間歇日記

世界Aの始末書


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2000年11月中旬

【11月20日(月)】
▼21日の予定だったはずだが、会社から帰ってみると、早くも〈e-NOVELS〉が更新されていた。以前の「田中哲弥特集」に引き続いて、今回の「北野勇作特集」にも“寄せ書き”を書いているので、ぜひご覧ください。いや、おれのはご用とお急ぎでない方だけご覧くださればいいのだが、ほかのメンバーがあまりに豪華なので、これは読まんと損である。おれはのけぞった。いくら寄せ書きとはいえ、おれがこんなところに名を連ねさせていただいていいのであろうかと、膝が顫えた。〈SFマガジン〉編集長塩澤快浩さんは、最近はエッセイストとしても開眼し、各方面に熱烈なファンが現われているらしい。かの「ヨーデル食べ放題」桂雀三郎氏と〈SFマガジン〉編集長が並んでいるのは、じつに異様な光景というか、幅広い人脈というか、とにかく一見の価値がある寄せ書きであります。むろん、北野さんの新作落語「天動説」もお読み逃しのなきよう。
 じつは、いまさっき北野勇作さんからメールをいただいて驚いたのだが(北野さんご自身もおれの寄せ書きを読んで驚かれたそうなのだが)、おれが三宮の喫茶店で初めて“北野勇作”という名を目にしたまさにそのころ、北野さんはしょっちゅう三宮の喫茶店で勤めの帰りに小説を書いていたそうなのである。ひょっとしたら、同じ喫茶店であったのかもしれん。じつに関西は狭い。

【11月19日(日)】
▼またロボコップになる京都SFフェスティバルからもう一週間も経っているとは、にわかに信じられない。忙しい忙しい忙しい。12日のぶんの京フェス・レポート風日記も、まだ落ち着いて書くことができない。ほんとうに今週という週は存在したのだろうか。記憶にない。まあ、むかしからよう言いまんがな、忙殺とは忘れ去ることなりて。

【11月18日(土)】
“炎の少女チャーリーズ・エンジェル”ってのは、絶対誰かがどこかで使っているネタのような気もするのだが、あまりのベタさに誰も使っていないような気もする。これくらいの微妙なネタは、そのあたりの駆け引きが難しい(んだかどうだか)。
 それはともかく、ルーシー・リューはいい。安くなったら、Charlie's Angelsamazon.com で買おうって、最近おれにとって映画はすっかり買うものになってしまっているのはなんだかなあである。劇場の雰囲気は大好きなのだけれども、ものぐさなうえに時間がないんで、なかなか足を運べないのだ。
 しかし、日本語版サイトの『チャーリーズ・エンジェル』英語版サイトとの作りかたを比べると、ネット環境の彼我の差には YOSHIKI でなくたって愕然とする。あのなあ、27MBのトレーラーなんて、おれんちでは観る気にもならんぞ。7.2MBだって、相当根性が要る。ピーガガガとモデムでダイアルアップしておってはいかんなあ。来年あたりは、そろそろネット環境の大刷新を考えたいものだが、情報投資を衣食住に優先しているおれといえども、先立つものがなくてはなあ……。
 それはそうと、アメリカに負けてばかりはいられない。わが日本は『プレイガール』を映画化してはどうか。キャスティングが難しそうだけどね。まさか、沢たまきは使えまい。藤原紀香はデフォルトで入るだろうな。

【11月17日(金)】
▼最近の「アリー・myラブ3」は、なんとなく“シングルのための『渡る世間は鬼ばかり』みたいな感じがしないでもない。
 ひさびさにトレーシー先生が出てきて喜んでいたのだが、NHKのウェブサイトによれば、今シリーズでは今回しか出番がないとのこと。うーむ、残念。

