間歇日記

世界Aの始末書


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2000年4月上旬

【4月10日(月)】
▼バス停でぼんやりとバスを待っていると、薬局が目に入った。もう営業は終了しているが、電光掲示板だけがやたらとあちこちの病気を挙げては「ご相談下さい」と繰り返す。外から店内が見える薬局で、道路に面したガラスには「処方せん受付」と大書してある。なにしろ大書してあるわけだからして文字の線が太い。“箋”などという字はとても書けまい。無理して書いても、少し離れて見ると、なにやら黒くてごちゃごちゃした文字らしきものにしか見えないだろう。でも、おれにはこの「処方せん受付」が、「処方をしない受付」に見えてしかたがない。なんだかとてつもなくまぬけだ。刑事コロンボ『殺人処方せん』なんてのがあったら厭だよなあ。「便せん」ってのもときどき見かける。肛門になにかが詰まっているようなイメージだ。“箋”という字が読めない人に配慮しているのだろうか。たぶんおれの母には読めないと思う。いや、病院とは縁が切れないから、これは読めるかな。たしかに日常的に“しょほうせん”という言葉は母も使っているけれども、文字を思い浮かべてしゃべっているかどうかはよくわからない。
 母が文盲というわけではないのだが、彼女は文字を読むのがとてつもなく嫌いであり、書くのはそれに輪をかけて嫌いなのである。これからの時代は、電子メディアの恩恵を最も受けられる、また、受けるべきであるのは、老人などの肉体的ハンディのある人々だとおれは思うので、なんとか母に情報家電のリテラシーを身につけさせようといろいろ手を考えるわけだが、どんな機器を使わせようとしても最大の難関になるのが文字入力である。国語辞典や漢字辞典を搭載している電子手帳のお下がりを与えて操作を教えたりしてみても、あまりうまく使えない。たとえば、「醤油」という字を調べようとするには、まずひらかなで「しょうゆ」と入力する必要がある。しかし、母の頭の中では、「しょうゆ」は「しょうゆ」ではないのだ。「おしょゆー」なのである。さすがに“お”は接頭語だということはわかっているけれども、自分が六十年以上にわたって日常的に使ってきたその調味料の名称を示す京都弁風の音声が文字とリンクしていないため、「し」「ょ」「う」「ゆ」と正しく標準語のひらかなで綴ることができない。一事が万事この調子で、これではせっかくの電子メディアの恩恵も十全に受けられないという次第である。音声入力するにしても、イントネーションはともかくとして、そもそも標準語で正しく音が並べられないユーザには、まだまだ現在の技術は太刀打ちできないであろう。母が文字を嫌う程度はちょっとひどいのではないかとも思うが、案外、そもそも文字を使う必要がない暮らしを長年続けている人は、似たり寄ったりなのではないかとも思う。彼らの知能がとりわけ低いというわけではあるまい。わざわざ労力を傾けて、自分の生活に必要のないものを身につける人のほうが、よほど変わっているのである。母にしてみれば、なんの役にも立たない文字の塊を金を払って買ってきては日夜読んでいるおれは異星人以外の何者でもあるまいし、おれはおれで、文字文化を持たぬが連綿と独自の生活を営んできているどこぞの部族の珍しい暮らしぶりでも観察するような感じで母を見ている。たぶん、母にとって日本語の文章の連なりを読むのは、おれが辞書を引きながらドイツ語を読むくらいの、あるいはそれ以上の重圧なのだろうなとおぼろげながらに想像している。社会と接点を持って生きているとおれの母のような存在は見えなくなっているけれども、実際のところ、こういう人々は、“教育を受けた人”が想像する以上にたくさんいるにちがいない。おれは日本の話をしているのだ。識字率が高いことではむかしから外国にも褒められていい気になっている日本だが、統計の上では、おれの母だってなにしろ文字が読めるのだから文盲には入らないだろう。ただ、文字の読み書きが生活とリンクしていないだけだ。もし、文盲を“文字の読み書きが生活にリンクしていない人”と定義し直すなら、日本の文盲率も相当なものだろうとおれは確信している。そういう文盲なら、おれがいま勤めている会社にだってたーくさんいるからだ。重役の中にすらいるくらいだ(おいおい)。その種の文盲が必ずしも悪いとは、おれは思わない。おれたちのほうが不自然であると自覚している。しかし、“文字の読み書きが生活にリンクしていない”文盲の人たちは、自分たちがいかに巨大な不利益を被っているかの自覚がないのが常で、これは傍目にも大問題であるなと思うのだ。なぜなら、いまの、そしてこれからの社会は、己の考えをなんらかのコードにして表出するという不自然な(?)技能が脳に染み着いた人間が、ますます有利になってゆく社会だからだ。いままでもそうだったのだが、デジタル技術がそれを途方もなく増幅してゆく。いわゆる“デジタル・デバイド”は、経済的に恵まれない人たちにはパソコンが買えなくて困ったことですねなどという表層的な問題ではないし、いまにはじまった問題でもない。“文字が身体の一部になっている者”とそうでない者との差がデジタル技術によって天文学的に拡大され、単なる量的な差を超えて、もはや埋めることができないような質的な差となって人類を二分してゆくところに、デジタル・デバイドの本質がある。地球の生物史に於ける人類という“種”が、物理的な遺伝子の乗りものから、より本質的なミームの乗りものへの転換点に位置するのだとすれば、デジタル・デバイドがもたらすような差は、すでに“種”の差と呼んでもいいものとなってしまうだろう。
 おっと話が広がりすぎた。さて、おれは発話するときには文字が頭に浮かぶ。一画一画鮮明に浮かぶのではなく、「ああいうふうな字」といった感じで浮かぶ。どこの馬の骨とも知れぬやつのこんな字だらけの日記を読んでいるくらいだから、あなたもきっとそうだろう。おれの脳内でも子供のころは文字を使わぬ思考が渦巻いていたはずなのだが、もはやそれがどんなものであったのかの記憶はない。さっき“文字が身体の一部になっている者”が得をすると書いたばかりだけれども、一方で、なんだかとてつもなく損をしているような気分もある。一度文字を身につけてしまうと、もうそれ以前には戻れないからかもしれない。「おお、“あ”と発音しなくても、こんなふうな形を見せるだけで、ほかの大人たちにも“あ”と伝えることができるのか! うおお、これはすごいすごい!」などと幼いころに大発見をした瞬間がおれにもあったはずである。でも、そんな感動は憶えていない。残念だなあ。
 それにしても、やっぱり母のようなタイプの人間を見ていると、日本語のように表意文字と密接にリンクした言語を、文字を意識せずに操るという魔法のようなことがどうしてできるのかが不思議でしようがない。“可能性”とか“厳重に”とかいう言葉を、文字を思い浮かべずにいかにして使うことができているのか? わからーん。まあ、“こういうふうな意味をこういうふうな音で表す”といった具合に脳が働いているのだろうと理屈では想像できるが、感覚としてはさっぱりわからん。文盲の中国人同士の会話を字が読める中国人が聴いている光景というやつを想像するとなんだか不思議だと言っていたのは誰だったっけな? 星新一だっけ?

