりも、男子たるものにとってもっと語るに足る事業だからである。 [5] 他方、ヒエラクスの方はといえば、その他の艦船を引き連れて再びロドスへ航行し、アイギナには三段櫂船12艘と、自分の副官(epistoleus) ゴルゴパスを総督として残置した。やがて、攻囲されているのは、都市の〔アイギナ〕人たちであるよりは、むしろ攻撃壁にたてこもっていたアテナイ人たちになった。そういうわけで、五ケ月目には、アテナイ人たちは決議によって、多くの艦船を艤装して、守備陣にたてこもっていた人たちをアイギナ島から呼びもどした。ところが、こんなことをしたために、今度はアテナイ人たちが逆に掠奪部隊やゴルゴパスによって難儀を被った。そこで、艦船13艘を反撃のために艤装し、 エウノモスをこれら〔艦船〕の艦隊指揮官に選任した。 [6] さて、ヒエラコスがロドスにあるとき、ラケダイモン人たちはアンタルキダスを艦隊指揮官として急派したが、それは、かくすれば、とりわけてティリバゾスにも格段に気に入られるだろうと考えたからである。しかし〔BC 388夏〕、アンタルキダスは、アイギナ島に到着するや、ゴルゴパスの艦船をも併せ引き継ぐと、エペソスに航行し、ゴルゴパスの方は艦船12艘とともに再びアイギナ島に遣わし、その他の艦船には副官の ニコロコスを任命した。そこでニコロコスはアビュドス人たち救援のためにそこから出航した。だが、 テネドス島方面に航路を逸れ、その地を荒らし、財貨を取得してから、アビュドスに向け航行した。 [7] 対して、アテナイ人たちの将軍たちは、 サモトラケから、タソスから、また、それらの周辺の地域から集結して、テネドス人たちを救援せんとした。しかし、ニコロコスがすでにアビュドスに入港したと察知したので、ケルソネソスを発進基地に、艦船25を率いた彼を、自分たちの麾下の艦船32艘で攻囲した。ところで、ゴルゴパスの方は、エペソスから帰航する途中、エウノモスに遭遇した。しかし、この時は、太陽が沈む少し前に、アイギナ島に逃げ込んだ。そして、下船するとすぐに将兵たちに夕食をとらせた。 [8] 対して、エウノモスの方は、しばらく待ち受けていたが、引き上げた。しかし、すでに夜になっていたので、いつもの習いで火をかかげて先導し、後続船が迷わないようにした。だが、ゴルゴパスは、すぐに乗船すると、その明かりに従って追尾した。〔敵に〕見つからないよう、また感づかれないように後を付け、水夫長(keleustes)たちも声の代わりに石の音を使い、櫂も〔水音を立てないよう〕斜めに使って。 [9] かくして、エウノモスの艦船がアッティカの ゾステル岬あたりの海岸についたとき、喇叭で急襲を命じた。対してエウノモスはといえば、何艘かの艦船からはすでに下船した者もあり、ある者たちはまだ投錨している最中であり、ある者たちはまだ接岸中であった。こうして月明かりを頼りに海戦が起こり、ゴルゴパスは三段櫂船4艘を捕らえて、曳き綱に結わえてアイギナへ曳航し去った。しかし、アテナイ人たちのその他の艦船はペイライエウスに逃げ込んだ。 [10] この後、 カブリアスはエウアゴラスの救援のためにキュプロスに出航した。率いたのは、軽楯兵800に三段櫂船10艘、さらにまた、アテナイから他の艦船ならびに重装歩兵をもわがものに加えた。そして、自分は夜の間にアイギナに上陸し、ヘラクレス神殿の向こうの窪地に待ち伏せした。軽楯兵を率いてである。そして夜明けと同時に、打ち合わせどおり、アテナイ人たちの重装歩兵――これは デマイネトスが嚮導していた――が、 ヘラクレス神殿の向かい側、およそ16スタディオンの地点に攻め上った。ここは トリピュルギア〔「三つの櫓」の意〕と呼ばれるところである。 [11] これを聞いてゴルゴパスは、アイギナ人たちを率い、艦船の艦上戦闘員(epibatai)、および、たまたま当地に居合わせたスパルテ人8名とともに、救援に向かった。さらに、艦船の乗組員たちにも、自由人である者たちは救援に赴くよう触れた。その結果、彼らの中からも多くが、各人が何でも可能なものを武器にして救援に赴いた。 [12] しかし、前衛が待ち伏せ隊のそばを通りかかったとき、カブリアス麾下の〔将兵が〕立ち上がり、ただちに投槍攻撃・飛び道具攻撃を始めた。そのうえ、艦船から上陸していた重装歩兵たちまでも攻め寄せてきた。かくして先頭集団は、何ら密集していなかったので、たちまちのうちに戦死し、その中にゴルゴパスとラケダイモン人たちも含まれていた。これらの者たちが斃れたために、もちろん他の者たちも背走した。こうして戦死したのは、アイギナ人たちはおよそ150人、さらにまた、外国人たち、寄留民たち、〔船から〕駆け降りていた船員たちなど、200人を下らなかった。 [13] こういう次第で、アテナイ人たちは、あたかも平和時のように、海上を航行するようになった。というのは、エテオニコスのためには、櫂を握ることさえも――たとえ強制されても――船員たちが拒否したからである。彼が報酬を払わなかったからである。 こういう次第で、ラケダイモン人たちは、今度はテレウティアスをこれらの艦船に艦隊指揮官として急派した。船員たちは彼がやってきたのを眼にすると、狂喜した。しかし、彼は彼らを呼び集めて次のように言った。 [14] 「おお、将兵諸君、わたしは金は持ってきていない。しかしながら、もしも神の御心にかない、また諸君も一致協力して熱望するなら、諸君にできるかぎり多くの必需品を供給できるようわたしは努めよう。諸君のよくご存知のとおり、わたしが諸君の指揮官である間は、諸君が生活できるよう祈っている点は、自分のことにも劣らないし、必需品の点では、わたしが自分よりもより多くを諸君が取得するのを望んでいることが明らかになれば、おそらく諸君は驚かれることであろう。だが、わたしは、神々かけて、諸君が一日分の〔食料を〕手に入れられるなら、自分は二日間食料なしであることを受け入れるであろう。しかも、扉は、わたしに何か要求のある人のために、入ってこられるようわたしの扉が開けられていたのは、以前からも周知のとおりであるが、今後も開けられているはずである。 [15] したがって、諸君が必需品を数多く取得するなら、そのときには、わたしもより惜しみない生活をするのを諸君は眼にされることであろう。だが、わたしが、寒さをも暑さをも不寝番をも我慢しているのを眼にされるときは、諸君もそれらすべてを堪え忍んでいるものと考えていただきたい。なぜなら、わたしが諸君にそれらを為すよう命じる所以は、諸君が辛い思いをするためではなく、それによって何か善いものを諸君が取得するためなのだから。 [16] じっさい国も」と彼は言った、「おお、将兵諸君、われわれの国は、幸福と思われているが、ご存知のとおり、それらの善にして美なることどもを所有するに至ったのは容易にではなく、必要に応じて、すすんで労苦し、かつ、危険にも挺身したゆえである。ところで、諸君も、以前には、わたしが知っているように、善勇の士であった。だが、今は、もっとより善くなるよう努めるべきである。悦んで労苦をともにし、悦んで幸福もともにするためにである。 [17] なぜなら、次のことよりも悦ばしいことが、何かあるであろうか。すなわち、人間たちのうちの誰にも――ヘラス人にも異邦人にも――報酬のために阿諛追従することなく、自分たちの必需品を、それも最美なところから、調達するに充分な者たることよりも。まことに、戦争において、敵国人たちから〔戦利品を〕ふんだんに奪うことは、よくご存知のとおり、〔自分たちの〕給養をもたらすと同時に、あらゆる人間たちの間に名声を博すからである」。 [18] 彼がこう言うと、彼らは全員が拍手喝采し、自分たちは奉仕するから、何でも必要なことを下知してくれと言った。ところで、彼はちょうど供犠をしおえたところであった。そこで、言った。 「来たまえ、おお、諸君。とにかく予定どおりに夕食をとりたまえ。そして、一日分の食料を、どうか、用意してくれたまえ。そのうえで、大急ぎで艦船に搭乗して、神の御心にかなうところに航行できるようにしてくれたまえ。〔そこに〕好機に到着できるように」。 [19] かくして、彼らがやってくると、これを艦船に乗り組ませ、夜の間にアテナイの港に航行せんと、時には休息して仮眠をとるよう下知し、時には櫓座に就かせた。もしも、12艘の三段櫂船を率いて、多数の艦船を所有している者たちの攻撃に向かうとは正気の沙汰ではないと解する人がいるなら、彼〔テレウティアス〕の計算に留意してみるがよい。 [20] すなわち、彼は考えたのである、――ゴルゴパス亡きあと、アテナイ人たちは港内の艦隊に無関心である。また、たとえ〔アテナイの〕三段櫂船が〔港内に〕停泊していたとしても、アテナイ〔国内〕にある艦船20の攻撃に向かう方が、余所にある10艘の攻撃に向かうよりも安全であると彼は考えた。なぜなら、外地にある艦船の場合、船員たちは船上で幕営するのが常であるのを彼は知っていたし、アテナイ〔国内〕にある艦船の場合は、三段櫂船指揮官は家でやすみ、船員たちも思い思いの場所で幕営すると彼は判断したからである。 [21] 彼が航行したのは、じつにこういったことを考え抜いたうえでのことである。そして、港から5ないし6スタディオンの距離に達すると、静かにして休息をとらせた。そして夜が明けそめるや、彼は嚮導した。彼らは追随した。そして、彼は丸型商船を沈めることはもちろん、自分たちの艦船によって損傷させることさえ許さなかった。だが、どこかに三段櫂船が停泊しているのを眼にしたら、これは航行不能にさせるよう努めること、また、輸送船や満載の商船は曳き綱に結わえて港外に引き出すこと、さらに、もっと大きな船からは、どこでも可能なところに侵入して、乗員を略取することをも認めた。そこで、示し合わせて デイグマ〔ペイライエウスにある商品展示場・市場〕に紛れ込んで、何人かの貿易商人たちや廻船商人たちを攫って、艦船に引きずり込んだ者たちさえいたのである。 [22] 彼はじつにこういったことをやってのけたのである。対して、アテナイ人たちのうち、ある者たちは察知して内から外へ走り出て、叫び声が何なのかを調べようとし、ある者たちは外から屋内に〔走り込んで〕武装し、さらには市に報告しようとした者たちもいる。とにかく、このときアテナイ人たちは、重装歩兵たちも騎兵たちも、全員が救援に駆けつけた。ペイライエウスが敵の手に落ちたと思って。 [23] だが、彼〔テレウティアス〕の方は、商船はアイギナに送り届けるよう、そして三段櫂船のうち3、4艘で護送するよう命じる一方、その他の艦船を率いてアッティカ沿いに廻航し、港から出航したものだから、釣り船をも、島嶼から帰航してきて人間を満載した渡し船をも、多く捕獲した。さらに、 スウニオンにも赴き、貨物船(holkas)――あるものは穀物を満載し、あるものはまた交易品を満載したのも――を捕獲した。これらのことを成し遂げたうえで、アイギナへと引き上げた。 [24] そうして、掠奪物を売り払って、将兵たちに一ヶ月分よけいに報酬を支払った。それからも巡航して、何でも可能なものを略取した。こういったことをしたために、要員いっぱいの艦船を維持できたばかりか、将兵たちを、悦んで迅速に奉仕する気にもさせていたのであった。 [25] やがて〔BC 387〕、アンタルキダスが、ティリバゾスとともに〔スサから〕下向してきたが、そのさい、アテナイ人たちおよびその同盟者たちが大王の言う和平実現への努力を拒むなら、大王みずからが〔ラケダイモン人たちと〕共闘するというふうに取り引きをしていた。ところが、ニコロコスが艦船もろともイピクラテスとディオティモスとにアビュドスで攻囲されていると聞き、陸路、アビュドスに赴いた。そして、そこから艦隊を引き連れて、夜陰に乗じて船出したが、そのさい、カルケドン人たちに呼び寄せられたとの噂をまき散らした。そして、 ペルコテに投錨して平静を保った。 [26] 他方、デマイネトス、 ディオニュシオス(1)、 レオンティコス、 パニアス麾下の者たちはこれを察知して、プロコンネソス方面に彼を追跡した。だが彼は、彼らが沿岸航行してきたので、ひそかに転じてアビュドスへ帰着した。というのは、 ポリュクセノスがシュラクウサイ人たちからなる艦船と イタリアの艦船とを20艘引率して、こちらの艦船をも〔アンタルキダスが〕収容できるよう接近中と聞いたからである。しかし、やがて コリュトス区民トラシュブウロスも、艦船8艘を率いてトラケから航行してきた。他のアッティカ船と合流せんとしてである。 [27] 対してアンタルキダスは、物見の者たちが、三段櫂船8艘接近中との合図を彼に送ったので、船員たちを最も快速の艦船12艘に乗り組ませ、もしも欠員のある場合には、残置した艦船から補充艤装するよう命じ、可能なかぎり目につかないように待ち伏せをした。そうして、彼らが通過するや、追撃に移った。これを見て相手方は逃走しようとした。ところが、最も船足の遅い艦船を最も船足の速い艦船ですぐさま取り押さえた。だが、自分の麾下の艦船の指揮官たちには、最後尾の艦船に乗り込まないよう下知して、先頭の艦船を追撃した。そして、それらを彼が捕獲したとき、後続の者たちは自分たちの先頭が捕らえられたのを見て、落胆のあまりにもっと遅い艦船にまで捕らえられてしまった。その結果、全艦船が略取されることになった。 [28] さらに、シュラクウサイからの艦船20艘が彼の指揮下に入ったばかりか、ティリバゾスの制圧下にあったイオニアからの艦船も指揮下に入り、さらには、アリオバルザネスの国からも艤装の協力を得た。というのも、〔アンタルキダスは〕昔からアリオバルザネスの客友だったからであり、他方、パルナバゾスはこの時、〔大王に〕取り立てられて参内していたからである――彼が大王の娘を娶ったのは、ほかならぬこの時である――。かくしてアンタルキダスは、80艘以上となった全艦隊でもって海を制覇した。その結果、ポントスからの艦船も、アテナイには寄航することを妨害し、自分たちの同盟者たちのところに入港させたのであった。 [29] そこでアテナイ人たちは、敵の艦船の多きを眼にし、以前のように敗戦の憂き目に遭うのではないかと恐れ、大王がラケダイモン人たちの同盟者となってしまい、さらにはアイギナ出身の掠奪部隊に攻囲され、こういった理由で和平を強く欲した。また逆にラケダイモン人たちの方も、一軍団(mora)をもってレカイオンを守備し、一軍団をもって オルコメノス(2)を守備し、さらには、諸都市を――自分たちが信をおく諸都市は滅ぼされないよう、信のおけぬ諸都市は離反しないよう――見張っているため、また、コリントスに関して面倒を起こしつ起こされつして、戦争続行は困難な状態にあった。アルゴス人たちにしても、自分たちを攻撃するための動員令が発令されたことを知り、聖月の口実も〔 第4巻 第7章 2節以下参照〕もはや自分たちには役に立たないと判断して、この者たちもまた和平に熱心であった。 [30] かくして、ティリバゾスが、大王の下された和平を望む者たちは出席するよう報せをまわしたので、速やかに全員が参会した。