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back.gif第6巻・第4章


Xenophon : Hellenica



第6巻






第5章



[1]
 さて、テッタリアの事は、イアソンの行跡、および、彼の死後、ティシポノスの支配に至るまでの事は、明らかにされた。そこで今度は、ここへと話のそれた地点〔BC 371、本巻 第4章 26〕に立ち返ることにしよう。すなわち、アルキダモスがレウクトラへの救援から軍隊を連れもどった後、アテナイ人たちは、ペロポンネソス人たちがまだ〔スパルテに〕追随しなければならないと思っているということ、また、ラケダイモン人たちはアテナイ人たちを陥らせたような情態にはまだなっていないということに思いを致し、大王が下された和平〔アンタルキダスの和平〕に与ることを望んでいる諸都市をみな招請した。

[2]
そして会談の結果、共同を望む都市といっしょに、以下の誓約をたてる議定をつくった。
 「大王が下された和平条約、ならびに、アテナイ人たちとその同盟者たちとの議決を我は堅持する。この誓約をなせし諸都市のいずれへなりと出兵するものあらば、我は全力もて救援せん」。
 さて、他のすべてのものたちはこの誓約を歓迎した。だがエリス人たちだけは、マルガナ人たちも スキルウス人たちもトリピュリア人たちも自治権を持たせる必要はない、これらの都市は自分たちのものなのだから、と反対した。

[3]
しかし、アテナイ人たち、ならびに、その他は、大王が記したとおり、国は小も大も等しく自治権を有するものたるべしと決議し、宣誓官たちを急派し、各都市の最高首脳に宣誓させるよう命じた。かくしてエリス人たちを除いてみなが宣誓した。
 まさしくこういう次第で、マンティネイア人たちも、もはや完全に自治権を有するものとなったのだと思い、全員が参集して、マンティネイアを一国とすること〔 第5巻 第2章 7節参照〕、そして都市を城壁で囲むことを決議した。

[4]
そこで、今度はラケダイモン人たちが、自分たちの承認もなしにそんなことになれば、難儀なことになると考えた。そこでアゲシラオスを使節としてマンティネイアに派遣した。彼らにとって父祖伝来の友と思われていたからである〔 第5巻 第2章 3節参照〕。だが、彼らのもとに到着したけれども、マンティネイア人たちの支配者たちは彼のために民衆を召集することを拒み、必要なことは自分たちに言うよう命じた。そこで彼は、彼らに約束して、今、築城を思いとどまるなら、ラケダイモンの承認も得、浪費もなしに城壁を築けるようにしようと言った。

[5]
だが、彼らは、思いとどまるのは不可能だ、築城はすでに国家全体によって議定が成立したのだから、と答えたので、こういう次第で、アゲシラオスは腹を立てながら退去した。しかしながら、彼らを攻撃するために出兵することは、不可能と思われた。和平は自治を条件に成立していたからである。かくして、マンティネイア人たちには、アルカディアの諸都市からも、いくつかの都市が築城協力隊を派遣し、エリス人たちは、城壁の費用にと、銀3タラントンも彼らに寄付した。マンティネイア人たちはこういったことに従事していた。

[6]
 他方〔BC 370〕、テゲア人たちについていえば、 カリビオス(2)プロクセノス(3)とを取り巻く人たちは、アルカディア連合全体が統合し、この共同体で成立したことは、何でも諸都市に優先するようになることを目指していた。対して、スタシッポス一派は、国家はそのままにして、父祖伝来の法を適用することを実行しようとしていた。

[7]
ところが、プロクセノス(3)とカリビオスとの一派は、議会で敗れたが、民衆が集まれば、数においてはるかにまさっていると考えて、武器を身に帯びた。これを見てスタシッポスの一派は、自分たちも対抗して武装したが、確かに数の点では劣っていた。しかし、闘いに突入するや、プロクセノスと、他にも彼の配下の少数を殺害し、その他は背走させたが、追撃はしなかった。というのも、スタシッポスは、同市民の多くを殺害することを望まぬような人物だったからである。