【4月9日(日)】
▼前から不思議に思ってるんだが、“興味本位”って言葉は、意味があるのやらないのやらよくわからん。「興味本位に聴かないでくださいね。じつは……」などと言われても、おれにとってたいていのことは“興味本位”である。おれがおかしいのかな? いや、そんなことはないぞ。そもそも、この日記を読んでくださっている方は、まずまちがいなく興味本位で読んでいるはずだよね。「この日記を読んで、私は人生の意味を見つけた」なんてメールは来たことがない。それこそ、興味本位でいられることこそが人生の意味なのかもしれないが……。

【4月8日(土)】
▼注文していた『SETI@homeファンブック 〜おうちのパソコンで宇宙人探し〜』野尻抱介、ローカス)がいまごろ届く。「SETIなライフスタイル」なんて章があるのには驚く。そりゃまあ、野尻さんくらいになれば、もはやライフスタイルなのかもしれないが、ふつうの人はそんなにしょっちゅう宇宙からの電波のことを考えていたりはしない。え? うちの近所のおじさんはしょっちゅう考えていて、今日も新しいハリガミをしてたって? それがふつうの人か、それが。

【4月7日(金)】
宇多田ヒカルコロンビア大学に合格したとのこと。「わぁいヽ(∇⌒ヽ)(ノ⌒∇)ノわぁい♪」などと喜んでいるところが、まー、あいかわらずというか好感が持てるというか。「新聞さん、出し抜いちゃってごめんなさい!」だもんな。たしかにインターネット時代の若者だわ、この人は。十五、十六、十七と人生が暗かったお母様もさぞやお喜びでございましょう。先輩の野村沙知代氏もさぞやお喜びでございましょうってネタ絶対どこかで誰かが使ってるよな。
 まあ、入ったのはいいけれど、ちゃんと出られるかどうかが問題だよね、日本じゃないんだから。もっとも、痛快なくらいにマイペースな宇多田ヒカルのことだから、歌手業は二の次にして、自分が選んだことをきちんとやるだろう。いや、おれはちやほやされたことがないから実感としてはわからないのだが、自分が出てゆけばスター扱いされることが明白な世界が目の前にありながら、何者でもない一学生として勉学に勤しむなんてことは、人間なかなかできるこっちゃないと思う。「勉強してる時間がもったいない」と焦っちゃうと思うんだよね、凡人なら。でもって、眼前の栄光の誘惑に耐え切れず、お座敷がかかるままにほいほいほいほいスポットライトの当たるところへ調子よく出ていって、気がつけば使い捨てられている芸能人のいかに多いことか。芸能人にとって最も大切なのは、ほんとうの自分のファンだ。活動を控えめにしていても休止していても逮捕されても投獄されても、いつまでもいつまでも待っていてくれるファンだ。小松左京「歌う女」の語り手みたいなファンだ。結局、そういうファンを地道に獲得していった人々が息の長い芸能人になり、死後もなお、惜しまれ続けるのだろう。五千人でも、一万人でも、そういうファンのいる芸能人は幸せ者である。
 作家だってそうだろう。「これを読んでおかないと、人と話が合わなくて困る」などと一応買って読んでみただけの読者を、そっちのほうが数が多いからといって自分のファンだとかんちがいしていると、ほんとうのファンはいつまで経ってもつかないのではなかろうか? 宇多田ヒカルは、怖るべきことに、あの若さであれだけ売れても、このことをしっかりと見抜いているような気がする。おれが思うに、あるタイプの作家につくほんとうの読者数はほぼ一定しているんじゃなかろうか。その作家の波長に合う、その作家の“声”が“細胞”に届く読者なんてのは、けっしてそんなに多くはないはずだ。しかし、数はともかくとして、そういう読者がたしかに存在するということこそが、その作家の存在価値でもある。それは三千であるかもしれず、五千であるかもしれず、二万であるかもしれず、十万であるかもしれない。「できるだけ多くの人に読んでもらいたくて……」などとよく新人作家が言っていたりするが、作家生活も長い人がああいうことを言うと、「ああ、ありゃ営業だな」とおれなどは思ってしまう。おそらくほんとうのプロ作家は、自分の“ほんとうの読者数”をおおまかには掴んでいるものだろう。「ご、五十万部も売れたって? そんなアホな。おれの声が届くような特殊な読者がそんなにおるわけなかろうが」ときっと腹の底では思っていて、もちろん金が入ることは嬉しいのだが、「今度の作品はバブったな」などと醒めた目で捉えているはずだ。「おれの読者が一気に五十万になった。わははははは」などと思っている作家がおったらアホであろう。たとえばの話だが、サキが現代日本の作家だったら、絶対に作家では食えまい。が、少数の熱烈な読者を持つであろう。たまたまサキの本をキムタクだか誰かが褒めて百万部くらい売れたとしたら、サキは宝くじにでも当たったかのように喜んでいいものを食っていい酒を飲み、次の日からやっぱり、少数の熱烈な“自分の読者”に向けて小説を書きそうな気がする。そう思いませんか?
 企業に関してだって、昨今は、一応でかいだけの会社よりも、小さくともしっかりとしたコアコンピタンスとゆーかコンペティティヴ・エッジとゆーかそーゆーものを誇る会社のほうが頼もしいという見かたを、みんながするようになってきたよね。部数さえ出りゃいいってのは、大量生産大量消費時代の金太郎飴大量販売の考えかたであって、もはや古いと言えよう。
 宇多田ヒカルやジョディ・フォスターみたいな、自分のファンがわかっていて、ファンを信じている作家をおれは応援したいね。大衆などというものは名のある評論家が右と言えば唯々諾々と右を向くものだと公言している作家が万が一にもあったとしたら、それは「自分の読者は自分の考えも持たぬバカばかりだ」と言っているのに等しい。ほんとうのファンは、評論家があきらかに妙なことを言えば、「あの評論家はわかってない」と評論家のほうに愛想を尽かすはずなのだ。ちなみに、評論家が妥当な批判をしたときに、よく読みも考えもせず「○○様を貶すとはけしからん」などと激怒するのは、その作家の“信者”であって、おれの言うところの“ほんとうの読者”とは一線を画するものである。信者の扱いは作家によってちがうだろうが、おれがもし作家だったら内心迷惑に思いながらも、うまく利用できればおいしいかも、と思うだろうな。“ほんとうの読者”ではないが“使える”存在ではあるので、利用しても良心はまったく痛まないにちがいない。もっとも、信者というのは、なんの世界でも容易に符合が反転することが多いから、絶対値の大きい信者ほど、符合が反転したときはそれだけ厄介な存在になり得るだろう。利用するのは己のリスクになる。触らぬ信者に祟りなしかもね。
 ところであなたは、「あの人が歌うまでいつまでも待ちます」と言える作家を持っていますか? あるいは、そう言ってくれるであろうほんとうの読者を持っていますか?

