間歇日記

世界Aの始末書


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2001年1月上旬

【1月10日(水)】
高松市“揺りかごアウトロー”どもを威力業務妨害で告訴のニュース。けっこうなことである。がらがらと音を立てて壊れてゆきつつあるわが日本でも、まだまだちゃんと正義が為されることもあるようだ。いまごろ、揺りかごアウトローどもは小便をちびりながら顫えておることだろう。顫えてないかもしれないが、そう想像するほうが胸がすっとする。
 となると、これも毎度のことであるが、揺りかごアウトローどもの言う台詞は判で押したように決まっている。それはもう、いつもいつも同じなのである。連中はこう言うのである、さあ、みなさん、ご一緒に――「そんなつもりじゃなかった」
 ぎゃははははははは、どうじゃ、揺りかごアウトロー、いままさにそう言おうと思っておったろう? わしが先に言ってやったので、言うことがなくなったじゃろう? 「そんなつもりじゃなかった」って、じゃあ、いったいどういう“つもり”だったのだ? 「刺すつもりじゃなかった」「殺すつもりじゃなかった」……いやはや、いったいここ数年で、何度同じ台詞を聞いたことであろうか。“つもりじゃなかった”もへったくれも、そもそもああいう阿呆どもには、最初からなんの“つもり”もない。な〜んにも考えておらんのだから、そりゃあ、「そんなつもりじゃなかった」というのは嘘ではないわな。揺りかごアウトローども、いまこそ正義の鉄槌を受けてみよ。
 なに? “正義”だなんて言葉は胡散臭い? わははははは、な〜にをあたりまえのことを言うておるか。正義とはもとより胡散臭いものじゃ。“悪”と符合がちがうだけで、本質的には同じものじゃ。おやおや、おまえら、もしかして自分が“悪”だとでも思っておるのではなかろうな? バカも休みやすみ言え、おまえらごときが“悪”であったとしたら、ほんものの“悪”が気を悪くするわ。了見ちがいもはなはだしい。おまえらは“悪”ですらない。ただのクズじゃ。腐れ外道じゃ。おまえらのようにな〜んにも考えておらんと、たちまち“正義”か“悪”かの餌食になるのじゃ。まともな大人はみんなだな、どっちの餌食にもならんように、強かに卑屈に毅然とのらりくらりと“正義”や“悪”と闘うたり、闘わんですむように逃げ回ったりしておるのじゃ。そこの魚屋のおっちゃんもお菓子屋のおばちゃんもヤンエグのにいちゃんねえちゃんもリストラされたおじちゃんおばちゃんも、み〜んなそうしておるのじゃ。おまえらのお父ちゃんお母ちゃんも、そうしておまえらを育ててきたのじゃ。わかったか。わからんだろうな。わからんわからん、おまえらには絶対わからん。言うたわしが悪かった。おまえらの武器は“無知”あるいは“無垢”しかあるまいが、それが武器としての力を発揮するのは、他人がおまえらを見て“無知”あるいは“無垢”だと思うかぎりに於いてだけじゃ。自分から“無知”あるいは“無垢”を振りかざしはじめたが最期、“正義”か“悪”かがおまえらを叩き潰すようになっておる。ひどいじゃろう? ミもフタもないじゃろう? だが、どうしようもない。大地震でも起こってみろ、いい人にだろうが悪い人にだろうが、頭のいいやつにだろうが悪いやつにだろうが、男にだろうが女にだろうがそのほかにだろうが、な〜んの区別もなく屋根は落ちてくるしビルは倒れてくるのじゃ。この宇宙はそうできている。神も仏もおらん。ちっぽけな人間が、そのときそのとき、できるだけのことをやって生き延びてきたし、生き延びているし、生き延びてゆくじゃろう。滅んだら、それはそれで、ただそれだけのことじゃ。そんなミもフタもないところに、なにが哀しゅうてわしらは放り込まれているのか、どこかの試験に出るかもしれんから答えを教えろって? そんなもの、自分で見つけろ。みな、それぞれ自分の答えを探すのに手一杯なのじゃ。