そして、会合をもったときに、ティリバゾスが大王の印章を見せ、書かれた内容を読み上げた。それは次のごとくであった。 [31] 「大王 アルタクセルクセスが義しいと信ずるは、アシアの諸都市、および、島嶼のうち、クラゾメナイとキュプロスとはわがものたること、その他のヘラス諸都市は、小も大も、自治を認めること、ただし、レムノス、イムブロス、スキュロスは除く。これらは、古来のごとく、アテナイ人たちのものたること。いずれの派たりとも、この和平を受け入れざる者――この者たちに対しては、以上のことを望む者たちとともに余が戦争をせん。陸上であれ海上であれ、艦船によってであれ金銭によってであれ」。〔前386年〕 [32] これを聞いて、諸都市からの使節団は、めいめいが自国に伝達した。そして、他の者たちはみなこれを受け入れると誓約したが、テバイ人たちは全ボイオティア人たちを代表して誓約すると主張した。しかしアゲシラオスは、その誓約を受け入れることを拒否した、――大王の文書が言っているとおり、小国も大国も自治権を有すると誓約しないかぎりは、と。しかしテバイ人たちの使節団は、それ〔詔書〕は自分たちに通達されたものではないと言った。「それでは行って」とアゲシラオスが主張した、「尋ねるがよい。そして、次のことも彼らに伝達するがよい。これを実現しなければ、条約の仲間外れになるだろうとな」。こういうわけで、彼らは立ち去った。 [33] しかし、アゲシラオスは、テバイ人たちに対する敵意から、逡巡することなく、監督官たちを説得してすぐに供犠した。すると、越境の生け贄が〔吉と〕出たので、テゲアに到着し、騎兵たちの中から、急使を周住民(perioikos)たちのもとへあちこち派遣し、傭兵隊長(xenagos)たちをも諸都市に〔あちこち派遣した〕。ところが、彼がテゲアを発進する前に、テバイ人たちは諸都市が自治権を有することを認めると言って出席してきた。そういう次第で、ラケダイモン人たちは家郷へと引き上げ、テバイ人たちは条約に服さざるを得なくなり、ボイオティア諸都市に自治を認めたのである。 [34] ところが、今度はコリントス人たちはといえば、アルゴス人たちの守備隊を撤退させようとしなかった。そこでアゲシラオスは彼らにも予告した、――彼らには、アルゴス人たちを撤退させなければ、また連中(アルゴス人たち)には、コリントスの地から退去しなければ、おまえたちと戦端を開くぞ、と。そこで、両者ともども恐れをなして、アルゴス人たちは撤退し、コリントス人たちの国も自主独立し、殺戮者たちとその仕業〔 第4巻 第4章 2節〕に加担したと自覚している連中は、コリントスから退去した。その他の市民たちは以前の亡命者たちの帰還を自発的に受け入れた。 [35] 以上の事柄が実行され、諸都市が、大王の下された和平を遵守するとの誓いを立てたので、間もなく、陸戦隊が解散され、艦隊も解散された。じつに、ラケダイモン人たち、アテナイ人たち、同盟者たちの間には、こうして、アテナイの城壁の取り壊し後の戦争の後に初めて成立した、これがその和平であった。 [36] この戦争の間、ラケダイモン人たちは敵対者たちと力の均衡を保ったにすぎなかったけれども、いわゆるアンタルキダスの和平のおかげで、はるかなる栄誉を授けられたのである。すなわち、大王によって下賜された和平の前衛(prostatai)となり、諸都市に自治を実現し、コリントスを同盟者としてわが方に加える一方、ボイオティアの諸都市をテバイ人たちの手中から自主独立となし――これこそ以前から彼らの欲していたことであった――、さらには、アルゴス人たちにもコリントスをわがものにすることをやめさせたのである――コリントスから出ていかなければ、と、彼らに対する攻撃の動員令を発布してである。 |