【4月6日(木)】
▼“Xデー”到来。今日、携帯電話とPHSとを合わせた契約数が、固定電話のそれを抜いたとのこと。もはや、“デンワ”と言ったら“ケータイ”のことになったと言っても過言ではなかろう。いままでの“デンワ”は、これからはいちいち“固定電話”と呼ばれるようになってゆくのだな。おお、おれはいま、歴史に立ち会っている。
▼全篇書下ろし傑作ホラーアンソロジー『憑き者』(大多和伴彦編、アスペクト)を買う。先日の「DASACON3」で実物は見ていたのだが、それにしても分厚い。新書判で、最終ノンブルが856というから畏れ入る。書店で平積みにされていたが、ほとんど煉瓦が積んであるかのようだ。さっそく、電波ゴールデンコンビ(?)の「ハリガミ」(ハリガミ・牧野修、ハリガミ以外・水玉螢之丞)をじっくり読む。うーむ……“電波に詳しい人”どころか、牧野さんて、ほんまもんとちゃいますのん? こ、これは“才能”というよりも、“素質”を感じさせる。怖い。

【4月5日(水)】
「のだなのだ」(ミラーサイト)「近況」(2000年4月4日付)を見ていたら、魅惑のミラクルヴォイス・レヴュアー、東茅子さんがウェブサイトを開設というニュース。おお、MP3 で声が聴けるかも、と期待してさっそく行ってみる。MP3 のお声こそなかったものの、ちゃんと未訳SF作品のレヴューが載っているという、うちなんかよりはるかに実用的価値のあるサイトである。トップページで猫が睨んでくる猫に凄味があってよい。たいへんハンサムな猫で、思わず「パンパイヤっ!」と叫んでしまいそうになる。猫好きの人もぜひどうぞ。
廣済堂出版が文芸部門から撤退するとの未確認情報がネットを飛び交う。あちこちのサイトを見てまわるうち、どうやら事実らしいとわかる。SFファンとしては、《異形コレクション》シリーズ(井上雅彦監修)と《SFバカ本》シリーズ岬兄悟大原まり子編)の行方が気になるところだ。まあ、アンソロジーには追い風が吹いてるみたいだから、どこなと見つかるだろうけどね。
amazon.com が今夏にもいよいよ日本進出とのニュース。再販制度という特殊事情はあるものの、いまのアメリカのアマゾンくらいのサービスが受けられるというのなら、本の値段や送料が同じでも、いや、少々高くとも、おれなら御用達にしてしまいそうだ。これで日本のウェブ書店がもっといろいろと知恵を出してくれれば、利用者側としては嬉しいんだけどなあ。

【4月4日(火)】
▼まだ昭和三十七年対談が尾を曳いているのか、漫然とテレビを観ていても、いちいち「三十年前はどんなだったかなあ」と考えてしまう。そもそも三十年前は、おれの家のテレビはカラーではなかった。すごいだろう。おれと同い年の人に訊いてみると、たいてい小学校低学年から高学年くらいまでのあいだに、“家にカラーテレビがやってきた記念すべき日”を体験している。そりゃあ、最初は感動しましたぜ。これぞ“科学の力”って感じだったね。初めてカラーテレビがやってきて、スピーカーから「メリーさんの羊」が流れてきたとき……ちょっとちがうな。ブラウン管に「い」の字が映ったとき……これもなんだかちがうな。ああ、そうだそうだ。初めてカラーテレビがやってきた日、初めてそのテレビで観たカラーの番組は、『ひみつのアッコちゃん』であった。どうでもいいけど、クーンツ、じゃない、つんくに「小池さーん、小池さーん、好き好きー♪」などと唄われると、「はぁ〜、よぉ〜いと」と合いの手を入れてしまう自分が悲しい。マンガがちがうではないか。

【4月3日(月)】
▼昨夜は、日付けが変わるか変わらないかという時刻にはすでに朦朧としていて、早々に床に就いた。と思ったら、ケータイにメール着信通知が入る。「なんじゃなんじゃ?」と眠い目を擦りながら布団の中でメールを落とすと、CNNBREAKING NEWS だった―― Japanese Prime Minister Keizo Obuchi, 62, has been hospitalized. No details yet.
 あららー、また明日から世の中がバタバタするなあ……と思って寝たのだったが、朝起きてみると、やっぱり世の中がバタバタしていた。それにしても、日本の首相が倒れたというニュースを、国内にいながら、それも寝床の中でいちばんに海外メディアで知ることになろうとは、ややこしい時代になったもんじゃわい。