[8]
そこで、カリビオス一派は、マンティネイアに面した城壁と城門のたもとまで撤退すると、もはや自分たちの敵対者たちが事を構えようとしなかったので、一団となって平静を保った。ところで、彼らは以前からマンティネイア人たちに救援依頼を催促して使いを送っていた。その一方で、スタシッポス一派と和解について話し合いをしていた。しかるに、マンティネイア人たちが接近中であることがはっきりするや、彼らのある者たちは城壁の上に駆けのぼって、できるだけ速く救援に来るよう頼み、急ぐよう大声で求めつづけた。他の者たちは自分たちの城門を開門した。

[9]
対してスタシッポス一派は、何が起こったのかを察知し、 パランティオンに通じている城門に殺到し、追撃者たちに捕まる前に、急遽アルテミスの神殿内に避難し、閉鎖して平静を保った。そこで、これを追尾してきた敵たちは、神殿の上にのぼって屋根まで壊して、その陶片を投げつけた。相手はもうどうしようもないと悟って、やめるよう頼み、出てゆくと申し出た。そこで敵対者たちはこれを手中に捕らえ、縛り上げて荷車に乗せ、テゲアに連行した。そして、そこでマンティネイア人たちといっしょになって有罪判決をくだし、処刑した。

[10]
 こういったことが起こっている間に、ラケダイモンへと逃れたスタシッポス一派のテゲア人たちはおよそ800であった。その後、ラケダイモン人たちによって、誓約にしたがって、テゲア人たちのなかで殺された者、および、放逐された者たちを救援すべしとの決定がなされた。かくして彼らはマンティネイア人たち攻撃のために出兵することになった。誓約に違犯して、みずからが武装してテゲア攻撃に出撃したとの理由である。そして監督官たちは動員令を発令し、国はアゲシラオスに嚮導を求めた。

[11]
対して、他のアルカディア人たちは アセアに集結した。だが、オリコメノス人たちだけは、マンティネイアに対する敵意ゆえに〔『戦史』第5巻61-63〕、アルカディア同盟に参加することを拒み、コリントスに集結していた外人部隊――これを支配していたのは ポリュトロポスである――を自国内に受け入れさえしたが、マンティネイア人たちは家郷に留まって事態を見守っていた。他方、ヘライア人たちとレプレオン人たちとは、ラケダイモン人たちとともにマンティネイア攻撃に共同出兵した。

[12]
かくて、アゲシラオスは、越境の生け贄が彼に〔吉と〕出るや、ただちにアルカディアへと進撃した。そして国境に位置する都市 エウタイアを占領し、ここには年長者、女、子どもたちが住居内に住んでいたが、従軍適齢にある男たちはアルカディア同盟に出払っているのを見つけたが、それでもこの都市に不正することをせず、彼らには居住を許し、必要物資は購入して取得した。しかも、この都市に進入するさいに、何か奪われたものがあるなら、見つけだして返却したのである。そして、彼らの城壁の必要なだけの部分を補修して、ポリュトロポス麾下の傭兵たちを待って、それまでの間をここで過ごした。

[13]
 この間に、マンティネイア人たちはオルコメノス人たち攻撃に出兵した。しかし城壁からの退却に難儀して、彼らの中の何人かが戦死した。しかし、退却して エリュミアに達すると、オルコメノス人の重装歩兵たちはもはやついて来なかったけれど、ポリュトロポス麾下が甚だ勇敢に攻め立ててきた。ここにおいて、マンティネイア人たちは、これを撃退しなければ、自分たちの多数が投槍攻撃に倒されると判断して、旋回すると、攻め立ててくる相手に白兵戦を挑んだ。

[14]
かくして、ポリュトロポスは闘ってその場で死んだ。その他の者たちは敗走したのであるが、おびただしい者たちが戦死したことであろう、――もしも、プレイウウスの騎兵が居合わせて、マンティネイア人たちの背後にまわりこんで、彼らに追撃を思いとどまらせなかったなら。ともあれ、マンティネイア人たちはこのような行動を起こしたうえで、家郷へと引き上げた。

[15]
 一方、アゲシラオスはこれを聞いて、オルコメノスからの傭兵たちが自分に合流することはもはやあるまいと考え、かくして進軍した。そして1日目にはテゲア領内で夕食をとり、次の日には、〔テゲアから渓谷地帯を〕マンティネイアに渡って、マンティネイアの西の山麓で宿営した。そして、その一帯の耕地を荒らすと同時に、農地を破壊した。対して、アルカディア人たちのうち、アセアに集結した者たちは、夜の間にテゲアに接近した。