【11月16日(木)】
▼新聞やテレビやウェブを見るたび、「いけいけ加藤紘一!」と頭の中で拳を振り上げる今日このごろである。

【11月15日(水)】
11月8日に書いた“うまい消毒液”に関し、田中哲弥さんに続いて、林譲治さんからも新解釈が寄せられた。『あれはやはり「ショートケーキのうまい店」ではなく、本当に「消毒液のうまい店」なのではないでしょうか?』 なんだか林さんのほうがよっぽど田中さんみたいなことを言っているぞ。どうしたことだ。
 『携帯電話の事業体は日本にも幾つかあります。サービスも多様です。そんな中で、いまさら「ショートケーキのうまい店」が検索できる程度のことで何のインパクトがございましょう。その程度のことはどこの会社を使っても出来ます』 う、うむ。最近は、「ショートケーキのうまい店」と口で言うだけで検索してくれるパソコンもあるしなあ。『だが「消毒液のうまい店」を検索できるサービスとなると、話は違う。こんなけったいな内容まで検索できるとなれば、それだけコンテンツの充実をアピールできます』 なるほど、それはたしかに充実している。リンパ液のうまい店とか膵液のうまい店とか胃液のうまい店とか唾液のうまい店とかカウパー腺液のうまい店とか、牧野修さんや小林泰三さんなら検索しまくって遊ぶにちがいない。カウパー腺液のうまい店ってのは、ほんとにありそうで怖いが……。「それに娘の立場になって考えてみれば、ショートケーキのうまい店を知ってる父親よりも消毒液のうまい店を知ってる父親の方に畏敬の念を抱くのではないでしょうか?」 す、すばらしい。おれが娘でもそう思うであろう。ショートケーキのうまい店を知っている父親など、そこいらへんにいっぱいいる。消毒液のうまい店を知っていてこそ、父親の威厳が保たれるというものだ。リンパ液のうまい店ならなおさらである。カウパー腺液の――そこから離れんか、おい。
 というわけで、ハードSF作家からのたいへん科学的な解明があったので、根拠薄弱な田中哲弥説は却下することにする。
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『アニマル・ファクトリー』
(エドワード・バンカー、小林宏明訳、ソニーマガジンズ)

 おっと、京都SFフェスティバルに行っていたあいだに届いていたので、うっかり《ご恵贈御礼》を忘れていた。ありがとうございます。
 奇しくも京フェスでジョージ・オーウェルAnimal Farm の話をしたばかりなのだが、こっちは農場ではなく工場である。表紙では、下水管みたいなところで黒いネズミがなにかに聞き耳を立てているような絵が描いてあるので、ははあ、こいつがベンだな、と一瞬思ったが、そういう話ではまるでないようなのであった。腰巻には「“野獣の掟”が支配する刑務所社会を圧倒的なリアリティをもって描いたプリズン・サスペンス!」とある。おれのところに刑務所サスペンスを送ってくださった意図がいまひとつよくわからないのだけれども、いただけるものはなんでもありがたく頂戴いたします、ハイ。なにしろ、本ですから、と読子・リードマンモードになる。裏返すと腰巻に『リトル・ボーイ・ブルー』(エドワード・バンカー、村井智之訳、ソニーマガジンズ)の広告があって、あっ、たしかこの作家は塀の中にいた人だとようやく気づく。「刑務所社会を圧倒的なリアリティをもって描いた」って、そりゃそうだろう。著者近影を見ると、人相のよいピカソみたいな(ピカソのほうが人相が悪いのである)いささか強面のおっちゃんがこっちを見ている。なかなか面白そうだ。世の中にゃ、あ〜んなことやらこ〜んなことやら、ものすごい体験をしている人々がたくさんいるのだが、その人たちがみなそれを表現してくれるとはかぎらないし、表現してくれる気になったとしても、そういう体験をしていない人々の鑑賞に堪える表現をしてくれるかどうかとなると、いっそう確率は低くなる。体験するのと表現するのとは、まったくべつの才能なんである。

【11月14日(火)】
▼腹具合が悪いので、BIO-4R を飲む――っつって、『ラクトバチルス・メデューサ』(武森斎市、ハルキ文庫)で覚えたことを請け売りしてみる。
▼頂戴したメールには(とくに無礼・非常識なものを除いては)遅くなっても必ずお返事を差し上げるという方針で運営してきたが、最近なかなかそれもままならなくなってきた。メールをくださっている方々、全部読ませていただいてはおりますので、反応がないからといってお気を悪くなさらぬよう。メールを頂戴するのは当方も息抜きや励みになってたいへん嬉しいのでありまして(お返事はできないかもしれませんが)、どうぞお気軽にメールしてやってください。