【4月2日(日)】
▼例によって、朝までバカ話ばかりしていた。田中啓文さんは前日のうちに帰宅し、我孫子武丸さんはハードな一週間を送ったためふらふらだということで、早々とゲスト部屋に退出。だが、マンガクィンテット危うしなどとは誰も思わん。レギュラーメンバーの小林泰三さん、田中哲弥さん、牧野修さんに加えて、今夜は北野勇作さんがいる。あいかわらずデンパな話が飛び交う傍らで、山之口洋さんがげらげら笑っている。ケダちゃんそれなりさんも笑っている。喜多妻さん(今回はこれが正式ハンドルということになっているらしい)も笑っている。このあたりまでくると、いったいなにを話したのかさっぱり憶えていないのだが、真面目な文学論以外のなにかであったことだけはたしかである。ふと広間の中央あたりを見ると、TBSの安住紳一郎アナが死んだように横たわっている――のかと思ったら、〈SFマガジン〉の(塩)編集長であった。なにやら若い女性が寝ている(塩)編集長にすり寄ったかと思うと、記念写真を撮っている。どーゆー記念写真じゃ、あれは。
 そうこうしているうちに朝になり、「サン・ジョルディの日をめざして」と題する、本のポップコピー・コンテストの結果発表。枯れ木も山の賑わいとばかりにおふざけで出したというのに、おれの作品が二位になってしまっていて驚く。「男性が信じられないあなたに贈る本『スイート・リトル・ベイビー』牧野修(角川ホラー文庫)――立てていいポップと悪いポップが……」って、あのねあなたあのねのね、このコンテストって、実際に使えるコピーを競うんじゃなかったっけ? これを、どないして使うんじゃー! 公序良俗に反するとかなんとかで撤去させられるのがオチであろう。たしか以前にも、『不機嫌な果実』という映画の車内吊り広告コピーが公序良俗に反すると、JR東日本に撤去されたことがあったはずである。とてもいいコピーだったのだが、コピーライターはさぞや悔しかったことであろう。
 関西に出張してきた DASACON3 も無事終了。スタッフはメールでやりとりをしただけで、全員が物理的に同じ空間に集まって打ち合わせをしたことは、ついに一度もなかったのだという。じつに象徴的な催しであった。会場の旅館から出てうだうだしていると、タニグチリウイチさんがキックボードを抱えているのに気づく。東京からこれに乗ってきたらしい。いつものことながら、新しいおもちゃを必ず携行している人である。仕事とはいえ、たいへんそうだ……けど、ちょっと羨ましい。
 柏崎玲央奈さん、サイコドクター・風野春樹さん、「○○と××くらいちがう」詠み人・宮崎恵彦さんらと喫茶店に入り、軽食・喫茶。うしろの席に座っていた谷田貝和男さんが、ほれほれ上野洋子も曲を書いているぞと、おれに池澤春菜のCDを見せびらかして熱く語り、またひとつ煩悩を増やさせようとする。
 みなと別れ、せっかく休日に大阪まで出てきたのだからとごちゃごちゃと買いものをし、PRONTOでパスタを食ってから家に帰り、丸太のように寝る。