[16]
次の日に、アゲシラオスはマンティネイアから20スタディオンだけ隔たった地点に宿営した。対して、テゲアから出撃してきたアルカディア人たちは、マンティネイアとテゲアとの中間にある山脈沿いに非常に多数の重装歩兵が参戦していたが、彼らはマンティネイア勢と合流することを望んでいた。というのも、アルゴス人たちは全軍でこれに追随してきたわけではなかったからである。そこで、これに個別に攻めかかるようアゲシラオスを説得しようとした者たちも何人かいた。だが彼は、これに向かって行軍している間に、都市からマンティネイア人たちが出動してきて、側面と背後から自分に攻めかかるのではないかと恐れ、彼らが合流するのを黙過しておいて、もしも相手が闘いを望むなら、正々堂々と戦闘するのが最も勝っていると判断した。
 かくしてアルカディア勢はまもなく一ケ所に落ち合った。

[17]
他方、オルコメノスからの軽楯兵たち、および、これに同行するプレイウウス人たちの騎兵たちは、夜の間にマンティネイアを通過して、夜明けと同時に、軍陣の前でアゲシラオスが供犠しているところに出現して、その他の〔ラケダイモン〕人たちをあわてて持ち場に走らせ、アゲシラオスを陣地に引っ込めさせた。だが、それが友軍とわかり、アゲシラオスは瑞兆を得たので、朝食後、軍隊を先導した。しかし夕方になったので、うっかり、マンティネイアの背後の峡谷に宿営した。ここはきわめて狭隘で、ぐるりを山脈に取り巻かれていた。

[18]
次の日、夜明けと同時に、軍陣の前で供犠した。この時、マンティネイア人たちの都市からの者たちが、自分たちの軍隊の背後の山脈上に集結しているのを眼にして、この峡谷からできるかぎり速やかに連れ出さなければならないと判断した。しかし、自分が先導すれば、敵たちが背後に攻めかかるのではないかという恐れがあった。そこで、平静を保って、敵たちの方に武器を向けたまま、後衛の将兵たちには、長柄〔右〕の方向に旋回して、この密集戦列の後ろを自分の方に移動するよう命じた。こうして、この狭いところから連れ出すと同時に、密集戦列を、常時、より強力に維持しつづけたのであった。

[19]
かくしてこの密集戦列が2層になった時、そのままの状態の重装歩兵隊で平野まで前進し、再び軍隊を楯9層ないし10層に展開した。しかしながら、マンティネイア人たちはもはや出動して来なかった。というのも、彼らに共同出兵していたエリス人たちが説得していたからである、――テバイ人たちが参戦するまで、戦闘を始めないよう。で、彼らが参戦するであろうことは、よくわかっている、と彼らは主張した、というのも、彼らは救援のために自分たちのところから10タラントン借用したのだから、と。

[20]
アルカディア人たちはこれを聞いて、マンティネイアで平静を保っていたのである。他方、アゲシラオスの方は、軍隊を連れもどることを切に望んでいた。というのも、真冬だったからである。が、マンティネイア人たちの都市から程遠からぬところで、それでもそこに3日間駐留した。恐れのせいで帰還を急いでいるように思われないためにである。しかし、4日めの早朝、朝食の後、エウタイアからの最初の進発基地で宿営するつもりで〔軍隊を〕引きもどした。

[21]
ところが、アルカディア人たちは一人も現れなかったので、すっかり日は傾いていたけれども、大急ぎでエウタイアまで引率した。敵の火を見るまでに重装歩兵を連れもどりたいと望んだのは、敗走して連れもどったと人に言わせないためであった。なぜなら、アルカディアに侵入もし、領地を荒らしたにもかかわらず、あえて闘おうとする者は誰もいなかったのだから、国はこれまでの意気消沈からいささかなりと回復したように思われたからである。かくして、ラコニケに着くと、スパルテ兵たちは家郷で解散し、周住民たちはそれぞれの国に放免した。

