間歇日記

世界Aの始末書


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2000年11月下旬

【11月30日(木)】
三十八歳になる。あとひとまわりで五十歳かと思うと愕然とする。どうも十六くらいから基本的にな〜んにも変わっていないような気がするので、たぶん五十になっても基本的にな〜んにも変わっていないことであろう。結局、人は基本的にな〜んにも変わらないものなのでありましょう。唯一変わったことと言えば、「おれはおれだ文句あるか」という思いがますます強くなってきている点だけだろうな。
 おれの誕生日を覚えていてくださる奇特な方が何名かいらして、お祝いのメールやらプレゼントやらを頂戴する。まことにありがたいことである。パソ通友だちの宇海遥さん(なんでも、SFファンのあいだでは最近すっかり“出会い系のイベント”として有名になっているコンタクト・ジャパン4でお茶を煎れていたら、ロバート・J・ソウヤー夫妻に“ティー・マスター”の称号を賜ったのだそうだ)が送ってくださったマウスパッドが傑作である。中に液体が封入されていて、おたまじゃくしが泳いでいるのだ。マウスを滑らせるたびに液体が動き、おたまも動いてかわいい。ドイツ製だそうだが、カエラーというやつは世界中にいるのだなあと改めて感心させられた。包みから出したときマウスパッドだとはすぐにわからず、性教育玩具かなにかかと思った。いや、宇海さん、面白いものをありがとうございます。今日からさっそく使います。

【11月29日(水)】
ASIMOの人気の秘密を解明した。ASIMOはドラえもんなのである。そのむかし、ドラえもんが最初にアニメ化されたとき、さっぱり人気が出なかった。そのときのドラえもんはのび太より背が大きく、のんびりとはしているが大人の口調でしゃべっていたのだった。アニメのドラえもんが大ブレークした最大の要因は、のび太より背が低くなり、子供の口調でしゃべりはじめたことである。有名な話だ。よって、ASIMOはP3より人気があるのである。
「人間は考えるASIMOである」という名文句を思いついた。われながら怖ろしいばかりの傑作である。じつに深い。そう思いませんか?

【11月28日(火)】
国立大学協会が文部省に反旗を翻したらしい。要するに、「ゆとり」の教育とやらに逆行して、大学入試センター試験で5教科7科目を課す原則を決めたのだそうだ。そりゃまあ、大学側としても、「『ヨクネン』って何のことですか」が大挙して入学してきたらたまらんだろうしなあ。
 「ゆとり」の教育とやらの主旨も、まあ上っ面ならわからんことはない。ただ、その「ゆとり」が力を発揮するのは、子供が自分の頭でものを考え、学ぶべきことを自主的にどんどん探し出すかぎりにおいてのみではないかと思うぞ。じゃあ、子供が自分の頭でものを考え、学ぶべきことを自主的にどんどん探し出すようになるような教育をする準備ができているのかとなると、「できている」と言える人はどこにもおるまい。文部省よ、事象の因果関係の把握に混乱を来たしとらんか? 子供が自分の頭でものを考え、学ぶべきことを自主的にどんどん探し出すので、もっと「ゆとり」を与えてやらねばというのなら話はわかるが、「ゆとり」を与えさえしたら子供が自分の頭でものを考え、学ぶべきことを自主的にどんどん探し出すようになるにちがいないと期待するのは珍妙きわまりない。日向にコップに入れた水を置いておいたら水の温度が上がるからといって、コップの水に湯を注ぎ足せば曇り空が晴れ上がるか? こんなこと、いちいち説明せんとわからんか? そうやってコップの水に湯を注ぎ足すような安易なことばかりやっていたら、阿呆が大量生産されること必定である。もしかしたら、お上はそのほうが都合がいいとでも思っているとか?

【11月27日(月)】
▼この季節になると、ジョン・レノンが無性に聴きたくなる。条件反射だろうか。イヤホンを耳に突っ込んで駅へ向かって歩きながら、ビートルズA Day in the Life を聴くのは妙にハマっていておかしい。この曲のジョンの声がとても好きなのである。最後のドシャ〜〜ンもいいしね。

【11月26日(日)】
ロバート・J・ソウヤーさんの日記を読んでびっくり。なんと、来日中に食中毒になっていたのだという。そんなえらいことになっていたとは全然感じさせないバイタリティーに改めて驚嘆。タフな人やなあ。
『ミッドナイト・コール』というタイトルの本はいったいいくつあるのであろうか。最近のは田口ランディだが、上野千鶴子のならむかし読んだよなあと思って、試しに「bk1」で検索してみると、森瑶子も同じ題の本を出している。ハーレクインからもノーラ・ロバーツ(読んだことないが、おれですら名前に聞き覚えがあるから、その筋では人気のある人なのだろう)が出している。みんな女性だというところが興味深いですな。女性は夜中の電話がそんなに好きなのか? 昼間だってさんざんしているじゃないか。