【1月9日(火)】
▼まだ、新しい省庁の名前(あるいは、省庁の新しい名前)がすんなり出てこない。一応、日英両語で覚えておかなくてはなるまいと、首相官邸サイトList of Ministries, etc. as from 6 January 2001 をつらつら眺める。「内閣府」Cabinet Office は、まあ、わかりやすいな。「財務省」Ministry of Finance で英語名称は変わっていない。「経済産業省」Ministry of Economy, Trade and Industry は、こっちのほうが Ministry of International Trade and Industry なんて古臭い名称よりすっきりとしていていい。だいたい、international なんてわざわざ言ってたところが、なにやら田舎臭かったのだ。「環境省」Ministry of the Environment は、the が入るとこがミソですね。「国土交通省」Ministry of Land, Infrastructure and Transport ってのも、一応腑に落ちるな。問題は「総務省」である。Ministry of Public Management, Home Affairs, Posts and Telecommunications ってあなた、一発で覚えられますか? 「文部科学省」ってのも、Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology と言われると、教育と文化とスポーツと科学と技術とが、いったい全体“なにつながり”なのかさっぱりわからない。ここはぜひ、二十一世紀の初頭を飾るに、「科学省」を作ってほしかったものだなあ。お茶の水博士は、科学省の“長官”なのだ。なぜ“大臣”ではないのか、手塚ファンの永遠の謎ではないかと思う。ひょっとしたら、なにか理由があるのかもしれないが、おれは寡聞にして知らない。どなたかご存じでしたら教えてください。
 「科学省」を作ったうえで、さらにすべての省に「科学技術庁」が必要な時代なんじゃないかなあ。そう思いませんか? 経済産業省科学技術庁長官。環境省科学技術庁長官。ほれ、しっくり来るでしょう。

【1月8日(月)】
▼ここ数年、毎年話題になっているようだが、また今年もである。成人式で若者が傍若無人なふるまいをするというのだ。市長やら講演を依頼された人やらが腹を立てているらしい。なあに、かまうものか、肉体だけ二十年生きたそういう育ち損ないの阿呆どもは、片っぱしから射殺しろ――と個人的には切に思うわけであるが、さすがにそこまでやっては具合が悪いらしい。射殺できないのはきわめて残念だとしても、大人なんだから、片っぱしから逮捕してブタ箱にぶち込んでやればよろしかろう。なぜ、できないのだろう? おれは成人式なるものに出たことがないので詳しくは知らんが、あれは公務員が公務を執行しているのではないのか? だとしたら、公務執行妨害は適用できんのか? 法律に詳しい方がいらしたら、ご教示ください。
 あの手のバカを見ていると胸が悪くなる。大人社会やら権威やらに楯つきたいとかいった気持ちがあるのはじつにけっこうなことだけれども、成人式で暴れているようなあの手の輩には、べっとべとの甘えがあるから虫酸が走るのだ。それこそ射殺されてもよしとするだけの覚悟があってやるのなら見上げたアウトロー魂だと思うのだが、あいつらにそんな覚悟はない。大人が作って大人がお膳立てした仕組みのおいしいところだけは無自覚に享受しながら、大人の掌の上でアウトローを気取って目立とうとしているだけである。おれはああいうのを“揺りかごアウトロー”と名づけている。揺りかごの中で暴れていることにすら気がつかぬ程度の知性しか持ち合わせず、揺りかごを外そうかと迫られたときはじめて揺りかごの存在に気づき、ビービー泣いてはパパやママを呼ぶのだ。パパやママだけならまだ可愛げがあるが、揚げ句の果てには弁護士やら精神分析医やら軟弱文化人やらの他人の言葉をこれ幸いと利用しては、こんなおれたちにしたおまえらが悪いとばかり他人に向かってほざくのである。死ね死ね、おまえらのようなやつは、乳の海で溺れ死ね
 あの手の輩の追跡調査をしてやったら面白いと思うのだがどうか。まあ、見ててみろ、あの揺りかごアウトローどもは、数年もしないうちにリクルート・スーツに身を包み、企業の面接員の大人たちにペコペコと頭を下げ、就職マニュアル本に書いてあるとおりに箸にも棒にもかからん受け答えをし、運よく雇ってもらえたら上司にペコペコするばかりで己の意見のひとつも言えん(というか、意見を持つ能力すらない)ブタのような“大人”になってしまうのではないのか? その追跡調査結果を成人式の会場で発表し、なんなら映画にして上映してやれば面白かろう。もっとも、面白いのはおれたちのほうだけで、本人たちにはなんの痛痒もないかもしれん。橋本大二郎高知県知事は、あの手の阿呆を指して、「同じ仲間にああいう人たちがいるのをきっと恥ずかしいと思っているでしょう。だけど、(彼ら自身も)恥ずかしいと思う時が来ると思います。温かく見守ってあげて下さい」と式典で呼びかけたのだそうだが、甘い甘い、こいつらに自分を恥ずかしいと思う日など金輪際来ないよ。そういう優しい言葉は、未成年の人間にかけてやる言葉だ。こいつらには、自分を恥ずかしく思う能力などない。こいつらに残されているのは、己の所業などケロリと忘れて、こいつらがいちばん軽蔑している(そして「こっちを見てくれこっちを見てくれ」とその全存在でべったりと寄りかかって甘えている)ブタのような大人に連中自身がなる道だけだ。考えようによっては、じつにシアワセな道である。こいつらの中のごく少数の運のよいやつだけが、いつの日にか自分を恥ずかしく思う能力を身につけるかもしれないが、それはほんとうに運のよいやつだけだろう。いや、運の悪いやつと言うべきか。