[22]
 対してアルカディア人たちは、アゲシラオスが引き上げてしまい、彼の軍隊を解散してしまったのを察知したけれども、自分たちはたまたま一団となっていたので、ヘライア人たちの攻撃に出兵した。アルカディア同盟に加わることを拒んだこと、また、ラケダイモン人たちといっしょになって、アルカディア侵入に加わったゆえである。かくして侵入するや、彼らは家屋に火を放ち、樹木を伐採した。
 そして、テバイ人たちが救援に駆けつけ、マンティネイアに来着したと伝えられて、やっとヘライアを後にして、テバイ勢と合流した。

[23]
しかし、一ケ所に落ち合ったものの、テバイ人たちは、救援に来たけれども、領土内に敵の姿はもはや誰ひとり見えなかったので、自分たちにとって美しく運んでいると思い、退却の準備を始めた。ところが、アルカディア人たち、アルゴス人たち、エリス人たちが、できるかぎり速やかにラコニケ攻撃に嚮導するよう彼らを説得して、自分たちの多勢さを示し、テバイ人たちの軍隊をべた褒めした。というのも、ボイオティア人たちは、レウクトラの勝利を誇りとして、全員が軍事訓練をしていたのである。その彼らに追随したのは、すでに臣従していたポキス人たち、全都市からのエウボイア人たち、両ロクリス人たち、アカルナニア人たち、ヘラクレイア人たち、メリス人たちであった。彼らにはまた、テッタリアの騎兵ならびに軽楯兵たちも追随した。〔アルカディア人たちは〕これを一目して、ラケダイモンの孤立ぶりを言い立てて、ラケダイモン人たちの領土に侵入することなく決して引き返さないよう嘆願した。

[24]
 しかしテバイ人たちは、これを聞きはしたが、逆の計算をしていた。すなわち、ラコニケは侵入困難と言われているということ、最も入りやすところには守備隊が駐留していると信じているということを。というのも、 スキリティス地方オイオンには イスコラオスがいて、新平民の守備隊とテゲア人たちの亡命者たちのうち、最も若いおよそ400人を率いていたからである。さらにまた、 レウクトロンに向けても、 マレアティスを臨む地点に別の守備隊が駐留していた。さらに、テバイ人たちは次の点をも計算していた。すなわち、ラケダイモン人たちの軍勢は集合もすばやく、彼らがよりよく闘うのは、自国内をおいてほかにはないということを。こういったことすべてを計算して、ラケダイモンへの進攻にはまったく乗り気ではなかったのである。

[25]
ところが、カリュアイからやって来た者たちが、〔スパルテの〕孤立ぶりを言い立て、自分たちが嚮導すると約束したのみならず、何か欺いているように見える点があったら、自分たちの喉をかき切ってくれてもいいと求め、さらには、何人かの周住民たちも居合わせて、慫慂し、彼らが領地に現れさえすれば、離反するだろうと主張し、現に今も、スパルテ人たちに召集されているが、救援を拒否していると言った。そこで、あらゆる人々から、これらすべてのことを聞いて、テバイ人たちは説得されて、自分たちはカリュアイ経由で、アルカディア人たちはスキリティスのオイオン経由で、侵入することにした。

[26]
 仮にもし、侵入困難な地点に先回りして、イスコラオスが確保していたなら、何びとも少なくともこの地点からは攻め上れなかったろうと言われている。しかしじっさいは、オイオン人たちを同盟者にすることを望んで、彼は村落に駐留していた。そこにアルカディア人たちがおびただしい数で攻め上ったのである。ここにおいて、顔と顔を突き合わせて闘って、イスコラオス麾下は優勢を保った。が、背後からも側面からも、家屋の上にのぼった者たちはその上からも、彼らに吶喊し飛び道具攻撃をしたので、ここにおいてイスコラオスが戦死したのみならず、その他の者たちも――人知れず逃れ得た者を除いて――全員が〔戦死した〕。

[27]
こういう戦果をあげたうえで、アルカディア人たちは カリュアイのテバイ人たちのもとに向けて進軍した。一方テバイ人たちも、アルカディア人たちによって挙げられた戦果を察知して、ますます大胆に攻め下った。そうして、たちまちにしてセッラシアを焼き払い破壊した。さらに平野では、アポロン神の境内に達し、ここに宿営した。しかし次の日には、さらに進軍した。
 しかし、都市に向かって渡河するのに、橋は使おうともしなかった。というのも、 アレア〔アテナ〕の神域に敵の重装歩兵たちが見えたからである。しかし、右にエウロタス河を確保しつつ、多くの善きものに満たされた家屋を焼き払い、破壊しながら前進した。