【11月13日(月)】
京都SFフェスティバルで終末、じゃない、週末が潰れてしまったせいもあって、やたら忙しい。表業裏業ともに火を噴くほど忙しい。これほど忙しかったことがかつてあったであろうかと思うほどに忙しい。毎年今ごろは忙しいに決まっているのだが、例年に輪をかけて忙しい。矢のように時間ばかりがすぎてゆく。ほっとひと息つくころには来年になっているのがいつものパターンである。“ほっとひと息つく”もへったくれも、よく考えたら去年の大晦日は年越し蕎麦を食いながら原稿を書いていたではないか。今年もそうなりそうな予感がする。受験生のころなどは、ああ、忙しいなあ、かなわんなあと思っていたが、社会に出てからは毎日が受験生時代のよう、いや、それを上まわっているではないか。しかも、歳食うほど忙しくなってくるではないか。いくらとりとめのないおれでも、歳を食えば少しはやりたいことが減ってくるのではないかとむかしは思っていたのだが、甘かった。とんでもない。やりたいことが幾何級数的に増えてくるのである。なのに、一日は二十四時間しかない。体力も衰えてくる。持病もある。おれにとってどうでもよいと思われる優先順位の低い事項を次々に切り捨ててはここまでなんとか走ってきたが、最近それにも限界を感じる。やりたいがやれそうにないことが増えてくるのはべつにいいのだが、やりたいうえにやってやれないわけではないことばかりが増えてくると、たいへん精神衛生に悪い。とはいえ、やはり走り続けるしかないのである。燃料を溜め込もうとしてはいかんのだろう。バサード・ラムジェットのように生きたいものだ。止まれなくなっても、次の宇宙まで見てやろうという心意気が肝要である。
 つっても、あまりの忙しさになにがなにやらわからなくなると、ふと悪魔の囁きが聞こえてくる。秘書と女中と慰安婦と老親の介護士を同時に手に入れる方法があるぞ〜と、悪魔が囁きかけてくるのだ。いかんいかん。秘書も女中も慰安婦も老親の介護士も必要ない環境になったときには戯れに考えてみてもいいのだが、必要があって必要を満たすためにあのような奇ッ怪な制度に身を委ねたのでは、おれは一生自分自身を許すことができないであろう。おれは度し難いロマンティシスト(“ロマンチスト”って和製英語はどうも気色が悪い)なのだ。自分が不合理だと思っている制度の恩恵に自分もうまくすれば浴せるとわかっていても、その制度をぬくぬくと利用する気にはどうしてもなれない。いやまあ、しあわせにやっている人はけっこうなのである。そういう人々がいないと、人類は滅びてしまうフェーズに残念ながらまだある。これはあくまでおれ個人の人生哲学の問題なのだ。なにも好きこのんでしんどい生きかたせんでもと忠告してくれる人もいるが(多くはいろいろ保険を売りにくるおばさんなのであるが……)、あの人たちは、いったい女性にはどういう忠告をしているのだろうと考えると、気味が悪いことおびただしい。「男に生まれて、なにかにつけて下駄を履かせてもらってすみません」とたいへん申しわけない気になる。やっぱりおれは女に生まれてくるべきであったのだろうなあ。もっとも女に生まれてきたとて、こういう性格だとあんまり変わらん人生を歩みそうな気もするが……。