【11月25日(土)】
ASIMOやらSDR−3Xやらが次々と登場し、世はロボットブームである。なんとなく、これがロボットの正しい方向ではあるまいかとさえ思える。つまり、アホでも歩くアホでも踊る。やっぱりなんですな、動いてなんぼのもんという気がしますな、ロボットは。結局のところ、われわれの知能だって、身体を動かしてるうちに出てきたのだろうから、ロボットはまず動かんといかん。動いているうちに賢くなってくるだろう。中枢とか末梢とかいう言いかたがすでにしていやらしいのであって、末梢からの入力なくして中枢もへったくれもない。別唐晶司は最近どうしているのだろう。いまこそ、『メタリック』(新潮社)の問題意識が浮上してくるときではないか。

【11月24日(金)】
▼このところ、カルビー「じゃがりこ」にハマっている。わざとらしいほどにじゃがいもらしいじゃがいもの味がするのがいい。そのせいか屁ばかり出る。
「アリー・myラブ3」ファラ・フォーセット登場。となると、おじさんたちは“「チャーリーズ・エンジェル」つながり”だと思ってしまう。なんだか映画のほうは、とてつもないバカ・エンタテインメントらしく、あちこちでバカだバカだ面白い面白いと言っている。うーん、ビデオが出てから買おうかと思ってたけど、劇場で観たくなってきたなあ。

【11月23日(木)】
▼なぜか誰も言わないみたいなのだが、プリント写真には白縁があったほうが便利ではなかろうか? 年賀状だってそうだ。持ちやすいじゃないか。最近はなにかにつけて縁がないのが流行りで、さもそれがかっこいいことであるかのように喧伝されている。ほんとうにそうか? あなたは宣伝に騙されていないかっ!
木村拓哉が結婚宣言。「少しだけ先が見える」わりには、マスコミに先を越されてしまったようである。
 ふと思ったのだが、あのCMのようにキムタクにほんとうに「少しだけ先が見える」程度の予知能力があったとしよう。さらに、工藤静香テレパスだったとしよう。そして、生まれてくる子は、両方の能力を併せ持っているとしよう。するとその子は、少しだけ未来の自分の心の中を覗きこむことができる。その少しだけ未来の自分は、少し過去の自分が自分の心の中を覗きこむ時間を正確に知っているので、まさにその瞬間を狙って少しだけ未来の自分の心の中を覗きこんでみるとする。そのまた未来の自分はさらに少しだけ未来の自分の心の中を覗きこみ……とリレーしてゆけば、かなり先まで予知できるはずである。そこでさらに、かなり未来の自分はいたずら心を起こし、最初に少しだけ未来の自分の心を覗きこんだ瞬間のことを正確に回想してみたりする。直観像記憶も持っていることにしようか……。すると、いったい彼あるいは彼女は、どういう内的体験をすることになるのであろうか? 想像もつかん。テレビに映っている画面の中のテレビに最初の画面と同じ画面がどこまでも映っているかのような感じになるのかな。それとも、ちょうど平面のステレオグラムの次元をひとつ上げたかのように、“超立体視”とでも呼ぶべき感覚を手にすることになるのだろうか。時空連続体の中で“視差”のついた複数の視点が得られるからだ。考え出すと頭が痛くなる。このくそ忙しいのに、なんでCMひとつでこんなことを考えて頭痛を引き起こさねばならんのだ。つくづく因果な精神構造をしている。