[28]
都市の者たちのうちでも、女たちは、煙を見るのさえ耐えられなかった。敵たちの姿をちっとも眼にしたことがなかったからである。他方、スパルテ人たちは、彼らの都市は城壁を持たず、各人が別々に配備されていたので、守備している者たちは、その数はじっさいにもごくわずかであったのだが、眼にする数もわずかであった。しかし、首脳たちによって、隷属民たちにも布告することが決定された、――武器を執って戦列に就くことを望む者あらば、ともに戦闘するかぎりの者は、自由人になる保証を得べし、と。

[29]
すると、伝えられるところでは、先ず初めに、6000人以上もの者たちが登録した。そのため、この者たちが戦闘態勢をとったために、 あまりに多すぎると思われて、今度は、この者たちが畏怖をもたらしたという。しかしながら、オルコメノスからの傭兵たちが駐留していた一方、ラケダイモン人たちへの救援には、プレイウウス人たち、コリントス人たち、エピダウロス人たち、ペッレネ(1)人たち、他にもいくつかの都市が駆けつけたので、もはや登録された連中をそれほど心配しなくてすむことになった。

[30]
 さて、〔敵〕軍は前進して アミュクライに達し、ここでエウロタス河を渡った。そしてテバイ人たちは、宿営したところですぐさま、伐採した樹木のできるかぎり多数を編隊の前に積み上げ、こういう方法で守備となした。だが、アルカディア人たちはそういったことは何もしなかったが、軍陣を後にして家屋の掠奪に向かった。かくして、3日目ないし4日目に、騎兵たちはガイアオコス〔ポセイドン〕の馬場に部隊ごとに進軍した。テバイの全騎、エリスの騎兵たち、さらに、ポキス、テッタリア、ロクリスからは参戦していたかぎりの騎兵たちである。

[31]
対してラケダイモン人たちの騎兵たちは、ごくわずかしか見えなかったが、これに対して反撃態勢をとっていた。そして、 テュンダリダイの邸宅の中に、若い重装歩兵を300人だけ待ち伏せさせておいて、 この者たちが躍り出ると同時に、騎兵たちも疾駆した。敵は受けきれずに、崩れた。これを見て多くは、歩兵部隊までもが敗走に陥った。しかしながら、相手が追撃をやめたのみならず、テバイ人たちの軍隊が持ちこたえ、再び陣営を構えた。

[32]
もはや彼らが都市に突撃をかけることのないことは、すでにかなり確実なように思われた。事実、軍隊はそこを離れて ヘロスやギュテイオンに向かう道を行軍した。そして、城壁のない都市に火を放ち、特にギュテイオンには――ここにはラケダイモン人たちの船渠があった――3日間突撃をかけた。また、周住民の中には、テバイ人たちの配下の将兵といっしょになって、攻めかかったり、従軍したりした者たちもいたのである。

[33]
 さて、事態を聞いてアテナイ人たちは、ラケダイモン人たちについていかにすべきか憂慮し、評議会の議定にしたがって民会を開いた。たまたまラケダイモン人たち、および、まだ〔離反せずに〕残っていた彼らの同盟者たちの使節団が滞在していた。そこでラケダイモン人たちは――アラコス、オキュロス、パラクス、エテュモクレス、 オロンテウスの面々であったが――、全員がほとんど似たようなことを述べた。すなわち、最大の危機にさいし、今まで常に善きことを目指して相互に助け合ってきたことをアテナイ人たちに思い起こさせたのである。すなわち自分たちは、と彼らは主張した、いっしょになって僭主たちをアテナイから追い出したし〔BC 511、『歴史』第5巻64〕、アテナイ人たちも、自分〔スパルタ人〕たちがメッセネ人たちに攻囲された時〔第三次メッセニア戦争 BC 464-455、『戦史』第1巻101以下〕、熱心に救援してくれた、と。