【1月7日(日)】
堺三保さんが、ご自分がSF設定をしているアニメ番組『無敵王トライゼノン』(TBS系)で、なんと声優(というか、ナレーター)としてデビューしたとあちこちで話題騒然である。うーむ、おれは観てないので想像するのみであるが、再放送があったらぜひ録画せねばなるまい。どうもおれの世代だと、SF設定の人が劇中に出てくると言われると、「ハイ、写真見せてください。すごいですねー、こわいですねー、ここがこうなっているから、こんなことができるんですねー。ハイ、写真ありがとうございました。SF設定の堺三保でした。サヨナラサヨナラサヨナラ」みたいなのをまず想像してしまうのだが、ちがうのだろうか?

【1月6日(土)】
▼正月だというのでふだん買わない食いものがいろいろ冷蔵庫にひしめいている。キャビア代用品というやつが買ってあったので食ってみる。コピー・イクラみたいに人工的に作ってあるものかと思ったら、スウェーデン産のランプフィッシュとやらの卵であるらしく、一応生物の卵にはちがいないようだ。なんか、昨今はこっちのほうがずっと出回っているようである。ほんもののキャビアなど、アホらしくて買えたものではない。仮にタダでもらえたとしても、チェルノブイリ原発事故以降、なにやら放射性物質が濃縮されているような気がして、まあ、向こう百万年くらいは食う気になれない。気分の問題だ。あの事故のとき、もう一生キャビアは食えんと覚悟を決めたからいいのだ。一生納豆が食えんとなると大問題だが、どっちみちキャビアなんぞそうそうしばしば口に入るものではないから一生食えなくなって実害はない。学生時代、ホテルの宴会係のアルバイトをしていたころ、パーティーの残飯のキャビアをさんざん食ったからもうよい。しかし、実際のところ、ほんもののキャビアの現在の汚染状況はいかほどなのだろうか。
 スウェーデン産の魚関係の食いものというだけで、なにやら悪夢のような激臭が記憶の底から立ち上ってくるような気がしないでもないが、とにもかくにもクラッカーに乗せて食ってみる。ふむ、いけるじゃん。キャビアというより黒い数の子みたいだが、キャビアというのはこういうものであったかもしれないと記憶を歪曲して食えば立派にキャビアである。クラッカーに“色落ち”するのはどうかと思うけどね。

【1月5日(金)】
▼今日から会社へ出る。毎年のことなのだからいいかげんに学習してもよさそうなものであるが、表仕事・裏仕事を問わず、年末年始の休みに仕事をしようと当てにしていると、まったくできないものである。どうせできないのであるから、年末年始の休みには仕事をしないものとしてスケジュールを組まなくてはなるまい。今年からそうしよう。できたら儲けものくらいに考えておいたほうがよかろう。
 会社の帰りに閉店間際のジュンク堂大阪本店に寄り、買い損ねていた「御教訓カレンダー」(パルコ)を買う。もう二十数年愛用しているように思う。こいつを買わなくては新年はやってこない。帰宅してざっと読んでみたが、今年は一読大爆笑という作品がなかった。「うむ、うまい」くらいのやつはあるのだが……。おれが慣れてしまったのか、作品の質が低下しているのか。「イテ・コマース」なんてのがあったが、去年ほとんど同じネタを「今月の言葉」で使ったぞ。みんな同じようなことを考えているようだ。「ヌーベル・給仕犬」なんて作品もあるが、DASACON の常連にまったく同じハンドルを使っているぬーべる・給仕犬さんという人がいるくらいで、やっぱりみんな同じようなことを考えているようだ。一発ギャグの道は険しいのである。