【4月1日(土)】
「DASACON3」に出かける。ゲストの打ち合わせをするので十七時には入ってくれと言われていたから少し早めに出た。地下鉄日本橋駅に到着したのは十七時少し前、ああ十分間に合うわいと会場を捜しているうちに道に迷う。すさまじい方向音痴である。さっそく「-H"」の位置情報サービスを使ってみると、たしかにおれがいまうろうろしているあたりは“島之内”と呼ばれる土地であるらしい。さほどハズしてはいないはずだ。地図を頼りにしばらく歩きまわった末、ようやく会場の旅館を発見した。結局十五分以上遅れてしまう。情けない。
 旅館の玄関には誰もいない。たしかに「ダサコン様御一行」と札が出ている。ここだここだ。「すみませーん!」と呼ばわると旅館の人らしいおじさんが出てきた。「あの――」ダサコンですがと音声出力することがなぜか憚られ「――こっ、この宴会なんですが」と札を指差し尋ねると、部屋を教えてくれた。部屋にはすでに我孫子武丸さん、喜多哲士さん、北野勇作さんがお揃いで、はなはだ恐縮する。パーソナルGPSの導入を本気で考えなくてはいかん。
 事務局が用意してくれた食事をしながら、昭和三十七年対談の事前打ち合わせをする。喜多さんが持ってきた例の『「昭和37年生まれが身勝手犯罪のキーワードだ!』と題する〈週刊宝石〉の記事のコピーを初めて読んで呆れる。佐藤宜行容疑者(新潟監禁)、上祐史浩幹部(オウム)、宮崎勤被告(連続幼女殺害)がみな昭和三十七年(一九六二年)生まれであることから着想した記事であるらしい。昭和三十六年生まれの林真須美被告(和歌山カレー事件)も、一人でも増やしたいとばかりに言及されている。松田聖子羽賀研二叶恭子(みんな昭和三十七年生まれ)にも触れ、『ここにもやはり、他者を踏みつけにする「身勝手さ」のようなものが感じられはしないだろうか』などと言っているが、彼らにそういうレッテルを貼ったのはマスコミとちがうんかいな。いわく「趣味没頭で社会を逸脱」、いわく「自己愛のエスカレート」、いわく「親子ダブルの「敗戦感」」、いわく「犯罪で自己存在を確認」、いわく「父親の存在が希薄に」、いわく「子に見返りを求める親」、いわく「「使い捨てカイロ型」」、いわく「ガマンを知らない世代」――なーるほど、うまいこと言いよるわい。いや、ひどい言われようである。よしんばこれらの指摘に当たっているところがあったとしても、「犯罪で自己存在を確認」という指摘の“犯罪”さえなにか別のものに置き換えれば、ほかの世代(とくに上の世代)にはない強みを持つとも言えるのではあるまいか。実際のところ、犯罪に走るやつは少数派なのだから、おれたちはこうした指摘に「それがどうした?」と開き直り、そうした属性をプラスの価値に転じてゆけばよいのである。「趣味没頭で社会を逸脱」というのは、スペシャリストが求められる時代にむしろ向いていようし、「自己愛のエスカレート」というのは、裏を返せば他者の雑音的な批判に振りまわされない自信とプライドを持っているということである。「ガマンを知らない」などとは笑止千万、くだらぬ陋習をくだらぬと知りながら公言することさえできず酒場でクダを巻いてはリストラに脅え目立たぬよう目立たぬようにただひたすら定年を待ちいざ定年を迎えた途端に中身はカラッポで妻に離婚届を突きつけられるようなガマンならば、そんなガマンは知らぬほうがよいわ。そのガマンをした結果が、「管理職だったらできるんですが……」か? わはははははは。これからの時代の、昭和三十七年生まれの逆襲を見ているがよいぞ。
 打ち合わせでしゃべりすぎると本番で話すことがなくなるということで、あとは開始時間まで雑談をしていた。会場の大広間へ行くと、コンベンションと言うよりは、大規模なオフ会といった雰囲気。まあ、オフ会なんだけども。NIFTY-Serve(当時)のSFファンタジー・フォーラムのオフ会でも、六十人くらいの規模のものには参加したことがある。参加者が紹介されてゆき、「ああ、あの人があの人か……」と、わかったようなわからんような感想を抱く。ネット上の印象とリアルワールドでの印象とが乖離している人もいれば一致している人もいる。これぞオフ会の楽しみのひとつである。おおお、早めに参加申し込みをしていた人はびっくり仰天し、参加を見送った人は後悔の臍を噛みちぎっていたと漏れ承るのであるが、伝説の山尾悠子さんは、あの美女であったか。現役で活躍している作家をつかまえて“伝説”呼ばわりするのも失礼とはいうものの、おれが「ああ、SFておもろいな。一生つきおうてもええな」と呑気にも思いはじめたころにはすでに数少ない女性SF作家の雄(日本語は不便じゃ)のひとりでいらしたのだから無理もない。しかしヘンだ。計算が合わん。どう見ても、さっきまで打ち合わせしていた我孫子さん、喜多さん、北野さんの誰よりも歳下に見えるんだが……。
 「ゲスト対談バトルロワイアル」と題された昭和三十七年生まれ男の対談がはじまるまでのあいだ、あちこちで交歓がはじまった。三百六十度どこから見てもオタクだと一発でわかる雰囲気の青年が眼前に現われるや、おれに名刺を差し出す。米田淳一さんであった。いやー、著者近影どおりの人やね。第十回日本ファンタジーノベル大賞『オルガニスト』(新潮社)の山之口洋さんとも初対面。どっしりした雰囲気のロボコンみたいな方だ。その傍らで、なぜか牧野修さん「名刺代わりに〜」「でっかいウナギイヌ」のグミキャンデーを配って歩いている。いつもながら不思議な人だ。おれももらった。ウナギイヌというキャラクターが牧野さんのイメージに妙にハマるところが、そこはかとなくおかしい。
 やがておもむろに「ゲスト対談バトルロワイアル」がはじまる。はじまるってあなた、おれが前に出なきゃならんのだ。ひとりでべらべらしゃべるのであれば、おれは会社員仕事のほうのデモやらプレゼンやらセミナー講師やらでゲップが出るほど場数を踏んでいるので客が百人だろうが二百人だろうがどうということはないのだが、対談となると難しい。ひとり大声でしゃべるわけにはいかんし、タイミングというものもある。ほかのゲストのキャラに合わせて役作りをせねばならん。結局、ぼそぼそと突っ込みを入れるキャラということにする。
 我孫子さんが、昭和三十七年生まれあたりの人間というのは、なにかに手をつけるとついついおベンキョーしてしまう性癖があるだろうと鋭い問題提起をする。「SF(ミステリ)ファンたるもの、これとあれとそれは読まねばならん」といった義務みたいなものを自分に課してしまうということだろう。わかるわかる。おれ自身はそういう性癖は弱いほうだと自覚しているのだが、それでも常人(って、わしらはナニモンや?)の目には、“凝り性のオタク”と映っているらしいからな。
 途中、喜多さんの万博話が炸裂する。雑誌などで華々しく紹介されていて「うわあ、入ってみたいなあ」と憧れていたメジャーなパビリオンには、じつのところあまり入れなかった怨みをみな共有しているのだ。殺人的な行列で、とてもじゃないが「月の石」など見られるものか。おれが中学生か高校生で、ひとりで万博に来ていたとしたら、いくら行列が嫌いでも並んで待ったかもしれん。しかし、ここな四人は、そのころ小学二年生、大人に連れられてきているのだから、まず言い分は通らないのである。まあ、ええわい、あんなもん、そこいらに転がってる玄武岩とさして変わらん、と知ることになるのは、おれの場合もっとあとなのだった。それにしても喜多さんは、ザンビア館だのコートジボアール館だの、よう覚えたはりますな、そんなもん(ちゅうたら失礼やけども)。
 「公害というのは、カッコイイものだった」という、北野さんの逆説的な、しかし実感のこもった喝破には目から鱗が落ちる。そうだそうだ。言われてみれば、そう“感じていた”。光化学スモッグ。なんとカッコイイ響きであろうか。そりゃもう、なんたって「水銀・コバルト・カドミウム・鉛・硫酸・オキシダン♪」でありますぞ。「かーえせ、かーえせ、青い海をかーえせ♪」と唄い出したあなた、〈eNOVELS〉に連載中の「あいうえ音座録 第五回【お】」田中啓文)を読んで帰ってくるように。あ、この人も昭和三十七年生まれだ。ま、ことほどさように、『ゴジラ対ヘドラ』というのは、少年のおれたちにとってリアリティーのある映画だったのである。
 なんだかんだで、おれたちの世代は、二十一世紀は来ないだろう(人類は早晩滅びるだろう)と思いつつも、高層ビルのあいだを縦横無尽に走るチューブの中を車が飛び交っているような“あの”二十一世紀を思い描きながら育ったケッタイなやつらだという、おおまかな共通見解が得られた。のだったと思う。
 座談会が終わって、若い女性たちと歓談。おお、この日記にこんな文字の配列が登場したことがかつてあったであろうか。若い女性たちと歓談。次にこの文字列を使うのはいつになるかわからないので、念のためもう一度書いておこう。若い女性たちと歓談。若い女性たちと歓談。いまのはおまけだ。そうやって若い女性たちと歓談する中で、サリドマイド禍スモン病イタイイタイ病水俣病などの話が出る。というか、知っているか訊いてみたのだが、「学校で習った」とのお答え。うーむ、この女性たちは『ゴジラ対ヘドラ』世代ではないのだなあと、あたりまえのことをしみじみと噛み締める。