[34]
さらにまた彼らは、両国民が共同した時、いかほどの善事があったかと言い、異邦人を共同で撃退したこと〔クセルクセス1世のギリシア侵攻〕を思い起こさせる一方、思い返させたのは、アテナイ人たちはヘラス人たちによって艦隊の嚮導者にして、共有財産の守護者に選ばれた〔BC 477。デロス同盟年賦金の財務管理官の言及〕が、これを進言したのがラケダイモン人たちであったこと、また、自分たちは全ヘラス人の同意のもと、陸上の嚮導者に選抜されたが、これを進言したのは今度はアテナイ人たちであったこと。

[35]
さらに彼らの一人にいたっては、概略次のようなことまで言ってのけた。
 「もしも、あなたがたとわれわれとが、おお、諸君、同心したならば、今こそ、昔から言われていることだが、テバイ人たちが「十分の一」になる希望がある」と。
 しかしながら、アテナイ人たちは、まったく受け入れようとせず、今はこんなことを言っているが、事がうまく運んでいたときは、われわれを攻め立ててきたというような、何かそういったつぶやきが広がったのであった。だが、ラケダイモン人たちによって言い立てられたことの中で一大事と思われたのは、彼らが自分たちに戦勝した時、テバイ人たちはアテナイの廃滅を望んだけれども、これを彼らが阻止した〔第2巻 第2章 19以下〕ということであった。

[36]
そこで、最大多数の意見は、誓約どおりに救援すべしというものであった。なぜなら、アルカディア人たちとその仲間がラケダイモン人たちに向けて出兵したのは、彼ら〔ラケダイモン人たち〕が不正したからではなく、むしろ彼らがテゲア人たちを救援したからなのだ。マンティネイア人たちが誓約に反して彼らに向けて出兵したゆえに、と。ところが、こういった意見に対しては怒号が民会に飛び交った。なぜなら、スタシッポス一派によって殺害されたプロクセノス(3)一派のためにマンティネイア人たちが救援したのは義しいとある者たちは主張し、不正だ、テゲア人たちに対して開戦したゆえにとある者たちは〔主張した〕からである。

[37]
 この件はこの民会によって論決されることになっていたので、コリントス人の クレイテレスが立って、次のようなことを言った。
 「そもそも、この問題は、おお、アテナイ人諸君、誰が初めに不正したのかという問題は、おそらく異論のあるところであろう。だが、わたしたちについて言えば、和平が成っての後、いずれかの都市に出兵したとか、いずれかの人たちの財産を取得したとか、余所の土地を荒らしたとかいった理由で告発し得るものがあろうか。そうであるにもかかわらず、テバイ人たちはわたしたちの土地に進入し、樹木を切り倒し、家屋を焼き尽くし、財産や家畜を奪い尽くしたのである。いったい、不正されていることがかくのごとくに明白なわたしたちを、あなたがたが救援しないとしたら、どうして、あなたがたが誓約違反でないことがあり得ようか。いったいこれは、あなたがた全員に対して、わたしたち全員が誓約するようにと、あなたがた自身が世話したあの誓約なのか」。
 ここにおいて、もちろん、クレイテレスの述べたことは正鵠を射ていて義しいとして、アテナイ人たちは拍手喝采したのであった。

[38]
 さらに、彼につづいて、プレイウウス人のプロクレスが立って述べた。
 「おお、アテナイ人諸君、ラケダイモン人たちが邪魔にならなくなれば、テバイ人たちが出兵する先ず最初の相手はあなたがたであるということ、このことは万人に明らかであるとわたしは思う。なぜなら、彼らがヘラス人たちを支配するのに邪魔になるのは、他の者たちの中では独りあなたがただけだと彼らは考えるであろうからだ。

[39]
事情かくのごとくだとすれば、あなたがたが出兵するのは、ラケダイモン人たちを救援するというよりは、むしろあなたがた自身を救援することにほかならないとわたしとしては思う。なぜなら、テバイ人たちはあなたがたを嫌悪しているのみならず、国境を接して住んでいながら、ヘラス人たちの嚮導者たらんとしているということは、あなたがたが遠くに反対者を持つ場合に比して、あなたがたにとってはるかに難儀なことになろうとわたしは思うからである。しかのみならず、共闘者がまだいるうちに、あなたがたはあなたがた自身を救援するのがより有利であろう。それが破滅してから、単独でテバイ人たちと戦いぬくことを余儀なくされるよりは。