【11月22日(水)】
てっちゃんさんに教えていただいていた怖るべきウェブページの話をするべきときがきた(って、ネタのない日のために出し惜しみしていたのだが……)。
 教育改革国民会議なるものがあるのは、報道でうすぼんやりとは知っていたが、そんなところがなにをやっているのかきちんと見てみたことなどなかったのである。そうか、こんなことをやっていたのか……。ある意味で、「月をなめるな」「『ヨクネン』って何のことですか」を超える衝撃である。元締めから壊れていたのだな。
 まあ、みなさん、「分科会の議事概要/議事録/配付資料」というページにある「第1分科会(第4回)議事概要(平成12年7月7日)」「配布資料一覧」というやつをご覧になっていただきたい。とくに、「配布資料一覧」の「一人一人が取り組む人間性教育の具体策(委員発言の概要)」がケッサクである。「議事概要」のほうを読むと、個々にはかなりまともなことを言っている人も少なくないのだが、なにやら奇妙な誘導があるように読める。さらに「一人一人が取り組む人間性教育の具体策(委員発言の概要)」のほうを読むと、これはもうハチャハチャである。この中の最高傑作は「バーチャル・リアリティは悪であるということをハッキリと言う」ですな。二重にも三重にも面白い。ヴァーチャル・リアリティーが悪であるというなら、書物というヴァーチャル・リアリティーで高等教育を受け、こういう委員にまでなった人たちは相当悪に染まっているにちがいない。だからこの程度のことしか言えないのだとすれば、なるほどヴァーチャル・リアリティーは悪であるのだろう。この委員の中で、彼らがヴァーチャル・リアリティーと呼んでいるところのものにリアルに触れたことのある人は、いったいどのくらいいるのであろうか? リアルな“ヴァーチャル・リアリティー”のなんたるかも知らずに、こんなところでそれこそ“ヴァーチャル”な議論をしているから、その程度の認識を世間に晒す羽目になるのだ。なるほど、だとすると、やっぱりヴァーチャル・リアリティーは悪だよなあ……などと、ヴァーチャルな教育改革国民会議をおちょくるのも面倒くさいので、この笑止な発言をした委員に於かれては、1997年5月24日6月29日1999年7月26日2000年2月11日のこの日記などをお読みになったうえで、ご意見をお寄せいただきたいものである。半分は冗談、半分は本気だ。万が一、ほんとうにお寄せくださった場合は、この場で公開させていただくこともあるので、そのつもりでお寄せください。
 それにしても、同じ資料の中で「IT時代の学校と教員の在り方 −たかがIT、されどIT−」とか言いながら、「バーチャル・リアリティは悪であるということをハッキリと言う」ですからな。ITやヴァーチャル・リアリティーを駆使して、人間の多様性や社会的に弱い立場にある人たちの存在などを子供たちにリアルに知らしめ、ものを考えさせる――とかいった発想は出てこないのか?
 「名刺に信念を書くなど、大人一人一人が座右の銘、信念を明示する」には大爆笑。バカバカしい。そんなことが子供の教育のなにに役立つというのか。てっちゃんさんは、「『ビールを飲んで昼寝』というのも捨て難い」とおっしゃっている。そうだなあ、おれならさしずめ「なるようになる」とでも刷るか。だいたいが、この複雑な人間なるものの“信念”とやらが、一行や二行の言葉で言い表わせると考えること自体が小賢しい。まあ、ジョークでやってみるのも面白いかもしれん。森首相、あなたの名刺には、「口は禍のもと」と肩書きよりも名前よりも大きく赤で刷るがよろしい。

【11月21日(火)】
本田技研工業のロボット「ASIMO」にたまげる。それにしても、このネーミング、Advanced Step in Innovative Mobility のアクロニムだなどとホンダはすまして言っているようだが、この手のジョークは天国にいるアイザックも大いに好むところであろう。
 最近こういうのを見るたび、「婆さんに見せてやりたかったなあ」と思うのである。生きていれば九十を超えているだろうが、それくらい生きる人は珍しくないだけに残念に思う。思えば、おれは珍しいものを手に入れたり、面白い現象が観察できる理科の実験ネタを仕入れたりするたび、好んで婆さんに見せていた。婆さんが科学を理解したからではない。あまりにも素直に驚いてくれるので、面白かったからだ。おれも少々長く生きすぎたのか、心底たまげるということが少なくなってきている。もっともっと驚きたいし、驚かせたいものである。驚きたい、驚かせたいというのは、人間の最も根源的な欲求なのではあるまいか。
 婆さんがASIMOを見たら……と想像すると、じつに愉快だ。

「お婆ちゃん、あれ、ロボットやで」
「いいや、人が入ってるんや。映画とかでああいうのを専門にやってはる小さい人がいはるんえ」
「いや、そりゃ知ってるけど、あれには人は入ってへんのやて」
「嘘言いよし」
「いや、ほんまやて。むかしのからくり人形みたいなもんや。ほれ、お茶運んでくるやつとか」
「あれは脚は動かへん。手ぇも振らへん」
「それが動くようになったんや」
「……ほぇぇぇ〜っ」

 子供のころのおれは、この「ほぇぇぇ〜っ」が聞きたくて婆さんにいろいろなものを見せにいったのだ。
 それはそうと、ホンダさん、“ASIMOの着ぐるみ”作って売りませんか? 年末年始のパーティーで“ASIMOごっこ”が大流行すること請け合いなんだがな。なに? 着ぐるみ作らなくても、酔っ払って真似するやつは真似する? そうだよなあ。深夜の駅のホームでちょっとぎこちない歩きかたをしたり、顔の前で両手を振ったりしている人がいたら、それはASIMOごっこをしているので温かく見守ってあげよう――って、おれもやりそうだからなあ。
「(森首相の)不信任案否決でいちばんがっかりしているのは否決した人たちじゃないかと思うんですが……」って久米宏のコメントに座布団二十枚。


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