間歇日記

世界Aの始末書


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2002年2月中旬

【2月20日(水)】
田中眞紀子元外相と鈴木宗男議員が、衆議院予算委員会に参考人として招致される。田中眞紀子はまとまった話をさせると言ってることははっきりしているが、鈴木宗男はいつものように言ってることがさっぱりわからない。五年前の日記でもけちょんけちょんに書いたが、おれはとにかく鈴木宗男のようなタイプの人間が大嫌いである。人は見かけではないなどというが、あれくらいのおっさんにもなれば、生き様のスタンスというか、ライフスタイルというか、そういうものがある程度顔に染み着いてくるもんである。あの卑屈そうな目。わけのわからぬことをわめき立てるだけの大声。おれは滅多に使わない言葉を、あのおっさんに関しては、ためらいなく使う――生理的に嫌い。
 この鈴木宗男が、ことあるごとにわめくのが、「証拠を見せてください」である。べつになんの変哲もない正当な主張ではあるが、これがこのおやじの口から出ると、「よっぽどうまく証拠が残らぬようにしているのであろうな」という確信のみが強くなってゆくのだから、不思議なものである。
 ああ、それにしても、『過ぎ去りし日々の光(上・下)』(アーサー・C・クラーク&スティーヴン・バクスター、冬川亘訳、ハヤカワ文庫SF)に出てくる「ワームカム」があったらなあとつくづく思う。いかなる場所の過去の出来事であろうがデバカメができるという、ドラえもんが持っていそうな夢の道具だ。鈴木宗男のような輩は、たちまち場ちがいな国政の場から放擲されることであろう。もっとも、そんなものがあったら、国会議員がほとんど放擲されてしまいそうな気もするが……。というか、誰も国会議員になどなりたがらなくなるだろうなあ。

【2月19日(火)】
喜多哲士さんから突如ケータイにメールが入る――「今日の日刊スポーツのゴルフ面に鳥木千鶴アナウンサーのインタビューが載ってます」
 おおお。鳥木千鶴アナウンサーといえば、朝日放送の鳥木千鶴アナウンサーに決まっている。やはり、持つべきものはくだらない日記を読んでくれるうえにスポーツ新聞も読むSFファンの友人である(えらく限定的であるが……)。おれはスポーツ新聞なるものをまるで読まないのだ。ただ、一部のスポーツ新聞のあの思わせぶりな見出し藝に興味があるくらいである。教えてもらわねば気づかぬところであった。これはよいことを聞いたと、キオスクでいそいそと日刊スポーツを買う。おおお、かなりでかい鳥木アナのお写真が載っている。“でかい”“写真”にかかるので念のため。いやまあ、鳥木アナもけっして小さくはないが、鳥木様の場合は“お背が高くスタイルがよい”と言い習わす。関西の常識である。ちなみに、関西では“でかい”という言葉は、和田アキ子などに用いることになっている。
 しかしなんですな、スポーツ新聞というものも、たまに読むと面白いもんですな。なにしろ、スポーツのことがいっぱい書いてあり(あたりまえだ)、視点が一貫しているのがよい。一般の大新聞というのは往々にして同じようなことしか書いてないから、面白くもなんともない。だいたい新聞というやつは、偏向していればしているほど面白いのだ。支離滅裂に偏向しているのではなく、おれの思想とは正反対の方向へであっても、首尾一貫して偏向していれば、それはそれで面白いわけである。日経とか産経とか赤旗とかは、それなりに面白いと思う。「かえる新聞」なんかも、すごく偏向していて楽しい。そういう意味で、スポーツ新聞も「かえる新聞」と似たようなもので、読んでみると面白い。
 いやあ、喜多さん、ありがとうございます。ちなみに、喜多さんは、赤江珠緒アナのファンだそうである。ふむ、たしかに赤江アナは喜多夫人系の目の大きなタイプであるな。そやけど、単にタイガースの話をしたいだけとちがうんかい、と思わずメールに突っ込むおれであった。まあ、赤江アナのページにある失敗談『「安全カッター」を紹介していて手を切った』ってのは、いかにも喜多さんの好きそうなネタではあるが……。