 じつはサリドマイドについては、打ち合わせのときには少し話が出ていたのだが、本番では話がそっちへ行かなかった。昭和三十七年(一九六二年)といえば、忘れてはならない事件である。サリドマイド禍の被害者たちは、もろにおれと同年齢なのだ。サリドマイド事件に関しては、おれには子供のころから他人事ではなかったという強烈な意識がある。以前「SFスキャナー」でネタにしたこともあるし、この日記でも何度か触れたことがあるが(1997年12月17日1998年5月29日)おれの母はおれを妊娠中にサリドマイドを服用していた時期があるからだ(あれは“つわり”の緩和によく用いられたそうなのだ)。ちょうど日本国内でも週刊誌などが騒ぎはじめ、健康な子供が生まれるだろうかと母はしばしば悪夢にうなされたという。子供のころから母にそれを繰り返し聞かされ、自分の両手を見ながら不思議な思いに捕われたものである。あとで詳しく知れば知るほど、日本の厚生省の体質がまったく変わっていないことに激しく呆れ、憤りを感じた。三十年以上にわたって、同じようなことばかり繰り返している。サリドマイドの場合、一九六一年の十一月には、開発元の西ドイツで医師のレンツ博士が、奇形との因果関係が濃厚と製薬会社と政府に警告を発しているのだ。西ドイツでは比較的迅速に販売中止と回収の措置が取られたのに、日本での販売元・大日本製薬は、六二年五月になってようやく催眠薬・鎮痛薬としてのサリドマイドの販売を中止した(が、驚いたことに回収はせず、しかも胃腸薬としてのサリドマイドは売り続けた!)。日本でサリドマイドを含んだ薬品の販売が完全に中止され回収されたのは、同年九月だったのである。こと食品や医薬品の安全性に関しては、“灰色は黒である”と考えるべきだ。そうしたポリシーが徹底されていれば、ほぼ九か月ぶんの被害が防げたというのに。もう少し措置が早ければ、六三年生まれのサリドマイド児はいなかったはずだ。現にアメリカでは、安全性に疑問を抱いたFDAが首を縦に振らなかったおかげで数例の被害しか出ておらず、担当した女性審査官はケネディー大統領に表彰されたという。もしサリドマイド事件をご存じない若い方がいらしたら、弁護士の藤田康幸氏のウェブサイト「プライム・ロー」にある「薬の副作用と薬害」に詳しいので、一読をお勧めしたい。スモン病や薬害エイズなど、有名な薬害事件の経緯がわかりやすくまとめてある。嘘のようなほんとうの話だけど、おれは子供のころにキノホルムだって何度も飲んでいるのだ。まったくもって、明日はわが身だよ。
 “官”に対するおれの根強い不信は、もしかするとサリドマイドのせいかもな。いや、もちろん、“官”でほんとうにすごい人は、文字どおり超人的にすごいのだが、ほんとうにひどい人は、あいた口がふさがらないほどひどいため、システムとしての総体に対する不信感が拭いきれないのだ。あなたは、むちゃくちゃに性能がよいものもあれば、いきなり爆発したりするものもあるなどという、当たりハズレがやたら大きいパソコンを作ってるメーカを、会社として信用します?
 宿の風呂が二十三時までだというので、二十二時からの予定だった第四回「○○と××くらいちがう」大賞は、急遽一時間遅くはじまることになった。開始までうろうろしていると、ジーンズの上下に身を包んだきりりとした美女に挨拶される。第十一回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞『BH85』(新潮社)の森青花さんであった。これはこれはと名刺交換。
 そうこうしているうちに時間となり、おもむろに前に出る。はてさて、寄せられた作品を講評せよというのだが、どういう形式でやったものか。いや、打ち合わせはしているけれども、おれのひとりしゃべりではテンポが悪かろう。と心配しつつも、まずは、「○○と××くらいちがう」誕生秘話(?)をひとくさり。
 「○○と××くらいちがう」は、なにもおれが発明したわけではない。英語の論理にもともと当然のように内包されているものである。中学校で英語を勉強しはじめると(最近は、もっとずっと早い人もいるだろうけど)、たぶん誰もが「ケッタイな言いまわしをするものだなあ」と思うんじゃなかろうか。「彼はキュウリのように冷静だ」とか「あの人は、私が一緒に食事をしたい最後の男だ」とか「その窓が閉まったのよりもいささかも早くなく彼は走り去った」(素直に“ほとんど同時だった”と言えんのか、って突っ込んじゃうよね)とか、日本人にはじつにまわりくどく思える奇妙奇天烈な表現がいろいろあるでしょう? 「○○と××くらいちがう」も、そうした英語的発想の言いまわしを直訳して遊ぶところからはじまったものである。
 以前に『新・刑事コロンボ』をテレビで観ていて、「そうそう、この論理は“○○と××くらいちがう”に通じる」と思った場面があった。捜査中のコロンボが重要参考人の住んでいるアパートだったかを訪れる。コロンボが参考人宅のドアをノックすると、やがて中へ開くドアがわずかに開き、疲れた感じのおばさんが隙間から怪訝そうな顔をのぞかせる。「ロス市警警部(原語では警部補格)のコロンボと申しますが……」( I'm Lieutenant Columbo, L.A.P.D.)と名告るコロンボ。それを聞いたおばさん、「私はマリリン・モンローよ」( I'm Marilyn Monroe.)とぼそっと言い放つと、なにごともなかったかのようにドアを閉めようとする。
 これはいかなる論理であるか? つまり、こういうことだ。「おまえがロス市警の警部補であるほどに世界が狂っているなら、私がマリリン・モンローであっても不思議はない」あるいは「仮に、おまえがロス市警の警部補であるとき、私がマリリン・モンローであることが成り立つとしよう。おまえが私を見てのとおり、私がマリリン・モンローでないことは明白である。よって、おまえはロス市警の警部補ではあり得ない」という、背理法的論理なのである。背理法“的”というのは、実際にはコロンボがロス市警の警部補であるかどうかと、このおばさんがマリリン・モンローであるかどうかとのあいだには論理的になんの関係もなく、これはそれらの命題を無理やり関連づけて証明したかのように見せかけるレトリックであって、厳密な背理法による証明ではないからだ。しかし、前提にこそ問題はあるものの、このレトリックには、たとえば、ルート2が無理数であることを証明するために、まず有理数である(分数で表現できる)と仮定するのと同じ論理が一瞬にして働いている。重要参考人のおばさんが一瞬にして組み立てたこの論理を、視聴者も一瞬にして納得して、なんの説明も必要なくくすりと笑うわけだ。ことほどさように、こうした論理は英語のロジックに染み着いている。あとでこのシーンの吹替えのほうを観てみると、おばさんは「まにあってます」とかなんとか言っていて、これはこれで平均的日本人に面白さを伝えるための名人藝的工夫ではあるが、英語のロジックの面白さが全然伝わっていない。吹替えや字幕の翻訳の難しさに唸るところである。
 さて、この「仮に、おまえがロス市警の警部補であるとき、私がマリリン・モンローであることが成り立つとしよう。おまえが私を見てのとおり、私がマリリン・モンローでないことは明白である。よって、おまえはロス市警の警部補ではあり得ない」という証明(?)は、すなわち、「私とマリリン・モンローは、おまえと(仮想の)ロス市警の警部補くらいちがう」と言っているわけなのだ。「A:B=C:D」、AとBとの関係はCとDとの関係に等しい、AとBとのちがいはCとDとのちがいに等しい――と、関係のしかたを比べる言いまわし、あるいは、“ちがっているそのちがいかた”“同じ”だという言いまわしを、日常的に駆使する言語が英語である。ここまで深読みするのもどうかとは思うけど、日本語にはどちらかというと“同じ”であることを比べる志向があるように思う。日本語の“ちがう”には、different であることは wrong であるという価値観が内包されている。それが悪いわけではない。われわれ日本人を、われわれ日本人が、長年育んできた立派な文化だ。しかし、このままではちょっとこれからの時代に合わないんじゃないの、と思うわけである。“ちがう”ということは、ただ単に“同じでない”ことではない。“同じでない”ものは、一枚岩なのではない。その“ちがいかた”にもいろいろあって、それらをもっと細分化して比べたり、ちがいを遊んだり、ちがいを楽しんだりと、“ちがい”を謳歌する表現を日常的にもっといじくりまわしていったほうが面白いだろうし、それがこれからの日本人が進むべき道だろう――なーんて理屈は、あとからできあがっていったもので、要するに、「○○と××くらいちがう」は、「永遠のジャック&ベティ」(清水義範)みたいな、直訳ノリの面白さから生まれた遊びである。
 さてさて、第四回「○○と××くらいちがう」大賞には、六十六名の方から百九作品が寄せられた。よくもまあ、こんなくだらない遊びにおつきあいくださるものであるが、それだけ言葉遊びが好きな人が多いのであろう。おれとしてはたいへん嬉しい。今回は DASACON の企画となったので、公正を期すために、応募者のお名前はおれにすら知らされていない。いずれ発表されるのかどうかよくわからないが、とりあえずこの日記では一次選考を通過した優秀作と各賞の受賞作のみをご紹介しておくことにしよう。
 一次選考の通過作品(審査員はおれのみ)は、以下のとおりである。

