間歇日記

世界Aの始末書


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2002年6月上旬

【6月10日(月)】
▼げげっ、なんということだ。最近、サンダーバード5号やら2号やら、思いのままに狙った食玩が当たるので気味悪く思っていたら、今度はPDAが当たってしまった。食玩の箱からPDAが出てきたわけではない。「bk1・bol・三省堂書店連合大感謝祭」ってののプレゼント企画に応募していたのだが、今日突然メールがやってきて(ふつうメールというのは突然来る)、富士通「Pocket LOOX」が当たったというから驚きだ。応募したことすらすっかり忘れていた。そろそろおれにも運が向いてきたか。ほんとうに宝くじでも買ってみるべきかもしれん。それにしても信じられぬ。希望賞品はパソコンかPDAかを選べるようになっていて、たしかパソコンは十名、PDAは百名に当たるのだったかな? とにかくPDAのほうがずっと当たりやすそうであったため、パソコンにトライしてみる気など最初からさらさらなく、当然のようにPDAを選んだのが勝因であろう。当たったいまとなっては、パソコンを選んでおけばパソコンが当たったのではあるまいかという気にちょこっとなっているけれども、世の中そんなに甘くはない。パソコンを選んだらハズレていたにちがいないのだ。そうだとも、絶対そうだ。だいたい、いくら上等のノートパソコンとはいえ、最新型PDAの十倍の価格ということはないわけであって、PDAがパソコンの十倍の確率で当たるのなら、PDAに張るのが合理的というものである。だけど、こういうときにパソコンに張ってみる勝負心を持ち合わせないのも、つまらない性格だなあとわれながら思うな。まあ、ただでさえ極道な生きかたをしているわけだから、このうえ博徒気質に満ち溢れていたらえらいことだ。
 問題は、まだ賞品が発売されていないことである。「いま、鶏を絞めてます」というわけだ。新製品というのは、そのへんが怖い。すでに印刷してしまったメニューに書いてあるとおりに鶏が料理できるとはかぎらないからだ。なんだか、ずいぶん待たされそうな気がするなあ。
 Pocket LOOX は、Pocket PC 2002 日本語版を担ぐ六社(ヒューレット・パッカードとコンパックは一社になっちゃうけど)のうち、最後の富士通が満を持して出すPDAだ。とうとうおれも、PDAでもマイクロソフトの軍門に下るわけか(ま、HP200LX だって、MS-DOS 機でしたけどね)。でも、もらえるというのなら、ありがたく頂戴する。据え電食わぬは男の恥と言うではないか。電子的なオーガナイザとしては、ザウルスや Palm OS 機のほうが、PDAでは新参者の富士通機などよりずっと練れていて快適に決まっていると思われるが、ネット端末としては期待できるだろう。いま使っているザウルス・アイゲッティ「MI-P2-B」より、少なくともハードウェアの性能は比べものにならないほど高いから、多少ソフトがタコでも“力業”が利くぶん不便になることはなさそうだ。あんまり使えないようなら、叩き売った金に上乗せして、ハイスペックのザウルスを買うという手もあるしな。

【6月9日(日)】
▼後学のためにサッカーでも観るかとさっそくエアロスペースベッドに寝っ転がって、日本対ロシア戦を観てみる。エアロスペースベッドのぶんだけ目の位置が高くなったのだが、これがまたおれの部屋のテレビの配置にぴったりとフィットし、寝っ転がってテレビを観るのにちょうどよい高さになった。
 それにしても、サッカーとは、なんとわかりやすいスポーツだろう。相手側の網囲いの中に球を蹴り込めばよいだけらしい。蹴らなくとも、手以外なら、たとえば頭で球を弾き入れてもよいみたいだ。サッカーの試合なるものを、生まれて初めて最初から最後までテレビで観たが、けっこう面白いではないか。でもまあ、ほかにもっと面白いことはたくさんあるから、これからしばしば観るようには、まずならないだろうなあ。
 一部の人にしかわからないネタではあるが、稲本って選手は、なんだかのだれいこさんに似ているなあ。