【2月18日(月)】
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『ホームズと不死の創造者』
(ブライアン・ステイブルフォード、嶋田洋一訳、ハヤカワ文庫SF)
「Treva」で撮影

 『地を継ぐ者』(ブライアン・ステイブルフォード、嶋田洋一訳、ハヤカワ文庫SF)の続篇、というか、同じ設定の世界を舞台にした作品。『地を継ぐ者』を未読の方でもまったく大丈夫。二十五世紀末、生命科学とナノテクノロジーの進歩で、人類の寿命が二百年を超えている。そんな世界で、ナノテク植物を用いた連続殺人事件が発生。捜査に当たるのは、シャーロッ“ト”・ホームズ部長刑事と、フラワー・デザイナーのオスカー・ワイルド――ってな設定だけでも食指の動く話。ワトスンってのも出てくるのだが、ちょっと頼りないホームズの上司ってのが洒落ている。
 またまた、いつもの“予知能力”を発揮すると、本書は〈週刊読書人〉2002年3月8日号で紹介するにちがいないので、詳しくはそちらをどうぞ。

【2月17日(日)】
味つけ海苔をおやつに貪り食う習慣が、最近ちょっと変化してきている。コンビニで酒のつまみに売っている“韓国海苔”を貪り食うようになったのだった。なぜかSFファンのところに韓国海苔の広告メールが来るという怪現象が以前話題になったものだけれど、もしかしたら潜在意識が影響を受けているのかもしれない。というか、おれんとこにはいまだに韓国海苔の広告メールが来続けているんだよ〜。べつにネットで買わなくてもコンビニで間に合うから、いいかげんにやめてくれ。