「恩田陸とホンダクリオくらいちがう」
「蘭光生と式貴士くらいちがう」
「ペリー・メイスンとフリーメーソンくらいちがう」
「アポストロフィとカタストロフィくらいちがう」
「ロバート・E・ハワードとロン・ハバードくらいちがう」
「「レ・コスミコミケ」と「え?寝ずにコミケ?」くらいちがう」
「快傑ズバットと夜明けのスキャットくらいちがう」
「紅葉狩りとオヤジ狩りくらいちがう」
「「二進も三進もどうにもブルドッグ」と「ミッチーもサッチーもどう見てもブルドッグ」くらいちがう」
「通天閣とA感覚くらいちがう」
「アボリジニとモジリアニくらいちがう」
「バルカン星人とバルタン星人くらいちがう」
「「真相は藪の中」と「新総理は蚊帳の外」くらいちがう」
「岩井志麻子と岩下志麻くらいちがう」
「菅井きんとトールキンくらいちがう」
「椎名林檎と吉本ばななくらいちがう」
「つんくとクーンツくらいちがう」
「北方領土と西方浄土くらいちがう」
「石窟寺院とセックスシーンくらいちがう」
「下条アトムと森本レオくらいちがう」
「みかじめ料とめかじき漁くらいちがう」
「海野十三と役行者くらいちがう」
「『金子光伸が演じる草間大作』と『金子吉延が演じるどっこい大作』くらいちがう」
「轟二郎とつぶやきシローくらいちがう」
「湘南シーレックスとジャーマン・スープレックスくらいちがう」