【1月4日(木)】
バーゲンの季節が来るたび、京都・大阪の人々は頬を引き攣らせ失笑を浴びせるのを楽しみにしていると何度もご紹介した〈京阪モール・ザ・バーゲン〉の広告に異変が生じている。「アタシらしいって、アタラシイ。」というのが今回の冬のバーゲンのコピーなのだ。ヘンだ。基本的な駄洒落路線は踏襲しているが、車内吊り広告やテレビコマーシャルには、いつものようにヘンなガイジンが出てこない。小洒落た日本人の女性が、ウケを取ろうとするでもなく、フツーに宣伝している。こっ、こんなの、〈モール・ザ・バーゲン〉じゃないっ! 「アタシらしいって、アタラシイ。」だと? なんというつまらないコピーだ。どこかで聞いたような、誰にでも思いつきそうなコピーである。いつものベタベタの力業脱力コピーはどうしたのだっ! まさか、お洒落路線に切り替えようというのではあるまいな。やめろやめろ、〈ひらかたパーク〉が〈宝塚ファミリーランド〉と同じ土俵に乗ってどうする
 今回だけは許してやるから、次回からはちゃんといつもの〈モール・ザ・バーゲン〉に戻るように。あれを楽しみにしている人だって多いんだぞっ。ちっとも「アタシらし」くなんかないぞっ。

【1月3日(水)】
▼ようやく歯痛がひく。妹としょっちゅう電話で話している母によれば、姪どもは今日も一日中コマ回しをしていたらしい。妹のケータイに姪どもに宛ててメールを打ってやると、ふたりとも回せるようになったと誇らしげに返信してきた。けっこうなことだ。こういう技は一生忘れないだろう。おれは自分では物理的遺伝子を遺さないつもりだから、せいぜいおれが価値あると思うミームを遺してやりたいものである。
 ところで、お子さんのいらっしゃる方、あなたのお子さんはコマを回せますか? 弾性材料を仕込んだ“発射装置”にコマを装着し、ボタンを押して、ハイ、回りました――なんてのは、面白いですかね? おれは、ああいうコマ(?)を見るといらいらする。運動会で横並びに手を繋いで走るとかいった平和ボケ日本の悪平等教育の権化がごとき商品に思われるからだ。あのコマは誰にでも回せる。うまく回す子もいなければ、下手に回す子もいない。で、そのコマを闘わせて、なにが面白い? ヨーヨーだってそうである。クラッチ付きのヨーヨーなんぞ、誰だって空回りさせられるし、手元に引き寄せられるではないか。なんの練習も要らん。いまの子供はむかしの子供より不器用になっているのか? なっているのだとしたら、それは社会が不器用に“させている”のだろう。最近の子供が並んで飯食っているのを見るとげんなりする。箸の持ちかたがむちゃくちゃである。箸をちゃんと使っている子供のほうが少ないくらいだ。ひどいのになると、まったく箸として使っておらず、ただただ二本の棒で食いものを引っかけて掻き込んでいるだけだ。あんなやつらが大きくなって医者になったりするかと思うと、おちおち病気にもなれん。なに? あいつらが大きくなって医者になるころには、ロボットが操作できるほうが重要かもしれんって? いやまあ、そうかもしれんが、基本的に現在および近未来の医療ロボットは、医者の手の動きを伝えるレベルのものだろうから、まだまだ人間には器用さが求められるはずだぞ。自律的に手術をするといった高度なロボットが現われれば、ロボットのほうが人間の医者より器用であたりまえなんてことになるかもしれないが、それはまだまだ先のことでありましょうよ。
 思うに、機械の操作だって、自分が先天的に持っている機械、すなわち、肉体の操作の延長線上にあるものだろう。ロボットアームを操る名人の若田光一さんは、たぶん自分の指先だって器用に操れるのだろうと思うんだが、どうなんだろうね?