【2月16日(土)】
▼巷で話題の『NHKにようこそ!』(滝本竜彦、角川書店)を読了。例によって、どのくらい広い巷なのかよくわからないが、ジュンク堂大阪本店では大量に面見せで売っていたから、かなり広いのだろうとは思う。
 タイトルにある“NHK”というのは日本放送協会のことではなく、“日本ひきこもり協会”のことなのである。なんでも、かかる団体が陰謀をめぐらせて、今日のひきこもり増加を招いているらしい。ひきこもり青年のバカバカしくももの哀しくほろ苦い、なにやらわけのわからない冒険(?)を軽快な饒舌体で描いた青春小説だ。“ひきこもり・アクション小説”などという惹句がすばらしい。“ひきこもり”がどう“アクション”になるのかたいていの人は首を傾げるであろうが、まさにそのようにしか呼びようのない話なのである。御都合主義には目をつぶるとして、飄々とした切実な感じ(ってのもまた矛盾しているが、実際そうなのである)がいい。
 じつのところ、おれはたいへん“ひきこもり”に憧れている。一度はやってみたい。根がひきこもりである。なのに、いまに至るまで、ひきこもりらしいひきこもり生活をしたことがない。理由はきわめて単純である。学校を出てからずっと、うちの世帯の収入源はおれひとりであり続けてきたので、ひきこもったらたちまち食うに困るからだ。そこそこ食い繋げるだけの資産も貯金もな〜んにもない。生き続けるためには、社会参加をしてなんらかの仕事をせざるを得ない。まあ、たいていの人はそうであろう。じつに情けないことではあるが、第一義的に食うために仕事をしているにちがいない。ひきこもりが実行できる人々は、そういう意味でエリートと言える。さしあたり、食うには困っていないわけだ。せっかくそのような恵まれた状況にあるのであれば、できるうちにしておいたほうがよいのではないかとおれは思う。国が豊かな証拠である。皮肉でもなんでもなく、そうした恵まれた人々にしかできない生きかたというのもあると思うのだ。おれが大金を手にしたとしたら、まずやってみたいことが“ひきこもり”である。切羽詰まってひきこもっている若者は「そんな気楽なもんじゃない」と怒るかもしれないが、客観的に見れば、じつに羨ましい。ひきこもっていても生きていられるというだけで、すばらしいことではないか。ふつうの人は、ひきこもりを見ると(当然、あんまり見る機会はないが)、「ずるい」と思うのかもしれないが、おれは真底「羨ましい」と思うのである。「ああ、一度でいいから、ああいう生活がしてみたい」と。金持ちの家に生まれていれば、おれも立派なひきこもりになれたはずなのに、まことに残念なことだ。
 本来ひきこもりになっているべきポテンシャルに満ちたおれのような人間が、生存の必要に迫られて社会参加をしているわけであるから、いまだにおれは自分がひきこもりだと思っている。ひきこもりだからといって、会社へ行っていけないわけがあろうか。集会やらパーティーやらに出かけていっていけないわけがあろうか。正統なひきこもり諸君も、なぜかネット上では活動していたりするではないか。面と向かって他人とふつうに話していても、結局、五感のセンサーからの電気信号を介して外界を認識しているのだから、ネットで他人とやりとりするのも、面と向かって話すのも似たようなものである。後者のほうが情報が多くて煩わしいが、本質的にはさほどちがわない。逆におれは、生身で他人と接しているときも、なにやらネットを介しているかのような気がしている。ことに、価値観がまるで異なる人間を前にしていると、奇妙なウェブページを眺めているような気になってくるのだ。要するに、本来ひきこもりであるべき人間が無理やりリアルワールドと関わっているため、そのような感覚が防衛機制として発達したのであろう。そう考えれば、現代では、そこいらを歩いている人間の半分くらいは、本来ひきこもりなのではなかろうか? 九割くらいかもしれん。そういうわけで、この“ひきこもり・アクション小説”は、たいへん面白い。並々ならぬ共感を覚える。
 『NHKにようこそ!』を読んでいて、なにやら妙な既視感に襲われたんで、はて、なんだろうこれはとよ〜く考えてみたら、おれはかつて、これに似た小説を読んだことがあるのだった。そうだ、日本文学史上に燦然と輝くひきこもり小説、『それから』夏目漱石)だ。あれがひきこもり小説でなくてなんであろうか? 当時、そういう言葉がなかっただけである。『それから』の代助は、高等遊民と言えば聞こえはよいが、今風の目で見れば、ひきこもり以外のなにものでもなかろう。逆に言えば、あの時代の高等遊民並みのライフスタイルが選べる人が増え、現代では“ひきこもり”と呼ばれているにすぎない。
 そう考えてくると、『NHKにようこそ!』は、『それから』に『人間失格』太宰治)と『赤頭巾ちゃん気をつけて』庄司薫)を足して三で割ったような、青春の滑稽と悲惨を描いた日本文学の系譜に正しく連なる作品と言えるのではあるまいか。少々滑稽が過ぎるように表現されているだけである。いま、『それから』やら『人間失格』やらみたいなのを書いたら、ギャグにしかならんよ、たぶん。表現されていることはいつの世にも通用するにしても、表現のしかたがギャグになっちゃうだろう。『赤頭巾ちゃん気をつけて』は、いまの若い人にもよくわかると思うけど。

【2月15日(金)】
▼あら。そういえば、昨日は会社で義理チョコを一個しかもらわなかったな。一個ったって、ひと箱のことではない。その“箱”の中のチョコを文字どおり“一個”ずつ配っている女性にもらったわけである。バブルのころは、義理とはいえ、箱が来たもんであるが、不景気はこんなところにも影響を及ぼしているようだ。まあ、虚礼廃止はよいことである。虚礼を廃止されるとたちまちもらえなくなるあたりに忸怩たるものがないでもないが、コーラを控えているくらいだから、チョコをたくさん食うのはもってのほかだ。望むところである。わははははははは。はは。
 ヴァレンタインデーなどというお菓子屋の陰謀はまんまと定着してしまったが、サン・ジョルディの日はいっこうに定着しない。本屋でくじがもらえる程度だ。「本なんてものは、それそのものに意味がありすぎて、愛情表現のツールにはなり得ないであろう」と以前にこの日記で書いたが、いやなに、よく考えたら本でなくともいいのだ。今年の四月二十三日には、会社で図書券を配って歩く女性が出現しないものであろうか。

【2月14日(木)】
「宗男ハウス」ねえ……。こりゃ、今年の流行語大賞まちがいなしだな。
 せっかくこんなにおいしい言葉が流行りそうなんだから、タカラに便乗企画を売り込もうかと考えている。誰でもすぐ考えつきそうな企画なので、早い者勝ちだ。え? どんな企画かって? ここまで読んでもまだおわかりにならないとは、さてはこの日記の素人の方ですな? そんなもん決まってますがな、リカちゃんのお友だちにムネオくんというのを作るのだ。当然、ムネオくん専用のキャリングケースも売り出す。開くと家になるのだ。商品名は……言わんでもよろしいね?