[40]
 しかし、万一ラケダイモン人たちが〔窮地を〕脱したら、その時には、あなたがたにとってもっと面倒をもたらすのではないか、と恐れる人たちがいるなら、思いを致していただきたい、――人が善くした相手ではなくて、悪くした相手こそ、いつか強大な権力を持つのではないかと恐れるべきだということに。さらにまた、次のことにも思いを致すべきである。つまり、最も強力な時に、何か善いことを所有しようとするのが、私人にとっても国家にとってもふさわしいのは、いつか無力になった時に、積善の労苦に対する援助を得るためだということに。

[41]
あなたがたには、今、いずれかの神によって、好機がもたらされているのである。助けを必要としているラケダイモン人たちをあなたがたが救援するなら、彼らを二言なき友として所有するという好機を。というのも、わたしに思われるところでは、〔ラケダイモン人たちが〕あなたがたによって善くしてもらうのは、今、わずかな証人の前においてではなく、むしろ、今もいつの世にも常にすべてを見そなわす神々がお知りになるのみならず、何が起こったかを関知するのは、同盟者ばかりか、敵たちもそうであり、かてて加えて、全ヘラス人たち、ならびに、異邦人たちもそうである。このことに無関心な者は誰ひとりいないからである。

[42]
したがって、あなたがたに対して悪人なりとみなされたなら、いったい誰がなおも彼らに対して献身的たりえようか。そこで、彼らは悪人となるよりはむしろ善勇の人となるであろうという希望をいだくべきである。なぜなら、余人は知らず、彼らこそは、称讃は追求し、醜行は退けつづけてきたと思われているからである。

[43]
かてて加えて、次のことにも思いを致していただきたい。いつか再び、異邦人たちによってヘラスに危険が迫る場合に、ラケダイモン人たち以上に信頼できる者が誰かいるであろうか。この人たち以上に誰をあなたがたは悦んで戦友(parastates)とするであろうか、―― テルモピュライに配置されれば、生きながらえて異邦人をヘラスに進入させるよりは、全員が闘って死ぬことを選ぶような人たち以上に。だから、あなたがたといっしょになって彼らが善勇の人となるためにも、また、再起する希望を持つためにも、あなたがたもわれわれも、彼らに全き献身を提供することが、どうして義しくないことがあろうか。

[44]
 さらにまた、現有同盟者たちのためにも、彼らに献身を示すに値するのである。なぜなら、よくご承知のように、このような国難にさいしても彼らの信頼に足る者として踏みとどまっている彼らは、あなたがたにもまた恩義の返礼をしなければ恥じるであろうから。もしも、彼らの危難に参加しようとしているそれら諸都市が小国であるとあなたがたが思うなら、思いを致していただきたい、――あなたがたの都市が味方につけば、彼らを救援しようとするわれわれ都市は、もはや小国ではないということを。

[45]
ところでわたしは、おお、アテナイ人諸君、以前に聞いて、この都市を羨望したものである。つまり、不正された者たちも、恐怖をいだく者たちも、ここに庇護を求める者たち全員が援助に与るためにやって来るのだ、と。しかるに今は、もはや聞くのではなく、自分がその場に居合わせて間もなく目撃するのである、――このうえなく有名なラケダイモン人たち、ならびに、彼らといっしょに、彼らの最も信頼する友たちとが、あなたがたのもとにやって来て、今度はあなたがたが援助してくれるよう要請するのを。

[46]
さらにまたわたしはテバイ人たちを眼にするのだ、――かつてはあなたがたを奴隷人足に売り払うようラケダイモン人たちを説得できなかったやつらが、今度はあなたがたを救った者たちを破滅させるのを黙過するようあなたがたに要請するのを。
 ところで、あなたがたの先祖について美しい話が語られている、――〔あなたがたの先祖は〕カドメイアで果てたアルゴス人たちが、埋葬されぬままになるのを許さなかった、と。しかしながら、あなたがたにとってはもっとはるかに美しいことになるであろう、――もしも、まだ生きながらえているラケダイモン人たちに〔敵軍が〕暴虐を働くことも破滅させることも許さなかったとしたら。