【11月12日(日)】

京フェスレポート風日記、ただいま執筆中

しかし、日記を“執筆中”というのも、なにやらたいそうな気がせんでもないなあ。

【11月11日(土)】
▼例年のごとく、京都SFフェスティバルに行く。今年は合宿が先で本会があとというパターンである。
 合宿の前に、どえらい集まりがあるのであった。今年の本会ゲスト、ロバート・J・ソウヤーさんのご希望で、関西在住のSF作家・評論家・書評家と昼食会をやることになっているのであった。
 ちょっと早かったかなと会場の中華レストラン・東華菜館の前で待っていると、野尻抱介さん、林譲治さん、大森望さん、さいとうよしこさんが立て続けに登場。さいとうさんがデジカメ付きケータイを構えるので、おれはリストカメラを構える。子供のころのおれがもし傍らで見ていたとしたら、未来人対決の図にしか見えまい。
 ほかの人が来ないため、きっともう中にいるのだろうと店の人に訊いたら、やっぱりそのようである。五人でぞろぞろと案内されてゆく。昼食会の部屋には、すでに全員揃っていた。幹事の喜多哲士さんは、珍しくスーツを着ている。まるで学校の先生かなにかのようだ(って、そうなんだけども)。『フレームシフト』(ロバート・J・ソウヤー、内田昌之訳、ハヤカワ文庫SF)の解説もお書きでソウヤーを高く評価する我孫子武丸さん、関西で海外SFの事件があるといえば欠かせない大野万紀さん、今日はまだぐふふと笑ってはいない小林泰三さん、ファンタジー界からは五代ゆうさん、奇しくも海外では担当編集者が同じ(デイヴィッド・ハートウェル)という縁もある菅浩江さんは着物姿も艶やかである。いやあ、すごいすごい。豪華メンバーである。あれ、おれはほんとにこんなところにいていいのか?
 とにもかくにも、導かれるままソウヤー氏に自己紹介。初来日だそうだが、東京でも早川書房のパーティーがあったりしたせいだろう、握手を求めてきたりはせず、まず名刺を差し出してきたので驚く。すっかり日本流だ。名刺のペンネームにローマ字の読みを入れておいたのが役に立った。英語版の名刺を作っておけばよかったと思ったが、あとの祭りである。
 ガチガチに緊張している京都SFフェスティバル実行委員長・加藤倫太郎さんの音頭で宴がはじまる。「ロバート・J・ソウヤーさんを迎えてなんたらかんたらするのはなんたらかんたらでたいへん大きな喜びであります」と、なぜか加藤さんの口調が直訳調になっている。我孫子さんが「英語になっとるやないか」と突っ込んでいた。
 ソウヤーさんと奥様のキャロリンさんと同じテーブルになる。我孫子さんとおれが各自持参したソウヤーさんの著書をテーブルの上に置いて、いつサインをおねだりしたものかと機会をうかがっていると、ソウヤーさんが「サインしようか?」と自分から声をかけてくださったので、お言葉に甘えていそいそと持ってゆく。『占星師アフサンの遠見鏡』(内田昌之訳、ハヤカワ文庫SF)と Starplex にサインを頂戴する。今回の来日でハヤカワ文庫のアフサンを差し出されたのは珍しかったのか、おお、と嬉しそうにしていらした。
 なにを話したものか、あんまりネタを考えていないので、ソウヤー夫妻の話に適当に茶々を入れて笑わせていたが(「カナダからは飛行機で十四時間、一日で来られる」「相対論的効果は無視してか?」とか)、そのうち、さいとうさんのデジカメ付きケータイやおれのリストカメラが小道具として役に立ち、ケータイ事情の話などになる。さいとうさんのケータイには、カラオケ機能までついているのにはソウヤーさんも驚いていた。さいとうさんは我孫子さんにさあ唄えとばかりにケータイを突きつけていたが、もう少し酒が入らんとだめだろう。きっとお好きだろうといたずら心が起き、おれのPHSの着メロを鳴らしてみせると、「Oh! Thunderbirds!」とやたらウケていた。やっぱり好きなんである。ソウヤーさんは、おれたちとさほど年齢は変わらないのだ。イギリス人のスティーヴン・バクスターが好きなもんはカナダ人のソウヤーさんも好きじゃろう。
 キャサリン・アサロ『飛翔せよ、閃光の虚空(そら)へ!』(中原尚哉訳、ハヤカワ文庫SF)の日本語版に解説を書いたのは小生であるが、その中で小生はかなりロング・ショットの推測をした。恐竜好きのソウヤー氏のことであるから、彼女の名前を最初に見たとき、ピンと来るものがあったのではないかと書いたのだ。それは正しいか?――と、いい機会だから本人に訊いてみると、案の定、キャサリンの父、フランク・アサロのほうを先に知っていたとのこと。前述書の解説に書いたように、フランク・アサロは、小惑星の衝突による恐竜の絶滅説を最初に唱えた科学者のうちの一人である。むろん、ソウヤーさんはそんなことは百も承知であった。