【2月13日(水)】
▼ソルトレイク五輪でスピードスケートの清水宏保選手が銀メダル。いやあ、しかしすげえなあ。タイムの合計で、金との差が○・○三秒とは……。なんて厳しい世界だろう。秒刻みで進行している放送の世界だって、○・○三秒をとやかく言われることはないだろう。編集者から電話がかかってきて、「締切に○・○三秒遅れました。落とします」とか言われたらどうしよう。

【2月12日(火)】
▼いかん、無性にコーラが飲みたくなってきた。なにをどれだけ食っても肥らないと豪語していたおれも、近年さすがに中年肥りが来て、絵草紙の餓鬼がごとき体形に迫ってきたのである。コーラなどという怖ろしい飲みものは控えねばならぬ。しかし、温かくなってくると風呂上がりなんかにクーっとペットボトルを呷りたくなりますなあ。ダイエットコークやダイエットペプシという手もあるが、どうもふつうのに比べてあれはまずい。アスパルテームの甘みがおれはあまり好きではない。そういえば、出はじめのころに発癌性があるのどうのと騒いでいたのはどうなったのだろう?
 ああ、それにしてもコーラが飲みたい。こんなことで夏が乗り切れるのだろうか。堺三保さんくらいの真性おたくになれば、コーラ中毒であのような貫禄をつけても不自然ではないのだが、おれなどはおたくとしてはウスい半端者なので、体形だけおたくらしくなるのはよろしくない。我慢してまずいダイエットコーラを飲むか(って、結局飲むのかよ)。

【2月11日(月)】
『世界まる見え!テレビ特捜部』(日本テレビ系)を観ていたら、なんでもギネスに挑戦しているらしく、五十センチ四方の箱に三人でどのくらい長く入っていられるかなどというバカな記録が樹立されるところであった。いつも思うんだが、こういうのって、あとから同じことをやってやろうというやつが現われるのかね?
 とかなんとか言いながら、おれはこの番組けっこう好きである。頭痛のときには楠田枝里子の声がつらいが、まあ、中身は面白い。あ、そうだ。前からちょっと気になっていることがあるのだ。この番組、途中でちょっと番組名が変わったっけ? テレビ番組なんて似たようなタイトルばかりだから、よく覚えていないのよさ(なぜかピノコ語)。
 いやじつは、中国SF研究会のサイト「科幻情報」に、「現代中国主要SF関係者リスト(96.7増訂版)」(整理・林久之)という貴重な資料があって、なにしろ日本でほかにこうしたものがあるとは思えないものだから Nifty-serve のSFファンタジー・フォーラムのライブラリにあったころから興味深く拝読していた。それによると、倪匡(げい きょう)という香港のSF作家が、地元のテレビ番組で小泉今日子といちびっているところを『世界まるごと特捜班』なる日本の番組に発見され、日本でも放映されたとあるのである。もう十数年前のことになるはずだが、そのころは『世界まるごと特捜班』って番組名だったっけ? なんか、言われてみればそんな気もするし、そうでないような気もする。いずれにせよ、『世界まる見え!テレビ特捜部』の前身であろう。海外の面白いテレビ番組を掘り出してきて紹介するという内容からすると、倪匡氏が紹介されたのは、番組名はともあれ、“まる見え”であったにちがいない。残念ながら、おれは観ていなかったのだ。いやまあ、べつにどうでもいいことなのだが、見逃したのがなんとなくくやしいのである。中国語圏のSF作家がゴールデンタイムのテレビ番組に出てくることなど、そうそうあるとは思えないからだ。日本のSF作家だって珍しいもんな。むかーし深夜に筒井康隆を観たり、お昼に亀和田武を観たり、夕方に島津製作所のCMに出演していた大原まり子を観たりした覚えはあるのだが……。


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