[47]
あるいはまた、 エウリュステウスの暴虐を抑えて、ヘラクレスの子供たちを救出したという、あの話も美しいとするなら、ひとり始祖たちばかりか、国家全体をも救助するという、この話がどうしてあの話よりも美しくないことがあろうか。とりわけ、何にもまして美しいのは、かつてラケダイモン人たちがあなたがたを救ったのは、危険のない票決によってであったが、今あなたがたが彼らを援助しようとしているのは、武器をとって危険をおかしてだということである。

[48]
さらに、善勇の人たちを救援すべしとの主張に〔言葉によって〕賛同するにすぎぬわたしたちでさえもが誇らしい気分になるからには、行動によって救援可能なあなたがたにとっては、もちろん、それは崇高なことに思われるであろう。何度もラケダイモン人たちの友にも敵にもなりながら、あなたがたが害されたことではなくて、むしろ善くされたことを記憶して、彼らにお礼を返すなら。それはひとりあなたがた自身のためのみならず、全ヘラスのためでもある。彼らはヘラスのために善勇の人となったのだから」。

[49]
 この後、アテナイ人たちは評議し、反対者たちの意見には耳をかすことを我慢せず、全軍で救援することを決議し、イピクラテスを将軍に選んだ。かくして、卜兆(うらかた)が〔吉と〕あらわれ、アカデメイアで夕食をとるよう下知した時は、多くの者たちはイピクラテスその人よりも先に出動したと言われている。が、やがてイピクラテスが嚮導し、彼らはこれにしたがった。何か美しい事業をめざして嚮導されていると信じて。だが、コリントスに着いても、数日を暇つぶししたので、この暇つぶしにはすぐさま彼らがまっ先に彼を貶した。しかし、ついに彼が出陣するや、彼らはどこでも彼の嚮導するところに熱心に追随し、城壁の攻撃に導いても、熱心に突撃したのであった。

[50]
対して、ラケダイモンにある敵たちはといえば、アルカディア人たち、アルゴス人たち、エリス人たちは、多くは引き揚げてしまった。国境地帯に住んでいたからであるが、掠め取った物は何でも、ある者たちは連れ去り、ある者たちは持ち去って。他方、テバイ人たちその他も、次の理由で領土から撤退したいとまで望んでいたのである。ひとつには、軍勢が日々少なくなるのを眼にしたために、また、ひとつには、必需品がだんだんわずかになったゆえにである。なぜなら、あるものは浪費し、あるものは奪い尽くし、あるものは蕩尽し、あるものは焼き尽くしたからである。なおそのうえに冬であったので、もはや全員が撤退を望んでいたのである。

[51]
かくして、連中がラケダイモンから退却すると、同じようにイピクラテスもアテナイ人たちをアルカディアからコリントスへと連れもどった。たしかに、他の場合なら、彼の将軍ぶりが美しかったことを、わたし〔=筆者〕は貶しはしない。しかしながら、この時に彼が行った作戦行動は、ある意味ではすべてが無駄、ある意味では彼によって為されたことは無益でさえあったのをわたしは見い出す。すなわち、 オネイオンで守備することを企て、ボイオティア人たちが家郷へ引き揚げられないようにしようとしながら、ケンクレイアイに至る最美の通路は無守備のまま放置したのである。

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他方、テバイ人たちがオネイオンを通過してしまったかどうかを知りたいと望んで、アテナイ人たちの騎兵とコリントス人たちの騎兵とを全騎、偵察にさし向けた。しかし偵察なら、少人数でも、多人数に劣らず充分なのである。むしろ、退却しなければならない場合には、通りやすい道を得るためにも、静かに退却するためにも、多人数よりも少人数の方がはるかに容易なのである。しかるに、多人数を、しかも相手よりも劣るのを攻撃に導いたのだから、どうしてとんでもない無分別でないことがあろうか。というのも、騎兵たちは数が多かったために、戦場にあまりに広く攻撃態勢をとったものだから、退却しなければならなくなった時に、多くの困難な場所にぶつかってしまった。その結果、20騎を下らぬ者たちが戦死したのである。かくして、この時は、テバイ人たちは望みどおりに引き揚げてしまった。

1997.11.09.

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