【1月2日(火)】
▼少し風邪がましになった。今日は例年のごとく妹一家がやってきてタコ焼きを食うことになっているのだった。
 やってきた姪どもにお年玉をくれてやり、さっそく先日買ったコマもくれてやる。もちろん、なにをどうすればよいのか、姪どもにはさっぱりわからない。とはいえ、やはり間近に見たこともないらしく、たちまち興味を持つ。紐の巻きかたから教えてやると、姉(小学校六年生)のほうは何度かやっているうちにまぐれで回せた。妹(小学校一年生)のほうは腕が短いせいか、なかなか回らない。手首のスナップを利かせるということが理解できないようだ。あんまり野球などしないのだろう。狭い部屋の中では初心者には難しいかもしれんと思い、表に出て指導してやる。スナップもへったくれもないが、とにかく投げているうちに妹のほうも一度は回せた。
 晩飯のタコ焼きを食ってから、家の中でコマ回し大会になる。義理の弟(もちろんコマくらい回せる)も加わって、いい大人ふたりがテーブルの上でコマを闘わせるのを、姪どもが喜んで見ている。結局、一日中コマを回していた。やっぱり、肉体的な技能がもろに反映されるこういう物理的な遊びの面白さは、いつの世にも通用するのであろうな。

【1月1日(月)】
▼あけましておめでとうございます。おかげさまで二十一世紀を迎えることができました。いま窓を開けて外を見たら、摩天楼を縫って縦横無尽に走る透明なチューブの中を「コンドーム二ケ追加」と書いたメッセージを乗せたエアカーが飛び交っていました。二十一世紀ですねえ。今世紀も当サイトをご贔屓にお願いいたします。
 というわけでめでたく二十一世紀を迎えたというのに、昨晩から歯が痛くてしかたがない。顎も痛い。歯茎も痛い。とにかく顔の右半分が痛い。なんともまぬけな二十一世紀の迎えかたであるなあ、おれらしいなあと思っていたら、熱が出てきて、全身を脱力感が襲い、身体の節々が痛みはじめた。こりゃ風邪だ。風邪のせいで、以前からよく腫れる右上の親知らずが歯茎と共に痛みはじめたのだった。情けねー。左の歯で数の子を噛んでも右の歯が痛い。幸い正月料理には柔らかくて栄養価の高いものが多いので、そういうものばかり選んで食う。
 仕事をせねばならないが、風邪を引いたうえに歯が痛くては無理も利かず、とにもかくにも早く治してしまおうと、酒をかっ食らって温まり、ひたすら寝る。なんて元日だ。おれの今世紀を暗示しているにちがいない。
 新年そうそう情けなく伏せっているおれのところに、今年も年賀状をくださった方々、まことにありがとうございます。今年もあいかわらず無精な私は、お世話になった方々に年賀状を出すことができませんでした。無礼の段、なにとぞご寛恕ください。今年こそは、なんとか年末に年賀状を準備する時間を捻出すべく努力する所存にございます。ほんとうに筆無精ですみません。
▼前世紀の十二月八日に仮オープンした「高野史緒公式サイト」が、正式にオープンしていた。田中啓文さんのサイトでタコが笛を吹いているのと同じように、高野さんらしくビザンティン柄で決めている。おお、格調高い。やはり作家はイメージ戦略を重視しなくてはならない。日記もはじめるらしい。急速にインターネットの魔窟に吸い込まれつつある高野さんは、最近はケダちゃんのところの掲示板で、すっかり“ぷみおちゃん”で通っている。やはり作家はイメージ戦略を……重視しているのだと思うのだが、ビザンティン柄の田中啓文とでもいったような、かなりややこしいイメージを狙ってらっしゃるようである。いろいろサイバーな歴史ものを書いているわりに実生活では電脳活動と縁がなかった高野さんだが、いったんハマると、(十年前の大原まり子さんのように)とことんハマる人であろうとおれは睨んでいる。〈SFマガジン〉塩澤編集長の苦笑が目に見えるようだ。なあに、かまうものか、どんどんハマってください。塩澤編集長がチェックしなければならない日記が、またひとつ増えただけのことではないか。


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