【6月8日(土)】
▼テレビ通販の「テレコンワールド」で買った「エアロスペースベッド」ってのが届く。ほれ、あのポンプで膨らませるベッドだ。おれはソファーベッドで寝ているので(なにしろ、まっとうなベッドを常時置いておくスペースなどない。そんなスペースがあったら、真っ先に本に占領されることであろう)、上に布団を敷いても、ソファーモードのときに折れ曲がっている部分が溝になってしまい、そいつが布団の凹凸にまで影響してくる。わずかな高低差なのだが、寝るとけっこう気になるのだ。なにしろおれは育ちがいいものだから、二十枚くらい敷き布団を重ねた上に寝ても、いちばん下にエンドウ豆でも置いてあろうものなら、あちこちに痣ができてしまうほどだ。育ちがいいのもたいがいにしなくてはいけない。まったく厄介な星の下に生まれたものである。なに? そんなに育ちがいいやつが、なぜソファーベッドなどに寝ているのだって? 育ちはすこぶるいいのだが、育ってからはまた別の話なのである。まあ、ゴータマ・シッダルタのようなものだな。それはさておき、はてさて、なんとかならんものかと長年気になっていたところ、テレビでなにやら膨らませている。おお、これじゃ。ソファーベッドの上にこの風船ベッドを敷いて、その上に布団を敷けばよいではないか。どれどれ、寸法は合うのかな……と録画しながら観ていると、おお、シングルでぴったりではないか。一万円? 買いじゃ買いじゃ。というわけで電話したのだった。
 それにしても、たしか三月の末ころに注文したような気がするのだが、こんなにかかるものか。在庫なんぞほとんど持たないのだろうから、人気商品なら仕方あるまい。ちょうど今日は土曜だ。金曜の夜から布団は敷きっぱなし(つまり、ソファーはずっとベッドモード)である。さっそく付属のポンプで膨らませてみる。電気掃除機に匹敵するくらいの音がするけれども、なるほどテレビのデモは嘘ではない、一分ほどでシングルベッドが見るみるできあがる。救命ボートかなにかのようだ。布団をソファーベッドからひっぺがしてエアロスペースベッドを敷き、その上に布団を敷く。おおお、これは快適快適、もっとふにゃふにゃしているものかと思ったが、たっぷり空気を入れると意外としっかりしている。寝っ転がって本を読むのにも最適だ。テレビでは五十トンのクレーン車で踏み潰してみせては、ほら大丈夫などとやっていたが、おれの部屋にはクレーン車が走りまわるほどのスペースなどないので、なにもあそこまで丈夫でなくともよい。象が踏んでも壊れないくらいでよかろう。象が走りまわるほどのスペースがあるかどうかは、この際気にしてはならない。
 ベッドメーク(というか、ベッドリメーク)をして気がついた。よく考えたら、このも通販で買ったのではなかったか。そうだ、「通販生活」「メディカル枕」だ。通販と共に眠る男。買ったときの日記を読み返してみると、なんてことだ、ベッドより枕のほうが高価だ。なるほど、枕を高くして眠るというやつだなと独り深く納得して頷き、ベッドの上を転げまわって絶妙な弾力を楽しむ。これはなかなかいい買いものであった。金利・手数料はジャパネットたかたが負担してくれないらしい。あたりまえだ。

【6月7日(金)】
▼ふらりと書店に入ると、なにやら嵩高い雑誌のようなものが山積みになっている。見ると、なんのことはない〈ネットランナー〉だ。おれもちょくちょく買う。このところ買っていなかったが、はて、いつから〈ネットランナー〉はこんなに分厚くなったのだろう? 一冊手に取ってみて愕然とした。なんと、あの「先行者」のプラモデルが付いているのだった。アホである。編集長は大阪人か? しかし、国際問題に発展することを怖れてか、「先行者」とはどこにも書いてない。箱には「中華キャノン」とあるだけだ。あとで調べてみると、編集長も「これは先行者じゃない!」と否定しているもようである。
 「くだらねぇ〜」と吐き捨てるようにつぶやいたおれは、もちろんそのままレジへ持っていった。ここまでマジにくだらないと、買わずにはおれん。
 で、晩飯食ったあと、いそいそと組み立ててみた。なかなかよくできている。全関節がちゃんと動く。だものだから、バランスを取らせるのが容易で、きちんと立つうえにポーズが決まる。バカもここまで本気でやれば上等だ。せっかく作ったので活躍させてやらねばと、手近なフィギュアと並べて記念写真を撮ってやった。

ゴジラ vs. 先行者
「Treva」で撮影

 「中華キャノン、発射っ!」「あんぎゃあ〜〜っ」
 いやあ、なかなか迫力のある写真だ。もう少しまともなデジカメがあればよかったのだがな。キングギドラのほうが色彩的に映えるかもな。えーと、おれ、四十歳まであと半年もないな。

【6月6日(木)】
▼今日の「御教訓カレンダー」(PARCO)は秀作だ――「触用ガエル」(松浦裕幸)
 ひんやりして気持ちいいよね。
▼讀賣新聞の夕刊一面にどこかで見た男が写っておるなあとよく見たら、近藤正臣だった。それだけならどうということはないのだが、名前の下に(60)と書いてあってたまげる。げげっ。近藤正臣は、もう六十歳だったのか……。まったく、おれは全然歳を取らないのに、他人はどんどん歳を取る。そのうち吸血鬼だとばれるのではないかと心配だが、それはさておき、近藤正臣。六十だというのに、ピアノの鍵盤に跳び乗って足で「猫ふんじゃった」を弾いていたころとあんまり顔が変わっていない。こいつも吸血鬼か。