 大森望さんとおれとがおのずと代わるがわる通訳のような役回りになり、ソウヤーさんは適宜テーブルを移動しては、日本側の参加者とまんべんなく交流していらした。作家たちからは、やはり創作や科学に関する訳しにくい質問が出る。おれは単に英語がわかるだけであって、逐次といえども通訳の訓練を受けたことはまるでないから、作家陣の質問の微妙なニュアンスがわかるだけにわれながら隔靴掻痒の感を覚えつつも、なんとかかんとか交流のお手伝いができたかと思う。ソウヤーさんは外国人慣れしているのか、努めて平易かつ明瞭にお話しになるため、英語から日本語へは、とくにいちいち訳さなくとも十分会話が成り立っていた。ソウヤーさんはじつにエネルギッシュで、気さくな人であった。明るいディックみたいな風貌だし。
 昼食会を終えてソウヤー夫妻と加藤さんは別行動。昼食会のメンバーの大部分は、喫茶店で時間潰し。小林泰三さんがぐふふふと笑いながらアトムおたくの一面を見せる。どうしてこんなに憶えているかと思うほど、ヘンなことを憶えている人である。
 今年の合宿は十七時開始。異様に早い。ちゃんと寝て本会で寝ないようにしようという配慮らしいのだが、ちゃんと寝る人がそんなにたくさんいるとは到底思われない。ミスターMC、小浜徹也さんが少し遅くなるとのことで、大森望さんの司会でオープニングが進む。本会ゲストの坂口哲也さんが家族連れでいらしていて、奥様のめるへんめーかーさんにひさしぶりにお目にかかる。娘さんはご両親のどちらにも似ていないかどちらにも似ていて、こんな幼いころからこのようなところに連れてこられるとは羨ましいような怖ろしいような……。坂口さんから、かのアノマロカリスのおもちゃを頂戴する。野尻抱介さんからは、タイ製の木彫りのカエルをいただく。もらってばっかりだ。このカエル、背中のギザギザを付属の木の棒で撫でると、コロコロコロとほんものそっくりの声で鳴くのである。
 リメイクの『渚にて』の先行上映会があり、予告編だけ観て晩飯を食いにゆく。『渚にて』は原作が好きなのでゆっくり観たかったが、晩飯を食うタイミングが難しいプログラムなのだ。下手をすると、食いそびれる。なかなかよさげな映画だったから、いずれamazon.comででも買おう(と思って、いま見てきたら、アマゾンですら三十五ドル九十九セントもする。もう少し待ってみることにしよう)。我孫子武丸さん、小林泰三さん、林譲治さん、高野史緒さんたちと、早めにカレー屋に行ってカレーを食う(ほかになにを食うというのだ)。カレーと言えば我孫子さん、我孫子さんと言えばカレーである。残念ながらカレーヌードルはメニューになかった。
 カレー屋から戻り、合宿企画の「ソウヤーの部屋」の部屋へゆくと、まだ『渚にて』をやっていた。ラストシーンを観てしまったが、どうやら観たからといって面白さが減じるような映画ではなさそうだ。ますます観たくなった。
 「ソウヤーの部屋」は、明日の本会企画ともろに話題かかぶらないように、主にミステリ的側面を中心とした進行。通訳は明日も務められる宮城博さんである。我孫子武丸さんのミステリ作家的質問に、窓枠に腰かけたソウヤーさんはわかりやすい英語で答えてゆく。ソウヤーさんも興に乗ってきて、結局SFの話にもなったのだが、業界話が中心であった。編集者がソウヤーさんに語ったという話がやたらウケていた――「アメリカのSFは happy ending、カナダのSFは sad ending、イギリスのSFは no ending at all けだし名言である。
 ソウヤー企画が終わり、古沢嘉通さんと美女弟子軍団が集う宴会の部屋にお邪魔する。明日の本会企画「海外SFレビュアー座談会」の打ち合わせも兼ねていたような気もするが、雑談をしていただけである。ここは禁煙なので、〈SFマガジン〉塩澤編集長は、入口付近に陣取って廊下に向けて煙を吐いていた。おれも煙草吸いなのだが、次から次へとちがう酒が出てくるせいか、煙草を吸わなくても大丈夫であった。“まったくなんでも原書で読んでるエイリアン”(と呼ぶことにした)加藤逸人さんは、Einstein Intersection を一時間で読んだとか、あいかわらずものすごいことをこともなげに連発している。やがて、元祖“まったくなんでも読んでるエイリアン”志村弘之さん登場、菊池誠さんと折り紙論を闘わせはじめた。なんでも、志村さんの認定によれば、菊池さんは独立して新たな折り紙流派を開いたということになったらしい。というわけで、これからは志村流と菊池流とがあるので、門を叩く人は気をつけるように。「折り紙というのは、蛋白質の研究とかに通じるものがあるんすか?」と菊池さんに訊いてみると(菊池さんは物理学者なので、生化学的なナニではなく熱力学的なアレとして蛋白質の研究もなさっているのは、あんな掲示板とかこんな掲示板とかウォッチしている人はご存じであろう)、海外の学者に「蛋白質は origami である」と喝破してウェブページに明記している人があるそうだ。
 大広間に戻り、我孫子武丸さん、牧野修さん、田中啓文さん、藤原ヨウコウさん、おがわさとしさんらとバカ話をしているうちに夜も更ける。


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