 なんというか、回を重ねるごとに全体的なレベルが上がってきているのはたしかである。喜ばしいかぎりだ。どんどん周囲の人にも広めていただきたい。
 わずか六十枚の怪談「ぼっけえ、きょうてえ」日本ホラー小説大賞をかっさらった話題の人ということもあってか、「岩井志麻子と白石麻子くらいちがう」「いわいしまことひわいななまこくらいちがう」「岩井志麻子と岩下志麻くらいちがう」と、“岩井志麻子”ネタが三つもあった。作者名がおれにも伏せられていると言ったが、おれのところに直接寄せられたものを特別参加作品として応募にまわした作品がひとつある。一次選考を通過した「岩井志麻子と岩下志麻くらいちがう」がそれだ。岩井志麻子さんご本人の作品である。ぼっけえ驚いた。
 では、各賞の発表である。

【なんだか捨て難いぞ賞】
「「レ・コスミコミケ」と「え?寝ずにコミケ?」くらいちがう」
《講評》「え?」ってのが効いている。もしかすると、寝ずにコミケに行った人が、朦朧とした頭で『レ・コスミコミケ』を聞きちがえた実体験から生まれた作品なのかもしれないが……。

【審査員特別賞】
「「二進も三進もどうにもブルドッグ」と「ミッチーもサッチーもどう見てもブルドッグ」くらいちがう」
《講評》たいへん説得力のある作品と言えよう。しかし、「二進も三進もどうにもブルドッグ」のほうがわかる人は、かなり年配なのではあるまいか。“二進も三進も”が読めない人を減らす教育的効果は絶大であると思われる。そのうち姪に教えてやることにしよう。

【技能賞】
「『金子光伸が演じる草間大作』と『金子吉延が演じるどっこい大作』くらいちがう」
《講評》これもまた、ずいぶんとネタが古く、おれたち以上の世代にしかわからないにちがいないが、合わせ技がみごとだ。金子光伸と金子吉延だけでは面白くないのである。この合わせ技のパターンは、これからも応用が期待される。

【喜多哲士賞】
「椎名林檎と吉本ばななくらいちがう」
《講評》会場のプロ文筆業者から募った特別賞で、喜多哲士さんが強く推された作品である。今回のおれの選からは漏れたが、日常生活での会話を潤すというこの遊びの本来に目的に照らせば、非常に実践に役立つ作品であると言えよう。椎名林檎と吉本ばななとのキャラクターの対比と果物つながりが生きている。看護婦姿でガラス板を蹴破る吉本ばなななどというおぞましいイメージが一瞬浮かんでしまうが、それは忘れよう。

【佳作】
「通天閣とA感覚くらいちがう」
《講評》通天閣から想像される“棒のようなもの”というイメージが、A感覚を刺激してくる。語感もいい。なんだかよくわからないのだが、痛そうな感じが尻のあたりから這い上がってくる不気味な作品である。もし森奈津子さんに評を依頼していたら、森奈津子賞になったのではあるまいか。

【入選三席】
「つんくとクーンツくらいちがう」
《講評》これはやられた。アナグラムっぽいものはわりとできるのだが、回文(というか“回語”?)が使えるケースはほとんどないであろう。また、ちがうと言いながらも、つんくとクーンツは似ている。あたかも大衆に媚びているかのようにわかりやすーいエンタテインメントをいけしゃあしゃあと繰り出す職人というイメージを築きつつも、孤高の藝術家的な心性もちゃんと持ち合わせているところをちらちら見せるあたりが似ている。秀逸な作品だ。

【入選二席】
「石窟寺院とセックスシーンくらいちがう」
《講評》すばらしい。音がそっくりなうえに、聖と俗との対比が光る。この作品をあらかじめ頭に入れておけば、あなたがお子さんと食事をしているとき「今日ね、学校でね、社会の時間に石窟寺院のビデオを観たの」などと言われても、「保健体育の時間にじゃないのか?」と恐るおそる問い返したりせずにすむであろう。

【入選一席】
「北方領土と西方浄土くらいちがう」
《講評》美しい作品である。じつに深い。「つんくとクーンツ」もそうだが、ちがうと言いながら、そこはかとない共通点について考えさせられてしまう。さりげなさの中に、歴史と宗教の重みが漂ってくる。

【大賞】
「みかじめ料とめかじき漁くらいちがう」
《講評》これはもう、音といい、シュールなイメージといい、タイポグラフィカルな効果といい、非の打ちどころのない作品であろう。土地のイメージと海のイメージの対比が、明確に意識化される以前の部分でそこはかとなく意識される。なによりも、このミシンと蝙蝠傘にも匹敵するシュールな取り合わせが、われわれの胸中にドラマを生み出させずにはおかないではないか。メキシコ湾流に小舟を浮かべるサンチャゴのような老漁師がめかじき漁に出ていると、竿にアタリがある。釣り上げてみると、頬に傷のある人相の悪い男が船縁に手をかけて這い上がってきて、「おまえ、誰に断ってここで商売しとるんじゃい!」などと脅してきそうだ。そこで老人少しもあわてず、「カジキマグロを釣ってたら、鉄火者が釣れた」と言ったとか言わないとか。

 大賞作だけは作者名の発表があった。ブライアン飯野さんの作品である。ハンドルからして言葉遊び好きが窺われる。印象に残るハンドルなので、田中哲弥さんのサイトの通称「アホ掲示板」で、いつも秀逸なギャグを飛ばしてらっしゃる方だとすぐにわかった。ブライアン飯野さんは DASACON 会場にはいらっしゃらなかったため、授賞式(?)には田中哲弥さんがひとまず代理として前に引っぱり出されて賞品のぬいぐるみを押しつけられていた。あとで事務局からご本人に送るそうである。ブライアン飯野さん、おめでとうございます。今回、「○○と××くらいちがう」大賞は、ある意味で日本ホラー小説大賞よりも獲るのが難しいと証明されたようなものであり(?)、孫子の代までの誉れとしていただけるものと確信する。おれのひとり語りでは間が持たないのではあるまいかと心配していたが、作品のパワーがあったのでけっこうウケていて、笑いの絶えない選考会であった。よかったよかった。読者諸氏に於かれては、これからも日本人の日常会話を潤すべく、「○○と××くらいちがう」に励んでいただきたい。
 オークション以外の公式企画も終わって、あとは(たぶん)朝までうだうだと雑談をすることになるはずである。しょっちゅうでは身体が保たんが、年に何回かはこういう宴会もいいものだ。


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