【6月5日(水)】
▼京阪電車の駅にある新しめの売店には、「KEIHAN BAITEN」と書いてある。なんとなく字面がドイツ風というかオランダ風というか、とにかくあそこいらへん風でエキゾチックな感じだ。どうせなら、「KAEHAN BEITEN」とでもしたほうが、いっそうドイツっぽくていいのに。イッヒ・ハーベ・ケーハンゲバイテン(私は京阪の売店で買いものをした)。じつは kaehanbeiten と綴るのが正しく、kaehan- は分離動詞の前綴りなのである。よって、現在形だと、イッヒ・バイテ・ケーハン(私は京阪の売店で買いものをする)なのだ。ゆめ疑うことなかれ。
 まあ、京阪にしてみたら、Kiosk というのをJRに取られたので癪だから、きっとドイツ語風の「KEIHAN BAITEN」で復讐しているのだろう。キオスクなんてのは一般名詞なんだから、べつにどこの電鉄会社が使ってもよさそうなものだが、京阪は頑なに BAITEN を通しているのだ。アメリカの宇宙飛行士を cosmonaut ではなく astronaut と言うようなものだろう。なにもそんなにムキにならんでも。京阪電車がキオスクを使ったとしても、JRは訴えられないはずだ。「はちみつレモン」の前例がある。でも、意地でもキオスクとは言わんだろうな、京阪は。

【6月4日(火)】
タカラがギコ猫の商標出願を取り下げたというニュース。商標として出願してたとは知らなんだ。「ギコ猫ってなに?」という方もいらっしゃるかもしれないので、一応、見本を載せておこう。おなじみの巨大匿名掲示板群「2ちゃんねる」で自然発生し、ことあるごとに出没する、あの“アスキーアート”(文字絵)の猫である。こんなの――

               ∧ ∧ 
          〜′ ̄ ̄( ゚Д゚)
             UU ̄ ̄ U U 

――ね。名前は知らなくても、見たことがある人は多かろう。札幌雪祭りに登場したことでも話題になった。
 ああいうところで自然発生したものをちゃっかり商売に使おうってのは、なんとも品のない話だよなあ。そりゃまあ、「2ちゃんねる」だって品のない場所ではあるが、また別種の品のなさだ。抗議のメールが殺到したと記事にあるが、まあ、当然でしょう。「へのへのもへじ」で独占的に商売をするべく商標登録しようとするようなものだ。「ハマムラ」は登録してあるでしょうけどね、ってこりゃ関西の人しかわからんか。さすがに品のなさに気づいたか、取り下げたんならいいけどね。こんなことが横行してはたまらない。おれは「2ちゃんねる」を読むばかりで、一度も書き込んだことがないのでギコ猫も使ったことはないが(いま初めて使った)、ギコ猫はタカラが、モナーバンダイが、ゾヌトミーが、おにぎりワッショイサンリオが……なんてことになったら窮屈だ。どこの誰とも知れぬ人がその場の流れで生み出し、どこの誰とも知れぬ人々が育んできたキャラクターなんだし、パブリック・ドメインでいいじゃないか。

【6月3日(月)】
▼いかんいかん、罠にはまるな罠にはまるなと思いつつ、またもやコナミの『サンダーバード』食玩を一個買ってしまう。今度は、2号が当たればいいなあ、2号が欲しいなあと念じて、また中のほうから抜き出したら、なんてことだ、2号だった! おれはひょっとすると、しょーもないところで運を使い果たしているのだろうか?

【6月2日(日)】
▼やっと本棚を六本ともすべて組み立てる。なにしろスペースがないものだから、まず本棚を組み立てる空間を作り、組み立てるはしから本を入れてゆき次の本棚を組み立てるスペースを作るのである。15パズルのようだ。肉体のみならず、空間把握能力に著しく欠けるおれにとっては、けっこうな頭脳労働でもある。
 だが、まだまだ本は片づかない。「焼け石に水」という言葉が脳裡をよぎる。まあ、かなり石の温度は下がったような気はするけどな。背表紙が見える本が格段に増えた感じだ。仕事がやりやすくなる。仕事をしないときでも、漫然と書庫を眺めて、「ああ、そういえばあんな本があったな。たしかああいうことが書いてあったな」と、よしなしごとを考えるのは、存外に重要な精神活動であろう。思い出とともに脳の中を整理しているなどというと、ちょっとかっこよすぎるか。
 また、バンテリンの世話になる。頭脳用のバンテリンというのはない。

【6月1日(土)】
▼また『ウルトラマンコスモス』(TBS系)で、アヤノ隊員がカエルを出す。カエラーってのは、やっぱりけっこういるものなのかなあ?
 おれは実生活では周囲にまったくカエラーを見かけないのだが、ネット上ではしばしば遭遇する。むかしはマイナーな趣味趣向だと思っていたものだけれども、パソコン通信やインターネットに触れるようになって、おお、やっぱり世の中には少なからずカエラーがいるのだと心強く思ったものである。かといって、それが常識だと思いはじめると、ちょっと危ないかもしれない。どんなマイナーな趣味の人でも、必ず同好の士が少なからず見つかるのがネットというものだからだ。以前にも書いたが、似た者同士がお互いに誘引し合っているのだから、あたりまえの話である。ウェブページってのは、なにをいくら書いても、そこで閉じているかぎりに於いては、なかなか他流試合にはなりにくい。しかし、できれば、おれとはちがう種類の人にも読んでもらいたい。そこいらの矛盾を捌く塩梅がなかなか難しく、まだまだ慣れないなあと思う今日このごろである。


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